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オルトロス  作者: アマサカナタ
21/33

4-7

 駆ける背中が闇に消えていくのを見送りながら――


(案外、早いな)


 クラウンは、胸中でそう呟いていた。


 あの娘とは、彼女が五歳かそこらの頃からの付き合いだ。本当に幼いころから、クラウンはあの危なっかしい少女の面倒を見てきた。

 王族というものがどんなものであるかも知らず、戦うという意味も知らず、殺すということの価値も分かっていなかった、少女の頃からだ。


 去りゆく背中は、彼が予想していたよりも早く遠ざかっていく。ずっと身近にいたのなら、成長というものは意識できない。ある日唐突に、それはやってくるものなのだ。


 あの娘は変わったのだと。それを寂しいことだと思うのは……


(どうかな。それを言うと、彼女は怒るかもしれないな)


 あの娘は気位が高い。情緒不安定で、激情家で、そしてなにより優し過ぎる。

 それは人として立派なことだが、暗殺者としては欠陥ですらある。彼女はとことん、向いていない。そんな娘に、七年間人殺しの術を教えてきた。どうにか形になるまでにかかった年月が、それだ。



 徹底して向いていない――あの娘に争いなどというものは。


(それでも、彼女はこの道を選んでしまった。俺は彼女を止めなかった。ファーレン……お前は俺を恨んでいるか?)

「――貴様。何者だ」


 亡霊に捧げた問いかけは、誰何の声にかき消された。


 振り向けば、そこにいるのは彼の敵だ。領騎士なるカーライル人の組織。今はあの二人を追おうとしている。数は十を超えるかどうかといったところか。まだ集まってくる気配がある。


「答えよ。貴様は何者だ。ニコラエナとその一党の仲間か?」


 その敵に無言を返して。立ちはだかる門番のように、敵を見渡す。


 距離は数メートルほど離れている。こちらが迂闊に近づいても、見てから反応できる距離だ。


 痩せぎすの男がその包囲の中にいたのなら、ついでに殺しておこうと思ったのだが。彼は包囲から外れて、最も遠い場所からこちらを見ていた。殺すにも手間のかかる位置だ。

 諦めて、包囲に視線を戻す。答えぬ彼に苛立って、隊長格のその男は抜刀し、剣を突きつけて唾を飛ばした。


「質問に答える気はないようだな。このままはぐらかすつもりなら容赦はしない。最後通牒だ……答えよ。貴様は何を知っている?」

「何を知っている、か」


 答えられるものがあるかというと……ない。

 クラウンは笑った。苦笑のためにではない。ただ笑いたいから、そのためだけに彼は笑った。それを自分に訊くということがどういうことか。男たちはわかっていない。


「いいだろう。俺が知っていることを教えてやる」


 だからだ。クラウンは静かにそう告げると。


 何の素振りも溜めもなく、即座にその場を飛び出した。


 自分の体を悪魔に明け渡す。そんな心地で彼は自分を俯瞰する。体を動かすのは悪魔の仕事だ。その間彼は何もせず、ただ遠くから自分を見ている。


 隊長格の男に飛びついた。反応が遅れた男の首を指で摘まみ、頸動脈を引きちぎった。人体の急所はその程度で触れられる位置にある。

 悲鳴も苦鳴もなく男は死んだ。

 その男から剣を奪い、敵を見回して囁いた。


「俺は敵の殺し方しか知らない」


 己が得た知識は全て、殺人のために使われる。だからファーレンに重宝された。

 邪魔な敵を皆殺す。それが彼の仕事であり、宮廷道化の裏の顔だった。

 そして今は、名を捨てた少女の露払いだ。


「う……うぁぁぁぁぁ!」


 恐慌に弾かれて、一番若い男が踏み出す。背後に熟練の男が二人続いた。

 若造を捨て石にしてでもこちらを殺す布陣だ。一人は若造の背後につき、もう一人はこちらの側面へと走る。若造が殺された後、二方向から攻撃するつもりだろう。


 クラウンはそのすべてに受けて立った。

 まずは踏み込まない。若造を待ち構えて、突き出された剣の腹を拳で払った。

 体を崩されて隙をさらけ出す男の心臓に刃を突き刺す。同時に踏み込んで、体当たり気味に男の体を押し込んだ。

 蹴り飛ばして男の体から剣を抜き、後に控えた男の追撃をわずかに遅らせる。


 その隙に視線だけで右を見た。二人目の男は上段から振りかぶり、速度を殺さず切りかかってくる。


 最少の見切りで、クラウンは半弧を描くように体を引いた。かわされて空を切った剣が、地を叩く前に止まる。

 剣が軌道を変えて跳ね上がる、それより前にクラウンは剣を重ねた。


 相手に停滞を与え、その隙に彼は片手を伸ばし、掴んだ首の喉仏を潰した。

 呼吸を阻害する殺害法は死ぬのに時間がかかる。のたうつ男を蹴飛ばして、クラウンは次を見た。


 若造を横に跳ね除けて踏み込んできた男には、剣の一投で足りる。

 首の動脈を刃に裂かれて、そのまま男は死んだ。駆け寄ってきた勢いのまま、クラウンの目の前に倒れ込む。


 その男の剣を拝借して。

 更に続くだろう次に備える。


 殺した数と比べて包囲が薄くなったかというと、そんなこともない。何人敵がいるのかは知らないが、ここにいる領騎士が全部ということもなさそうだ。


 領騎士を全員を殺すのが、彼の仕事か? それは微妙なところだったが。必要とあらばそれをする。出来ないとは微塵も思わなかった。

 手始めに、ここにいる者全てを殺す。造作もない。


 だが駆ける音を聞いて、クラウンは警戒を強めた。包囲の外から響く鋭い音だ。領騎士とは練度が違う。

 誰が来たかをそれで察した。

 包囲の隙間を縫って、その影はクラウンの前に躍り出た。


 その速度は明らかに領騎士よりも早い。踏み込み、小さく牽制の刺突を繰り返す。片手でだ。細剣を用いるようにして強引にリーチの利を得る。だが速度は両手で扱う剣のそれだった。

 牽制に混じった本命打だけを剣で払い、距離を詰めるための隙を探す。だが思いのほかそれが難しいことを悟った。

 隙だと思わせる誘いがある。それに乗れば自分は死ぬ。


 その罠がどんなものか、それは見当もつかなかったが。


(予想以上にやる……か。これは侮っていたな)


 仮面の下で苦笑する。負けるとは思わないが、それほど余裕があるわけでもない。

 膠着が続けば不利になるのはクラウンの方だ。今は正門に陣取ることで領騎士をせき止めているが、外に出るために正門を通らねばならぬ理由はない。

 それに気づかせないほどの脅威であり続けなければ、自分は負ける。


 決断というほどの物でもない。だが決めて、クラウンは突き出された一撃に切り上げる軌道を重ねた。


 キィン――耳に届く心地よい音。敵は剣を手放さなかったが。それ故に上体が伸び上がり、胴ががら空きになる。

 次手が来るなら振り下ろしだ。敵の行動を制限し、クラウンは懐に入り込んだ。


そして次手。


 敵は手品のように、空いた左手にナイフを出した。


「――――!!」


 予想していなかった一撃を前に、彼は思わず感心した。

 剣を地に刺して急制動。同時に仕掛けるスウェイバック。頭上を銀の光がかすめていく。

 だがそれで終わりではない。振り下ろしが来る前に、彼は姿勢を崩して飛び退いた。


 間一髪のところで距離を取る。相手の必殺をかわした形だが、完全にかわしきれもしなかった。ナイフが顔に引っかかって、仮面はどこかに吹っ飛んでいた。


 幸い剣は手放してなかったから、まだこの相手でも戦えるが。


「お前は……!」


 驚愕するその男――カラッゾに。

 クラウンは気楽に、呟いた。旧友にでも会えばそう挨拶するだろう、その程度の感覚で。


「久しぶりだな。七年ぶりか」

「……!」


 当然というべきか。彼は取り合わず、もう一度踏み込んでくる。

 ただしカラッゾはもうナイフを捨てていた。今度は片手でもない。刺突、斬撃、切り払い。すべてを織り交ぜてくる。奇襲はなくなったが隙もない。

 改めて感じる練度だ。この男はこれまでの人生すべてを剣にかけてきたのだから。


 振り下ろされる一撃を――


 下方から、耐える形で受け止める。強引に鍔迫り合いの形に持ち込んで、再び彼は膠着させた。そうなれば当然不利なのはこちらだが。


「そうだな、久しぶりだ……! 実に長い七年だった!」


 余人が入り込めないこの距離で、カラッゾは軋るように、言ってくる。その顔には笑みすらあった。戦士が浮かべる清い笑みだ。好敵手にまみえたとでもいうような。


「貴様がいるということは、あの方もいるんだろう……! ならばあのレキという少女は、影武者か……!」

「いいや。あの“ニコラエナ”は別口だ。俺たちは関係ない」

「そうか……ならば!」


 叫んで刃に力を込める。逆らわず流れを誘導して、クラウンは絡まった剣を弾いた。

 この距離は自分の距離ではない。下がるが、動きを読まれた。引くに合わせて距離を詰め、そのたびに眼前を刃が躍る。


 剣での勝負はあちらに分がある。意表を突かなければ――


 相手の意図を察して、クラウンは地に足を縫い付けた。放たれる刃の軌道をどうにか見切って受け止める。衝撃に、剣を掴む手が悲鳴を上げたが。


 彼は話がしたかったに違いない。彼が望む情報を知るのはクラウンだけだからだ。

 吐息が触れるほどの距離にまで剣を押し込み――カラッゾは、こう問いかけてきた。


「ニコラエナ様は息災か……?」


 答えるのはやぶさかではない。

 だが……どう答えればいいか、迷ったのは確かだった。


 あの娘は元気だ。あの娘は元気にお前を殺したがってるぞ――最初に口にしようとしたのはそれだった。

 そう言われたこの男がどんな反応を示すか。それを知りたかったのも迷わせた一因ではある。

 だが、やめた。


「――いないよ」

「……?」


 理解できなかったのか。剣を握る手の力が消えた。

 いや。理解できたはずだ。そう難しいことを言ったわけではない。理解を拒んだのは彼の心か。だがどうでもいい。

 彼は素直に真実を告げた。


「ニコラエナなんて女は、もうどこにもいないよ」

「は……?」


 呆然とする男の反応を、彼は予想できていた。何故かと問うまでもない。


 野盗狩りの“ニコラエナ”の誕生をこの世で一番喜んだのは、間違いなくこの男だとわかっていた。


 それでももう、“ニコラエナ”なる女はいないのだ。

 あの娘はそれを選んでしまった。


 カラッゾの刃を弾き、クラウンは後退した。彼は追いかけてこない。

 男の顔に浮かぶものが何か。それをクラウンは知っている。

 絶望だ。


(悪いな。お前を哀れに思う。クライスのために忠誠さえ捨てたお前を)


 それを言葉にはしなかった。そのままクラウンはカラッゾに背を向けて、正門の外へ駈け出した。


 領騎士は既に、別ルートからあの娘を捜索しに出ている。足止めはもう意味がない。各個撃破に切り替えた。もうここにいる意味はない。


 最後に一度だけ、クラウンは背後を振り向いた。


 カラッゾは追ってこなかった。

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