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20.

「今まで取引を重ねていてこのようなことは一度もなかったのに……」

 長く付き合いのあった商人による裏切りに、家令は驚き、ひどく落胆している。

 さて、いかな慰めの言葉を掛けようかと迷っているうちに、「まあ、今更そのように詮無いことを言っても仕方がありませんね」とルドルフはさっさと自力で立ち直った。さすが、我が館を取り仕切る優秀な家令である。

「……そもそも、『若く美しいメイドがいる』と、どこで小耳に挟んだものやら、本人に問いただしてみましょう」

「うむ」


 サラの誕生を祝う宴が盛況に終わったのち、余とルドルフはほかの使用人らには告げず、ひそかに屋敷の地下へおりた。

 煌煌と灯りをともしている一、二階とは打って変わって、階下にはわずかな光源しかない。ルドルフの持つ手燭と、壁にぽつりとひとつだけある蝋燭、それのみである。とは言え、ここは余の屋敷にて不埒な真似をした罪人をとどめ置く場であるが故、これ以上の歓待は不要であろう。


 眼前には捕縛された商人――商談の場にて見た折には上等な仕立てであった衣服も今や面影なきほど皺くちゃで、ところどころ泥に汚れていた――が壁や床面から染み出る地下水でじっとりと冷えた地べたに転がっている。


 暴れたり自死を選んだりせぬよう捕縛した際にいったんは術下に置いたものの、このままではこやつから話を聞くことが出来ぬ。もし、この不届き者がよんどころない事情を抱えていた場合、その理由や反省なぞを述べるやもしれぬし、その背景如何(いかん)によっては許さないでもない。余は狭量にあらず。よって、この罪人に弁解の機会を与えるべくパチリと指を鳴らし術を解いた。

 だが、品のよい人物を演じる必要がなくなった今、元商人の男は殊勝な態度をみせるどころか好色かつ狡猾な本性をむき出しにし、もはやぎらぎらとした気配を消そうともしておらぬ。

「あのメイドのことをどこで知った、答えよ」

 余がそう水を向けると、商人だった者は床に這いつくばった格好でこちらを見上げ、乱れた前髪の間より不敵な笑みを披露した。

「聞かれて素直に答えるとでも思っているのかな、聡明なる吸血鬼どの?」

 その嘲りの気配をたっぷり含んだ言葉に家令のルドルフは眉をピクリと動かしたが、あいにくそのような挑発に乗ってやるほど余は優しくはない。目の前をぶんぶんと飛びまわる羽虫同様に無力な者に(かかずら)う理由も、またない。

「なら、言わせるまで」

 余は己の眼力を少しばかり強くし、「さあ」と促す。すると、先ほどまでの反抗的な態度は魂とともに抜け、どろんとした目の男が従順に口を開いた。

「答えよ」

 余のふたたびの問いに、木偶と化した商人の口が、他愛なくのろのろと開く。

「りょおぉおしゅだよぉ」

 泥水をいっぱいに含んだ如くに重たい口調で、商人は白状した。

「――領主」

 かつて、幼きサラを卑劣なやり口で手に入れんとした憎き男。

「あのぉとこがぁあ、ここにいるメイドをぉぉぉ、どぉんなてをつかってでもつれてこいぃってええ」

「領主? ではなぜお前は、あのメイドを我が物にしようと思ったのだ」

 ルドルフがそう問うと、商人だった男はニタッといやらしく笑った。

「気ぃいいが変わったんだよぉお。あんなべっぴんはぁあ、じぶんのものにしたいぃじゃないかぁ」

「なるほど」

 気味の悪い笑みを浮かべつつ、好色な男が垂れ流し続ける欲望の言葉を、余はぱちりと指を鳴らし水栓を締める如くにかたく閉ざした。

「クラウス様、この者はいかがいたしましょう」

「そうだな、いつものように術を解かぬままのこの状態で山へうち捨てるつもりであったが……」

「?」

「此度は趣向を変えて領主の元へ送り届けるとしよう」

「かしこまりました。――お館様、」

「なんだ」

 後をルドルフに任せ、そこを出て行こうとした余を家令は引き留め、そしてこう言った。

「お顔が、少々物騒です。ほかの者たちはこの商人がここに留め置かれているとは知らないのですから、いつも通りの表情をなさってください。それから、お顔だけ普通を装っても身体中から殺気を漂わせたままではよくありませんから、それも引き込めて冷静になってください、今すぐに」

「余が動揺していると申すか」

「動揺というよりは、怒り狂っていらっしゃるかと。――サラが脅かされましたから」

 人の上に立つ立場の者はたやすく内面の感情を表に出さぬもの。そう理解し、そうあるべく努めていた余ではあるが、この時ばかりはいささか難しかった。

 ルドルフも余の顔が穏やかざるものから一向に戻らぬのを見て「……分かりました。旦那様、それでは後ほどお出かけすることにいたしましょう」

「どこへだ」

「領主のところへです。どのみちこの商人を届けに行かねばなりませんし、いっそ私に同伴してください。このままの状態で屋敷にいらしていても皆が怖がるだけです」

「――ぬしも怖いか」

「ええ」

 余の問いに、ルドルフは表情を変えることなくあっさりとそう答えた。その取り繕わなさに余は返って可笑しくなり、思わず笑みを漏らしてしまった。

「お館様」

「何だ」

「笑顔を取り戻されたのは大変結構ですが、後ほど領主のところへ行くのですから、それまで怒りの感情は収めず心の中で生かしておいていただかないと困ります」

 せっかく少し機嫌を直せばこの不条理な物言いである。


 夕刻まで図書室に籠もりなるべくルドルフ以外の者と顔を合わせぬようにし、夕刻を迎えた頃合いで家令が領主のもとへ商人を届けるのに同伴した。むろん、商人であった男はあれから捕縛し術をかけたままである。

 事前の通達なしに訪れた馬車に、()の邸宅の執事が「誠に申し訳ございませんが、お約束のない方のお取次ぎは出来かねますことを……」と慇懃に告げるのを余の家令はぴしゃりと遮り、馬車の扉を開け、床に転がる男を引き摺り出した。

「この男をご存じですね? あなた方の主は、商人であるこれを使って我が屋敷のメイドを拐そうといたしました。必要とあれば、この男に領主との関係を今ここで白状させましょう」と氷でできた刃の如く、鋭く冷たく言い放った。

 初老の執事は言葉を失くし、動揺を見せた。

 おそらく、メイドの拐かしなどといった、主の不祥事自体はよくある出来事なのであろう。にもかかわらず、泣き寝入りされずに返り討ちに遭ったのは此度が初めてであったか。

 滝のような汗をだらだらと流し、唇を震わせつつ「……失礼致しました、では、どうぞこちらへ」とようよう言を紡いだ家令に、余とルドルフは先ほどとは打って変わって丁重な扱いを受けた。

 苦労の多そうなその後姿を眺めつつ余の屋敷よりもよほどに豪奢かつ冗長なその廊下を歩き、余はルドルフにこっそりと囁く。

「あのようにふるまうとは、ぬしもまだ怒っていたのだな」

「当然です。屋敷の人間に手を出そうなど言語道断。許せる筈がありませぬ」

 ルドルフは人形のように整った顔で、すさまじい怒りを込めた言葉を吐いた。


 ――これほどまでにルドルフが感情的になるとは。

 余は、彼のものが幼年であった頃から知っているが、幼き頃から落ち着き払っており、持って回った嫌みな言動はあれど、怒りをあらわにすることはついぞなかったといってよい。我が事ではなく、他人事にて苛烈な反応を見せたことに、余は大いに感心した。

「ぬしは、よき男であるな」

 心の底からの言葉は、「お褒めいただき光栄ですが、今の私の言動のどの部分にクラウス様が感銘を受けられたのかは分かりかねます」とすげなくあしらわれた。

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