13.
リタと母上の適切なはからいにより命をつなぎ、無事成人を迎えた余は、母と妹の住むこの館より独り立ちする運びとなった。
血が繋がった家族とは言え余が成人した今、館には血を吸う者が二人いる状態である。縄張りを荒らさぬよう、既に他に吸血鬼のいる場所での更なる吸血行為は避ける、というのが一族の掟である以上、余がこの地を離れるのが筋というものであろう。なお、父と母上も、父が存命だった頃には領地内を二分し、互いのテリトリーには立ち入らぬようにしていたと聞き及んでいる。
余は、一族が大陸内に保有しているいくつかの館の中で、主を失った地のものを選んだ。選定した屋敷が遠く離れた山間部に位置していたことに余は大変満足し、妹はたいそう憤慨した。
『ここから離れるなんてあんまりななさりようです』
『そう言うな。ぬしもいずれ遊びに来るがいい。静かで落ち着いたいい場所であると聞いているぞ』
『あたくしが賑やかな街を好んでいるって、お兄様は知っているくせに!』
幾度余が根気よく説得を試みても妹はまったく納得せず、しまいには母上に『成人した吸血鬼がいつまでも生家にとどまることなどないのだから、おまえが聞き分けなさい』とたしなめられる始末であった。
独立に当たって、お供としてどれでも好きなだけ木偶を連れていくよう告げられ、余は迷わずリタを選んだ。母上はそれを初めから分かっていた顔であった。軽く頷かれ、それで正式な許可となった。
他には望まなかった。母上や妹とは大きく異なる性質を有する余は、木偶に囲まれて暮らすことに違和感しか感じなかった故。
そのような余を母上は内心大いに心配なさっていたのであろうか。
家を出る晩、『腐るでなし、持てるだけ持っていくがいい。あって困るものでもなかろう』と、果たして使い切れる日が来るのかと不安を覚えるほどの金貨と宝石を持たされた。辞したところで金貨の山を引っ込める方ではないと分かっていたので、おとなしくいただいた。そして改めて、立派な吸血鬼にならねば、と固く決意した。
母上から、リタの如き暖かな微笑みや言葉をもらうことはあらねども、余をいたずらに傷つける言葉もまた投げつけられはしなかった。それが、余にとってはなによりの証左である。
余は、あの方が時折見せた、唇を神経質につり上げるようにした笑みや、金貨や宝石を山ほど与える不器用な愛情を、とても愛おしく思う。
『あなた様の子に生まれ、幸せでございます』と記したカードは、母上の部屋付きメイドに渡し、あの方愛用のピアノの鍵盤の上に置くよう申しつけた。
吸血鬼はいちいちこのような感謝なぞせぬしまた伝えたりもしない生き物ではあるが、それでも余は伝えたかった。
母上のくださったものには到底足らぬけれど、少しでも余の気持ちや感謝が伝わることを祈った。
余が新たに根をおろさんとしている館は、かろうじて館としての態は成していたものの、有り体に言えばそこは幽霊屋敷さながらであった。人の時に換算すれば、赤子が生を受けそしてこの世を去る程度の月日が無人のこの建物には経っていたのであるから、さもありなん。余はリタと手分けをし、屋敷内の扉という扉を開けて回りつつ侵入者や霊体などはおらぬかと探った――前者であれば追い払い、後者であれば共存を申し出る心づもりであった――が、その手の気配は一切感じられず、館は音を立て歩き回る闖入者を拒むが如く静けさでもって我らを迎えた。
屋敷はあらかじめ母上の木偶らの手により埃やゴミが既に取り払われ、清潔さを取り戻していた(なお木偶らは清掃を終えると余とリタの到着を待たずして本来の主がいる館へと帰還した)。
だが、色あせ端が捲れている壁紙や、古めかしく鬱々とした気分を呼びこむ調度品など、これからここで生活を営むにあたり、問題は山の如く余の眼前に積み重なっていた。
だが、ふしぎと投げやりにはならぬ。ここから余は、全てを余自身で決めるのだ。成人とは、そういうことである。庇護をなくした代わりに、自由がある。言い換えれば、風よけがなくとも己の二本足でしっかりと立ち、前へ進まねばならぬ。
母上が主である館に居た時分、不自由や窮屈さを感じていた訳ではない。しかし、もはやそれは余にとって過ぎ去ったものであり、これからの余の生き方はまだ白紙である。
大海原へ冒険に出るのはこういった心持ちかと、自身の心情を物語になぞらえてみた。
楽しみと不安が入り交じった、なんとも複雑な感情は、余を大いに奮い立たせた。
だがしかし、やはり木の伐採や庭の手入れ、また館内の清掃など、せねばならぬことは依然として未解決であり、我ら二人の手にそれらは大いに余った。
「クラウス様、麓の村の人間を雇いましょう」
リタよりそのような提案をされた時、余は諸手を挙げて賛成した。だが。
「――しかし、吸血鬼の館になぞ、人間がわざわざ志願してやってくるであろうか」
「おそらく来ます」
「なぜだ」
「今年、ここいら一帯は不作でしたからね。お給金を弾むと言えば、たくさんやってくるでしょう」
リタのその言葉は果たしてみごとに当たった。
たくさん、というのはいかにも誇張であったが、不作にて食うにも困る人間がそれなりにいたのは事実らしい。リタが麓の村々へ求人の旨を知らせに回った数日後、広間には不安げな顔をしつつもきょろきょろと通された室内を興味ありげに見回す娘らの姿がいくつもあった。
リタは、娘らを根気よく育てた。余の時と同じに、太陽であったり北風であったりしつつ、メイドである娘ひとりひとりに愛情を降り注いだ。――おかげで、館は今に至るまで人材に困ったためしがない。
メイドの他にも、馬丁、庭師、料理人、それらの見習いが、館の評判を聞きつけ少しずつ集まった。それだけでなく、門前に子を置いていく輩も増えた。そのように捨てられていた男の子どもを育て上げ、うち一人を家令とした。
余の吸血行為も、リタに示唆されたとおり、ただ奪うだけでなくこちらからもそれ相応の金貨を与える故、共存を試みたいと麓の村や町の長に持ちかけたところ、とまどいを含みつつも承諾された。
「変わったお方ですな」と、余の提案を受け入れた長たちは、目を白黒させ作り笑いをしながら、そう口にした。
「では従来の吸血鬼に倣い、恐怖と支配を植え付ける方がよろしいか」
余が微笑みながら繰り出した冗句は、残念ながらそれとは捉えられず、「ぶ、無礼をお許しください……!」と平謝りされることとなった。
「失敗でしたね」
余の耳元にて、斜め後ろより家令のヴィクセンが涼しい顔で囁く。
「うるさい」
あくまでヴィクセンのみに向けて発したその言が、目の前の人間らへのものであるとさらに勘違いされたことは、まことに遺憾である。
人繰りに困らなくなり、吸血に関しても近隣の村々と揉めることなくし得る環境で、余と余の屋敷を取り巻く状況は、ようやく万事快調と言っていい状態となった。
これで我が館は盤石である、そう思った矢先に、リタは病に伏せた。




