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オルトロス  作者: アマサカナタ
31/33

6-5

 その大音声で、世界が終わるはずはない。それはわかっていたが――


 それでも、カラッゾはその喚声に終わりを感じていた。何の終わりかと問われれば、考えるまでもない。この身の終わりだ。


 ニコラエナをおびき寄せるために処刑を行うとジーリーが報告しに来た時に、カラッゾはこうなることがわかっていた。

 それを予知しながら、カラッゾは愚かなジーリーを止めようとはしなかった。そんなことすら気づかぬジーリーが哀れですらあった。


 デスクから、窓の方を見やりながら――


「……すまないが、もう少しだけ待ってくれないか。やらねばならぬ仕事が残っている」


 カラッゾは、執務室に訪れた来客に、そう呟いた。


 何故見もせずに来客だとわかったかといえば、政務館で働く人員は全て、処刑の見学を命じて館から追い出したからだった。


 視線を戻せば、戸口に女の姿がある……仮面を被った、銀髪の女の。

 彼女はさして気分を害したりはしなかったようだ。素直に待っていてくれるらしい。


 ただ素朴な疑問だったのか、訊ねてくるのは忘れなかった。


「……仕事?」

「今回の件の、報告書だ。いや……嘆願書、かな」

「嘆願?」


 端的すぎて伝わらないだろうというのはわかっていた。それを伝える必要がないのも。

 だがこんなものは余興のようなものだったから、彼は素直に説明した。


「カーライルの皇帝に送る報告書だ。ここ数年の領騎士の罪状と、ここ数日の暴動の経緯を記した。領騎士の悪行によりフレインの民の反発は必至であり、ひいては彼らに罪はないから、罰を与えたもうな。カーライル人が悪いのだから、フレインの自治を取り上げたもうな、とね」

「そんなことをして、何か変わるの?」

「時間が稼げる」


 これも伝わらなかったらしい。顔は見えないというのに、気配でそれがよくわかる。

 思わずカラッゾは苦笑してしまった。そんなことが、可愛らしいと思ってしまったのだ。彼の苦笑に、機嫌を損ねたそぶりを見せたのも。


「悪いが、まだ彼女に新生クライス王国を作らせるわけにはいかない。時間稼ぎというのは、カーライルに対しててもそうだが、あの“ニコラエナ”に対してもだ」


 侘びのつもりで、彼は補足した。


「もし彼女が本当にクライスを復興したいのなら、極めて単純に戦力が足りない。騒ぎが広まれば、近日中にカーライルが攻めてくるだろう。私はその動きを止める。と同時に、彼女にも新生クライスを名乗らせない。敵がいなければ、宣戦布告のしようがないのでね」

「もし彼女が、クライスの復興に興味がなかったら?」

「その時には、彼女はどこか別の地方にでも移動してもらいたいな。騒ぎの首魁がいないのであれば、カーライルもフレインには何もできまい……クライス人の不満をため込んで、爆発されるのが一番困るんだよ。かの国は」


 本当に望ましかったのは――と。

 カラッゾは、心の内でのみ呟いた。本当に望ましかったのは、それだった。あと数年ほどの時を待ち、クライス人の我慢が限界に達した頃、ニコラエナが現れること。


 カーライルの統治が健やかなものであれば、ニコラエナも立つ必要はないのだろうが。フレインのような悪行や圧政が続くのであれば、クライスの民はかつての自国を求めただろう。


 彼女の登場は、それを思えば少しばかり早すぎた。フレインだけを見れば今こそが好機だったのだろうが、クライスという枠組みで見た場合、少々事情が違う。


 そのための時間を稼がなければならない。そのための嘆願書だった。それも、うまくいくかはわからない賭けのようなものだったが。


「あとは……彼女への伝言だ。直接は言えなさそうなことを、手紙にしておいた」


 すべての書類を封筒に納め、蝋で封をして、その手紙の隣に置く。

 カラッゾはようやく立ち上がって、自分を殺しにきただろう女を見据えた。


「申し訳ないが、君に殺されるわけにはいかない」

「……どうして?」


 これもまた、問いかけだった。

 答えは既に用意してある。だが少しの間だけ、カラッゾは躊躇った。


 正直なところ、本音を語ってしまうのが一番早い。君に殺されたくはないんだ。私を殺しに来る人がいるはずだからだ――そう告げることが。


 だがもうその願いは叶わない。断罪の権利は、とうとう彼から失われた。

 だから彼は、建前の方を呟いた。


「この後私は、フレインの治安を損ねた者として彼女に裁かれるだろう。その結果として、私は死ななければならない。死ぬのを恐れたことはない。いつかはそうなるとわかっていた。だから……すまない」


 小さく頭を下げて、謝罪した。その女が理由を聞いて、納得するとは思わなかったからだ。

 謝罪の気持ちは本心だ。この身が一つでなかったなら、そのために殺されてやってもよかった。

 彼は女に向き直る。


「謝らないでいいわ。私としても……納得されたまま、あなたを殺したくはないの」


 その女は……静かにそう呟いて。

 仮面を外し、投げ捨てた。


 思わずカラッゾは、彼女の名を呼んでいた――


「――ニコラ、エナ、さま……?」

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