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オルトロス  作者: アマサカナタ
30/33

6-4

(ずっと……この日を夢見ていた)


 それは場違いな想いだったに違いない。自然と浮かんできたその想いに、レキは小さく――表情に出ないほどに小さく、苦笑した。

 場違いな想いに違いないし、変な話に違いない。昨日の自分でさえ、こんなことになるとは思っていなかったはずだ。


 なのに、そう……確かに彼女は、この日を夢見ていたに違いなかった。


 民の視線を全身で受け止めながら、それを恐れることもなく、歩く。胸を張り、一瞬だろうと下は見ない。笑いもしない。怒りもしない。ただ静かに目の前を見据える。


 自分が想いを馳せた王族像を実行しながら、レキはふと考えていた。


(……ずいぶんと、重いんだな)


 視線が、だ。一様ではない想いを一身にぶつけられて、レキはようやくそれに気づいた。


 この前ここで演説した時には、そんなことは思いもしなかった。ただ敵を糾弾すればそれだけでいいと、それしかあの時の自分は考えていなかった。


 だが、違った。“ニコラエナ”の言葉には力がある。その意味を、彼女は本当に理解していなかった。


 それが仲間を五人も死なせ、今もこのような事態を引き起こさせた。

 それを何度も何度も悔いた。それでも、もう戻れはしないのだ。後悔をしても、一度始めてしまったのなら。もう止まれもしないまま、先に進むしかないのだ……


(誰にも責任は取れない。あたしが死んでも、そんなんじゃ誰も救われない。だから……)


 彼女は足を止めた。

 人垣を割った最前線。舞台と客席とを区切る明確な境界線から、レキは壇上に上がった。


 あと一歩下がれば真っ逆さまに落ちる、その位置を意識してレキは立つ。


 誰もがレキを見ている。敵も檀上から彼女を見ていた。待ち侘びたとでも言うように。


 号令もなく、領騎士は大きく動き始めた。

 レキが逃げないようにと、彼女を包囲する。

 その円の頂点――というべきか。壇上のちょうど中心に、不思議とその男はいた。


 ジーリー・マクギリス。彼が、口上を垂れる――


「既に家名なきニコラエナ。王権反逆罪、国家転覆罪および領民扇動の罪で、貴様を――」


 その声を。

 遮って、レキは無言のまま剣を抜いた。

 鞘を投げ捨て、掲げるように突きつける。


 民衆は静まりかえり、領騎士団はざわめきを見せた。ジーリーの顔には警戒が浮かぶ。


(このまま駆け出して、剣を振るえば……それで全てが終わる)


 妄想は限りなく簡単な結末を用意してくれた。

 ジーリーを殺し、領騎士を殺し、そうしてレキは復讐を果たす。領主カラッゾは罪を嘆いて許しを請い、領民は晴れて平和を取り戻す。そんな単純な妄想だ。

 それを夢見た時が、確かにあった。レキの旅路はそこで終わりだと。


 だがもう彼女に、そんな甘えが許されはしないのだ。


 それがわかっていたから。


「――フレイン領騎士団の代表、ジーリー・マクギリスに問う」


 やおら剣を舞台に突き刺すと、レキは自身の全力でもって、声を広間に張り上げた。


「貴様にとって、正義とはなんだ」

「……はあ?」


 訊かれるとは思ってもいなかった問いに、ジーリーはそんな声を上げる。

 だが、構わない。聞かせたいのは彼らにではない。


「フレイン領騎士団の誕生の経緯は領民も知っての通りだ。フレインを守るという大義の元に、カーライルが結成した武力組織。彼らは騎士の名に恥じぬよう精進し、フレインの平和と領民の安全を守っていくと。それが結成の本旨であったはずだ。それが真実ならば――そして貴様らが真実、フレインのために戦ってきたのであれば、私がここに立つことはなかった!」


 詩情はない。脳裏に閃く言葉は全てが直線的で、告げる言葉は角張っている。気の利いた言い回しも、曖昧なごまかしも一切ない。


レキは堂々と、言い聞かせるべき彼女の民を背に、声を張り上げた。


「戦争から既に七年が経った。その七年の間に、領騎士はフレインに何をした? カーライルがフレインに、いったい何をしてくれた。我らは七年、敗戦国の民として傅いてきた。その報いがこれだというのなら――」


 言葉を区切る。領騎士はとうに眼中にない。既に彼らとは敵対した。その時にはもう、語るべき相手は彼らではなくなっていた。

 語るべきは、領民ですらない。


「フレインを守るべき、騎警に問う」


 自分の言葉が、彼らの運命を変える。変えてしまう。

 その苦味を、舌の上で味わって。


 呼びかけ、レキは叫び、問う。


「あなたがたにとって、守るべき者は領騎士か。それとも国か? 領民か!? 騎警を名乗るというのであれば、あなたがたが守るべきはなんだ!? 騎警になったその時に、何を守りたくて剣を取った!? 振り向くといい……そこに守りたいものがあるというのなら!」


 レキは再び剣を取る。聴衆たちがどよめきを起こす。騎警は問われ、困惑し、手に持つ剣を震わせる。


 その剣を誰に向けるべきなのか――その剣で誰を守りたいと思ったのかと。

 レキは振り向かなかった。背後には、レキが守らねばならない領民がいる。クライスの民が。


 だがそのために……レキは、彼らの力を使う。


(恨むのならば、恨んでくれていい。私は逃げない……それを受け止める)


 クライスのために立ち上がった。そのために領民をそそのかした。賛同した者が“ニコラエナ”の手となり、力となる。


 その対価に、“ニコラエナ”は彼らの流血を求めるのだ。


 あの時は、無自覚にそれをした。その重みに、今更剣を持つ手が震える。

 だが、もう戻れはしない。変わりたいと――平和と安息が欲しいのだろうと、領民をそそのかしたその日から。


 だからもう、レキは自分のしたことから逃げなかった。


 たかが数十人の支配者を眼前に、苛烈に叫ぶ。


「フレインに住まう民、全てに告げる! 守りたいものがあるのなら恐れるな! 闘うのならば剣を取れ! 闘えぬというのなら、私が代わりに闘ってみせよう! 私は……私が守るべき者を傷つける悪を許しはしない! それが……私がクライスのために果たすべき、唯一にして絶対の責務である!」


 喚声が。


 咆哮が。


 ただ許せぬと響く憤怒の声が、闘志となって大気を揺らす。領民の声に唱和して、騎警は手に取る剣を構えた。


 罪人とされた者たちも、今は戒めを解かれ、己の敵を睨んでいる。


「ニコラエナ、貴様――止めろ! この騒ぎを止めろ! 貴様ら全員、ぶち殺すぞ――」


 予想していなかった事態に領騎士が――ジーリーが狼狽える。だがその声も、もはや誰にも聞こえないほどに意味がなく。


宣言のために、頭上に高く剣を掲げた。


「フレインを害する悪党に告げる。恐れるならば逃げるがいい。立ち向かうならば容赦はせぬ。我が名を聞け――」


 ――レキ・アルバーナにさよならを。


 剣を振り下ろし、声高に名乗りを上げた。

「我が名はニコラエナ――かつて失いし名はニコラエナ・ファルク・クライス! 民が為に立つ、一振りの剣である!」

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