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10.

 余は己が吸血鬼として幾分はみ出した性質の持ち主であると自負しているが、父もまた余とは違う方面で一族の中では突出した存在として有名であった。――まれに見るほどの好色さを持ち、かつ残虐な性質であったことで。

 余がまだ幼く、妹もまだ生まれて間もない頃に絶命した故、実際にどのような方であったのかはよく覚えておらぬ。かつて大広間に飾られていた肖像画は、口ひげをたたえた美丈夫であり、いかにも立派な、人品卑しからぬ吸血鬼といった風情であった。とても、必要以上に血を屠るだけでなく、術にかけたまま人間の乙女らを幾十人も陵辱し、時に惨殺した人物とは思えぬ。が、ある時期に限ったこととはいえ、吸血鬼と人間との間に成した子が多く生まれていたことは事実である。

 我ら一族は睡眠欲と吸血欲が強い代わりに、食欲と性欲は人間に比べると薄いのが普通であることを思えば、父がどれほどまでに異端であったかがこれで分かろうというもの。近隣の村や町では、度重なる父の所業に暴動が幾度か起きかけていたらしい。そのたび母上が出向き、それをおさめていたということだ。

 父の牙と手にかかり、血を吸われた上に同意なく孕まされた娘――同意などあろう筈もない――の家へは金品を与え、生まれた子が育てば館に雇い入れるとしたことで、ようやく人々の怒りはおさまったと聞いた。だが、母上の内なる炎はついぞ鎮火することはなかったようだ。

 幾度諭されようと一向にその行動をやめることのなかった父に、とうとう母上は果たし合いを挑み、そして見事に勝利した。


 果たし合い直後の大広間には死闘を繰り広げた痕跡がそこかしこにあり、元は美しかった調度品が見るも無残な姿に変わり果てていたことは未だ忘れられぬ。戦う前のままの状態であった場所は少しもなく、美しく可憐な花模様の描かれた壁紙は血しぶきに彩られ、日々使用人に磨かれていた床には玻璃の破片がもとより装飾として埋め込まれていた如くにちりばめられ、艶やかな織りであったカーテンは二人の爪で縦横無尽に引き裂かれていた。余がそれを目にしたのはすべてが終わってからであったが、あまりの凄惨さ故、幼き心にも深く色濃く刻まれた光景である。


 一昼夜に渡る戦いで絶命した父は、首がもげ、ちぎれた腕はシャンデリアの上に飛び、窓外の木枝には足がそれぞれぶらさがっていたそうだ。戦っていた最中のその様子を鍵穴からこっそり覗いていたリタは、後年それを「すさまじいダンスのようでした」と評した。

「お二人とも、宙に舞う鳥の羽のように互いの血を飛ばして、笑っておいででした。半分人間の私には理解が及びませんが、なかなか楽しそうでもありましたよ」

「――そうか」

 血の飛び散るさまやその匂いに興奮する一族であれば、さもありなん。父の好色が引き起こしたその騒動までは敵対し戦う理由がない故にただ戦わずにいた、それだけであったに違いない。夫婦であろうとどちらかが絶命するまで戦うという、人間にしてみれば凄惨な出来事は、我ら一族にはよくある話だ。


 闘う気配と音が消えた後、ふたたびリタが鍵穴より見たのは、もいだ父の首を手に大広間の中央に立つ母上の姿で、「こんなことを言うのは不適切かもしれませんけれども、あの時の奥方様は本当にお奇麗でした」とため息交じりによく話したものだ。

 圧勝したとはいえ当然母上の側も無傷とはいかず、大きく乱れた髪は父に切られたのか一部分が不揃いとなり、顔は自身と夫の血に塗れ、あちこちにつけられた傷が開いたままであるが故、薄地のドレス――むろん、これも無傷ではない――にはぽつぽつと小花模様に似た赤い染みがいくつも出来ていたとのことだ。

 床の玻璃の破片が広間の灯りを受けてきらきらと輝き、反射で生まれたいくつもの小さな光が、血染めの母上の顔やドレスをうっすらと染め上げる。その様を、リタは鍵穴から忍んで覗いていることも忘れ、見入ってしまったそうだ。――急にくるりと振り返られて、驚きながらドア越しに木偶のふりをしたリタへ、母上は「お茶の準備を」と普段と変わらぬ様子でそう告げたのだという。そして、父の首を割れた花瓶の代わりに、小さなテーブルの上に飾る如く置いたとも。なんとあの方らしい、と思いつつも、余の心にはいくつもの問いが未だ残っている。


 激しくも狂おしい宴の後、母上のその胸の中には何があっただろうか。憎しみや愛情、悲しみや怒りは僅かにでも存在したのであろうか。それともぽっかりと大穴があいていたであろうか。あいていたとするならば、元々そこに在ったものは、一体何であったのであろうか。


 恐怖、支配、誇り、退廃、それだけが我らの身の内にあるというのは、いささかむなしきことではあるまいか。それ故父も――いや、そのように憐れみと短絡で物事の全てを測ってはなるまい。

 余も、父も母上も同じ吸血鬼であっても、誰ひとり同じ性質を持ってはおらぬ故。


 父の身体の一部であったもの――首や腕、そして足――は戦った状態のまま捨て置かれ、戦いののちに昇った朝日により灰燼と化した。そのうち、風に飛ばされずに残ったもののみが集められ、遺体の代わりとして墓に埋葬されたという。

 父亡き後、悲観に暮れる者も墓に手向けの花を置く者もおらず、また誰かの口の端にふと思い出話が上るでもなく、父にまつわる全ては時の流るるまま、粛々と忘れられていった。

 大広間の肖像画だけが、父がここに存在していたことを示していた。だがその唯一さえも、余の知らぬ間に外されてしまった。

 それを、一族のものは何とも思わぬ様子であったが、余としては寂しさを覚えた。

 そして『ああ、母上らと余の考え方はこうも違うのだな』と覚えた寂しさをいっそう深めることにもなった。

 二人の戦いぶりや父の絶命の際の様子などを淡々と語ったリタのみが、言葉少なに死を悼んでいた余に寄り添ってくれた。


 ********


 父と母上の果し合いについては直截な描写は避け、言葉を選びつつサラに話したつもりでいたが、その顔色は優れぬ。

「悪かった、このような話をしてしまって、余が無神経であったな」

「いいえ! 私こそ、一番お辛いのはクラウス様だったというのに、失礼しました」

「失礼などであるものか。――それに、余は主の今の言葉を大層嬉しく思うぞ」

「何が、ですか」

「幼き余の感じた悲しみに、サラが寄り添ってくれたからな」

 余が笑って見せると、サラはますます顔を曇らせた。

「私が、そこにいられたらよかったのに」

「……」

「そうしたら、リタさんと一緒に、小さかったクラウス様の悲しみを、少しでも減らすことが出来たかもしれないのに」

「――その気持ちだけで、十分である」

 なんと優しき心を持った人間であろう。

 余が感嘆に浸っていると、サラはようやく笑顔を見せた。

「お茶はいかがですか? ご入り用なら、厨房に行って湯をもらってまいります」

「うむ、せっかくだからいただこう。すまぬな、休みだというのに」

「いいえ。――戻ったら、続きを聞かせていただけますか?」

「ああ、もちろんだ」


 ――数分後、お茶と菓子の載ったワゴンを押して、サラが再びやって来た。

「お待たせしました!」

「さほど待ってはおらぬ。――座るのはその東屋でよいか」

「はい」

「足元に気を付けよ。どれ、そのカンテラをこちらへ貸すがよい、余が照らすとしよう。これでどうだ?」

「あの、クラウス様、それだと逆に歩きにくいのでもう少し先の方を照らしていただけませんか……?」

「……すまぬ」

「い、いいえ」

 サラはそう言ったが、うきうきと年甲斐もなくはしゃいでいた余がよほど可笑しかったのか、東屋に着いてからもその肩は小さく震えていた。サラの笑う顔を見るのは楽しいものだが、笑われるのはいささか面白くない。

 余が憮然としていると、それに気付いた彼のものはやっと笑いを納めた。

「すみません笑ったりして、でもあの、決してお館様が面白かった訳ではなく、かわいら」

「カワイラ? 何だそれは」

 ふつりと途切れた故、不明瞭になった言葉を余が繰り返すと、サラはうっすらと頬を染めて口を噤んだ。そして。

「……内緒です。それより、お茶をどうぞ」

「……ああ、いただこう」

 サラのごまかしを追求せず、余は茶の味を楽しむこととした。

 そして喉を潤したのち、約束通り話の続きを再開させた。

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