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オルトロス  作者: アマサカナタ
8/33

2-4

「どうせ本物かどうかなんてわからないでしょ。考えるだけ無駄よ。そんなことより――」

「だからだな。俺が聞きたいのはそんなことじゃなくて――」


 誰かの話し声がする――知らない誰かの、呆れ声が。


(……誰……?)


 ぬかるみのようなまどろみの中で、エリーはその声を意識した。


 今まで自分は眠っていたのだろうか。それもよく覚えていない。夢は見なかったような気がする。だけどその割に、ひどく頭が痛んだ。

 それは頭痛というよりは、たんこぶが痛むような感じだったが。


(……あれ? なんで……どうして?)


 何を疑問に思ったのかもわからない。目覚めたばかりの頭はポンコツで、素っ頓狂なことを言っては父に笑われたものだ。

 思うに父は、それが楽しくて毎朝少し早めに彼女を起こしていたのではないか……


 父のことを考えたからか。聞こえてきたのは男の声だった。


「つったってよ。やっぱり勘弁してくれねえか――」

(……男?)


 父の声ではない。何故かそれが気になった。たんこぶがずきずきと痛みに疼く。

 男……男?


「――――ッ!?」


 気づいて、エリーはばっと跳ね起きた。

 慌てた拍子に手を滑らせて、腰を抜かしたような形で座り込んでしまう。だがそれどころではない。必死になって彼女は身構えようとした。


 覚えている。思い出した。自分は眠っていたのではない。男たちに捕まって、連れて行かれそうになったところを殴られたのだ。気絶したのはその時だろう。

 逃げなければならない。目覚めたのならば。ひどいことをされる前に、逃げなければ――


 何かを掴もうと伸ばした手を、掴み返す手があった。


「……っ!?」

 ぎょっとして、その手の先を見る。肉食獣に襲われる動物の気分は、きっとこれに違いない――場違いにも、エリーはそんなことを考えてしまった。

 つまり、もう逃げられない。

 それでも抵抗しなければ。エリーはキッと、せめてもの抵抗で手を掴む敵を睨みつけた……


「…………?」


 そしてきょとんと、エリーはまばたきをした。


 視線の先にいたのは少女だった。綺麗ともかわいいともつかないが、とにかく整った顔立ちをしている。歳は少なくとも、自分とそうは変わらないに違いない。

 だが歳不相応に落ち着きを感じさせる、そんな少女。


 彼女はまっすぐにこちらの顔を――というか眼を、静かに見つめていた。


 人形のような目に見つめられて、エリーは言葉を失った。自分は今、何をしなければならないんだった? わかっているはずなのにわからないまま、無言で見つめ合う。

 彼女は唐突に、こうぽつりと訊いてきた。


「……落ち着いた?」

「え? あ、え、えぇと……はい?」


 思わずそんな素っ頓狂な声を上げる。落ち着いたというよりは、状況が理解できないために感情が麻痺してしまったという方が正しいのだが。


 ともあれそれで恐慌を脱して、改めてエリーは辺りを見回した。


 今までどこにいるのかよくわかっていなかったが、自分は今、馬車の荷台の上にいるようだ。辺りは森と道――ということは、バスクアッド街道だろうか。


 馬車には自分のほかに三人の姿があった。荷台には少女のほかに、隅の方に青年がいる。彼は目を閉じて眠りこけているように見える。だが眠ったふりだ、というのは何となくわかった。

 そして最後の一人。御者台にいた男が、声をかけてくる。


「よお、エリー。無事か? 怪我とかねえか? ひどいこととかされてないか?」

「あれ、アルフさん?」


 知った顔だった。父の古い友人だ。フレイン領民を守る騎警であり、エリーが切り盛りしている宿の常連でもある。

 だがやっぱり理解できず、エリーは首をかしげた。


「この時間って、アルフさん仕事じゃないんですか? なんでこんなところに?」

「なんでって……お前が誘拐されたって聞いたから、仕事ほっぽり出して来たんだろうが。おかげで俺は減給処分だよ、まったく」


 頭をガシガシとかきながら、アルフ。

 そのまま彼は、荷台の二人をそれぞれ指さして、


「そこの女がドギーで、男の方がクラウンだ。助けに行く前にたまたま拾ってな。お前を野盗から助けてくれたのもこいつらだ」

「まあ。じゃあ、命の恩人ですね」


 思わずパンと手を打って、エリーは二人に向き合った。少女はそっぽを向いていたし、青年は変わらず寝たふりを続けているが。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました!」


 二人の顔を見ながら、エリーは深々と頭を下げた。

 そして顔を上げると、一瞬だが確かに二人と眼があった。少女は顔を背けたままこちらを見ていて、青年は片目だけをうっすらと開けて。

 そうして同時に、ぶっきらぼうに視線を外す。


 目も合わせないまま、少女がぶっきらぼうに呟いた。


「……別に、善意でやったわけじゃないわ」

「実際、善意じゃないもんなあ……」


 水を差す声は御者台から聞こえてきた。アルフが暗い顔でこちらを――特に二人を見ている。

 彼はほとほと疲れ切ったような口調で、少女に呟いた。


「取引ったって、あの値段は法外だぜ? 確かに背に腹は代えられなかったから飲んだけどよ。せめてもう少しだけまけてくれないか?」

「ダメ。法外なんて当たり前でしょう、依頼内容がそもそも法外なんだから。それに、せいぜい一週間分の宿代と食費でしょ。払いなさいよそれくらい」

「あーもう、それがでかいっつってんだよ。どうせなら一人で行くんだった。そしたらニコラエナ様がどうにかしてくれたのに……」

「……何の話ですか?」


 いまいちそれがわからず、きょとんと訊く。

 ばつが悪そうに少女が視線を彷徨わせたので、エリーはアルフの方を見た。彼は彼でやはり複雑そうな顔をしていたが。


「いや、な。さっき拾ったって言ったろ? その時にお前を助けに行くって言ったら――」

「金払うなら手伝うわって言ったのよ。もちろん最初から具体的な額を提示してね。それで取引は成立、なべて世はこともなし……だったのに」


 半眼で、少女がアルフを見る。


「お金が惜しくなってごね始めたのよ。女々しいったらありゃしない」

「女房と同じ悪口言うの、やめてくんねえか。なんかすんげえダメージ受ける」


 疲れ切ったようにため息。最後には助けを求める声音で、アルフは蚊帳の外の青年に呟いた。


「なあおい。犬ってな、もうちょい心優しい生き物なんじゃねえのか?」


 答えを請われ、青年は片目だけを彼に向けた。

 特に表情らしい表情もなく、平坦な声で彼は言う。


「どうかな。主以外には懐かないんじゃなかったかな。犬って生き物は」

「つまり、あんたにだけ?」

「いいや。彼女は俺の主人だが、俺は彼女の主人じゃない。ただ……」

「ただ?」


 繰り返すと。彼はニヤリともせずにこう言った。


「猫かわいがりは過ぎたかもしれない」

「黙って」

「わかった」


 少女のぴしゃりとした命令に、彼は即座に服従して見せた。開けてた片目も閉じて狸寝入りに戻る。


 どっちが犬だかわかりゃしねえ、とはアルフのボヤきだが。

 青年のほうに一睨みをくれてから、改めて少女は話を戻した。


「そんなことより契約よ。私たちは仕事を果たした。だったらあなたも応えてちょうだい」

「いや、応えてやりたいのはやまやまなんだが……」

「――宿なら私のところじゃダメですか?」


 思わず二人にそう提案すると。

 二人してぽかんと呆けた顔をした。声にするなら「え?」という感じだろうか。


「元はといえば、私が悪いわけですし。助けてもらっておいて何もしないなんてイヤですよ。タダでいいですから、私の宿に泊まっていただけませんか?」


 素直な気持ちで彼女は告げた。この二人に泊まってほしいというのは本心だ。助けてもらったのだ。なら、恩は自分で返したい。そう思ったのだ。

 提案に少女は困惑したようだった。狼狽えるように視線を彷徨わせて、


「……あなたが悪いわけじゃないでしょ。でも……いいの?」

「――はい! 精一杯、おもてなしさせていただきます!」


 微笑んで、エリーは元気よく返事をすると、やっぱり少女は視線を逸らす。

 素っ気なさは照れ隠しのつもりなのだろう。それが可愛らしくて、エリーは微笑んだ。

 と。アルフが頷いて、言ってくる。


「よし、ちょうどいいとこで話がまとまったな」


 バスクアッドの森が開け、その裂け目から見えてくる街並み。


「帰ってきたぞ。フレインだ」

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