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2.

 余は、必要以上の血を望まぬ。

 必要以上の恐怖も馴れ合いもいらぬ。

 それを、屋敷の人間はよく存じている。

 ただ、全ての人間たちがそう思っている訳ではないと言うことも余は理解している。

 余と人間は違う種であり、余が捕食者で人間は捕食される存在である。

 そこには、分かち合えぬ何かが横たわっていて、決してそれが融けることはない。だが、横たわっているそのものの大きさは、いかようにも変えることが可能である。

 大きく強固なものにすることも、春近い小川の薄氷の如くにすることも。


 余は決して奇異な振る舞いをしているつもりではないが、人間と、人間の子どもをまっとうに扱うといった行為は、周り――我ら一族然り、近隣の村の人間然り――からするとどうやら前者からは酔狂、後者からは慈善と呼ばれる類の筆頭であるらしい。また当然のことながらそれは吸血鬼の長き歴史の中でも前例なきことであるらしい。

 捕食の対象に情など覚える必要がどこにあると、一族のものから異端視されているのは余も重々承知である。がしかし、本人の意に背いて――自ら望んで余に血を啜られんと身を摺り寄せてくる人間の女など存在せぬ――差し出され、いやいやながら吸血されるものに対して何の感情も浮かばぬほど、余は鉄面皮にあらず。そして、ただで搾取するようなつまらぬ吝嗇にもあらず。乙女の血は、いくら貧しい味であろうとそのような素振りは一切見せずに啜り、対価として金貨を渡している。

 また、差し出されたものには報酬を渡した上で吸血する一方、それ以外の乙女にはむやみやたらと手をつけぬという取り決めを、周囲の村々の人間と交わしている。人間と吸血鬼、異なる種の生き物がひとところにおれば、こちらが何をせずとも恐怖も疑心もいくらでも湧いてこよう。火種はなければない方が良い故、見た目上だけだとしても友好的関係を築き、それが永く続くよう計らっている。だからこそ、館を燃やされ、我が心臓に銀の銃弾を撃ち込まれるような敵対関係には陥っておらぬという訳である。今のところは。

 差し出される乙女以外に、我が邸宅前に幼子や人間の男といった、余が血を啜る対象になり得ぬ者が棄てられていることもままある。行き場のないものを捨て置くことは出来ぬのでこの場合は屋敷の下働きとし、月々の賃金に加え寝食の保証を与えている。サラへ言い聞かせたことに嘘偽りはあらず。


 かように、困窮故、親によって余の元へと連れてこられる人間はいつの世も後を絶たぬ。だが、おかげで余は血に飢えることなく、また我が屋敷では深刻な人手不足に陥ったためしはないと聞く。

 ごくまれに、人間の側より捨て子を差し出されずとも自ら拾って帰ることもあり、家令に『お館様、何でも拾ってきてはいけません』と叱られる所以である。もちろん、今回もこんこんと叱られてしまった。

 同じ過ちを犯すことはもちろん愚の極みであるが、しかし余はこれが過ちとは思わぬ。今後もおそらく拾っては都度叱られるのであろう。

 人間の拾い子が、余と余の一族にはありえぬ速度で成長して行くさまをつぶさに見るのは、存外余にとって楽しきことである故。



 サラが、きちんと三食の食事を摂り、凍えることなく十分な睡眠を摂り、館の仕事を始めるようになると、あのやせぎすな体とこけた頬はみるみるうちに改善され、余は人知れず胸を撫で下ろした。その回復ぶりに、思わず空の上の天敵に謝辞を述べそうになったほどである。

 また嬉しい誤算とも言えようが、あの小さき娘は大層な働き者であった。呑み込みがよく、どのような仕事に対しても真摯に取り組んでおり、その姿勢は屋敷にいる他の使用人たちにもよき影響を与えている、とは家令のルドルフの言である。

 そして余がなにやら嬉しく思うのは、あの日底なしの漆黒に沈んでいた瞳が嘘の如くに輝き、見るたびに満天の星空よりもまばゆい笑みを湛えていることであった。

 出会いが出会いであったせいか、サラは余に恐怖心をあまり抱いておらぬようだ。

 この屋敷に働く者は今更余に対しびくびくすることもないが、さすがに勤めはじめの頃のしばらくは本能による畏れを抱き身を硬くしているものである。――最近の使用人の子どもは、幼き頃より何かにつけ屋敷へ連れて来られ余に接する機会が多いため、ここで勤めだす頃にはすっかり余に慣れているが、それに比べてもあの娘は。

 そう思いつつ等間隔に蝋燭が灯された廊下を歩いていると、今しがた頭に描いていたサラが破顔し、余の元へと小走りで近付いてきた。

「クラウスさま!」

「ご苦労である。――屋敷には慣れたか」

「はい! 皆さんとても優しくしてくださいます」

「なにか足りぬものや困っていることは」

「何一つありません」

「うむ。だが、今後そのようなことになった場合、すぐに打ち明けよ。余でも家令のルドルフでもメイド頭のマリアでもよい。つまらぬ遠慮はするでないぞ」

「……ありがとうございます」

 サラはなぜかしみじみと余の言葉を噛みしめた。

 そのさまを見ているうちに心の内が大きく波立ち、名状しがたい何かが炭酸水の如き勢いにて沸き出てきてしまいそうになる。誤魔化すように口走った。

「だいぶ、ふっくらとしてきたか」

「それは、あんまりな言いようです!」

 余は褒めたつもりであったその言は、なぜかサラを憤慨させてしまったようだ。肌には張りが、髪に精練した絹糸に負けぬほどの艶が出たのはやはりよく食べるようになったからであるというのに。

 人間の女の子どもとの会話はむつかしい、と思いつつ、余は「失言であったのならば謝る」「機嫌を直せ」と掃除に勤しむサラの後ろを付いて回り、余にとっては理不尽にも思える憤慨を収めんと努めていたが、その様子を見ていたらしきルドルフに「旦那様、サラの仕事の邪魔をしてはいけません」と自室へと連行されてしまった。


「旦那様、仮にも一四の少女に、あのような配慮のかけらもない発言はいくら雇い主とは言え、なさらない方がよろしいでしょうね」

 ため息交じりの苦言には余すところなく棘がびっしりと生えており、余をちくちくと責め立て非常に居心地が悪い。だが、それよりも気になることがあった。

「――すまぬが、今一度聞かせてもらえぬか? どうやら余の耳は本日調子が悪いようでな。サラは、何歳であったか」

「ええ、何度でも申し上げます。サラは一四でございます」

「分かったぞ。余は夢を見ているのだな」

「誇り高き吸血の一族であろうお方が現実逃避など情けない。しっかりなさってください、いいですか、あれは、あなた様が思っているほどの幼子ではございません」

 余りにやせっぽちだったので気が付かなかったのだが、あれは幼児にあらずと家令のルドルフより執拗に言い聞かされ、余は驚きの余りしばし思考を停止しかけた上に葡萄酒の入ったグラスを倒すところであった。

 ――では、血を啜れるようになるまで、さほど時間がかからぬのでは?

 余の驚いた様子を間近で見ていたくせに、ルドルフはそ知らぬ顔で「旦那様がお飲みのそちらを納めに来た村人によりますと、今年の葡萄酒の出来はなかなか良いとのことでございました」などと言う。それを聞き、改めてグラスの中身を口に含む。果実の香りと甘み、そして仄かな渋みは村人の言にたがわぬ芳醇な味わいを余に知らしめた。

「うむ、旨い」

「それはようございました」

 だがしかし、グラスを傾けはするものの、余の心は口中の馥郁たる葡萄酒よりも他のことで占められていた。


 ――一四とな。

 サラの血を啜るにはあと一〇年ほどかかると、余はそう見積もっていたのだが。

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