16.
余の部屋に向かう途中、家令と使用人らに行き合った。先ほどは急いでいたこともありルドルフに『サラが拐かされそうになっている』とだけ告げたため、みな思い思いの武器――メイドらはモップやはたきと言った長もの、馬丁は縄と鞭、料理長は無骨な肉切り包丁、庭師に至っては首も一息に切れそうな剪定鋏――を手にし、今にも例の不届き者を殺さんばかりの顔をしていたが、余の腕に抱かれたサラを見つけると一様にほっとした様子を見せた。
「ルドルフ、彼のものは術を掛けた状態で西の廊下に放置してある。後はいつも通りに」
「かしこまりました」
「マリア、サラに茶を。余の部屋にて休ませる」
「承知しました」
そのやりとりの間も、当然のことながらサラは余に抱えられたままであったが、サラの身に降りかかった一大事で皆気が動転しているのか、誰ひとりとしてそのことに触れなんだ。しかし、「あの野郎、ボッコボコにしてやる」と息巻くもの、サラに「がんばって!」となにやら激励を送るもの、反応はさまざまであった。散々な目に遭ったサラがこれ以上一体何を頑張るというのか余にはとんと理解出来ぬが、声をかけられたサラが微笑んでいたので悪いことではなかろう。
そして使用人らの反応に、サラがこの屋敷で余以外のものからも大事な存在とされていることが分かり、余の心がほんのりと暖まったことは言うまでもない。
部屋についても、サラの脈拍は一向に元に戻らぬままであった。抱きかかえていた状態からソファに横ると僅かながらましにはなったが、「なんともありません」と頑なに言い張りすぐにも職務に戻らんとするサラを説得するのは、なかなかの一仕事であった。
「何でもない訳があるものか。ぬしはつい先ほど拐かされかかっていたのであるぞ」
「でも、どこかをひどく傷つけられたり出血した訳ではないと、お館様ならお分かりでしょう?」
なんとも強情である。本人の言がその通りであることも否めぬ。だが。
「あのようなことがあったばかりなのだ。頼むから、無理はするな」
「……!」
「これは、余の心からの願いである。どうか、聞き入れてくれるな?」
自らの主に忠誠を誓う騎士の如く、余はサラの眼前にて片膝をつき、胸に手を当てそう希った。
するとサラは「――お館様は、ずるいです」と震える声で呟いた。
「そうか、余はずるいか」
「ええ、とても!」
「赦せ、自分ではどういうところなのかが分からぬ」
「……そういうところが、です!!!」
口ではそう反駁しつつも、サラは余の言いつけを守りようやくおとなしくなった。
サラが静かに横たわった後、余は改めてじっくりと様子を検分した。
「目立った外傷はないようだが、――ああ、掴まれていたところが赤くなっているな、あとできちんと冷やすのだぞ。他に痛むところはないか?」
余も、この時まだひどく動転したままであったとは言え、許可なく手首や頭や肩へ無遠慮にべたべたと触れつつ、サラの身体に傷などついていないかを確かめてしまった。
心配していたような怪我らしき怪我は掴まれていた手首の赤み以外に見当たらず、ほっと安堵の息を吐いたところで、余はサラの赤面と未だ落ち着かぬ脈拍にようやく気付いた。
「サラ!」
名を呼びつつ、片脚をソファに乗り上げ、真上から問うた。
「このような赤い顔をして、もしや熱でも出たのではないか?!」
もちろん館の人間には、余の血を薄めた万能薬を村人よりも優先的かつ定期的に与えてはいるが、突発的な事件――この場合は脅迫および拉致未遂――が引き起こした発熱には効かぬのかも知れぬ。
「ルドルフに医者を手配するよう言付けせねば……。いや、余が飛んでいって医者を連れてくる方が早いか……?」
そのように独り言を漏らすと、「本当に大丈夫です!!」とサラがまだ赤い顔をして横たわっているくせ、叫ぶに近い様子で答えた。
「しかし」
「熱いのは頬だけです。――確かめていただければ、分かります」
「――では、そうしよう」
触れるぞ、と今度は宣言の後に、柔い果実に触れる手付きにて両頬を手で包む。頬だけであるというのが嘘に感じられるほど、赤く熱い。
手が塞がっていたため、額には己の額にて触れた。確かに、頬ほどの熱は感じられぬ。思わず、安堵の息、そして言が漏れた。
「――よかった」
「……」
「ぬしが無事で、ほんとうによかった……」
余の屋敷内にて不埒なふるまいなぞ、けして許さぬ。
此度は起きている間の出来事であったが、余の屋敷中に巡らせている探索の網は余が眠りについている間も働きつづける。故に、非常事態が起こった際にはただちに余は目覚め、強盗などが屋敷へ潜入せんと不埒にも試みようと、その都度適切に対処した。具体的には、捉えた後に終わることのなき幻覚あるいは悪夢を見せ、飢えた獣どもが始終徘徊している山中へそのものをうち捨てる、など。返り討ちせんとする血気盛んな悪党もいたが、余が太刀打ち出来ぬのは日の光と、それから余より力を有した吸血鬼のみ。悪い人間どもの企みに乗せられ、やすやすと使用人を連れ去られるなどありえぬ。
分かってはいても、肝が冷えた。
無事でよかったという思いと、このような事態に巻き込んでしまったという忸怩たる思いとが、余の心の中でいつまでも混ざり合わぬままぐるぐるとめぐる。
余が思い悩んでいると、サラがふふ、と笑った。
「よかったです」
「……なにがだ」
「クラウス様に助けていただけて。――これで、二回目ですね」
「当たり前だ。余は幾度でもぬしを助けるぞ」
「それは、あなた様がこの館のあるじだから、ですか?」
そう問われ、余は言葉に詰まった。目の前の本人に告げることはないが、もはやサラを助ける理由はそれだけではない故。
余は、サラに触れたあの男にひどく不愉快な心持を抱いた。
余は、余以外のものが不用意にサラに触れてはならぬ、などと思っている。
余は、――。
頬が熱い。額は熱くない。脈拍が早い。まるでサラと同じである。
「クラウス、様?」
なにがしかの期待と戸惑いと不安の混ざった声で、サラが余に訊ねる。しかし、今、先ほどと同じ質問を重ねられたら、果たして余はあるじとしてどのように返答すればよいのであろうか。
こちらも戸惑いつつ口を開いた。それを、サラが至近距離にてじっと見ている。
余を惑わす香が、いっそう濃くなって部屋に満ちた――
そのとき、ノックの音が高らかに鳴り響いた。
「失礼します。お茶のご用意が整いまし――」
マリアが見たのは、ソファに横たえたサラに今にも襲いかかるかのごとく、座面に片膝を乗り上げ、額と額を付けんばかりに顔を寄せ、サラの両頬を手で包んだ余の姿であった。




