#5
あれから数日が過ぎた。
私の生活には、驚くほど何の変化もなかった。ぜんぶ夢だったのよ、と言われれば、信じてしまえそうなくらい。
違いと言えば――チビがいないこと、くらいで。
「春陽? どーしたの、ボケッとして」
「いやいやアンタ、春陽が変なのはいつものことでしょうよ」
「それもそーだ。って、おーい、聞いてるかー?」
ぱたぱたと目の前で手を振られる。いつも通りのコーヒーショップ。渋谷エリアの真ん中に陣取って、私たちは今日も「都会の女子高生」ごっこをしている。
「ええと……ごめんなさい。何だっけ」
「ダメだこりゃ」
友人たちは顔を見合わせて苦笑する。そんなに変だったかな。私としては、いつも通り過ごしてるつもりだったんだけど……。シンプルなカフェ・アメリカーノを一気に飲み干して、席を立つ。口の中に残る苦味、鼻に抜けるエスプレッソの風味。
「ごめん。ちょっとバイト行ってくる」
「おー。行っといで」
じゃあね、と手を振って、近くの雑居ビルへ。私の権限はすでに復活していて、「裏側」へのドアはあっさりと開いた。
衣擦れの音がして、私はサイバー魔法少女に変身。
だけど、いつもすぐに飛んでくるはずの相棒は、もういない。
チビに与えた外見のデータはまだあるから、別のプログラムと組み合わせればチビそっくりの鳥を作り出すことはできるだろう。でもそれは「本物」じゃない。なにかが違う。
静寂が耳に痛い。チビの鳴き声が聞きたい。やみくもに「裏側」を歩き回るけど、面白いものが見つかるわけじゃない。チビが来る前の私は、どうやって過ごしていたんだろうか。もう思い出せない。
ピンポンパンポン、と耳元でチャイムが鳴る。
「わっ!」
何かと思ったら、これは私の家の玄関チャイムだ。家の玄関ではなくて、敷地の入口にあるほうの。「ミゼット」への接続を一時停止して、インターフォンのカメラ画面を覗く。
「こちら、淡嶋春陽さんのお宅でよろしいでしょうか」
「春陽は私ですが……どちらさまですか」
知らない男性だ。四角い眼鏡をかけ、かっちりとスーツを着こなしている。
「お世話になっております。淡嶋さんにお話があり、ミゼット社から参りました」
「い、いま解錠します!」
慌てて「ミゼット」からログアウトし、ヘッドギアをむしり取る。どうしよう、なにか急いでまともな服を着ないと。高校の制服かな。リボンまではいらないよね。門から玄関までは距離があるから、すぐに到着することはないはずだけど。
慌ただしく着替える横で、ブブッ、と携帯端末が震える音がした。なんの通知だろう、と確認すれば、そこには畑仕事中の母からのメッセージ。
「ヘリが来た!」
……いったい、なにを言ってるんだろう。ヘリって、ヘリコプター?
首をひねりながら、来客を迎えるために玄関を出て――思わず、ぽかんと口を開ける。
我が家の敷地は、このあたりのご多分に漏れず、かなり広い。車なんて、そのあたりの空きスペースに軽く十台は停められるだろう。
そして今日は、その空きスペースに、白いヘリコプターが鎮座していた。
……え、ヘリ? ウソでしょ? これ、なんのドラマ?
音もしただろうに気付かなかったのは、「ミゼット」内に五感を預けていたせいだろう。
「淡嶋春陽さんですね」
「あ、はい」
そのヘリのかたわらに立っていた眼鏡の男性が、「社長」と中に声をかける。
え、待って、いま、社長って言った?
ぱくぱく、とツバメのヒナみたいに口を開ける私の前で、ヘリコプターのドアがスライドして、中からもうひとりの男性が降りてくる。
長身に甘いマスク。まだ若いその男の顔を、私はよく知っている。
「住吉、社長……」
ミゼット社の社長、住吉透那。
最後のインタビューの写真よりも、いくぶんか痩せている。
魔法使いの話を信じるならば、彼はずっとどこかで昏睡していたはずだ。それがこうしてここに来ているということは、杵築さんとの間にも何らかの決着がついたということだろう。全ての問題が解決したのかどうかは知らないけれど。
「こんにちは、春陽さん」
「こ、こんにちは」
思わず声が裏返った。現実世界の彼を見るのは数ヶ月ぶり。東京でミゼット社の会社見学に行った、あのとき以来だ。魔法使いのアバターと話したのは数日前のことだけれど、そもそもあれは、社長本人ではないと彼本人が……あれ、なんだかこんがらがってきた。いや、まあ、とにかく、この目の前の住吉社長と向き合うのは、初めてと言っていいはず。あの魔法使いの話によれば、本物と魔法使いはべつに記憶やなにかを共有しているわけではなく、ただ同じような行動をするだけの存在、というところのようだったし。
もちろん、あんなことがあったのだから、誰か話くらいは聞きに来るかもしれないとは思っていた。とくに何かニュースになったわけでも、発表があったわけでもないから、ひょっとするとすべてが「なかったこと」になっているのかも、とも思っていたけれど。でも、まさか、社長自身がやって来るなんて。
「会えて良かった。少しでも早く、君の顔が見たくて」
「わ、私の……!?」
頭に社長の手が乗せられる。近所の酔っ払いの男衆と違って、そうされるとなんだか、ほわっとした気分になる。ああ、そうだ、チビが乗っかっていた時の、あのぬくもりに似ている。
「ああ、やっぱり君なんだ。むかし、会社に来てくれたことがあったよね。真っ先に、ヘッドギアの型番を聞いてきたっけ」
「お、覚えていてくれたんですか……?」
返事の代わりに、社長は爽やかに笑う。心臓がドキドキする。緊張と感激で死んでしまう!
「あっ、あの」
どうすれば。とりあえず家の中へ。お茶を出さなきゃ。ぐるぐる思考が回るのに、歯車が壊れてしまったみたいに、その回転が身体に伝わらない。
「ところで、親御さんはご在宅かな?」
「親、ですか? 母なら近くに……あの、やっぱりなにか、問題が……?」
「え? ああ、いやいや、そういうことじゃなくてね。親御さんに、ご相談したいことがあったものだから」
助けを求めるように眼鏡の男性のほうを見るけれど、彼は黙って頭を下げただけ。
「――お嬢さんをぼくにください、と」
「え?」
想定外の言葉の並びに、理解が追いつかない。どうか、もう一度言ってください。
「そ、それって……」
社長が私の両肩に手を置いた。顔が近い。視線が絡み合う。
「ああ……。君には間違いなく、天性の才能、いや野生の勘が備わっている。この一ヶ月でぼくはそう確信した。君はまさに『ミゼット』の申し子。しかるべき教育を受ければ、君はさらに優秀な技術者になるはずだ! 今すぐにでもいい、うちの会社に来なさい! ぼくたちは喜んで君を歓迎する!」
「あっ、はい!?」
そ、そっちですか。いや、ものすごく嬉しいんですけど……って、あれ?
「……一ヶ月?」
私とあの魔法使いが「ミゼット」内で出会ったのは数日前。社長と私がオフィスで顔を合わせたのは数ヶ月前。一ヶ月前といえば、社長が姿を消したと言われた少しあと。そして……チビと出会ったころ。
待って。あのとき会った社長は偽物。それじゃあ、本当の社長は、どこに?
「え……いやいや、まさかそんな、えっ」
不正データに襲われていたプログラム。謎の権限を持ち、魔法使いと親しい、私の相棒――
いやいやいや。そんな馬鹿な。そうだとしたら、私は、彼の前で、なんて恥ずかしいことをたくさん言ってしまったのか。ウソでしょう。ウソだと思わせてください。お願いします。
「これからもぜひ、ぼくの相棒でいてほしいな」
――ああ、やっぱり、ウソじゃなさそう。
彼の正体を確信して、私は声にならない悲鳴を上げた。
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その後、私は彼のもとでまた色々な事件に巻き込まれることになるのだけれど、それはまた別のお話。
(完)