1-1 ニコラエナ、出会う
「――めさま……姫様。起きてくださいよ」
「…………あん?」
夢から目を覚ますと、そこには炎の熱も匂いもなかった。
幼い自分の姿もない。燃える世界はどこにもない……
飛び込んできた景色は布で覆われた狭い空間、それだけだ。
自分は今、野営のために建てたテントの中にいる。
鬱蒼とした森の中に無理矢理建てたため、寝心地は最悪で、体中が妙に痛んだが。
そんなことよりも夢見が悪すぎたことに、彼女は声に出さずに毒づいた。
(起こすんなら、もう少し早く起こせってんだ。クソッタレめ……)
呼び声は外からのものだった。それが誰の声だったか。
考える前に、ひとまず彼女はテントの中から顔だけ出した。
何があるとも知れぬ森の中、暇そうにしてる男たちがこちらを見ているが。
声の主はその中にはいない。男たちの数は三人。一人足りない。
だが構わず、彼女は不機嫌にうめいた。
「なんだってんだよ。襲撃予定は夕飯時って言ったろ。なんで起こしたんだ」
「――変化があったら起こせっつったの、姫様じゃねえですか」
声は真上から聞こえてきた。というか、比較的テントに近い木の上から。
樹上から望遠筒で森を割るようにしてある街道を――ひいてはそこにある宿を――監視している手下の声だ。
声に危機感はないが、さりとて声をかけてきた以上は意味がある。
睡魔は未だ強かったが文句も言ってられず、彼女はテントの外に出た。
日の位置からして、まだ昼の半ば程か。
改めて、彼女は樹上を見上げた。
「変化ってなんだ?」
囁くように問いかける。
返答は先ほどと変わらぬ声量だったが、声には鋭さが増した。
「野盗の仲間でしょうかね。男が二人、娘を片手に宿に入っていきました。若くて美人……かな。たぶん、フレインの住民でしょう」
「娘の様子は?」
「はっきり見えたわけじゃねえですが……気絶してましたね。誘拐でしょう。どうします?」
問われて、しばし考え込む。確かに状況は変化したが、事態は当然のように悪化した。
舌打ちしたい衝動に駆られるが、どうにか思いとどめて思索を巡らす。
だが思いのほか、考えつくことは多くなかった。
敵を倒す時間の猶予がなくなったということくらいだ。
「今、野盗の連中は全員揃ってるのか」
「ええ。荒くれ七名、構成員は全員男。他の女が捕まってる様子も、今のところない」
「だったら、もうのんびりしてる理由もないか」
ため息をついて、彼女は顔をぱしんと叩いた。痛みで意識を引き締める。
決断したなら、あとは躊躇わない。彼女は部下どもを見渡して、一息に告げた。
「予定を繰り上げよう。全員装備点検、戦闘準備。今から十分後に襲撃を仕掛ける」
「……ちょっと待ってください」
水を差したのは、やはり頭上からの声だ。全員の動きが止まる。
異変の予感に全員が警戒するが。
樹上からの声に含まれていたのは、警戒ではなく戸惑いだった。
「宿から西方四〇〇くらいか。街道を農業馬車が走ってる。御者台に男、荷台に二人。黒髪に黒い外套の男と、短い銀髪の女。雰囲気的には旅人っぽいが……様子がおかしい」
「どんな風におかしい?」
「話し込んでるみたいですが……何度かちらちらと宿の方角を気にしてる。もしかして、宿に泊まろうとしてる?」
(まったく、どうにもツイてないな今日は……!)
思わず心の中で愚痴るが、そうも言ってられないのが今のご時世か。
もはや声を抑える理由もなく、彼女は叫んだ。
「全員即座に戦闘用意! 馬車が宿に着く前に仕留める。さっさと急げ!」
「んな無茶な! 間に合いませんよ、いくらなんでも!」
「知るか! やれっつったらさっさとやれ――急いだくらいじゃ死なねえよ!」