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オルトロス  作者: アマサカナタ
6/33

2-2

 こんなことがありえるの……?


 呆然と、ドギーはその女を見ていた。銀糸の髪と、透き通るような青の瞳。切れ長の目を今は丸くして、こちらの顔を覗いている。


 呆然としているのは彼女の仲間たちも同じだ。信じられないものを――あるいは見てはならないものを見たような顔で、ドギーともう一人の女を見ている。

 冷静だったのはクラウンくらいだろう。彼だけが冷めた目をして遠くから彼女たちを見つめている。


(この女は誰?)


 そう問いかける自分の声に動かされて、ドギーは目を細めた。


 その女の長い髪は、よほど丁寧に手入れをしているのか、絹のように柔らかく光を反射する。

 愕然と見開かれた瞳は、それでも彼女の雰囲気を損ねていない。

 柔らかさと鋭さを混ぜ合わせたその顔立ちは、だがおそらく最も笑みが似合うのだろう。


その女は、言うなれば日向にいる女だった。

 日陰者の自分とは違って。


「これは、なんというか……おっどろいたな」


 鏡写しの似姿は、ドギーが決してしないだろう柔らかい笑みで、言ってきた。


「生き別れの双子がいるなんて聞いてないしな。まさか、ここまでそっくりさんがいるなんて思ってもみなかった」

「…………」


 すぐには言葉も思いつかない。言い様のない感情の靄を感じて、彼女はわずかに目を閉じた。

 その間に確かめる。問いかけの答えを。


 この女は誰?


「ええ……そうね。私もそう思う。私も……私の偽者に会うなんて思ってなかった」


 吐き捨てるように告げて、その女を強く見据えた。

 受けるように、青の瞳で見返してくる女は、不敵に笑う。


「おいおい、ひっでえな。いきなり偽者扱いかい」


 そうしてその女は胸に手を当てると、歌うように名乗りを上げた。


「挨拶が遅れたね――あたしはニコラエナ。今は家名なきニコラエナだ」


 ――その瞬間、ドギーはこの女を殺したいと思った。


 あるいはその女もそう思っていたのかもしれない。

 笑う女を正面から睨み、ドギーは袖に隠したナイフを握る。

 女もまた、剣を握る拳に力を入れていた。


 名乗る前からわかっていた。その女は敵であると――彼女にとって、決して許せぬ不倶戴天の怨敵であると。


 肌が泡立つのを感じる。何もかもが頭の中からはじけ飛び、もうその女のことしか考えられない。

 それが何の感情に由来するものかは知らないが、ドギーは……


「――悪いが、君たちが何者だろうと興味はない」

「……!?」

 硬質で、無感動な男の声。その声にぎょっとして、背後を振り向いた。

 そこには当然、黒ずくめの男がいる。

 クラウンは投げナイフ――先ほど野盗たちに自分が投げた――を押しつけてくると、こちらを後ろに押しのけて、言った。


「俺たちの目的は、誘拐された少女の救出だ。邪魔をしてほしくはないな」


 彼にしては珍しい、柔らかい物言いだ。聞きようによっては胡散臭さも感じさせる。

 唐突な乱入に、その女は顔をしかめてみせた。


「世の中には、野盗を襲う野盗ってのもいるのさ。あんたたちがそうじゃない保証もない。名前も名乗らないような相手を、どうやって信用すればいい?」


 それは確かに正論だったのだろうが。

 その言葉に、彼が苦笑を浮かべるのがわかった。皮肉だと思ったに違いない。

 顔はピクリとも動かさなかったが、声にはそんな響きがあった。


「名乗れば信用してもらえるとも思わないな。なにせ、ドギーとクラウンだ」

「……“犬みたいな女”と“道化”?」


 繰り返した女の顔には怪訝がある。あからさまに偽名を疑う顔だ。

 クラウンは“ほらな?”と肩をすくめてみせた。


「名乗れば得られるほど、信用というのは軽くないさ。俺からすれば、君たちも十分信用できない。野盗を襲う野盗というのが、君たちではないという保証はない」

「なんだと! てめえ!」


 これはニコラエナの仲間の声だ。若い茶髪の、ひげ面の男。もう一人の男も抗議こそしなかったが、そのまなじりには敵意が見える。

 だがクラウンは涼しく無視をした。体の向きは変わらずニコラエナに向けたままだ。

 それがまた、彼らの苛立ちを煽っている。


 このままいけば争いになるのは間違いない。それを。


「よしな、カイネ」


 ニコラエナが静止した。


「彼の言うことは一理ある。正論だよ。怒るのはやめな」

「で、ですが――」

「ですがじゃない。やめなって言ったら素直にやめろ。あたしに命令だって言わせる気かい?」


その声量は決して大きくはなかったが、有無を言わせぬ意思の鋭さがあった。不承不承、男は後に下がる。

 ニコラエナが手振りで指示を出すと、男たちは倒れた野盗たちのほうへと向かった。どうやら縛って持ち帰るようだが。


「すまないね。気分を悪くしたなら謝るよ。根は良い奴らなんだが、頭の中はからっぽでね」

「構わない。お互い様だ」


 クラウンの背中を思いっきりつねる。彼は痛がる素振りさえ見せなかったが。

 うんざりと、ため息をついた。白けるとはこのことだ。彼はドギーの殺意に気づいて、暴発する前に手を打ったのだ。


 その目論みは成功だ。話の腰を折られて頭が冷えた。


 つねる手を離すと、彼はさっさと少女を回収しに向かった。ニコラエナたちもそれを邪魔しない。


 その場に一人残されて、自然、ニコラエナを見据える形になる。ニコラエナも、当然一人でそこにいた。既に剣は鞘の中に納まっている。

 ドギーもナイフを掴む手を離しながら。戦う代わりに問いかけた。


「……今更あなたが出てきた理由はなに」


 棘のある言葉だ。だがそれ故に真意は伝わるだろう。

 先ほどのように笑うかとも思ったが、ニコラエナは笑わなかった。


 ただ無表情で辺りを――縛られる野盗を見下ろして、こう言った。


「正義だって言ったら、アンタは信じるか?」

「…………」


 滑稽な言葉には違いない。ドギーは無言で、その女の顔を見つめた。その言葉に嘘はあるか。その女が嘘をついているか。それを確かめるつもりで。


 だが顔に心の全てが浮かんているわけでもない。こちらが思っていたほどには、相手の真意は読み取れなかった。


 だからドギーは、問いに答えたりはしなかった。

 クラウンが少女を肩に担ぐのを見届けて、ドギーは捨て台詞を吐いた。


「あなたが何者だろうと興味はない。私の邪魔をしないのなら、好きにしてればいい」


 そうしてニコラエナが何かを言ってくる前に、彼女は背を向けて歩き出した。

 陰鬱な室内から外に出ても、気分が晴れることはない。人質は救えたのだから、これでアルフも喜ぶだろう。ドギーとしても報酬を受け取れる。結果を見れば事は最善に終わった。


 だが。


(……ニコラエナ・ファルク・クライス)


 私の、偽者。あの女をそう断じることはできるが。

 ぽっかりと浮かんで、胸を突き刺す言葉があった。


(それとも……私が、偽者?)


 吹き荒んだ寒風が、彼女を撫でて通り過ぎる。

 その冷たさが何かを暗示しているようで、ドギーはまぶたを薄く閉じた。

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