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12.

 我ら一族は、血の味を覚えたところで成人と見なされる。予兆として強烈に血を欲することとなるが、実際に口にするまでその渇望はつづく。

 余も例外なく、しかるべき歳に成人の予兆を迎えた。しかし『人間は家畜故、我らに屠られて当然』という認識をもはや持ち得ぬ余に、夜ごと高まる吸血の欲求はただ苦しいばかりのものであった。

 人間の血を吸う吸血鬼、という図式に対し、吸血鬼から人間に与えるものなど恐怖の他には何もない。つまり、人間は我ら一族の者に一方的に搾取される存在なのである。

 それは自然の摂理と言えようが、余にはどうにも承服しかねる。当たり前とされる在りように疑問を感じてもいる。さりとてこれといった解決策も浮かばぬ。浮かばぬまま、欲求を満たすことは選ばぬ。それは、余が余に求める規律を大きく外れている。

 一向に出口を見いだせぬ袋小路の思考は、渇望の前で千々に乱れるばかりである。されど、人間の血を啜ることに対し罪悪感を抱く余に、もはや吸血行為など不可能に思われた。己の理想と現実の折り合いをどこかで付けねばならぬ、ということだけはかろうじて分かっていたのだが、いったいどうすればよいのか、解決策は未だ見つけられずにいた。

 余は日に日に衰えた。栄養源として今まで通り日々の食事をきちんと摂取しているにもかかわらず。かくも人間の血は成人にならんとする余と成人を迎えた我らに精力を与えるものであるのだなと、寝台から立ち上がれぬほど衰弱しながらも余はいたく感心していた。


 人間との関係など、余ひとりが苦悩したところでどうにもならぬことくらい、本当はとうに理解していた。さりとて足掻かなければ、という思い一つが、余を奮い立たせる。

 ここで『はじめからさだめとしてそう決まっているのならば仕方ない』と思考そのものを投擲してしまえば、それはすなわち余の誇りに瑕疵が付くことを意味していた。

 されど、身体は余の精神を無視し、ひたすらに血を求める。

 寝ても覚めても熱に倦む身体を突き上げ続ける血への渇望は、余にとってもはや痛みや苦しみといったものに近かった。

 ――本能の赴くまま、乙女の首に牙を突き立てることはならぬ。

 そうするくらいならばいっそ己の首をかっ切り、血の一滴まで残らぬようにした上で太陽に焼かれる道を選ぶとしよう。

 密かに決意し、爪を首に滑らせたところで、

「――何をなさっているのですか」

 太陽は北風だけでなく、猛吹雪にもなり得るのだな、と新たな発見をしたところで、余の意識は張り詰めた糸を切ったごとくふっつりと途切れた。


 ふたたび眼を覚ました際、このところ悩まされていた倦怠感や飢餓感はいっさい取り払われていた。雲一つない夜空にも似た、たいそう晴れやかな気分であった。もしや余の精神は、とうとう己の身体の欲求をねじ伏せ、本能にうち勝ったのであろうか。そう思いかけた時、枕元のテーブルに置かれたグラスが目に入った。小さなその器には、なみなみと血が注がれていたと分かる跡が、表面に薄赤く残っていた。

 なるほど。これを与えられ回復したのだな。

 精神が肉体を凌駕した訳ではなかったことにいささか失望したものの、まずはその経緯を知らねば、と思い身を起こした余に、ぱっと振り向く人影。

「お目覚めですか」

 その声は、未だ猛吹雪である。

「ああ。――迷惑を掛けた」

「迷惑ではなく、心配したのです!」

 リタはいつになく激した様子でつかつかと近寄り、どん、と勢いよくサイドテーブルを叩くので、余は何が起きているのかをよく分かってはいないまま、ぐらぐらと揺れるグラスを慌てて避難させた。そして、何かを堪えるが如く肩で息をするリタにふたたび謝罪した。

「すまない、余はぬしに心配を掛けたのだな」

「そうですよ! 成人が近いと聞いたのに一向にそんなそぶりを見せないで、外に出るどころかむしろ籠もって、日に日に弱々しくなって……」

 猛吹雪は少しずつ弱まり、とうとう春先の小雨となった。小刻みに震える肩はあまりにか弱く、余は己の所業に対し今更ながら深く反省した。

「クラウス様がこのままお亡くなりになってしまったらと思うと、私はいても立ってもいられませんでしたよ!」

 今度は夏の苛烈な驟雨の如く口ぶりで猛然と余を責め立てるリタの前に、余はもはやなすすべもない。

「すまない」

「許しません!」

 このやりとりは、リタに吹き荒れる嵐の中、その雨粒の数ほど繰り返された。


「して、リタはことをどう講じてくれたのだ」

 何十回目かの『繰り返し』の最中にそう水を向けると、やっとリタの中の嵐は少しだけおさまり、そのような場合ではないと思いつつも余はほっと胸を撫で下ろした。

「奥方様に伺いました、クラウス様が成人の兆候があるにもかかわらず血を吸われず、衰弱したご様子ですがいかがいたしますかって。さすがに、木偶のふりはちょっと下手だったと思いますよ。でも奥方様は特にそこには言及されずに「これをあの子に飲ませなさい」って、使用人のひとりの手を切り血を分けてくださったんです」

 もちろんすぐにその子の傷は奥方様の術で塞いでくださいましたというリタの言葉は、余の心の表層を撫でるばかりであった。

 やはり、血なしで余は生きられぬのだと突きつけられてしまった故。

「そうであったか」

「眠っているクラウス様に少しずつさじで血を与えたら、たちまち血色がよくなって安心しました。もう、度を超した我慢はなさらないでくださいね」

 ああ、と答えるべきであろうと分かってはいたものの、余の口からその言葉を出すことは出来なかった。寝台の中にて半端に身を起こし、口ごもる余に、リタがそっと毛布を掛ける優しさで、声を掛ける。

「――クラウス様」

「なんだ」

「私は、このことに少しの嫌悪も失望もしていませんよ」

 余が聞きたくて、されど聞けずにいたことをリタははっきりと述べてくれた。安堵したものの、しかし疑問はまだ残っていた。

「なぜだ」

 なぜ、余を忌避せぬ。

 余の問いに、リタはからりと笑った。

「だって、あなたは吸血鬼じゃないですか。吸血鬼が吸血しないでどうします」

「されどそれは一方的に搾取することにつながるであろう。そのような振る舞いは、恥ずべき行為である」

「そうお思いでしたら、対価をお与えになればいいんですよ」

「――対価」

「ええ、お父上のなさったことのお詫びに、奥方様がなさったのと同じです。血を貰う代わりに、金貨を差出すんです」

「……」

「金貨を払う、同じお嬢さんに二度は接触しない、そういう取り決めをするんです。それなら、一方的になさるより少しはいいんじゃないですか」

「……ああ」

「まあ一度血を飲めばしばらくは持つって、奥方様はそうおっしゃってましたけどね」

「リタ」

「なんですか」

「余は、……怖かったのだ。血を欲することで、ぬしに嫌われたくないと思ったのだ」

「……やーねえ、吸血鬼が血を欲するのはそういう種族だから当たり前なんですよ」

「ああ」

「私はそんなことでクラウス様を嫌ったり軽蔑したりしません。大体、血を吸ったくらいでいちいち大騒ぎしてたら吸血鬼の館でなんか働けませんよ。それに、私だって半分そちらの血が流れているのに」

「ありがとう」

「……はい?」

「おかげで、安心した……」

「……大丈夫ですよ」

 暖かな雨の如く儚い抱擁が、寝台にてうずくまったままの余の背に一瞬もたらされた。それがほどけるやいなや、リタは「さ! これから大忙しですよ」と扉の向こうへ勢いよく消えていった。


 まこと、嵐のような存在である。

 されどやはり、余にとっては太陽である。


 幾度も殺した安堵のため息は、聞こえなかったのか、聞こえぬふりをしてくれたのか。

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