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(……ドギー、ねえ?)
忠犬、駄犬、負け犬、捨て犬――思いつくのはそんな言葉だが。
去りゆく自分の似姿を見送りながらレキが考えていたのは、どうでもいいといえばどうでもいい、そんなことだった。
あからさまな偽名の女。彼女らが消えた玄関の、その先を見つめる心地でレキは目を細める。
物思いは結局のところ、あの女が何者かという一つの問いに集約された。
(邪魔をするな、ね。口下手だな。目的を言わなかったら、何が邪魔なのかわかりゃしない)
「姫さま。暇なら手伝ってくだせえよ」
と。声をかけられて、レキはドアから視線を離した。
声の主はカイネだが、彼は床に倒れた男を縛り上げていた。他のもう一人、フラックも同様だ。床にノビている悪党どもを縛っている。
カイネの反応からして残りの男を縛れと言いたいのだろうが、レキはうんざりと答えた。
「やってられっか。お前らなんもしてねえだろが。ちったあ働けっての」
「姫さまだってなんもしてねえようなもんでしょうが」
「アホ。あたしは人質助けたぞ。十分仕事しただろうが」
腰に手を当てしゃんと答える。そもそも縛り終わってない敵もあと二人しか残っていなかったので、わざわざ自分が手伝うまでもない。
手持無沙汰に時間を持て余して、レキは腰の鞘から剣を抜いた。そうして眼前にかざし、刀身に自分の顔を映す。
確かめたかったのは自分の顔だった。そこに映る顔に、あの女の顔を重ねる。
確かに似ていた二人の顔だが、決定的にレキの顔とは重ならない。
氷の花。連想したのはそれだった。瞳の青と髪の銀。冷たさを感じさせる二色と、凍りついたような寒々しい表情。
だがその眼に浮かぶ感情だけは、炎のように苛烈に燃えていた。
奇妙な不整合だ。その眼の色をレキは知っている。まるで――
(まるで、復讐を望んでいるよう?)
だとしたらそれは自分と同じだ。思わず苦笑し、レキは同時に納得もしていた。
似ていると思うのは当然だ。確かにレキは、彼女の目を見て自分と同じ顔だと錯覚したのだから。
そんなことを考えていると、ズダンと玄関のドアを強く開く音。視線をそちらに向けると、二人の男がなだれ込んできたところだった。
「姫様、姫様! 今、今外に!」
「ゆ、幽霊? ゴースト? なんだっけ、ともかくそっくりな――」
ゲラルド・ジャスクとカルー・ジャスクだ。一応の保険のために、ドギーたちが乗っていた馬車の方を見に行かせていた仲間たちだった。
二人は兄弟で顔つきも似ているが、不思議と体格は似ていない。そっくりの顔には恐れによく似た表情を浮かべ、彼らはまったくもって慌てていた。
「あーあー、わかってるよ。ありゃあたしのそっくりさんだ。放っておいていい」
「……双子とかっていたりします? 隠し子とか」
「さてね。いたのかもしれないけど。もう確かめようがないだろ、それ」
肩をすくめてそう言い切る。それで納得するかどうか。仲間内でさえ反応は分かれたが、わざわざ反論しようとする者はいなかった。
そう。確かめようがない。
ファーレン王は既に死んだ。ニコラエナ姫が生きていることを、レキはとある事情から知っていたが。もし当人が名乗り出たとして、それをどうやって証明するのだろう。
王族であろうとただの人間だ。一目見ればそうとわかるわけではない。
だから利用すると決めた。
(偽者に会うなんて思ってなかった、か)
ふと脳裏によぎったその声に、レキは苦笑した。
あの女は、どういう意味でその言葉を呟いたのだろう。ただ似ているというだけの相手に使う言葉とは思えない。向けられた殺意もだ。
もし予想が正しいのなら、あの女は……
(いいや。あの女が誰だろうと、あたしには関係ない)
――今はあたしがニコラエナだ。
誰に告げるでもなく、心の内で宣言する。もしあの女が予想通りであろうと、止められまい。
問題はそんなことではない。彼女は気絶し縛られた野盗たちを見て、呟いた。
「ま、あのお嬢さんについては考えないことにしよう。何がしたいのかは知らないが、邪魔をするなって言われたしな。そんなことより……問題は、こっちだ」
“バスクアッドの止まり木”亭を根城にしている野盗は、フレイン領内においてはそれなりに有名な存在だった。
その所業は鬼畜の極みにあり、彼らはしばしば領民や旅人、行商人を強襲し、その命と金品とを奪ってきた。
であるにも関わらず、彼らを取り締まるべき領騎士は彼らを無視した。領騎士団長は、彼らに関する陳情を黙殺している。
噂では彼らは元敵国のカーライル人であり、更にはフレイン領騎士団であるという。
後者はともかく前者は疑いようもない。野盗になるものの多くは職を失いカーライルから流れてきた者だ。元々は敵国であったという関係もあって、彼らは非道を正統化している。
そして領騎士団長ジーリー・マクギリスはカーライル人だ。領騎士もまた。彼らが同じカーライル人の犯罪を黙認しているというのは、誰もが囁く噂だった。
カイネが、唾を吐くように吐き捨てた。
「ミハイルのおっさんがまとめた被害状況だけでも両手に余る。そんだけやってもこいつらは裁かれなかった。それが今ではこのザマだ」
「ざまあみろ、とはこのことか。だがこれだけで許そうとも思えん」
これはゲラルドの声。口数は少なかったが、その節々に憎悪が見える。
野盗の男たちを見下ろして、レキは嘆息した。野盗を捕えたとあれば、長居する理由もない。
「カルーとゲラルドは野盗を外に出せ。カイネはあたしと宿の中を捜索。フラックは野営地の片付けをした後、馬車を取ってきな。街に戻る。尋問はミハイルを交えてにしよう」
応、と声は唱和する。反応は迅速で、彼らは即座に行動を開始する。
一人残されて、レキは静かに目を閉じた。考えることは当然、あの女のことだ。
あの女に問われ、レキは答えた。目的はすなわち正義であると。それがあまりに滑稽な言葉であることを、レキは否定しない。
言うのは簡単だ。我々は正義だと名乗るだけならば。
(クライス人はカーライル人の奴隷じゃない。家畜でもない。奴らのせいで何人も死んだ……奴らの悪行を許すわけにはいかない)
宣言は行動を伴って初めて価値を持つ。でなければ、誰も救えない。
――その影に復讐が隠れていようとも。
やるべきだと思ったから、自分は亡国の姫を名乗るのだ。