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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛する妻が僕を殺しにくる

作者: とによ

 眩しい。


 強烈な光をうけ、僕はゆっくりと体を起こした。

 寝ぼけまなこをこすって、ぼんやりとした頭であたりを見渡す。


 光の正体は窓からの日光だった。

 どうやらカーテンを開けっ放しで寝ていたらしい。


 うーん、体がだるい……。喉がカラカラだ……。

 頭がうまく働かない。なんだろうこの倦怠感は……それに、


「ここは……どこだ?」


 僕がいたのは見知らぬ部屋、そして大きなベッドの上だった。


「一体なんでこんなところに……うぐっ!」


 ズキッと頭に電撃が走る。

 だ、だめだ。なにかを思い出そうにも頭が痛いし、うまく集中できない……。


「だめだ……こういう時は一旦落ち着こう」


 まずは深呼吸…………ふぅ。

 えーっと、まずは思い出せるものから思い出そう。

 僕の名前は――あれ? 僕の名前は…………


「な、なんでだ……? 名前が思い出せない……」


 手が震える。冷や汗が流れる。

 ど、どうしてだ!? まずいまずい。記憶喪失? なにか昨日頭をぶつけた?

 お、おおおお落ち着け! まずは素数を数え――


「むにゃ……」


 その時。

 ふいに横から鈴のような可愛らしい女の子の声がした。


 隣を見ると、布団が小さく山のように盛り上がっており、薄い茶髪がちょこんと布団からはみ出ている。

 明らかに人が、しかも女の人がそこにはいた。


 僕はおそるおそる布団をめくりあげる。

 すると、そこには小柄で天使みたいな女の子が。


「うわあ……きれいだ……」


 その圧倒的な美貌に思わず声が漏れる。


 陶器のように白い肌。

 長い絹みたいな髪。

 フリフリのついたパジャマ。

 まるで、というかまんまフランス人形そのものだった。


 そんなお人形さんみたい少女が「くかー」とよだれを垂らして寝ている。

 その光景をみて、僕は急速に思考が冴え渡ってきた。


 やばい……この子、めちゃくちゃタイプだ……!!

 この胸がきゅーっと締め付けられる感覚……間違いない、恋だ!

 こ、これが一目惚れってやつか……!

 やばい、付き合いたい。結婚したいくらいだ。

 何歳くらいなんだろう……中学生くらいかな?


 ……ん? でも、なんでそんな女の子と一緒に寝ているんだ僕は?

 それになんだかこの子、初めて会ったような気がしないんだけど……。


「うう~ん……。眩しい……だれぇ……?」


 日光の眩しさからか、目の前の少女は目をこすってゆっくりと起き上がってきた。

 やべっ! と思った時はもうすでに遅し、彼女とばっちり目があってしまう。


 少女は僕を見ると、目を見開いてパチパチと呆けた表情に。

 それは信じられないものを見るような驚愕の目。


 その目をこすっては、僕を見て、こすって、僕を見るを何回か繰り返した末に、


「えぇぇえええええええ!? な、なんであんたがここにぃぃぃいいいい!? あだっ!」


 後ろに飛び上がって盛大にベッドの上から転げ落ちていた。


「だ、大丈夫?」

「いっつぅぅ~! だ、大丈夫よ」

「そっか、よかったあ……。あ、はじめまして。好きです! 付き合ってください!」


 僕はそういって頭を下げて、手を彼女にむけて差し出す。

 はっ! か、体と口が勝手に動いてしまった……!

 でも、しょうがないじゃないか。だって可愛いんだもの……!


 すると彼女は、僕の言葉に「はあ?」と言って、思いっきり眉をひそめる。


「何言ってんの? 私とあんたは結婚してたでしょ。ますます馬鹿が加速したの?」

「……ほえ?」


 彼女の言葉に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。


 え、僕がこの美少女と結婚してる? は?

 いや、どういうこと? 全然記憶にないんだけど……。


「もしかして……覚えてないの? 私の名前わかる?」

「ご、ごめん。覚えてないや……」

都原(とはら)レナ! あんた押切愛(おしきりあい)の妻よ! そんな大事なことも忘れちゃったの……?」


 そういってレナと名乗る少女はしゅん……っと悲しげな顔する。


 ……なんだか感情表現豊かな子だなあ。好き。

 きっと笑った顔とかもかわいいんだろうなあ……。


「ねえ? 聞いてる? 顔、キモいんだけど」

「ああ、ごめんごめん。正直、自分の名前すら覚えてなかったんだ。……そっか、君と僕は夫婦なんだね」

「うっ……な、なんか改めて言われると照れるわね……」


 レナは顔を赤らめて、ポリポリと顔をかく。


 僕は不思議な気持ちになった。

 なんというか急に棚からぼた餅が落ちてきた気分だ。青天の霹靂とも言うかもしれない。

 というか、なんでそんな大事なことを忘れてたんだろ。僕は馬鹿なのか?


「はあ……まあいいわ。今更なに言ったって仕方ないもんね――ってアンタそれ」


 ふいにレナは僕の体を指差す。

 なにかついてるのか? と思って体を調べるがなにもついてない。


「別になにもないよ?」

「そうじゃない。あんたの肌。そんな白くて薄くなかったでしょ」

「そうなの? よくわからないや」

「……もしかして。あんた体だるかったりしない?」

「あー、確かに体が重いというか、風邪ひいた時みたいな感じがするね」

「やっぱり……ってことはまだ……そっか……」


 レナはうつむいてぶつぶつと呟く。

 なんだかその様子が妙に真に迫っている感じがして、話しかけるのをためらってしまった。


 数秒ほどレナを見守ってると彼女は急に顔あげて、早足で部屋の外へ出ていってしまう。

 なんだか決心したような顔をしてたけど、どうしたんだろうか。


 気になった僕は彼女のあとを追いかける。

 階段を降りてリビングに入ると、彼女はキッチンにポツンと立っていた。

 なにやらうわ言のように「私ならできる」と呟いているけど……あっ、こっち向いた。


 レナは元々ツリ目がちの目を更につり上げ、歯を食いしばっている。

 まるで威嚇をする虎みたいだ。


 そして手には包丁が握りしめられていて、勢いよくこっちに――


「死ねぇええええ!!!!」

「危なあ!?」


 反射的にレナの突進を避けた。

 包丁の切っ先が空を切る。

 プルプルと震える彼女の両手は、間違いなく僕を刺しに来ていた。


「ちょ! い、いきなり何するの!?」

「……殺す」

「へ?」

「アンタを殺すっていってんの!! 死んで!!」


 半分涙目になって包丁を振り回してくるレナ。

 ちょ、あぶなっ! ま、マジでしゃれになってないから!!


 たまらずリビングを飛び出し、そのまま外へ出る。

 もちろん、彼女も追ってきた。いやいやいや怖い怖い怖い。


「だ、誰か助けてください!! 妻に殺されそうになってます!!」


 僕は精一杯の声を上げて、通行人に助けを求める。

 しかし、なぜか道行く人達は全員なぜか微笑ましいものを見る目でこちらを見てくる。

 それどころか、


「おねーちゃーん! がんばれー!」

「いけー! 殺せー!」


 と、むしろレナを応援してくるのだ。


 な、なんなんだこの世界!? 僕がなにかしたって言うのかよ!?

 周りに助けを求めてもだめだと思った僕は、とにかく必死で逃げる。


 そうして僕、押切愛の一日は、妻に殺されそうになることから始まったのだった。


  ※


「はぁ……はぁ……に、逃げられたか……?」


 レナの声が聞こえなくなったことに気付き、僕は後ろを振り向く。

 ……誰もいない。声も聞こえない。

 な、なんとか振り切れたようだ。よかった……。


「というかここはどこだ? どこかの学校みたいだけど……」


 僕はいつの間にかどこかの学校の校舎に入ってしまっていた。

 がむしゃらに走っているうちにここに来てしまったみたいだ。


「しかし、人の気配がないな。休みなのか? それに――」


 懐かしい……。

 僕はこの光景を見たことがある気がする。

 なんだろう、無性にこの学校が気になって仕方がない。


 少し悩んだ末に、僕は校舎の中を歩きまわることにした。

 しばらく歩いてると、ふいに手前の教室の中から声が聞こえてくる。

 僕はそーっと窓から教室を覗いてみた。


 ――っ!? あ、あれは……レナ!?


 そこには学生服を身にまとった妻の姿が。

 彼女はなにやら不機嫌そうに肘をついて、窓の外を見ていた。


 しかし、僕が驚いたのはそれだけではない。

 レナの体が透けているのだ。まるでホログラムのように。


 そこで僕はポンと手をうつ。


 そっか。これは夢だ! そうに違いない!

 愛する妻が殺しにくるわけがないし、それを止めない人たちなんてありえない。

 ましてや、こんな幽霊みたいな幼い頃の妻がいるわけないし。そういうことか。


 そう一人で納得して頷いていると、教室の中では一人の男子生徒がレナに話しかけていた。


『はじめまして! 押切愛って言います! 好きです! 付き合ってください!』


 そういって頭をさげ、手を差し出す男子生徒……え? 押切愛?

 ええっ!? も、もしかしてあれ僕!?

 うわっ、いきなり告白してるよ! こわっ!

 でも、めちゃくちゃわかる……。可愛いもんね。


『……』


 しかし、レナはもうひとりのボクに見向きもせず、ずっと窓の外を見つめたままだった。


『あれ? 聞いてる? あ、もしかしてプロポーズがお望みだった? でもごめんね。やっぱり段階ってものがあると思うからさ。僕たち学生だし。でも勿論ゆくゆくは結婚も考えてるからね! 安心してね!』

『……』

『だから、結婚を前提に付き合ってください!』

『……』

『あー! そうやってツーンとしている顔も可愛い! 照れなくても僕はわかってるからね! あ、そうだ。初デートの場所はどうする? やっぱりベタに水族館とか遊園地とか? あ、もちろんレナさんが行きたい場所があるならそこでいいよ! いや、そこにしよう!』

『……キモい』


 ため息をはいて、ガタッと立ち上がるレナ。

 そのままドアに向かって歩いていく。


『あ、レナさんどこいくの? あ、そっか。ここじゃ返事しづらいもんね。ごめんね気がきかなくて』

『ついてこないでキ○ガイ。あと私、恋愛とか興味ないから。それじゃ』


 そういってレナはガラリと扉を開けて出ていった。

 すると、その瞬間レナとボクの姿はシュンと霧のように消え去る。


「思い出した……。そういえばここは母校じゃないか」


 このやけに見覚えのある教室、廊下、窓からの景色。

 ここは間違いなく僕の母校の高校だった。


 そうだ。レナと出会ったのもここだった。

 一目惚れした僕が何度も何度もアタックしたんだっけ。懐かしいなあ……。


 なんでこんなこと今になって思い出したんだろう。大切な思い出のはずなのに。

 夢の中だからだろうか? うーん、だとしても悔しい……。


 そんなことを考えていると、また声が聞こえてくる。

 いつの間にかボクとレナの姿がまた教室の中に現れていた。


 ボクとレナは向かい合って一緒に弁当を食べているようだ。


『ねえねえ、子供は何人がいい?』

『……』

『僕は二人ほしいかなあ。やっぱり兄弟、姉妹っていうのは凄くいいものだからね。あ、でもでもレナさんの負担になるかもしれないから、一人でもいいかも! 一人のほうが愛情たっぷりに育てられるかもだしね!』

『へー』

『結婚式はどうしようか? やっぱりここはハワイにしない? あ、お金は僕がちゃんと稼ぐから安心してね!』

『あっそ』

『あ、それと入籍日はどうしようか? レナさんは頭がいいから大学進学するよね? だとしたら僕も頑張らなきゃな~。やっぱり社会人になってからの方がいいよね!』

『知らない』

『そうそう! あとはマイホームのことなんだけど――』


 さっきとは打って変わって凄く話が盛り上がっているようだった。

 はたから見てもかなり距離は縮まってる。当社比で。


 なんというか我ながらとても微笑ましい。

 なるほど……おじさんが若者の恋愛を温かい目で見つめる気持ちが、少しわかった気がする。


 しばらくすると、話のタネが尽きたのかお互い黙ってしまっていた。


『……あ、そうだ! ねえ、しりとりしない? しりとり』

『しない』

『い? じゃあ、許嫁!』

『はぁ……結婚。はい、終わり』

『結婚!? やっぱり僕と』

『しない。キモい。ありえない』

『ああっ! その罵声いいね! 可愛い声とのギャップがたまらないよ!!』

『……死ね』

『ねえ、さっきからウザいんだけど』


 なんてじゃれ合ってると、一人の柄の悪そうなギャルが現れる。

 ……あ、思い出した。こいつ確かレナをいじめていたグループの主犯格だ。


 僕はこいつが嫌いだった。

 レナの美貌に嫉妬したのかなんなのか知らないが、やたらとレナに突っかかっては変な噂を流したり、水をぶっかけたり、物を隠していたらしい。(僕は転校生だったのでいじめのことはこの時は知らなかった)


『……なに?』

『都原さあ、最近ちょーし乗ってない? いちゃつくなら他でやってよね。また水ぶっかけるよ?』


 すると、ぎゃはははと耳障りな下品な声が聞こえてくる。

 教室の後ろに陣取っているギャルグループからだ。


『うるさい。いちゃついてないし』

『はあ? なにその態度。むかつくんだけど』


 そういって糞ギャルはレナの弁当箱を無理やり取り上げる。

 レナが『ちょっ、なにすんのよ!』というが、構わずギャルは窓をガラッと開けてレナの弁当箱を投げ捨ててしまった。


『……』


 呆然とするレナ。

 それを見て醜く爆笑するギャルたち。


「この野郎……」


 僕は怒りに任せて、教室のドアをバンッと勢いよく開ける。

 こいつら、ぶっ殺してやりてぇ……。


 しかし、誰も僕に気づく様子はない。

 やはりこのホログラムのようなボクたちは、あくまで思い出のリプレイであり、僕が関与する余地はないようだった。


『この野郎……』


 すると、僕が放った言葉と同じセリフが聞こえてくる。

 ボクの声だ。


 鬼のような形相をしながら、ボクは弁当箱を投げ捨てたギャルに掴みかかる。


『なにしてんだてめぇぇえええ! レナさんの手料理になんてことしてくれてんだぁぁあああああ!?』

『な、なんだよ。あんたらがうるさいのがいけないんでしょ!?』

『黙れあばずれがぁ!! やっていいことと悪いことの区別もわかんねぇのかよ!』

『う、うるさい! てめぇも気持ち悪いんだよ! くっさい言葉吐き散らかして、こっちだっていい迷惑なんだよ!!』

『このっ……!』

『ひっ』


 ボクは拳を振り上げて、まさに殴りかかろうとしたその時。


『やめなさいっ!!!!』

『――っ!』


 レナが強烈な叫び声を上げる。

 その瞬間、ピタッと動きをとめたボクを彼女は睨んできた。


『あんた。今、殴ろうとしたでしょ? そんなことしたらどうなると思ってるのよ。良くて停学。下手すりゃ警察沙汰よ? やっていいこと悪いことの区別がついてないのはあんたもでしょ』

『……ごめん』

『誰に謝ってんのよ。大体、私のせいであんたの経歴に傷がついたりしたら、それこそ嫌な気分になるわよ。私は平気。だからもう構わないで』


 そういってレナは教室を飛び出していく。

 走り去っていくその背中は、なんだかひどく小さくて、泣きそうなように見えた。


 ボクは急いでそのあとを追いかけていく。もちろん僕もだ。


 弁当が捨てられた中庭にたどり着くと、彼女は弁当の中身を一人ぽつんと拾い上げていた。

 周りに出現している生徒たちは、それを遠目に見つめるだけで誰も助けようとしない。


 ボクはレナの横に並ぶと、しゃがみこんで拾うのを手伝おうとする。

 レナは一瞬驚いた顔になるが、すぐにキッと目を鋭くして睨んできた。


『……さっき私に構わないでって言わなかった?』

『うん。言ったね』

『じゃあ、やめてよ。私なんかに関わってもいいこと一つもないわよ』

『そんなことないよ』

『そんなことあるわよ』

『ないって。だって僕は君と出会ってから毎日がハッピーだもん』

『……なにそれ。ほんと馬鹿。そういうとこ大嫌い』


 それ以降、レナは何も言わず、ボクが手伝うことを拒んだりはしなかった。

 そして数分が経ち、弁当の中身を回収し終えると、レナは立ち上がる。


『それ、どうするの?』

『捨てるに決まってるでしょ』

『……ちょっと貸して』

『? 別に、いいけど』


 レナはボクに弁当箱を渡す。

 弁当箱を受け取ると、ボクはくるっと引き返してどこかに向かい始めた。


『ちょっ、どこいくつもりなの?』

『水道だけど』

『す、水道? なんで?』

『ん? いや、水で洗わないと食べれないじゃん』

『はあ!?』


 目を見開いて驚くレナ。

 それとは対照的に落ち着いて「あ、そうそう」と人さし指を立てるボク。


『僕、もう一つ弁当作ってきてるからさ。それとレナさんの弁当交換ってことでどう?』

『いや、どう? って聞かれても、だめよそんなの! あんたお腹こわしちゃうわよ! それになんでもう一つ弁当作ってきてるのよ!』

『レナさんが忘れたとき用にちょっと。ぼく料理好きだし、最悪夕飯にすればいいからね』

『……やっぱあんたおかしいわよ。なんで私なんかのためにそこまでするの?』


 ボクはうーんと天を見上げること数秒。

 顔を戻して、レナにむけてぐっと親指を突き立てる。


『好きだからさ!』

『またそれ……言っておくけど私はあんたのこと好きじゃないから』

『んー、じゃあ僕のこと嫌い?』

『嫌い』

『じゃあ、僕はそれ以上に大好きだ! 絶対値的に!』


 ボクは両手を大きく広げて愛の大きさを表現してみせた。

 レナはボクの言葉にガクッと肩を落とす。


『はぁ……あんたなんなのよホント……』

『君の未来の夫?』

『……あのさ。そこまで好きだっていうなら、私のどこが好きなのよ?』

『顔!!』


 ボクの言葉にフッと失笑するレナ。


『やっぱりあんたも他の男と同じじゃない。忠告しておくけど、こんな根暗で陰気な女やめといたほうがいいわよ』

『待って、最後まで聞いて。きっかけは顔であることは否定しないけど、こんなに君を愛してるのは違う理由があるんだよ』

『……その違う理由ってなによ』

『君の心の顔が好きなんだ』


 レナはその言葉に眉をひそめ、しかめっ面になった。


『心の顔ぉ? なにそれ?』

『喜怒哀楽の感情表現のことだよ。心の表情って言ったほうがわかりやすいかな。君ってさ、いつも不機嫌で世界を憎んでるようなすごい顔してるでしょ?』

『なに? 喧嘩売ってんの?』

『違う違う。それだけ気持ちが顔に出せるくらいに感情表現豊かだってことだよ。これは僕の持論なんだけど、怒りとか悲しみとか思いっきり表現できる人って笑顔もすごく綺麗なんだよね。レナさんもだから同じなんだ』

『……私、あんたの前で笑ったことないと思うけど』

『うん。だから見てみたいんだよね。レナさんの明るい顔を』


 ボクは「だからさ」といって話を続ける。


『そのためなら僕はなんだってするし、君の味方でありたいし、ずっと側にいたい』

『……っ』

『あ、どう? 決まった? 惚れ直した?』

『ほ、惚れてなんかない! キモイ! 最低!』


 顔を少し赤らめて早歩きでその場を離れていくレナ。

 そこで2人の姿はしゅんと消え去る。


 これも懐かしい。

 じわじわと頭の中がクリアになっていく感覚がする。

 徐々に記憶が戻っできてる感じ。


 そして、この流れだと次はきっとあのシーンに違いない!


 僕は急いでさっきまでいた教室へと走る。

 ……なんだろう。気持ち体がさっきよりも軽い気がする。

 気持ちが高ぶってるせいなのかな。体調がどんどん回復している感じがする。


 教室にたどり着くと、予想通り教室にはボクとレナ、その他のクラスメイト達が出現していた。


 その中で先生が気だるそうに口を開く。


『はい。じゃあ、これにてホームルームを終わりにします。なにか連絡事項のある人はいますか?』

『はい!』


 勢いよくボクが手をあげる。


『押切くん、珍しいですね。どうぞ』


 先生に促され、ボクは席を立つ。

 そして大きく息を吸い込むと、


『私、押切愛は!! 都原レナさんを!! 愛していまぁぁああああす!!!!』


 ビリビリと鳴り響くボクの大声。

 その瞬間、誰もがぽかーんと口を開いて固まる。


 唯一レナだけが顔を真っ赤にして、口をパクパクと鯉のように震わせていた。


『お、押切くん。い、いきなりなんですか。ふざけるのはやめてもらえますか』

『待ってください先生。僕はふざけてなんかいません。もう少し時間をください』


 先生を手で制すと、ボクはくるっと後ろを振り返って後ろにいるギャルたちを指さす。


『僕は彼女が大好きです。だから彼女を傷つけるやつを絶対に許さない。……なあ、そこのクソ野郎ども? 今度、レナさんをいじめたりしたら――本気で後悔させてやるからな?』


 ボクがギラリと睨みつけると、ギャルたちは「ひいっ……!」とたじろいだ。

 それを確認し、ボクは満足気にレナのほうに振り向くと、満面の笑みで


『レナさん! 僕は味方だからね! ずっと僕が守ってあげるから!』


 と言うと、レナはぷるぷると体を震わせ、筆箱を取り、そして大きく振りかぶって


『敵はお前じゃああああああ!! この馬鹿ぁぁああああああああああああああ!!!!』


 筆箱をぶん投げてきた。

 それがボクの顔面にクリーンヒットした所でボクたちは消えていく。


 僕はこの光景に、思わず口角が上がりそうになった。


 そうだよな。お前(ぼく)ならそうするよな。

 (おまえ)だってそうする。

 だって、好きな女の子がいたら居ても立ってもいられない。

 それが僕なんだから。


「見つけたわよ……! はぁ……はぁ……」


 しみじみと感傷にふけっていると、いつの間にかレナがそこにいた。いつの間に。


「おお、大分息上がってるね。大丈夫?」

「誰のせいだと思ってんのよ……!」


 ギリリと歯ぎしりして睨んでくるレナ。

 うおお……こ、怖い。

 さっき殺そうとしてきた時よりも殺気を感じる。


「ま、まあまあ、落ち着いて。ゆっくり深呼吸しよう?」

「落ち着けるか! 死ね!」


 レナは既視感のあるフォームで包丁をぶん投げてきた。

 顔面めがけて迫ってくる包丁を、僕は上体を横にそらして避ける。


 あっぶな……! さっきの思い出を見てなかったら避けられなかったかも……!


「む、むやみに凶器を投げないでよ……! 君にあのとき投げられた筆箱とは、比べ物にならないくらい危険なんだから……!」

「殺すつもりなんだからあたりま――え? あの時って?」

「君が筆箱なげてきたじゃん。あのホームルームのとき」

「あ、あれか……。ほんっと、あんたのダメなところを詰め込んだみたいな思い出よね。あ~、いつ思い出しても顔が熱くなるわ」

「あはは。でも、嬉しかったでしょ?」

「そ、そんなわけないでしょ! 恥ずかしくてしょうがなかったわよ!」

「え。ほんとに?」

「マジに決まってるでしょ」

「……そっかぁ。それはちょっと、ショックだなぁ」


 がっくりと肩を落とす。

 僕的にかなりキマった! と思ったんだけどなあ……。

 筆箱を投げてきたのは照れ隠しかと思ってた。

 これじゃあ僕ただの恥ずかしいやつじゃん。うう、泣きそう。


「な、なに落ち込んでんのよ……。あんたらしくない」

「死のう……」

「メンタル弱っ!? そんなことで死ぬんじゃないわよ! いや、死んでほしいんだけどね!?」


 その言葉に僕は更に落ち込む。


 うう……、また死んでほしいって言われた……。

 さっさとこの夢から覚めて、本当に現実に戻りたくなってくる……。

 早く死にたい。この記憶も消え去った上で。


 僕がうつむいていじけていると、ちょんちょんと頭をつついてくる感触が。

 顔をあげると、そこには顔をさっき以上に真っ赤にしたレナがいた。


「……さっきのは嘘。ちょ、ちょっとだけ、その、嬉しかった」

「……」

「な、なによ。その呆けた顔は」

「れ、レナさぁぁああああん!!!!」

「ぎゃあ!?」


 僕は思いっきりレナに抱きつく。


 ああ、良かった! やっぱり喜んでくれてたんだ!

 嬉しい! 僕の行動は間違ってなかったことがこれで証明された!

 よかったぁぁああああああああ!!


「は、離れなさい! ひゃあ!? に、匂いをかぐなあ! こっの……!」


 ゴツン。

 その時、頭に強い衝撃が走る。


 僕は反射的に頭をおさえて、彼女から離れた。


「な、なにもグーで殴らなくても……」

「あんたが一向に離れないからでしょ!?」

「いやだって愛が止まらなくて。渋滞が一気に開放されてしまったというか」

「少しは交通規制かけろ馬鹿! というか私の名前は覚えてなかったくせに、変なことは覚えてるのねっ」


 レナは口を尖らせて、すねたような表情になる。

 それを聞いて、僕はぶんぶんと手を横にふった。


「いや、僕もさっき君に筆箱を投げられるところを見たばかりなんだ」

「見た? どういうこと?」

「なんかよくわからないけど、ホログラムみたいな学生時代のボクたちが教室に現れたんだよ。そいつらのやりとりを見て、僕も思い出したって感じ」

「……マジ?」


 僕の言葉を聞いた瞬間、さーっと血の気が引いていくレナ。

 ど、どうしたんだろう。なにかまずいことでもあったのだろうか……?


「まずいわね。だんだんと……手遅れになる前に……」


 またぶつぶつとなにかを呟きはじめたレナ。

 あ、この流れは……。嫌な予感がする。


 彼女が動き出す前に、僕はダッシュで逃げる。


「あっ! ちょっと待ちなさい!」


 それに続いてレナが追いかけてきた。

 しかし、やはりそこは男女の差。ぐんぐんと彼女から離れていく。


 まだ殺されてたまるもんか……! こんな面白い夢、堪能しなきゃもったいない!

 急いで階段をおり、校舎とでようとする。すると、


「って、あれ? さっきと同じ場所だ」


 そこは僕たちの学年の渡り廊下だった。


 ど、どういうことだ? 確かに階段をおりてきたはずなのに。

 ……いや、夢なんだからなにが起こってもおかしくないのか。


 なんて一人で納得していると、急に目の前にまたボクとレナが現れる。

 レナはむすっと不機嫌そうな表情。

 一方、ボクはニコニコと彼女のあとについている。


『ちょっと……ついてこないでよ』

『そうもいかないよ。君を守るって決めたんだから。君のそばにいないと、もしもの時に助けてあげられないでしょ?』

『あれ、本気だったのね……。はぁ、もういいわ。好きにして』

『おっ。珍しく素直だね?』

『どうせ何言っても、勝手についてくるんでしょ?』

『うん。そうだね! やっと僕のことをわかってくれたんだ。そろそろ付き合う?』


 その瞬間、レナはピタッと動きを止めて後ろを振り返る。

 振り返ったレナの顔は真っ赤に染まっていた。


『つ、付き合わない! なんでそうなるの! もう!』

『じゃあ、代わりにしりとりしようよ』

『それこそなんでよ! 全然関係ないじゃない!』

『だって、話題ないし。それとも僕がいかにレナさんを愛してるか語ろうか?』

『絶対イヤ。わかったわよ! しりとりするわよ! すればいいんでしょ!』

『やった! じゃあ、僕からね。好き!』

『えぇ……こういうときって「しりとり」から始めるんでしょ……。キーホルダー』

『大好き』

『……っ! き、キモい』

『一番好き!』

『嫌い!!! もうしりとりでもなんでもないじゃない!!! もうっ! 馬鹿っ!』』


 その言葉を最後にボクたちは消える。


 やはりあのホームルームの一件から、レナは僕に対して柔らかい態度になっているようだ。

 まあ、嬉しかったっていってたもんなあ。

 結果的に僕の行動は間違ってなかったらしい。

 まあ、今こうやって殺されそうになってるんですけどね。夢の中とはいえ。


 というか、なんで殺されそうになってる夢を見ているのだろうか。

 もしかして、なにか不吉なことの前兆だったりして。

 正夢とか、そういうのはやめてほしい。

 ……なんだか、ますます殺されたくなくなってきたぞ。


 なんて考えてると、遠くから「まてぇえええ」とレナの声が聞こえてきた。


 お、結構近いかも。逃げなきゃ。

 僕は急いで渡り廊下抜けて、校舎の外へでると


「うわぁ……海だ」


 ギラギラと照りつける強い日差し。

 サラサラとした砂浜。

 青く透き通った綺麗な海。


 誰がどうみてもそこは夏の海だった。

 そして予定調和のように現れるボクとレナさん。


 彼女は水色ワンピースの水着を着ていて、なぜかうんざりとしたような表情をしていた。


『いやあ! いい海水浴びよりだね! レナさん!!』

『そうね。海は綺麗だし、比較的人は少ないし最高ね。あんたが隣にいなければ』

『でも、商店街のふくびきを当てたの僕だし。それに誘ったら嫌な顔せずにOKしてくれたじゃん』

『あんたが無理やり連れてきたんじゃない! 私は勉強とかしてたかったのに……ぶつぶつ』

『じゃあ、断ってもよかったのに』

『う……。そ、それはそうだけど……』

『やっぱり口ではそういっても、なんだかんだ僕のこと好きなんだよね! 付き合おう!』

『嫌だっていってんでしょ! まだそういう関係にはならないわよ!』

『まだってことは、もしかしていつか!?』

『ち、違う! そんなわけないでしょ!』

『その割には顔赤いけど。やっぱり僕のこと嫌いじゃないよね?』

『~っ! し、知らない! もう私行くから!』

『あっ、待ってよ! 一緒に遊ぼうよ!』


 そうして海へ消えていくボクたち。


 あー、夏休みにこんなこともあったな。

 というかこれ、だんだん時が進んでるよね?


 時系列順で思い出が現れているみたいだ。

 僕とレナが仲良くなっていく過程を客観的に見れるなんて。

 ほんと面白い夢だ。

 余計にまだ殺されたくないな。もう少し見たい。


『ちょ、ちょっと! なにすんのよ!』


 気がつくと、すぐ横にレナが出現する。

 彼女はガラの悪そうな男たちに絡まれており、腕を掴まれているようだ。


『へっへっへ、いいじゃん。一人なんでしょ? 俺たちと遊ぼうぜ~?』

『ひ、一人じゃないし。一応……不本意だけど……』

『じゃあ、その子も混ぜて遊ぼうぜ~? なぁ、いいでしょ? 悪いようには――

『おい。なにしてんだお前ら』


 その時、後ろから焼きそばや飲み物などを持ったボクが現れる。

 すると、レナはパァっと顔を明るくして、ボクの腕にしがみついた。


『こ、この人私の友達だから! だから、あんたらとは遊べないから!』


 男たちは一瞬ポカンとした表情になったかと思うと、次の瞬間ぎゃはははと爆笑する。


『え? こんなヒョロいやつと遊んでんの? 嘘だろ?』

『流石に見る目ないって~。ぜってぇ俺たちと遊んだほうが楽しいって~』

『しかも、こいつさっき売店で「僕たちの愛を育むやきそば2つください」とかいってたキ○ガイじゃん! やば、笑える』


 ものの見事に言われ放題だ。

 こ、こいつら……めちゃくちゃムカつく……。


 僕と同じくボクも相当イラついているようで、ピクピクと顔を引きつらせている。

 なにか言い返そうと口を開こうとすると――ふいにレナがボクの目の前に出てきた。


 レナはぷるぷると拳を震わせながら、男たちをギロリと睨みつける。


『こ、こいつを馬鹿にするなぁ!! 確かにこいつはキ○ガイで、馬鹿だし、空気も読めないし、デリカシーないし、キモい!! けど、私のこと好きって言ってくれるし、何を言ってもそばにいてくれるし、いつでも守ってくれるし、私を第一に考えてくれてる!! あんた達みたいなやつらとは違う!!!!』


 そう言って、がるる……! と虎のように威嚇するレナ。


 すると、彼女の大声に周りの人たちも何事かと集まってくる。

 周りの視線に気まずくなったのか、男たちは「お、おいもう行こうぜ」「なんか冷めたわ」と捨て台詞を残して消えていった。


 僕とボクは呆然とする。

 予想だにしていなかった彼女の激昂。しかもその理由が僕に起因してるということに、驚きを隠せなかった。

 れ、レナが僕のために怒ってくれてる。

 やばい、めちゃくちゃ嬉しい……!

 これだけでご飯が何杯でも食べれそうなくらいだ。


 男たちが去っていくと、レナはぺたんとその場に座り込む。


『よ、よかったぁ~。なんとかなったわね』

『……』

『ねぇ、あんた――ってなんで泣いてんのよ!? キモいんだけど!』

『レナさんがデレたのが嬉しくて……ううう……』

『はぁ!? デレてるわけじゃないわよ! 友達としていいところと悪いところを挙げただけだから! そ、それに、あんたが馬鹿にされるの、なんか嫌だったし……』


 レナはつんつんと指を突き合わせて、顔を赤らめる。

 それをデレてるっていうと思うんだけどなぁ……。


『そっかあ……でも、レナさん? さっき言ってること一つだけ間違ってるよ』

『は? どこがよ』

『僕たちは友達じゃない』

『え……』

『僕たちは友達じゃなくて夫婦でしょ?』


 その言葉にレナはガクッとずっこける。


『そ、そういうことね。よかっ――じゃなくて! 馬鹿! 最低!! 死ね!!』

『あ、待ってよ! どこいくのレナさん? おーい』

『ああ、もう最悪……。なんであの時、こいつの事かっこよく見えたんだろ……。最悪最悪最悪……』


 レナはどんどん先へ行ってしまい、それをボクは追いかけ、そして消えていく。

 そして、示し合わせたようにまた後ろから彼女の声が聞こえてきた。


 もちろん、まだ殺されたくはないので逃げる。

 まだまだ知りたい。見たい。思い出したい。

 可愛い妻がどんどん可愛くなっていく過程なんて、何度見たって足らないくらいだ。


 そこからは彼女から逃げながら、まるで走馬灯のように様々な思い出を見ていった。


 ――文化祭。


『ちょっと! あんた何勝手にカップルコンテストにエントリーしてんのよ!』

『え、そりゃ付き合ってるし』

『どこの世界線の話をしてんのよ! こんなもん棄権じゃー!』

『残念! もうキャンセル無理なんだ! ほら、腹くくってくくって』

『いやー! 誰か助けてー!』


 5時間後。


『優勝しちゃった……。どうしてこうなった』

『いやぁ~、やっぱりみんな見る目あるよね~。ゆっくり愛を育ててきた甲斐があったね!』

『育ててない! ああもう最悪の日だわ。死にたい』

『なんでそんなに落ち込んでるの? 優勝したとき、ちょっとガッツポーズしてたのに』

『!? み、見てたの!?』

『当たり前じゃん。いつでもレナさんのことしか見てないよ』

『ぐっ……! や、やめて! それ以上、言うな! この最低人たらしクズ人間!! 嬉しいとか思ってないからね!? 思ってないんだからぁぁあああああ!!!!』


 ――受験勉強。


『それでここにこの数式を当てはめると、こうなるでしょ?』

『なるほど……。流石、レナさん! 主席! 天才!』

『ふふん。もっと言いなさい』

『好き! 愛してる! 結婚して!』

『……前から思ってたんだけど、あんまり好きとか愛してるとか言わないでよね』

『え? なんで?』

『そ、それは、その……あ、愛はちょっとずつ囁いてくれないと、なんか薄っぺらく感じちゃうから……』


 レナはそう言って、すねたように口を尖らせる。

 その言葉にボクは思わず、呆けたように固まってしまった。


『……』

『や、やっぱ今のなし! 嘘だから! 冗談! ジョークジョーク!』

『……しよう』

『はい?』

『結婚しよう! いや、絶対結婚する!!』


 ボクは勢いよくギュッとレナの手をにぎる。

 レナは「ふぇっ」と声を漏らして、ゆでダコのように赤くなった。


『い、いきなり手を握らないでよ!』

『だってレナさんが可愛すぎて……はぁ、つれぇ……』

『……そんなに私のことが好きなら、ちゃんと勉強して、合格してよね』

『もちろん! レナさんと同じ大学にいきたいし! 頑張るよ!』

『うん、それならよし。……私だってあんたがいないと寂しいんだから……』

『? なにか言った?』

『別に。ほら、次の問題にいくわよ』


 ――正月。


『やっぱり初詣は人が多いわね』

『うん。そうだね』

『家族連れも多いわね』

『うん。そうだね』

『……』

『痛い痛い痛い! 頬つねらないで!』

『あんた、さっきから他の小さい女の子ばかり見てんじゃないわよ……! 小さければ誰でもいいのかしら……? この変態スケコマシ浮気性ロリコン野郎』

『ち、違うって。子供じゃなくて家族を見てたんだよ。僕たちが結婚したらどんな感じになるんだろうなぁって想像してたんだ』

『……なんだ、紛らわしいわね』

『僕がレナさん以外に見惚れるわけないって。安心した?』

『べ、別に。あんたが犯罪に手を染めないか心配になっただけ。ほら、さっさとお参りして、お守り買って帰るわよ』


 そうしてボクたちは参拝をして、お守りを買う。


『ほら。これアンタのぶん。合格祈願のお守り』

『ありがとう! じゃあ、これ。レナさんのぶん』

『? ありがと――ってこれ、縁結びのお守りじゃない! なに買ってんのよ!?』

『だってレナさんと結婚したいし。二人でおんなじものを買えば、できるかなって』

『ほんと呆れた。……別にそんなの買わなくてもいいのに』

『つれないなぁ。ま、そういうツンとしたところも可愛いんだけどね』

『そういう意味じゃ……まあ、いっか。帰るわよ』



 ――合格発表。


『やったぁぁああああああ!! 受かったぁぁああああああ!!』

『……』

『やったよレナさん!! 僕やったよ!!』

『……』

『レナさん? どうした――えっ?』


 レナは涙目になって、ボクにギュッとしがみついてきた。


『よかった……。あんたが落ちてたらどうしようって……本当によかった……』

『うん。僕もよかった』

『ごめん。もう少しだけ、このままでいさせて。ごめん』

『うん、大丈夫。いつまでも、待つから』


 ――そして、卒業式当日。


『レナさんレナさん。卒業アルバム貸してー』

『は? なんで』

『あれやりたい! アルバムの後ろにある白いページに書き込むやつ! なんか青春って感じがしない?』

『別にしないけど。まあ、別にいいわ。ほら』

『ありがとう! ……よしっ、書けた!』


 ボクがアルバムに書き終えて、レナに返す。

 そこには「好きです! 結婚してください!」と書き込まれていた。


『ほんと懲りないわね……。ちょっと、あんたのアルバムも貸しなさい』

『え、うん。いいけど。はい』

『……ん、これが返事』


 返してもらったアルバムには一言「やだ」と書かれていた。


『ははっ。ダメかー! 残念だなぁ~。でもなんか僕達らし……え?』


 突然、レナがボクの手に触れてきた。

 ボクが驚いていると、彼女は手を動かして、指を絡ませるように握ってくる。


 それはいわゆる、恋人つなぎというやつで――


『け、結婚は、まだダメ……だから、その、第一段階として……』


 その言葉。この繋がれた手。

 これは、もしかして……


 ボクは手を握り返し、少し息を吐いて、何回も言ったあの言葉をレナに伝える。


『レナさん、僕と付き合ってください』

『………はい』


 そしてその瞬間、ボクとレナはまた霧のように消え去った。


  ※



「や、やっと追いついた……」


 僕がさっきの告白の余韻に浸っていると、すぐ横にはレナがいた。

 かなり肩で息をしており、汗だくである。


「おー、追いついたか。おつかれさまー」

「こ、こいつ、本当に殺したい……。っていうか、だいぶ肌の色が変わってきたわね……やばいやばい。殺さなきゃ……」


 レナは刀を構えるがごとく包丁をもって、じりじりと近づいてきた。

 その顔には涙がうかんでいて、今にも泣きだしてしまいそう。

 まさに彼女は切羽詰まっているようで、殺気よりもなにか焦りのようなものを感じた。

 だから僕は


「うん。じゃあ、殺していいよ」


 とレナにそう言ってあげる。

 まあ、もう夢としては十分すぎるくらい堪能したからね。

 いい加減目を覚ましたいし、もう頃合いだろう。


 殺されるより、自分から殺されにいったほうが寝覚めがマシな気がするし。

 そういえば夢の中で死ぬこと自体は悪いことじゃないとか、そんな話を聞いたことがある気がする。まあ、妻に殺されるのはどうなのか知らないけど。


 それになにより――彼女が困ってるからね。助けなきゃ。


 僕の言葉を聞いた彼女は、口を開けてポカンとした表情に。


「え……? きゅ、急になによ。どうしちゃったの?」

「ん? だって僕のこと殺したいんでしょ? だからはい、どうぞ殺してください」

「なんでいきなり。さっきまで逃げまくってたくせに」

「んー、まあ、さっきまでは殺されるのが嫌だったけど、今は違うかな。だって、君が泣きそうな顔してるんだもん」


 僕はレナに近づいて、目尻の涙を指で拭ってあげる。


「前にもいったでしょ? 君には明るくいてほしい、そのためならなんだってするって」

「そ、それはそうだけど。こ、怖くないの?」

「そりゃ怖いよ。でも、君がそうしたいなら僕は叶えてあげたい。それに別に憎くて僕を殺すんじゃないんでしょ? 良かれと思ってそうしてくれるんでしょ? 君は優しいから。だから僕はそれを信じる」


 僕がそういうと、レナはうつむいてぷるぷると体を震わせた。

 どんな表情をしているのか、こちらからでは伺うことができない。


「……あんたって馬鹿よね。わかってるつもりだったけど、そこまで馬鹿だと感心するわ。ほんとそういうところ、大嫌い」

「うん」

「でも、」


 レナは顔を上げる。


「それ以上に、大好きっ……! 絶対値的にね!」


 彼女は優しく目を細め、そして底抜けに明るい笑顔で。

 思わずこっちが見惚れるくらいの美しい表情だった。


 綺麗だ……。もうそれしか言葉が出てこない。

 やっぱり、君は、君の笑顔は。

 最高に素敵だ……。僕の見立て通り、いやそれ以上の心の笑顔だ……。


 満足した僕は目を閉じる。

 あとはおとなしく殺されよう。

 そして、目が覚めたら今日の夢のことを妻にいってあげるんだ。

 きっとレナは「なにそれ? 変な夢」って笑顔で答えてくれる。

 さあ、早く目覚めよう………………あれ?


 そんなことを考えていると、「はぁ……はぁ……」と苦しそうな息遣いが聞こえてくる。

 不審に思った僕が目を開けると、目の前には苦しそうな表情をしたレナが。

 レナは包丁を構えて、その切っ先を僕の腹に突き刺す寸前のところで止まっていた。


「だ、大丈夫? 汗すごいけど」

「大丈夫!! も、もう少しだから……! もう少しで殺せるから……!」


 しかし、その言葉とは裏腹に一向に包丁が僕の腹にささらない。

 ギュッと包丁を力強く握ってはいるが、その手は震えている。


「な、なんで? 殺そうって思ってたのに。わ、私やっぱり、あんたと一緒に……いやでも、殺さなきゃ……!」


 レナはなにかに苦しんでいるようだった。

 いや、というより葛藤しているのだろうか。


「ねぇ、レナ」

「……なによ」

「もしかして無理してない? 本当は殺したくないんじゃない?」

「っ! そ、そんなわけないでしょ! 殺したいわよ!」

「本当に? その割には苦しそうだけど」

「そ、それは……その……」


 そっぽを向いて、要領の得ない態度をするレナ。

 明らかに図星である。

 やはり顔に出やすいだけあって、彼女は嘘をつくのが下手だ。

 まあ、そこが魅力なんだけどね。


 僕はそんな彼女に手を差し伸べる。


「そんなに悩んでるなら僕に話してよ。僕が一緒に悩んであげるからさ」

「む、無理! それはダメなの! あんたに教えたらアウトなのよ! だから早くさっさと殺したいのに……殺したいのにぃぃぃ……」


 そういってレナは頭を抱えて、しゃがみこんでしまった。


 困った。こうなってしまうとレナはしばらく動かない。

 どうしたもんかなと考えていると、不意に周りの景色が変わっていることに気づく。


 そこはあの某有名なテーマパークのようだ。

 そして、その入口にはボクが立っているのが見える。


 ボクはなにやらそわそわと時計を見ては、その周りをウロウロしていた。

 すると、急にプルルルと電話の音がする。

 ボクはそれを急いでとると、急に血相を変えてどこかへ消えてしまった。


 ……これは、確か大学生のころだ。

 内定も決まって、プロポーズしようとデートに誘ったのだが、当日になってレナが熱を出してしまい、急いで看病しにいったんだっけ……。


 結局、このテーマパークにはいけずじまいだった気がする。

 しかもプロポーズもかなり遅れることになっちゃったし。苦い思い出だ。


 ……よし。なら、もう少しこの夢を楽しんでしまおうかな。


「ねぇレナ。まだ僕を殺すタイムリミットってある?」

「え? わ、わかんないけど。多分、まだ大丈夫だと思う……」

「じゃあさ。気分転換にさ、このテーマパークで遊ばない?」

「は、はぁ!? 何いってんの!? 今それどころじゃ……!」

「どうせここで悩んでても、時間を無駄にするだけだよ。それならさ、悩むついでにデートしようよ! もしデートしている間に殺す決心が出来たら、いつでも殺していいからさ!」

「あ、あんたって本当とんでもないこと思いつくわね……」

「いやあ~、それほどでも」

「褒めてない!」

「手厳しいなぁ。で、どう? デートする? しない?」

「……ちょ、ちょっとまって!」


 レナは「わ、私だって正直、したい……。で、でも間に合わなくなるかもしれない。でも殺したら……。うぅぅうう~!!」と頭をぶんぶんと横にふって、凄く悩んでいた。


 そうして悩むこと数十秒。

 レナはゆっくりと顔をこっちに向けて、はっきりとした口調でこういった。


「で、デートは、する! でも、途中であんたになんか変化があったら即殺すから!」

「わかった! じゃあ、早く中に入って遊ぼう?」

「う、うん」


 そうして僕たちはギュッと手をつないでテーマパークの中に入っていった。


  ※


 ジェットコースターの出口から出てきた僕とレナ。

 その表情は全く正反対のもので。

 レナはすごく楽しそうだが、僕はおそらくひどい顔をしているだろう。

 うぅ……、やばい。は、吐きそう……。


「あー! 楽しかったー! ねぇねぇ、もっかい乗らない?」

「え、ま、また? もうこれで4回目だけど……」

「あ、そうだよね。ジェットコースター苦手なのに、ごめんごめん」


 舌を出して、てへっと頭に拳をぶつけるレナ。

 今どきテヘペロとか……超可愛い……!


「ああいや、君が楽しいなら大丈夫だよ。で、でもちょっと休憩したいかな」

「そっか。じゃあ、あそこのベンチに座って休む?」

「そうしてくれると助かるな」


 レナに支えられながら、フラフラとベンチまで歩いていく僕たち。

 どかっとベンチにすわって一呼吸つく。

 ああ、地上って素晴らしいなぁ……。こんなに優しく空気を吸うことができるし、体も自由に動かせる。なんて幸せなんだ。

 僕がはぁーっと大きく息を吐くと、レナはくすくすと笑い声をあげる。


「……なんか懐かしいね。あんたを振り回すのも、これで何回目かしら」

「懐かしい? そうかな?」

「あんたはまだ思い出してないかもしれないけどさ。結婚してからデートってあんまりなかったし、なんかこういうの久しぶり……えへへ」


 そう言って、ぽふっと僕の肩に寄りかかってくるレナ。

 やばい……抱きしめたい。うちの妻が宇宙一かわいい件について。

 でも、また殴られるのは嫌なので自重しておく。

 今、殴られたら出るものが全部でちゃいそうだ。


 そうしてまた僕たちはお互いくっついて、手を重ねてゆっくりと時間を潰していく。

 しばらくお互い黙って休んでいると、レナが口を開く。


「……あ、そうだ。しりとりしない?」

「え? 急にどうしたの。珍しいね」

「いや、話題がないときってよくしりとりしてたでしょ」

「でも、君から振ってくることって初めてじゃない?」

「べ、別にどっちからだっていいじゃない! ほら、始めるわよ! りんご!」

「うーん、ゴリラ」

「ラリー!」

「じゃあ、リス」

「…………好き」

「き? えーと、そうだなぁ……え?」


 僕はバッと横にいるレナのほうを振り向いた。

 彼女は顔を真っ赤にして、ギュッと手を握りしめている。


 え、すきってあの好きだよな?

 ラブのほうだよな?


 ……やばい。これはずるいよ。

 いつものお返しをされてしまった。

 こんな世界一幸せなカウンターがあっていいのだろうか。

 視界が少し滲んできた……泣きそう。


 感極まった僕は思わず彼女を抱きしめてしまう。


「ひゃあ!? い、いきなりなによ」

「レナから好きっていってくれるなんて……僕は、僕は嬉しいよ……ぐすっ」

「ぷっ、なんて顔してんのよ」

「で、でも珍しかったから。思い出した記憶の中では言われたことなかったし」

「……まあ、言っておかないと後悔するかもって思ったからね。それにいつも言われてばっかだったし。わ、私だってあんたに負けないくらいす、好きなんだからね……!」


 そういってレナはギュッと抱き返してきた。

 れ、レナがこんなにデレるなんて……か、可愛すぎる! 尊い!

 僕がそうやって感動してると、彼女はその様子をじーっと見つめて、おかしそうに笑う。


「ふふっ。全くあんたは見てて飽きないわね。どう? 元気になった?」

「もっちろん! 元気百倍だよ!」

「それならよかった。じゃあ、次はあれ乗りましょ」


 その後はメリーゴーランドや観覧車、ほかにもたくさんの乗り物や余興を見て楽しんだ。

 楽しかったが、なぜかレナがやけにスマホで僕の写真をたくさん撮ってきた。


 僕はあまり写真が好きじゃない。

 でも、彼女が楽しそうだし、なにやら愛おしそうに撮った写真を眺めていたので、僕も色々ポーズをとったりしてあげた。


 すると、レナは太陽のように明るい笑顔をみせてくれて。

 それを独占している自分が、なんだかとっても誇らしくて。嬉しくて。そして彼女が愛おしくて。


 夢の中とはいえ、僕はなんて幸せなんだろう。

 そう思わずにはいられなかった。


 僕たちはそうやってテーマパークを楽しんでいると、気がつけばもう夜に。


「もうそろそろ閉園だね」

「……うん」

「一瞬だったね」

「そう、ね」

「楽しかった?」

「うんっ」

「そっか、じゃあちょっとついてきて貰ってもいい?」

「? いいけど」


 僕はテーマパーク中央にある巨大な噴水広場までレナを連れていく。

 歩いている間、僕は彼女にプロポーズの話題を持ち出す。


「あのさ。プロポーズのことって覚えてる?」

「え? ああ、うん。忘れるわけないでしょ? あんなみっともないプロポーズ」


 くすくすと口を押さえて笑いをこらえきれないレナ。

 やっぱり覚えてたか……はずかしいな。


「わ、笑わないでよ。ほんと黒歴史なんだから」

「ごめんごめん。だってあんなにいつも結婚してって言ってるくせに、いざとなったらすっごいしどろもどろ。しかも、噛み噛みなんだもん。笑うしかないでしょ。ふふっ」

「いやぁ、卒業式のときに断られてたからさ。もしまた断られたら立ち直れなかったし、そりゃ緊張でガチガチだったよ……あ、着いたよ」


 僕は広場にある噴水を指差す。

 その噴水の大きさとイルミネーションの綺麗な光景に、レナは目を輝かせた。


「うわぁ……綺麗……。もしかしてこれを見せたくて連れてきたの?」

「いや、それもあるけど実は違うんだ。実はリベンジをしたくてさ」

「リベンジ?」

「うん。ちゃんと、君に聞いてほしいことがあるんだ」


 僕はレナのほうを振り向き、真剣なまなざしで彼女の目を見つめる。

 その真剣さが伝わったのか、レナも真面目な表情に。


 僕はごくりと生唾を飲み込んで、息を吸う。

 彼女の手を握って、そして口を開いた。


「レナさん。これからずっと隣であなたの笑顔を、怒った顔を、不機嫌そうな顔、全部の顔を見ていてたいです。一生、あなたの味方でいたいです。…………僕と、結婚してくれますか」

「っ……!」


 その瞬間、レナの瞳が揺れる。

 震える唇。ギュッと握り返してくる手。そして、


「はい。ずっと、私の味方でいてほしいです」


 帰ってきた返答はあの時と同じものだった。

 そして、僕たちは示し合わせたようにぷっと吹き出し、笑い合う。


 ああ、プロポーズのリベンジまでできるなんて思ってもいなかった。

 こんな夢を見させてくれるなんて、神様ありがとう……。

 夢って普通はすぐに忘れてしまうけど、この夢だけは一生忘れな――ん?

 

 それは突然だった。

 周りの景色がぐにゃりと形が歪みはじめる。


「な、なにこれ……!?」

「わ、わからない。なんだ、これ。急に景色が変わり始めた……」


 まるで何倍速にも早送りしたビデオ再生のように、めまぐるしく景色はかわっていく。

 困惑する僕らは互いに抱きあって、それをただただ見守るしかなかった。


 これは一体なんなんだ……?

 怖い。意味が分からない。

 夢の中とはいえ、気味が悪すぎる。


 混乱しながら、二人でビクビク怯えて待つこと数十秒。

 突然、ピタッと景色は止まった。


 オレンジ色の夕日。さざめく波の音。広い砂浜。

 数多くのヤシの木。砂浜を埋め尽くすパラソルの数々。


 そこはおそらく、かなり大きいリゾートビーチのようだった。


「な、なんだか綺麗なところだな。でも、なんでこんなところに」

「っ! ここは……!」


 僕が困惑していると、レナは愕然(がくぜん)といったような表情に。


「れ、レナ、なにか知ってるの? よかったら教えてよ」

「……知ってるけど。無理」

「それってどういう――うっ!?」


 突然、強烈な頭痛が僕を襲った。

 思わず、立っていられなくなり、頭を抑えて膝をつく。


 い、痛い! な、なにか色々な記憶が、頭の中に入り込んでくる……!


 大学卒業。

 社会人。

 プロポーズ。

 結婚。

 そして、新婚旅行。


 ……そうだ。思い出した。

 僕も、この海を知っている。


 確かここは……ハワイだ。

 凄く楽しかった気がする。昔からの念願だったからだ。

 高校時代の夢がかなったから、僕は相当舞い上がっていたのを覚えている。


 あれ。でも、なにかモヤモヤする。

 そういえば、確かこのあと――


「ダメっ!!!!!!!」


 レナは耳をつんざくような大声を上げる。

 そして彼女はガシッと僕の肩を掴み、揺さぶってきた。


「思い出しちゃダメっ!! 深く考えないで!! ま、まだ思い出してないわよね!?」

「え、えっと。新婚旅行でハワイにきたってことは思い出しちゃったけど……」

「それだけ!? それだけなのね!?」

「う、うん」

「そっか……よかった……」


 はぁーっと大きく息を吐いて、脱力するレナ。

 な、なんだろう。ここにきて一番焦ってるみたいだけど。

 もしかして、タイムリミットが近づいているのだろうか?


「やっぱりあんたを今ここで殺さないとダメだわ。……ごめん、死んで」


 レナはすごい剣幕で僕を見つめてくる。

 やっぱりタイムリミットが近づいてるみたいだ。

 名残惜しいけど、殺されないと。

 僕は「ん。いいよ」といって、手を大きく広げて彼女を迎え入れる準備をする。


 しかし、いつになっても、レナは僕を刺す気配はない。

 包丁をこちらに向けて構えるところまではいいのだが、顔をうつむかせて、一向にこちらに迫ってこない。

 その手、体は震えており、僕を刺すどころじゃないみたいだ。


「れ、レナ? 大丈夫?」

「……ぐすっ」

「!?」


 ぽたりぽたりと小さい雫が地面にシミを作っていく。

 な、泣いてる……。


「殺したい……殺さなきゃいけないのに……。なんで、私は……」


 泣いている彼女の顔は、涙でぐしゃぐしゃになってしまっていた。

 嗚咽が止まらないレナに対して、僕はポケットに入っていたハンカチを彼女の顔にあてる。

 波の音が、カモメの鳴き声が。僕らを慰めるようにつつみ込んで、離さない。


 そうしてしばらくすること、数分。

 少し、彼女の声が収まったような気がして、僕は問いかける。


「大丈夫? 落ち着いた?」

「ずびっ……うん」

「それならよかった。……レナはやっぱり、僕のこと殺したくないんだよね?」

「……」


 コクンとうなずくレナ。


「でも、どうしても殺さなきゃいけないの?」

「………………うん」

「そっか。うーん」


 天を見上げて、どうしようかと考える。

 …………そうだな。やっぱり、これしかないか。


 僕はレナを安心させようと、なるべく明るく話しかける。


「じゃあさ。一緒に僕を殺そうよ」

「えっ」

「一人で殺せないならさ、二人で殺そうよ。君には僕がついてるじゃん」

「で、でもどうやって……」

「こうやるんだ」


 僕は彼女が包丁を持っている手を掴んで、自分の腹に引き寄せる。

 あとは僕とレナが一緒に力を込めて、包丁を腹に突き刺せばいいだけだ。

 ちょっと変わった形の切腹とも言えるだろう。


「一人で出来ないなら僕も自分を殺すよ」

「あんた……」

「ふふん。どう? 惚れ直した?」

「ちょ、調子にのるなぁ……ぐすっ」


 またレナの目から涙が溢れ出てきた。

 この涙ともしばしのお別れかな。レナって中々泣かないし。

 なんて思いながら、僕は手に力を入れる。


「じゃあ、いくよ? 覚悟はいい?」

「う、うん。って、それは私のセリフなんだけど……」

「ははっ、確かに」

「調子狂うわね……。それじゃ、いくわよ……?」

「いいよ。……なんか、ケーキ入刀みたいだね」

「ふふっ。なによ、それ」

「結婚式を思い出すよね。あの時の君のドレス姿。綺麗だったな」

「そ、それをいうならあんただって、その、かっこよかった……」


 そういった瞬間、火が着いたようにボッと顔を真っ赤に染めるレナ。

 バンバンと空いているほうの手で、僕を叩いてくる。


「って、なに思い出させんのよ! 余計殺しづらくなるじゃない。……馬鹿」

「ごめんごめん。じゃあ、さっさと殺そうか」

「……」

「いくよ? 1,2,3で一気に刺そう」

「…………わかった」


 覚悟をきめたのか、レナもぎゅっと手に力を入れた。

 その目はまだ潤んでいるが、迷いはないように見える。


 一緒にカウントダウンを数える。


 ――1。


 楽しい夢だった。

 もう思い残すことはない。


 ――2。


 あとは目覚めて、いつもどおりの日常に戻ればいい。

 妻に殺される日常はこれでおしまい。


 ――3。


 素晴らしき夢よ。

 さよなら――


「……っ!」


 ズブリ。

 腹を貫く音が、体全身を響かせた。

 やはり、痛みは、感じない。しかし、


「え? なに、これ……ゴフッ……」


 夢からは覚めなかった。

 包丁をさしたところから段々とにじみ、服に広がっていく赤いシミ。

 そして、さっき吐き出したこれは……血だ。


 ど、どういうことだ!? これで目が覚めるんじゃないのか!?


「血がでた……。ってことは、間に合ったのね。そっか」

「お、おい……。これって、どういう、ゴフッ……」

「そうね。もう、話しちゃってもいいんだもんね」


 レナは声を震わせて、説明を始める。


「実はね。ここは現世じゃないの」

「そ、それは、わかってる……。夢、なんだろ……?」

「ううん、違うの。ってか、あんたそんなこと思ってたのね」


 レナは自分の胸に手をあて、寂しそうな表情に。


「実はね。私、死んでるの」

「は……?」

「ハワイ旅行でさ。あの後、交通事故に巻き込まれて、それで私死んじゃったの……。思い出せない?」

「そ、そんな、馬鹿なことが――ぐっ……!」


 またさっきと同じように、頭の中に記憶が入り込んできた。

 痛い。熱い。なんだか頭が焼けてしまいそうな錯覚を覚える。

 その痛みに耐えていると、急にすっと痛みが引き、思考がクリアになった。


「…………そ、うか。そういえば、そう、だった……」


 あの時、思い出しそうになった記憶が鮮明に蘇る。

 バスで街の中を移動していた時、横から暴走した車が突撃してきて……気づいたら病院のベッドの上だったんだっけ。

 自分はなんとか一命をとりとめたけど、レナは…………。


「思い出したみたいね」

「で、でも、君が今、ここにいる、じゃないか……。どういう、ことなんだ」

「ここはね、あの世なのよ。だから私がいるの」

「そ、そういう、ことか……。って、ことは、俺も……」

「違う。あんたは死んでない。ギリギリだけど」

「え……? そ、それって……どう、いう」


 彼女の言葉に困惑する。

 本当にここがあの世なら、俺も死んでるということなんじゃ……?

 うう、頭がうまく働かない……。

 体も重たくなってきた……まるで今朝起きた時みたいだ。


「あんた、記憶も体も不安定な状態だったでしょ。肌の色も薄かったし。普通、死んだら記憶もそのままにこっちに来るはずなのよ。でも、あんたは違った。まだこっちに馴染んでなかった」


 レナは「だから」といって説明を続ける。


「私はあの世(こっち)のあんたを殺すことにした。現世(あっち)のあんたを生き返らせるために。自分が死んだことに気づかせないように気をつけながら」

「な、なんだ、それ……」

「割とここではよくある話なのよ。ギリギリ死んでない人を殺して、現世に戻させるって」

「そう、なのか……? で、でも、それって俺が生き返っても……君は……」

「……うん、私はいない。もう、死んでるもの」

「そ、そんな」


 彼女の言葉に絶望する。


 意味がわからない。そんなの、嘘だ……!

 信じられない。信じたくない。

 これは、悪い夢だ。そうに、違いないんだ。


 ……でも、これが全部夢だったら、レナとのあの時間も夢ってことになるのか……?


 そんなの、ありえない。

 あの記憶は確かに、君と僕が辿ってきた道なんだ……!

 君のいろんな心の顔と一緒に歩いてきた道が、嘘なわけがない……!


 怒った顔。

 悲しそうな顔。

 不機嫌な顔。

 楽しそうな顔。

 嬉しそうな顔。

 寂しそうな顔。

 そして、明るい笑顔。

 全部、僕のそばでみせてくれたじゃないか……!


 ……でも僕は、君が死んだことを認めたくない。認められない。

 どうすればいいんだ……。助けてくれ……。


 僕はすがるようにレナを見つめ、手をのばす。

 しかし、優しく僕の手をにぎったレナは、寂しそうに笑うだけだった。

 それはまるで諦めているような表情で、僕の心を容赦なくえぐってくる。


「だから、これでまたしばらくの間バイバイ、だね」

「い、いやだ……! 離れたくない……! 戻りたく、ない……!」

「ごめん、もう遅いよ。ほんとに……ごめん」


 ギュッと僕の手を力強く握りしめてくるレナ。

 でも、彼女の体温は感じられない。それがなんだかひどく寂しくて、心が痛かった。


 そうだ。もし、これが、夢じゃないなら。

 また、死ねばいいんだ。名案じゃないか……! そうしよう。

 きっと今度はうまく死ねるはずだ。


「死ぬ」

「え?」

「僕は、もう一度死ぬ……。そ、そうすれば、また君に、会えるんだろう?」

「な、何言ってるの!?」

「だ、だって……君の、いない世界なんて、死んだほうがマシだ……。生きる理由なんて、もう、見つけらないよ……」

「っ! やめてよ! そんなこと、言わないでよ……!」


 レナは悲痛なまでの叫び声をあげる。

 その顔はまたさっきと同じ、いや、それ以上に涙をこぼしていて。

 怒っているような、悲しんでいるような、いろんな感情が入り混じった表情だった。


「あんたは私に生きる意味を教えてくれた! そんなやつが死にたいだなんて、言わないで! 私のぶんまで、生きてよ……! お願いだから……」

「そ、そんな。でき、ない。できないよ……」

「うるさい! 生きろ!」


 そういってレナは顔を手でおおって、泣き崩れる。


「わ、私だって……私だってあんたと一緒にいたいわよ……。一緒にこっちでご飯食べたいよ。一緒にデートしたいよ。一緒のベッドで二人で寝たいわよ……! 隣で、私のことを守ってほしいよ……でも」


 そういって腕で涙を拭って、レナは顔をあげた。

 涙を目にためながらも、精一杯に僕をキッと睨んでくる。


「だからってあんたが死ぬところを、みすみすと見逃せるわけないじゃない! ほとんど死んでいた私を救ってくれたあんたが、ここで死んでいいはずがない……!!」


 レナは僕の手を再度強く握り、その手におでこをつけて、祈るように頭を下げてきた。


「だから、生きて。これが、最後の私からのお願い……」

「でも、僕、君を追って、自殺しちゃう、かも、しれないよ……?」

「そんなことしたら、また殺してやる! 何度でも、何度だって殺してやるから! ぐすっ……」

「……はは、そっかぁ……。そんな、苦しいこと、させたくない、な……」

「っ! あ、あんた! 大丈夫!?」


 笑って僕はバタリと倒れ込むように横になる。

 体が重い……立って、られない……。

 それに、凄く眠い……。まぶたを、もう開けられそうに……ないな……。 


「ねぇ……最後、にさ。僕の、好きなところ、教えて、ほしいな……」

「え?」

「君に、愛されてたって、証が、ほしいんだ……。お願い、もう、目が……」

「わ、わかった!」


 耳元で息遣いが聞こえてくる。

 それに微かにいい匂いがしてきた。

 ああ……レナの匂いだ……。すごく、あんしん、するなぁ……。


「あ、あんたのその馬鹿で感情で動きやすくて、でも時々かっこいいところが……好き」

「うん……」


 もう、あまりたくさん言葉をしゃべることができない。


「あんたのそのアホみたいな元気のよさが好き……。いつも隣でこんな私を照らしてくれて、ありがとう……」

「……ん」


 もう、声がうまく出せない。


「あんたがウザいくらいに愛してるって言ってくれるのが、実は好き。そんなに誰かに愛されたことなんて、なかったから……嬉しかった……」


 もう、声が出す力がない。


「あんたの……ってところが好き。……私を……ってくれるから――」


 もう、声がうまく聞き取れない。


「あんたの――」


 もう……なにも感じない。聞こえない。

 そこで意識が途絶えた――


  ※


 目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。

 周りを見渡すと、変な機械がおいてあり、何本もの管が僕の体とつながっているのが見えた。

 それに、なんだか周りが騒がしい。


 知らないナース服の人たちが、慌てたように「先生! 押切さんが!」といってどこかへいってしまった。


 ……そうだ、思い出した。

 僕は、妻のあとを追って、自殺してたんだ……。


  ※


「うん。経過良好ですね」

「ありがとうございます」


 とある病院の診察室の中。

 僕と先生は面談していた。


「それで最近はどうですか? 奥さんが亡くなられてから少し経ちましたけど……また自殺したいとか思うこととかってありますか?」

「ああ、大丈夫です。全く思いません」


 それは本心からの言葉だった。

 彼女に僕を殺させるなんて、そんな苦しい思いをもう一度させるわけにはいかない。

 それにきちんと死んだ時のために、いっぱい生き延びて、土産話を嫌というくらい聞かせてやるんだ。

 だから、僕は死ぬつもりはまだない。


「それなら良かったです……。いやあ、自殺って繰り返すことが多いので……」


 そして、後は体調のこととか近況を聞かれて、診察は終わる。

 病院を出ると、夏の日差しが容赦なく僕を襲ってきた。


「ふぅ、暑いなあ……。あいつ元気にしてるかなぁ……」


 眩しいくらいの太陽を見上げていると、ふいに太陽のような笑顔が魅力な彼女を思い出す。


 ……見てるか? 僕は、今日も生きてるぞ。

 君のお願い通り、生き続けてやるぞ。

 そして、いつかまた――


「っと! もうこんな時間か……さっそく仕事にいきますか!」



 君がいない世界で僕は今日もあがき、そして生き続ける。



 死んだら、妻が殺しにくるから。



 だから、僕は今日も逃げ(いき)続ける。


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 今回の短編はいま自分が出せる力を精一杯だしたつもりです。

 この作品を読んでくださったあなたには、大切な人との思い出を大事にすること。

 そして、大事な人がなくなった経験があるなら、その人に胸をはって天国でまた会えるよう、今この現世で精一杯生き抜いてほしいです。


 それと、もしよろしければ感想下の「☆☆☆☆☆」で評価していただけると嬉しいです。

 また一言でもいいので感想もいただけると、めちゃくちゃ喜びます。作者が。


 あなたの一言、評価で私もこの現世で精一杯執筆する気力が湧いてきます。

 何卒、よろしくお願いいたします。



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[良い点] すごくよかった。 どうしようもないぐらい心に響いた。
[一言] 泣いた。普通に泣いた。けどなんか暖かい気持ちにもなった。 ストーリーはもちろんだけど、情景の描写がめっちゃ良き… ていうか作者様素人じゃないよね?笑
[良い点] こんな良作に出会えたことに感謝...! [一言] 妻に殺されそうになってたとき周りが微笑ましく思ってたのはそう言う事だったのね
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