6-5
その大音声で、世界が終わるはずはない。それはわかっていたが――
それでも、カラッゾはその喚声に終わりを感じていた。何の終わりかと問われれば、考えるまでもない。この身の終わりだ。
ニコラエナをおびき寄せるために処刑を行うとジーリーが報告しに来た時に、カラッゾはこうなることがわかっていた。
それを予知しながら、カラッゾは愚かなジーリーを止めようとはしなかった。そんなことすら気づかぬジーリーが哀れですらあった。
デスクから、窓の方を見やりながら――
「……すまないが、もう少しだけ待ってくれないか。やらねばならぬ仕事が残っている」
カラッゾは、執務室に訪れた来客に、そう呟いた。
何故見もせずに来客だとわかったかといえば、政務館で働く人員は全て、処刑の見学を命じて館から追い出したからだった。
視線を戻せば、戸口に女の姿がある……仮面を被った、銀髪の女の。
彼女はさして気分を害したりはしなかったようだ。素直に待っていてくれるらしい。
ただ素朴な疑問だったのか、訊ねてくるのは忘れなかった。
「……仕事?」
「今回の件の、報告書だ。いや……嘆願書、かな」
「嘆願?」
端的すぎて伝わらないだろうというのはわかっていた。それを伝える必要がないのも。
だがこんなものは余興のようなものだったから、彼は素直に説明した。
「カーライルの皇帝に送る報告書だ。ここ数年の領騎士の罪状と、ここ数日の暴動の経緯を記した。領騎士の悪行によりフレインの民の反発は必至であり、ひいては彼らに罪はないから、罰を与えたもうな。カーライル人が悪いのだから、フレインの自治を取り上げたもうな、とね」
「そんなことをして、何か変わるの?」
「時間が稼げる」
これも伝わらなかったらしい。顔は見えないというのに、気配でそれがよくわかる。
思わずカラッゾは苦笑してしまった。そんなことが、可愛らしいと思ってしまったのだ。彼の苦笑に、機嫌を損ねたそぶりを見せたのも。
「悪いが、まだ彼女に新生クライス王国を作らせるわけにはいかない。時間稼ぎというのは、カーライルに対しててもそうだが、あの“ニコラエナ”に対してもだ」
侘びのつもりで、彼は補足した。
「もし彼女が本当にクライスを復興したいのなら、極めて単純に戦力が足りない。騒ぎが広まれば、近日中にカーライルが攻めてくるだろう。私はその動きを止める。と同時に、彼女にも新生クライスを名乗らせない。敵がいなければ、宣戦布告のしようがないのでね」
「もし彼女が、クライスの復興に興味がなかったら?」
「その時には、彼女はどこか別の地方にでも移動してもらいたいな。騒ぎの首魁がいないのであれば、カーライルもフレインには何もできまい……クライス人の不満をため込んで、爆発されるのが一番困るんだよ。かの国は」
本当に望ましかったのは――と。
カラッゾは、心の内でのみ呟いた。本当に望ましかったのは、それだった。あと数年ほどの時を待ち、クライス人の我慢が限界に達した頃、ニコラエナが現れること。
カーライルの統治が健やかなものであれば、ニコラエナも立つ必要はないのだろうが。フレインのような悪行や圧政が続くのであれば、クライスの民はかつての自国を求めただろう。
彼女の登場は、それを思えば少しばかり早すぎた。フレインだけを見れば今こそが好機だったのだろうが、クライスという枠組みで見た場合、少々事情が違う。
そのための時間を稼がなければならない。そのための嘆願書だった。それも、うまくいくかはわからない賭けのようなものだったが。
「あとは……彼女への伝言だ。直接は言えなさそうなことを、手紙にしておいた」
すべての書類を封筒に納め、蝋で封をして、その手紙の隣に置く。
カラッゾはようやく立ち上がって、自分を殺しにきただろう女を見据えた。
「申し訳ないが、君に殺されるわけにはいかない」
「……どうして?」
これもまた、問いかけだった。
答えは既に用意してある。だが少しの間だけ、カラッゾは躊躇った。
正直なところ、本音を語ってしまうのが一番早い。君に殺されたくはないんだ。私を殺しに来る人がいるはずだからだ――そう告げることが。
だがもうその願いは叶わない。断罪の権利は、とうとう彼から失われた。
だから彼は、建前の方を呟いた。
「この後私は、フレインの治安を損ねた者として彼女に裁かれるだろう。その結果として、私は死ななければならない。死ぬのを恐れたことはない。いつかはそうなるとわかっていた。だから……すまない」
小さく頭を下げて、謝罪した。その女が理由を聞いて、納得するとは思わなかったからだ。
謝罪の気持ちは本心だ。この身が一つでなかったなら、そのために殺されてやってもよかった。
彼は女に向き直る。
「謝らないでいいわ。私としても……納得されたまま、あなたを殺したくはないの」
その女は……静かにそう呟いて。
仮面を外し、投げ捨てた。
思わずカラッゾは、彼女の名を呼んでいた――
「――ニコラ、エナ、さま……?」




