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オルトロス  作者: アマサカナタ
15/33

4-1 偽者は思い知らされる

「悪いけど、偶然ここにいるわけじゃないわ。遊びに来ているわけでもないの」


 それくらいはわかるわよね、と――にこりともせずに、言う。


 動けばすぐにでも首をかき切るに違いないその女を、レキはどうにか眼だけで見た。

 何故その女がここにいるのか。それはわからないが、その女が誰かは間違えようもない。


 氷か石のようにのっぺらとした無表情に、レキは苦笑を投げた。


「まいった。嫌われてるのはわかってたけど、ここまでとは思ってなかった」

「そう? なら気をつけるのね。無神経に生きてると、人の怒りって簡単に買えるんだから」

「……気をつけるよ、これからは」


 思わず反省する。それで許してもらえるとも思えなかったが。


 改めて、レキはその女に顔を向けた。件の野盗騒ぎの際に、かち合ったあの女だ。

 ドギーと名乗ったが、それが偽名なのは疑いようもない。その女はその時から、レキに対しては険悪な態度を示していたのだが……


「なあ。ここまでされなきゃならんほど、あたしってあんたになんかしたか?」

「さあ、どうかしら。それについてはご想像にお任せするわ。ただ……」

「ただ?」

「自分が目の前にもう一人いたら、八つ裂きにしておきたいって思わない?」

「……あんた、性格歪みすぎじゃねえか?」


 本気で言ってるのか判断がつかず、レキは女に半眼を向けた。


 が、あまりよくない態度だったらしい。明らかに女は気分を害したようで、腕先を少しだけ動かして、レキの首筋にナイフを添えなおした。あまりの冷たさに、息が詰まる。

 その効果を確かめてから、女は嬲るように言ってきた。


「言ったでしょ? 遊びに来てるわけじゃないって。それとも今から一緒に遊ぶ? この状況からなら、私が勝つと思うけど」

「…………」


 沈黙は、そう長引いたはずもない。おそらくは、五秒かそこらだろう。その間に――


(腕を跳ね上げて戦闘? 無理だな。剣はベッドの脇。遠い。助けを呼ぶか? 叫べば、誰か来るとは思うが……その前に殺される。ごめんなさいして謝る? 許してくれるかこいつ?)


 葛藤するも、すぐに諦めた。八方ふさがりだ。

 命乞いなどとみっともないことはしたくなかったが、仕方なくレキは問いかけた。


「……素直にしてれば、命の危険はない?」

「あなたが私を怒らせなければね」

「……怒らせたら?」

「ここで殺す」

「……選択肢、ないようなもんじゃねえか。わかった。用件言えよ」


 思わずボヤくが、その女はひとまずお目こぼししてくれたようだ。

 軽口は無視して、感情の乗らない声音で言ってくる。


「今すぐこの街から出ていきなさい」

「…………?」


 その女が何を言い出したのかがわからずに、レキは眉根をしかめた。生殺与奪を握られている以上、そんな態度は致命的に違いないのだが。

 こちらの怪訝に気づいた様子はない。女は早口に先を続ける。


「正直に言うと、私はあなたが何してようとどうでもよかった。本当なら関わるつもりもなかったくらい。それでもこうしなければならないのは、あなたに死なれると困るから。善意を押し付けるつもりはないけれど、私はあなたを助けるつもりでここにいる」

「…………」

「これは警告よ。あなたたちは不用意にやりすぎた。今日の一件で、間違いなくカラッゾは動き出す。もしこのまま街に留まるなら、あと数日もしないうちに、あなたは――」


 言ってることの意味や意図は、やはりさっぱりわからない。わからないのだが。


(そういや、さっきフラックも似たようなこと言ってたっけ。私たちは奴らの致命的な的になったって)


 そんなことを思い出しながら――

 レキは告げられた言葉と続く言葉の隙間に、身じろぎを挟んだ。


 最少の動作で体勢を変える。女の死角からナイフを握る腕を掴んだ。


「……っ!?」


 熱弁していた女の反応がわずかに遅れる。


(こいつは、あたしを殺す気がない――)


 それを悟ったから、レキは容赦しなかった。


 接触できたなら後は考えない。力任せに腕をねじった。関節を極める一撃。だが女はすぐに反応する。


 力の流れに逆らわず、女はその場で自分から飛んだ。同時に手首だけでナイフを投げる。曲芸の動きだ。不自然な体勢だというのに一撃は鋭い。


 ナイフに当たる前に、レキもまた女の手を離して射線から逃れた。

 距離を取り、ベッド脇の剣を掴む。鞘から抜かずにそのまま構えた。鞘から抜けば、その女を殺すことになる。


 女もまた体制を立て直し、腕を思いっきり振るように引いた。と、ナイフがその動きに連動して彼女の手元へと戻っていく。ひものようなものがくくりつけられているのだろうが。


 そのまま、しばし無言で睨み合う。

 先に口を開いたのはレキの方だ。


「親切心だかなんだか知らないが、交渉が下手すぎるだろ。自分から殺す気はないなんて口にしてどうするんだ。それによ、人にお願いしたいんなら、まずは偽名じゃなくて本名名乗んな。偉そうなこと言うのは勝手だけど、名前も知らない相手の話なんか聞けるかってんだ――」


 呟いたのは、ただの軽口程度のつもりだったのだが。

 逆鱗に触れたのは間違いない。その女が目を見開いたのがはっきりと見えた。


 驚愕にではない――怒りの形にだ。


 歪んだその眼が細められる。呟く声音は仄暗く、だが鋭い苛烈さがあった。


「それをあなたが言うの? ――偽者のくせに」

「…………はっ」


 思わず、鼻で笑う。だが顔が笑っていないのは自分でわかっていた。


 この不愉快さは笑えない。この不愉快な相手とは。その女は全て知っている。ようやくこの女の態度に合点がいった。今度こそ彼女は確信していた。


 正真正銘、この女は“レキ”の敵だった。


「なるほどな。通りで妙に刺々しいと思ったよ。あんた、あたしが本物じゃないって本当にわかってたわけだ。だから気に食わなくて突っかかってきたってところか?」


「そうね。確かにそれはその通り……だけど、それだけならあなたの事なんて放っておいた。本当に許せなくなったのは、今日の演説のせい」


 意味がわからず眉根を寄せる。無言で先を促すと。

 その女は、静かにこう答えた。


「あなたはあなたの戦いに、領民たちまで巻き込もうとしている」


 言われ、しばし沈黙し。

 考えて、思い浮かんだ言葉はこれだった。


「――ハァ?」

「……!」


 女の顔色が一瞬で変わる。獲物を食いちぎるような形相で、その女は犬歯を剥いた。

 あと一つ何かがあれば、彼女は踏み込んできたに違いない。だがこの距離はレキの距離だ。構えた剣先をちらつかせ、牽制する。


 ああ言えば女が怒るのはわかっていた。だが、それでもレキは言わざるを得なかった。


 心底気に食わなかったからだ。


「巻き込むって言い方は聞き捨てならないね。あたし一人が戦って、あたし一人が領騎士の脅威を克服したからって、それで何になる? フレインがそれで変わるか? 現実は、お姫様一人が戦ってれば変わるほど簡単じゃない。だから呼びかけるんだ。皆で戦うために」

「そんなの誰が望んだの。あなた以外の、いったい誰が。戦いたいなら一人で戦いなさい。フレインの正常化だろうが、クライスの復興だろうが。あなただけが戦うのなら、私は何も言わなかった。私が気に入らないのはね。無関係のはずの領民を矢面に立たせたこと。彼らは犬死にするわ。他ならぬあなたのせいで」

「犬死なんてさせるかよ。そのためにあたしがいるんだ」


 そう断言し、敵を見据えた。同じ形に顔が歪む。


「夢想家の扇動者は始末に負えない。責任のとれないことを平然とする」

「安全圏からものを言う奴の話が聞けるか。あたしとあんたは平行線だ。わかってるんだろ」


 吐き捨てて、レキは鞘から剣を抜いた。この相手とは手を取れない。見据えているものが違う。


 確かに始めたのはレキの私欲だ。だが、それだけで立ち上がったわけではない。それを否定させるわけにはいかなかった。


 その女も、静かに構えてみせる。半身の姿勢だ。自然体だが、それだけに手を予測できない。間合いを測るようにナイフを揺らしながら、その女はため息のように呟いてくる。


「あなたが領騎士に殺されれば、御旗を失った領民は必ず暴走する。彼らからしたら、そちらの方が都合がいいでしょうね……反乱分子を一掃できる機会なんだから。そうでなくとも“ニコラエナ”は争いの火種になる。私は、あなたを認めるわけにはいかない」

「ハッ。御託を並べたところで結局は力ずくか。上等――そっちのほうがあたし好みだ」


 剣を突きつけ、身構える。体は低く、意識は鋭く。前傾の構えだ。

 出し惜しみはしない。殺す気はないが――さりとて逃す気もない。逃げられない理由もできてしまった。


(この女が“本物”なら逃がさない。もし違っても“本物”の事を知ってるんだ。話を聞きだす。じゃなきゃ――あたしの復讐は終われない!)


 刹那。


 ――割れるガラスの鋭い音に、レキは踏み込みを間違えた。

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