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オルトロス  作者: アマサカナタ
14/33

3-4

「だっはっは! やってやったぜ、こんちくしょー!」

「……やってやったの、あたしだろうが」


 浴びるほどに酒を飲んでべろんべろんになったカイネに、レキはため息をついた。


 日が落ち、闇も深まった夜。ミハイルズホテルは奇妙に盛り上がっていた。ミハイルも、料理を作りながら酒を飲む始末である。

 ジャスク兄弟は下戸なので飲まなかったようだが、それでも上機嫌で料理をぱくついている。いつも通りに静かなのは、フラックくらいのものだった。


 出来上がったカイネを介抱するのは酒を飲んでない誰かの仕事だが。ひとまずレキは、酒臭い男から離れた席に逃げていた。

 酒は飲むのも、飲まれる奴も苦手だった――あれは飲み物じゃない。薬か毒の間違いじゃないか?


(あんなものを飲むなんて、大人って奴は気が知れねえよ)


ミハイルズホテルが祝宴じみているのには理由がある。昼の騒動の反響が、予想をはるかに超えて大きかったためだ。

 それはレキたちの最終的な目標である、クライスの復興――かつての平温の再建――に繋がっていくだろう。それが嬉しくて、皆してはしゃいでいるのだった。


「ニコラエナ様」


 呼ばれて、彼女は顔を上げた。すぐそばに来ていたのはフラックだ。


「よお。カイネの相手はやめたのか?」

「ミハイルに押し付けました。流石に酔っ払いの相手は苦手なものでね……まあ、気持ちはわからんでもないのですが」

「あたしにゃわからん。なんで大人って奴は、祝いの席だと酔っぱらいたがるんだ」


と言ってから、目についたものに眉根を寄せる。


「……お前も酒か。どいつもこいつも好きだな、おい」

「はっは。たまの祝いには、俺だって飲みますよ。ニコラエナ様はいかがです?」

「やめとく。好き好んで毒を飲む趣味はないんだよ、あたしゃ」


 子供ですねとでも皮肉られるかと思ったが、そんなこともなかった。フラックは薄く笑うだけだ。彼もまた手酌して、グラスに酒を注ぐ。

 口につける前に、突きつけるように前に出した。意図をそれで察する。


「今日の演説と、フレインの未来に」


 頷いて。レキもまた、水の入ったグラスを突き合わせた。


 二人でグラスを鳴らし、乾杯する。注いだ分だけ、フラックは酒を飲み干した。レキも同じように真似をする。悪くはない気分だった。


 今日の演説の手ごたえは確かにあった。野盗と化した領騎士と、それを命令した領主を告発することで、領騎士の――ひいてはカーライル人の悪行を告発できた。

 その怒りの熱量は、七年間虐げられた分だけ凄まじい熱量となってフレインを覆っている。


 領民の意識が変われば――カーライル人が支配者ではないと気付けば――この領は変わっていくだろう。

 今まで続けてきた野盗狩りなどの成果が、今日になってようやく出たのだ。


 うわ言のように、天井を見上げて呟いた。


「一段落とか、一区切りって奴かな。ようやく本命に手をかすらせた。これでフレインが変わってくなら、あたしがここでやることは終わりなんだけどな」

「ニコラエナ様は……」

「?」


 きょとんと、まじめな気配を感じてフラックを見る。酒は一杯で終わりなのか、もう彼は酒瓶に蓋をしている。

 それをテーブルに置いてから、改めて彼は言ってきた。


「俺たちは皆、フレインの出です。あなたが、フレインのために戦っていると知ったから、我々もあなたのお供をした。領民による領騎士の粛清が終わったら……フレインが、領主や領騎士の非道に対抗できるようになったなら。あなたはその後、どうするおつもりですか?」

「……そうだなぁ」


 問われ、レキはそのことを考えた。


 ニコラエナ姫の出自はクライスの王都だ。だがそこに帰るべき場所はなく、当然“レキ”の帰る場所でもない。

 レキの故郷はフレインだった。それも辺境にあるちっぽけな村だ。名をケーネスといい六年前に滅んだ。


 レキには帰る場所はない。ならば進むべき未来はあるか。それを考えて、レキは表情を曇らせた。“レキ”としての目的を果たせたなら、旅は終わりだ。そう思ってこれまで活動してきたのだ。

 だが“レキ”の目的を果たしても“ニコラエナ”の旅は終わりではないのだ。虐げられるクライス人を救うというのは。


(……だけど、そうだな。もし“あたし”の目的を達成したのなら――)


 それからは本当に、“ニコラエナ”として生きるのもいいかもしれない。


「たぶん、また旅から始めることになるのかな。元クライス領を回って……それでフレインみたいなところがあったら、領民に代わって戦うのか。きっと、今みたいなことをやってるんじゃないかって思うよ」


 もちろん、事はそう単純なものではないのだろう。だが――


「先のことを考えるのは、どうにも苦手だ。そういうのは、全部終わってから考えよう」

「というと、これからの我々の活動ですか?」

「ああ。フレインの統治を正常化させる。ひとまずは、領騎士の行動の監視かな。奴らの横暴を阻止する……っつっても、手が足りてないんだよな。そろそろ本当に同志を募ったほうがいいのかもしれないな……」


 といって、すぐに案が思いつくわけでもない。

 考えても仕方のないことは他人に頼るに限る。そう言うわけで、レキはフラックに問いかけた。


「お前は何か考えあるか?」

「同志云々はともかくとして、当面のものでよいのであれば」


 そう言ってフラックが口にしたのは――

 奇妙というか、レキには予想外のことだった。


「領騎士と敵対した現状、ここに留まり続けるのは得策ではないと思っています」

「?」


 不意打ちのような内容に、きょとんとレキはまばたきする。


「今回の件で、我々は本格的に奴らと敵対しました。それも、フレイン領の統治を揺るがしかねない致命的な敵として。現状、フレインは彼らのホームです。居場所がバレてしまえば、少人数である我々は簡単に捕らえられてしまうでしょう」

「だから、一旦雲隠れしろって?」

「最低限、ここだけを拠点にするのは危険だと判断します」

「……ふむ」


 断言され、しばしの間レキは考え込んだ。


 確かに、筋は通っているように思う。だが問題はここの他に拠点が見つかるかということだ。フレインの住民は皆、領騎士――カーライル人に怯えている。

 ミハイルは個人的な恨みから“ニコラエナ”に協力してくれているが、彼のように大っぴらに協力してくれるような存在はまだ多くはない。

 となれば当然、他の拠点など早々見つかるはずもなく――


「さっきから、なぁにつまんねえ話してんすか、ええ?」

「――どわ!?」


 と。

 突然の乱入者が、いきなりフラックの背中をどついた。


「うだうだグダグダ長々とぉ、先の事なんて後で考えりゃいいんすよ後で考えれば! 今は祝いじゃ、飲みましょうや、なあ?」


 そのまま強引に肩を組み、ニコニコ顔で口上を垂れる。カイネだ。さっきまでカルーとゲラルドに絡んでいたはずだが。

 二人の方を見ると、腕で大きくバツ印を作った。意味は、たぶんこうだ――もう嫌。あとよろしく。


「お前らなあ……」


 うめき声をあげて、レキはため息をついた。どれだけ飲んだのかは知らないが、カイネは呆れるほど酒臭い。

 仕方がないので、レキは席を立った。

 フラックに告げる。


「酔っ払いの介抱は任せた。あたしゃ寝る」

「承知しました。これからの行動方針は、明日決めましょう」


 肩越しに手を振って了解を伝えて、レキは階上へと向かった。


 自室に入ると、即座に扉を閉める。深く息をついて、レキは顔から表情を消した。

 ここは唯一、レキが“レキ・アルバーナ”として存在することが許される場所だ。


(言えるわけないよな……本当の目的は復讐だって)


 先のことなど考えるはずもない。復讐は、どれだけ取り繕おうと復讐だ。仇を討てばそれで終わり。その先などあるはずもない。


 奴らが許せなかった。だからレキは戦うのだ。フレインの未来も、クライス人の平穏も。真剣に考えていないわけではないが、あくまでおまけだ。

 戦うには大義名分が必要だ。そして、それだけの力も。“レキ・アルバーナ”にそんなものはなかった。だからこそ、レキは“ニコラエナ”を名乗るしかなかった。


 暗澹とした気分で息をつく。涼やかな風が体を撫でる。その心地よさに逃げ込むように、レキは目を閉じた。

 闇の中でなら、何も考えなくていい……


 風?


 違和感に、レキの心臓が一拍、跳ねた。何故風が流れている? ここはレキの唯一の聖域だ。それだけに、戸締りはしっかりと確認している。


 だが、窓は開いていた。


 凝視する。意識は一瞬で警戒へと切り替わった。自分は今丸腰だ。

 一番確実なのは、大声で人を呼ぶことだ。手下どもが騒ぎを聞きつければ、切り抜けられる可能性はある。

 だが。


 声は、真横から――ゾッとするほど近くから聞こえてきた。


「随分と遅かったわね……待ちくたびれたわ」


 自分と同じ顔をした女は、風と同じく涼やかな顔でそう言った。


 ――レキの首筋に、そっとナイフを当てながら。

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