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オルトロス  作者: アマサカナタ
10/33

2-6

 ミハイルズ・ホテルなる宿が建てられたのは、今から五年前のことだそうだ。


 その頃からこの宿はフレインの郊外にあり、旅人や家出した小娘、妻とケンカして家を追い出された亭主なんかを泊めてきたらしい。

 つまるところはそんな、大したことのない普通の宿である。


 だが今日は屋号には上からこう書いた札が貼ってあった――現在貸切。


 門扉を押しのけて宿に入ると、迎えてくれたのはムサい男の声だった。カウンター奥にいる頭の禿げた中年の大男。この宿の亭主、ミハイル・ボダムが気安く言ってくる。


「お? 姫様か。おかえり、随分と遅かったじゃねえか」

「悪い悪い。予想以上に手間取ってね」


 レキも同じだけの気安さで返して、カウンターの席につく。

 水の入ったグラスを受け取って、レキはうんざりとぼやいてみせた。


「ただでさえ馬車に五人も乗ってるってのに、そこに七人も押し込むことになって。馬の方が悲鳴あげちまったから、歩いてきたのさ。ただ、野盗が暴れたせいでカイネがキレちまってね」


 その様を思い出して、彼女はため息をついた。それがなければ、少なくとも日没までには帰れたに違いない。

 気苦労を知ってか知らずか、ミハイルは鼻で笑う。


「なるほどな。まあ姫様の仲間って奴は、脳みその代わりに筋肉詰め込んだようなのばっかりだしなあ。せめて俺みたいに、教養ってもんを学べばまともになるんだろうが。まあ無理か」

「――毛がねえ奴が教養を語るな、クソハゲ」


 聞こえてきた野次の声に、レキは戸口のほうを見やった。

 口汚く罵ったのは、当然というか、カイネだ。その後ろにぞろぞろと残りの連中が続く。

 全員肩に荷物を担いでいたが、食堂の真ん中あたりでその荷物を床に下した。というより、捨てたといった方が近い。


「へえ。噂通りの数だな。情報の確度は怪しかったんだが、まあ結果が良ければそれでいいか」

「おい待て。ガセネタの可能性があったのか?」

「命からがら逃げてきたって奴の情報なんか、アテにならねえよ」


 問いにミハイルは肩をすくめる。だが視線はもうカイネを見ておらず、全員がその荷物を見つめていた。その荷物は、居心地が悪そうに身じろぎしている……


 件の野盗たちだった。七名の、フレインを騒がせた強盗集団。


 改めて彼らを見ても、何かわかることがあるわけではない。ただの男が七人いるだけだ。たとえ非人道的な行いをしていたとしても、それが外見に表れるわけではない。


(いや……そうでもないか)


 倒れ伏す男たちの眼光の一つと目があって、レキは考えを否定した。

 違いならある――この眼だ。暗く陰った、人殺しの眼。

 声はそこから放たれているようにも思える。眼があった男が、口を開いていた。


「こんなことをして、無事に済むと思っているのか」


 内容自体はありきたりな抗弁であり、道中でも聞かされたものだったが。その声音には傲慢が見える。

 彼らの素性を知る前とは事情も異なるから、レキはその言葉を噛み締めた。

 それを知らないミハイルは、きょとんと首をかしげていた。


「ただの野盗にしちゃ、随分とふてぇ奴らだな。バックにでけえ組織でもついてるのか?」

「その認識で間違いない」


 答えたのはフラックだ。

 一団の中で最年長のその男は、いつものように、口調も固く呟いた。


「こいつらは領騎士だ」

「はあ……!?」


 ミハイルの驚愕は、見ていていっそ清々しいものだった。だがその反応を笑っては見れない。彼らの存在と、その誕生の意味を思えば。


 領騎士はそんな彼女らを鼻で笑った。他の男たちが無言でいる中……その男だけは、抵抗の意思を捨てていない。


「そうさ、俺たちは領騎士だ。貴様らは大罪を犯したんだ。貴様らが俺たちを何の罪で裁く気だったのかは知らないが、そんなのはどうせ無駄なことだ。領民殺しの罪か? それとも強盗か? どれでも構わん。騎警に突き出してみろ――泣きを見るのは貴様らの方だ」


 その言葉を聞きながら、レキがふと気にしたのは、こんな時には決まって怒りだすカイネの顔だったが。

 彼が嫌に静かな理由は、彼の方を見ればわかった。フラックに肩を押さえつけられていたからだ。


 意味合いとしてはこうだろう。“答えるべきはお前じゃない”。


 視線は自然とレキに集まっていた。それを自覚して、だが気負うことなく彼女は言い返した。


「だからって、“わかりました、解放します”って話にはならないんだよ、残念ながら。あたしは言ったはずだぞ、お前らが何者だろうか知るかって」

「ハッ。正義ごっこか、バカバカしい。そうして貴様らは、領騎士を敵に回すんだ。領騎士団長――ジーリー様は容赦のないお方だ。反乱分子は残さず皆殺しだろうよ」

「そうそう。それについてなんだが」


 すっ呆けた顔で、レキはぽつりと訊いてみた。


「領騎士が、どうやって“お前らがあたしたちにやられた”ことを知るんだ?」

「……?」


 言ってる意味がわからなかったらしい。

 ただし、それは仲間たちも同様だ。きょとんと顔を見合わせている。

 レキは素っ気なく告げた。


「お前らはここで死ぬんだぞ?」

「……は?」

「いや、考えればわかるだろ。なんでわざわざお前らを敵のところに届けなきゃならないんだ。そりゃまあ、普通の犯罪なら取り締まりは領騎士か騎警の仕事だろうけどさ。今回ばかりは事情が違うんだ。執行されるのは私刑だよ。お前らには“消えて”もらう」


 実際にそうするかはまだ決めていない。そんなことをするよりも、もっといいアイデアがある。そもそも“失踪”させるのならば、わざわざフレインまで連れてくる必要もないのだ。


 それを思えば、こんなのはでまかせにすぎないのだが。


 あまりにもあっさりと言いすぎたためか、誰もが絶句したままこちらを見ていた。

 こいつは本気で言ってるのか? 空気はそう彼女に問いかけてくる。


(そうしてやりたいのはやまやまだけど……生憎、今のあたしは“ニコラエナ”なんでね)


 心の内で肩をすくめて、レキは間抜け面した仲間に告げた。


「こいつらを二階の一室に詰め込んできな。ないとは思うが、逃げ出さないよう見張ってろ。尋問の方はやりたきゃ任せる」

「え? あ……え?」


 これはカルーの声。急に呼ばれてそんな声を出したようだが、反応自体は全員似たようなものだった。

 唯一、フラックだけが自分のやるべきことをすんなりと始めていたが。


「二度も言わすんじゃないよ! やれって言ったらとっととやる!」


 怒鳴りつければ、あとは早かった。男たちは慌てて領騎士を肩に担ぐと、急いで二階へ運んでいく。

 捨て台詞の一つでも吐いていくかと思ったが、さっきの男は何も言ってはこなかった。


「よお、姫様……本気で言ってんのかい?」


 ミハイルの声に振り向けば、不安そうな顔がそこにある。

 彼の心配はもっともだ。今度こそ本当に肩をすくめて、レキはグラスの水で喉を潤した。


「こう言っちゃあなんだが、あんまり得策でもねえ気がするぜ。あんたが出張ってるのは、もう有名な話なんだ。領騎士が失踪したなんて話になれば、疑われるのは間違いなくあんただ。俺が噂を伝えた手前、こんなことを言う資格はないんだが――」


 その言葉を遮って。


「領騎士が、これを持ってた。どう思う?」


 レキは懐からそれを取り出すと、困惑顔のミハイルに押し付けた。

 渡したのは、一枚の紙である。領騎士の寝室を探した時に見つけたものだ。


「これは……領騎士団の超法規権限の承認証?」

「特殊な任務だか何だかで、奴らがカラッゾから受け取ったらしい」


 それがあったから、レキは野盗が領騎士を名乗った時、彼らを偽物だとは思わなかった。もしそれが本物なら、それは彼らの身分の証明になる。

 確かめたいのはその真贋だが。


 眉根は寄せたままだが、ミハイルの面持ちは違うものに変化している。

 紙面につかれた二つの印を示しながら、彼は呻くように言ってきた。


「アルタクロス家の紋章印はわからねえが……フレイン領領主の認証印。こいつは本物だ。剣を銜えた狼。昔本物を見たことがある。間違いねえ」


 フレインで領主が発令する書類には、必ず二つの印がつかれる。それが認証印と、紋章印だ。

 どちらも精緻な細工を施されており、王都の職人ですら同じものは二つも作れないという。

 認証印は領主がカーライル王から賜ったものであり、その印がつかれているという事は、領主のお墨付きがついたようなものだった。


「つまり?」

「……本物だろうな」


 呟くミハイルの顔には苦い色がある。おそらくは、自分も同じ顔をしていたことだろう。


「姫様は知らないだろうが、今日の夕暮れ時にな。領騎士が若者をリンチにしたんだ。つまらない口ゲンカが原因らしいが……」

「…………」

「フレイン領を守るって大義は、どこに行っちまったんだろうな」


 ――そんなもの、最初からなかったさ。


 喉に出かかった言葉を、レキはどうにか飲み込んだ。言わなくても、誰もが知っていることだ。フレインにいる者なら、誰もが。

 だからだ。あるいは、それなのにか。ふと、レキは問いかけていた。


「ケーネスって村の事、ミハイルは知ってるか?」

「ケーネス? 古い名前だな……確か六年くらい前に、野盗に滅ぼされた村だったかな。その野盗退治が、フレインに来た領主の最初の仕事だったはずだ。それが?」

「奴らが最初に公務とした大量虐殺さ。奴らは人質ごと野盗を殺した、なんて噂もある。思うに、奴らの任務がクライス人の抹殺でも、驚く気にはなれないね」


 と。


「ニコラエナ様。少々お時間よろしいでしょうか」


 戻ってきたフラックの声に、レキはそちらの方を見やった。こちらからはやや遠い、階段の辺りで立ち止まっている。

 カウンター席を叩いて座るよう提案するが、彼は固辞した。それで察して、レキは席から立ち上がった。


 内緒話だ。ミハイルも気づいて、素知らぬ顔でグラス洗いに戻る。おそらくはミハイルに聞かせたくない類の話なのだろう。


 距離にして一メートルほどか。その辺りで立ち止まる。小柄な自分と大柄なフラックでは、その距離だと少し見上げる必要がある。

 口火を切ったのは、フラックの方が先だった。


「カイネたちが尋問を開始するとのことです。現状では彼らの罪状の確認と、領騎士団の命令の詳細についてですが」

「なんだ、結局やるのか。正直、意味があるかどうかは微妙なところなんだけどな」


 先ほどの承認証の件もある。かいつまんで話すと、彼は考え込むように口元に手を当てた。


「なるほど。彼らが領騎士であることは疑いようがないと」

「ああ。まあ奴らの処遇については皆で考えよう」


 計画の件もある。一人で考えていてもしょうがない問題だ。そちらについては後回しにして、改めてレキはフラックを見据えた。

 それが本題だったというわけでもないだろう。

 彼は言葉を選んで慎重に、こう切り出した。


「一つだけ、お聞きしたいことがあったのです」


 彼がわざわざ内緒話をしたいというのは、珍しいことではあった。問題があるのであれば、仲間を集めて話をするのが彼だ。その彼から、というのが気にかかる。

 彼が言ってきたのは、レキが想像していたのとは大きく違うものだった。


「――何故、あなたは戦おうとするのですか?」

「……うん?」


 レキは思わず聞き返した。

 問いかけの意味が理解できなかったわけではない。何故そんなことを聞くのか、それがわからなかったのだ。

 彼が聞いてきたのは、まさしく根本的なことだった。


「納得できなくてもいい。これだけは、聞いておきたいと思ったのです。あなたは不慮の死を遂げた王族とされている。そのあなたが何故生きていて、何を成すために戦おうとしているのか。それが聞きたいのです」


 復讐さ――そう告げるのは簡単だ。

 だがそれは“ニコラエナ”の答えではない。


「王族だから、なんてくだらないことは言わないさ」


 だから、彼女は嘘をついた。


「あたしが取り返したいのは自分の地位じゃあない。あたしは七年前の、カーライルに攻め込まれる前の平和が欲しい。クライスを取り戻せなくても、せめてクライスの民が平和に暮らしていけるなら……それが戦う理由さ。ただのエゴだよ。許せないんだ」


 何故生きているのか。その問いには答えなかった。何故かといえば答えは簡単で、レキには知る由もないからだ。

 レキが知っているのは、本物の“ニコラエナ”はどこかで生きている可能性が高いということ、それだけだ。


 だから利用すると決めた。それを知ったその日から。


 偽者が本物の名を借りて、フレイン領騎士に復讐する。それがレキの闘いだった。


 それを語ることはできない。掲げた目標と、レキの目標は乖離している。彼らは“ニコラエナ”の仲間であって、“レキ”の仲間ではないのだ。


 フラックの顔を盗み見ても、彼が嘘を信じたかどうかはわからない。彼は何も言わなかった。ただいつものように静かな目で、彼女を見るだけだ。

 それに耐え切れなくなって、レキは彼の横を通り過ぎた。背中越しに、彼に告げる。


「気に食わないなら、お前が好きな理由を考えてくれてもいい。どうせ何を言ったって、信じなければ同じことさ」


 少し寝るから後で起こせ、と付け加えて命令する。


 彼は返事はしなかったが、頷く気配だけは確かに感じ取れた。

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