#4
私の管理者権限が剥奪されたのは、その翌日のことだった。
「……え?」
いくらドアノブを回しても、「裏側」への扉が開かない。どういうこと?
昨日はあれからログを解析して、発信元と思われる場所をあちこち調査して回った。攻撃の特徴がないか探りもした。分かったことは、少しずつ不正アクセスの頻度が短くなっているということくらい。次のアクセスを今日の夕方と踏んだ私は、授業もそこそこに急いで家に帰った。と言っても、電子制御された原付バイクは、どんなに頑張っても制限速度を遵守してしまうので、帰宅時間はいつもと変わりやしないのだけど。
「どうして……」
がちゃがちゃとドアノブを回していると、メッセージの受信音がする。差出人は――チビ。中身はどこかの座標。ああ、もう、私はそっちには行けないのに。
歯噛みしながらメッセージを眺めて、ふと気付く。道具データが添付されている。タップしてみると、ころん、と手の上にカギが転がり落ちてきた。カギ?
「ミゼット」内で、普通のドアに鍵穴はない。ほとんどあらゆるドアは、私というアバターのデータを読み取って、その人を通すべきかどうか判断してくれるのだから。
メッセージを受信しました、という通知を消してから、ふと思いついて運営からのメッセージの一覧を探る。どうせアンケートだのキャンペーンだの、つまらないお知らせばかりだからと通知不要にしてあるメッセージたち。その上のほう、今日の早朝に、私の管理者権限を剥奪した旨のお知らせがあった。事務的な連絡の、最後の一文に目がとまる。
――Sukuna Sumiyoshiからの依頼により
スクナ・スミヨシ――住吉透那。
その名前を見たとき、不覚にもちょっと頬が緩んでしまったのは仕方のないことだろう。もし社長がこれをやったのなら、それは私の存在を認識して、脅威だと思ってくれたということだ。どうしよう、ワクワクしてしまう。たとえ敵対するとしても、対等に思ってもらえたことが、こんなにも嬉しいなんて。
チビが送って来た座標を見る。もしも攻撃があったのなら、昨日のビルのように、「表側」からでもその変化を観察できるはず。とにかく行ってみよう、と私は走り出した。
#
「ああ、もう、なんなのよ!」
走りながら、思わず毒づいてしまう。
走っても走ってもたどり着かない。身体が重い。ジャンプできない。これがいまの私だ。それでも不思議と身体が軽い。もし、私が社長に精神操作されていい気分になっているのだ、と言われても納得できてしまうくらい。だからこそ、この素敵な気分を阻む物理法則が憎い。
見慣れないエリアだった。周囲のデザインコンセプトから察するに、かなり古いエリアだ。おそらくモデルのないオリジナルエリア。カリフォルニアの町並みはこんな感じなのかな、と思わせるような、広い道路に青い空。なのに看板だけが日本語で書かれていて違和感がある。
「……ここ?」
ようやくたどり着いた先は、小さな集合住宅だった。二階の角部屋。表札を見て、思わず目をみはる。「スミヨシ」の文字。まさかここは、彼が育った家がモデルなの?
ドアノブを回すと、あっさりと開いた。玄関に置かれたキューブをタップすると、「『ミゼット』発祥の地へようこそ!」というアナウンスと共にちびキャラが現れる。キラキラしたマントを羽織ったこれは……住吉社長のアバター?
中に入ると、そこは記念館のようになっていた。こんな場所があったなんて、私としたことが全然知らなかった。このエリア自体にほとんど人がいないから、決して有名な観光地ではないのだとは思うが。人がいない場所には店も出ないので、さらに人が来なくなる悪循環。
外見よりずっと広い部屋の中では、ミゼット社設立の経緯や、初期の「ミゼット」の様子が紹介されている。杵築さんの名前も見つけた。彼も元はシリコンバレーで働いていたエンジニアで、かなり初期からの社員であるようだ。当時の写真を見ると、まだ少年と言ってもいい雰囲気の社長を、周囲の大人がバックアップしているように見える。
展示の最後に、また住吉社長のちびキャラが現れた。「これからも『ミゼット』をよろしくお願いします!」と喋るその声は、社長本人が吹き込んだものだろう。
ちびキャラが消えると、その向こうには扉があった。視界の中で、鍵穴が赤いマルで囲まれて存在を示す。何らかのアイテムが使えますよ、という表示。そうだ、と思い出して、チビが送ってきたカギを取り出した。差し込むと、あっさりとカギが開く。
中に踏み込むと、ぱたん、と背後で扉が閉まった。不思議と恐ろしくはなかった。それは、目の前でパソコンをいじっている、ひとりの少年のせいかもしれない。まだ小学生くらいの子供。小さい頃の住吉社長だ。口元にあるホクロの場所が同じ。表情はどこか退屈そう。
子供らしくない、がらんとした部屋だった。目の前にはノートパソコンとタブレット。彼にとってそれらが、何よりの教科書であり、オモチャであり、すべてであったのだろう。
ひょい、と子供が椅子から降りた。あとを追いかける。部屋の奥の扉をくぐると、子供は中学生くらいまで成長している。さっきと同じような部屋だけれど、床の真ん中にぽつりと、小さな六角形のタイルが置かれている。タイルの上には、公園の遊具のミニチュアたち。
「これ、もしかして……」
そうだ、きっとこれが本当の、「ミゼット」のはじまりなのだ。「小さなもの」「ちっぽけな羽虫」そんな意味を持つこの名にふさわしい、ささやかなオモチャ。
次の部屋では、社長はもう子供ではなかった。私と同じくらいの年齢になった彼は、楽しそうに笑って、タブレットを通じてたくさんの人と話している。床の六角形は何枚にも増えていて、カラフルに敷き詰められている。きっとこれから、もっと広がっていく。
住吉青年は席を立って、次の部屋へ足を踏み入れる。
「――え」
その部屋の床は、ぎっしりとタイルで覆われていた。床だけじゃない、壁も天井もすべて。
住吉青年がその部屋に足を踏み入れた瞬間、そのタイルが次々と剥がれて、部屋の真ん中に集まっていく。大玉転がしの玉のような、大きな球になる。住吉青年がその中へと呑み込まれていく。
「待って!」
反射的に駆け寄っていた。このまま行かせちゃダメ、と本能が訴えている。飛び交うタイルに埋め尽くされた視界の中、必死に手を伸ばす。ぬくもりを見つけて、掴む。離さない。私の身体もまた、タイルの球に呑み込まれていく。
#
「……ここは?」
一瞬、気を失っていたような気がする。ヘッドギアごしの刺激だけで、そんなことになるのだろうか。訝りながら目を開けると、そこはどこか、高いビルの屋上のようだった。円形の平らな場所。ヘリポートかと思ったけれど、「H」の文字はない。
「ぴぴっ!」
「チビ? どうしてここに……」
言いかけて、気付いた。ここはたぶん「裏側」だ。いつの間にか私の格好が白いワンピースになっている。青い鳥は、「ぴぴぴ!」と鳴いて飛び回る。チビが誘導した先には、半透明の白っぽい円柱が立っていた。
――そして、その中に、人がいる。魔法使いのようなマントをつけたアバター。まさか、あれは、ひょっとして――
「住吉、社長……?」
ぴぴっ、とチビが鳴いて、円柱のてっぺんに留まる。円柱の中で、魔法使いが目を開ける。
「来てくれたんだね。ぼくを探していたんだろう?」
「どうして、それを……」
答えた声が上ずっている。ほんとうに、本物?
「君はログを探ったあと、閲覧履歴を隠さないからね。あれだけ派手に嗅ぎ回っていれば、さすがにすぐ特定できる。悪いことではないけど」
魔法使いは円柱の内側に手を当てる。どうやら彼は、ここから出られないらしい。半透明の円柱に触れると、ひんやりとしたガラスのような感触があった。
「それで、私を『裏側』から締め出したんですか……。でも、だったらどうして、私をこんなところに連れてきたんですか? 私が邪魔だったんじゃ?」
「あんな対応は一時しのぎだよ。朱彦に気付かれたら、すぐに解除される。その前に、君と話をしておく必要があると思ってね。来てくれるかどうか自信はなかったけど、ぼくにも時間がないんだ」
ぴぴっ、と鳴いたチビが親しげな様子で、くちばしを円柱に当てる。
「杵築さんに、話を聞きました。あなたは、何をしようとしてるんですか?」
「ああ……ひとつ、誤解があるんだ。君が朱彦に聞いた話は知っている。でも、ぼくはどちらかと言えば、彼を止めようとしている側だよ。ぼくにとって大切なこの世界を、そう簡単に奪わせてたまるものか」
首を傾げた私に、魔法使いは告げる。
「朱彦は君に、ぼくという魔王から、この世界を救わせたがっているんだ。うまくすれば魔王は死に、新たな勇者が誕生する。彼はその勇者の後ろ盾となって、世界を牛耳っていく」
彼はつまり、杵築さんのほうが悪者だ、と言っているのだろうか。
「あの、嫌な感じのするプログラムは何ですか? 人の心を操れるって、本当に?」
「そこはまあ、本当だよ」
魔法使いの手に、短い杖が生まれる。いたずらっぽい顔で、くるくると回してみせた。
「でもそれは、別に新しい技術じゃない。サブリミナル効果って聞いたことないかい? 映像や音楽で、無意識の部分に命令を与えるというものだ。本当だともウソだとも言われているけど、最近の研究によれば、ごく限定的な状況でなら効くと言っていいようだ。五感のすべてに対して入力信号を生成している『ミゼット』でなら、その『限定的な状況』を作り出すことは、そこまで難しくはない。映像だけ、音楽だけの刺激よりは、強力な効果も得られるはずだ。コーヒーの売上を二割増やすくらいの効果はあるかもしれない。まあ、それくらいなら、実装は不可能じゃないだろう。……でも、それは別に、『ミゼット』だけの問題じゃない。ヘッドギアを使ったサービスなら、どれだって、誰にだって同じことができる。たまたま『ミゼット』で可能だからといって、ぼくに悪意があると言われても困るんだよね。ぼくはそんなもので『ミゼット』を穢すつもりはないし」
とんとん、と杖で自分の額を叩いて、魔法使いは肩をすくめた。
「人にはどうも、金持ちの有名人は悪いことをしているものだと思いたがる性質があるらしいね。天才と呼ばれている人間なら何でもできるとも思っているのかな。ぼくは魔法使いじゃないんだ。魔法使いになりたくて、『鏡の国』とこんなアバターを作った、ただの人間……いや、ここにいるぼくは、人間ですらないか」
「どういう意味ですか? あなたは住吉社長でしょう?」
「現実世界のぼくはいま、どこぞのホテルのベッドの上だよ。一ヶ月ほど前に攻撃をかけられて、それきりだ。どうやらヘッドギアの中身を不正に改竄されたみたいでね、ログアウトできない状態のまま、電脳世界に閉じ込められている。ぼくは彼の分身であり、代弁者だ。彼の人格をコピーした人工知能(AI)とでも思ってもらえばいい。どうやら朱彦は、ぼくが本物だと信じているようだけどね」
「え……」
流暢に話すこの魔法使いが、偽物?
電脳世界が偽物で現実世界が本物、なんて考え方は古いものだと思っていたけれど、この場合はどうなるのだろう。
この魔法使いが住吉社長の分身であり、同じことを考えているというのなら、彼もまた、私が憧れている住吉透那という人間なのだろうか。私が信じて、応援したいと思っている、その人そのものなのだろうか。
「待ってください、バーチャル世界に閉じ込めるとか、コピーするとか……そんな技術を持ってるなら、そのほうが、洗脳なんかよりもよっぽどとんでもないんじゃないんですか……?」
「もちろん、そうさ。朱彦がただのサブリミナルを問題視しているのは、それを隠れ蓑にするためだからね。ああ、問題になるのは『閉じ込める』技術のほうだけかな。ぼくは住吉透那をボタンひとつでコピーして作られたわけではないから、技術的には何も恐ろしくはないよ。君だって何年も時間をかければ、ぼくくらいの存在は作り出せる」
こんな饒舌な人工知能が、技術的には恐ろしくない、のか。つくづく、住吉透那は天才だと思う。また、あの人に憧れる理由が増えてしまった。
「あなたが偽物だとするなら、本物の社長は、いまどこに?」
「『ミゼット』内に潜伏している。ぼくに報告と指示を出せる状態だから、無事ではあるよ」
心配してくれてありがとう、と魔法使いはガラス越しに手を伸ばしてくる。彼の手のひらに私の手を重ねる。魔法使いと魔法少女。私の姿は彼のアバターを意識してデザインしたものだから、きっと外から見れば、似合いのペアに見えるはずだ。なんて、そんなことを考えるのはおこがましいことだろうけれど。
「ぴぴいっ!」
チビが警戒するように鳴いた。魔法使いが顔を上げ、「春陽さん!」と私の名前を呼ぶ。知っていたんだ、私の名前。アカウントロックをかけるくらいだから、当然か。ああ、でも、分かっているのに、なんだか嬉しくてしょうがない。我ながらチョロすぎる。
「朱彦が来る。ぼくと朱彦のどちらを信じるか、今のうちに決めておくといい」
「私は、あなたを信じます」
即答した私に、魔法使いは戸惑ったような表情を見せた。
「君には判断材料が不足しているはずだけど」
「そんなものはどっちでもいいんです。たとえ間違っていたとしても、私は私の信じたいほうを信じます」
「非科学的だ」
「そうですね。でも」
私はにっこり笑ってみせる。魔法少女は、いつも余裕で笑ってなくちゃ。
「科学者としては間違っているけど、恋する乙女としては、間違っていないと思うんです」
魔法使いが目を丸くした。チビまでがくちばしを開いて、つぶらな瞳でこちらを見ている。本物の住吉社長なら、どんな反応をしたんだろう。気になるけど、さすがにそれを知る機会はないだろう。
#
「おやおや。まさか、淡嶋さんがこんなところにいたとは。あなたのための舞台は、ちゃんと他に用意しているところだったんですがね」
振り返った先に、スーツ姿の杵築さんが立っていた。きっ、と魔法使いが杵築さんを睨む。
「朱彦! 貴様……こんな若い子を巻き込んで、何をしようとしている!」
「肩書きはひとまず『美少女すぎるエンジニア』というところですかね。いや、これでは少々古くさいか。それでも、彼女は『ミゼット』の象徴として、きっと社長以上の人気になりますよ。わたしの言うことをきちんと聞いてくれるなら、ですがね」
杵築さんはいったい、何を言っているのだろう?
「あなたのような子供をせっかく祭り上げてやったのに、逃げるとはどういう了見ですか、社長。金も環境も名声も、いくらでも与えてやったでしょうに」
「黙れ! ぼくを利用したのは、貴様の都合だろうが!」
「それでもあなたは、わたしたちの与えた恩恵を被ったのです。その意味をよく考えてください。裏切ろうなどと考えるのがいかに愚かなことか、そろそろ分かったでしょう? いくら技術力があっても、政治力がなければ、誰もあなたの味方にはならないんですよ」
「そっ……そんなこと、ない、です」
思わず上げた声は、恥ずかしいほどひっくり返っていた。事情はぜんぜん分からない。私が口を出すなんておかしいことだ。意味なんてない。でも、どうしてか、言わずにはいられなかった。
「ここに、います。少なくともここにひとり、住吉社長の味方がいます」
「ふむ……淡嶋さん、わたしはあなたのことを、もっと頭のいい子だと思っていたのですが」
「バカですよ! 私にも分かってます! 意味分かんないです!」
目元に涙がにじむ感覚。アバターの私が泣いているのか、現実世界の私が泣いているのか。いや、どっちでもいい。そもそも、なんで泣いているのかも分からない。でも、どうしてか分からないけど、胸の中に感情が渦巻いて、勝手にあふれ出してくる。
「あなたも、住吉透那に憧れているクチでしょう? その衣装を見れば一目で分かる。だったら、彼のいる場所に立ちたいとは思いませんか。わたしの言うことを聞けば、彼の代わりに、あなたが時代の寵児になれる」
「違うっ! そうじゃない……そうじゃないんです!」
さっき見た、ミゼット社の黎明期の写真を思い出す。杵築朱彦と住吉透那は、同じ写真に写って笑っていた。楽しそうにしていた。
「私は、あの人の代わりになりたいんじゃない! あの人と、同じ輪の中に入りたいんです! 杵築さん、あなたがそうしていたみたいに!」
ああ、分かった。泣いているのは、腹が立つからだ。怒ることに慣れていないから、ぜんぶ涙になって処理されてしまうのだ。私は怒っている。この感情の波が落ち着いたら、全力でこいつをぶっ潰してやりたい、と思うくらいには、ものすごく、怒っている。
「普通の人は、祭り上げたってこんなにすごいものを作れません! 社長が『ミゼット』を愛していて、みんながそれに賛同したから、ミゼット社はこんなに大きくなって、素敵なサービスを提供してるんじゃないんですか!?」
「子供のちんけな理想ですね。世の中、そんなにきれいごとばかりでは回っていませんよ」
「だったらあなたは何なんですか! 相手と意見が合わなくて、気に入らないから口を塞ぐなんて、子供よりよっぽどダメじゃないですか!」
やれやれ、と杵築さんが首を振る。
「そんな小さな話だと思ってもらっては困ります。ことは国防にも関わる問題だ。あなた一人が騒いだところで、今更何も変わらない。あなたが嫌だと言うのなら、代わりに別の若い女の子を探してくるだけです」
そう言って、杵築さんがスーツの内ポケットから取り出したのは拳銃だった。側面についた入力キーを操作しながら、私のほうへと銃口を向ける。
「淡嶋春陽さん。あなたのヘッドギアは、社長と同じ機種でしたね。手間が省けて非常に助かります」
「まさか……おい、朱彦! 何をするつもりだ!」
魔法使いがガラスの円柱の内側を拳で叩く。円柱はびくともしない。
「あなたはそこで、黙って見ているといいでしょう」
「ぴぴっ!」
チビが鳴いて、私の頭を、いや、そこにあるバレッタをつついた。はっと気付いて、そのバレッタを杖に変形。そうだ。ここは「ミゼット」の内部。拳銃なんて怖くない。
攻撃されると分かっているなら、できることはある。腰のポーチから取り出した菜箸を見て杵築さんは失笑したけど、これだって立派なカウンタープログラム対策。放り投げれば私の周りをぐるぐると旋回してバリアになる。本当はヌンチャクのような攻防一体の武器にしたかったのだけれど。
「見れば分かるでしょう。あなたと同じ目に遭わせるだけですよ、社長」
どこかに保存された私の権限データをいじるのと、今ここにいる私のアバターに影響を与えるのは、「ミゼット」内においてはまったく違うことだ。やられてたまるか。
「やめろ! 正気か!」
「な……何をする気か知りませんけど、私のお母さん、夕飯時までに起きてこなかったらヘッドギアひっぺがしますから! ログアウトできないなんて、別に問題じゃないです!」
「そのパターンが最悪なんだ! 一歩間違えば重大事故だ、本当に死ぬぞ!」
魔法使いが訴えているけれど、私の耳には入らない。根拠のない自身が私の中にみなぎっている。大丈夫。本物だろうと偽物だろうと、住吉社長の前なのだ。こんなふざけた男に遅れをとるわけにはいかない。絶対に。
怒りがエネルギーに変わって、私の脳細胞を活性化しているようだ。あんなものはただのアバター。ポーチから取り出した針を撃ち出す。赤い光の軌跡を曳いて、針は杵築さんの両手首に突き刺さる。見た目は痛そうだが、せいぜい触れた感触があるだけのはず。杖を向けてビームを撃つ。杵築さんの手から拳銃がはじけ飛ぶ。だが、それを予想していたかのように杵築さんはカードを取り出した。メンコのように地面に叩きつければ、そこからぶわりと煙が吹き出して、灰色の巨人が姿を現す。積み木を組み合わせて作ったロボットのような、ブサイクな形の巨人だ。四角い胴体、角柱をつなぎ合わせたような形の手足。球状の頭には、くり抜いたような目がふたつ。愚鈍そうな外見からは想像もつかないスピードで、両手が襲ってくる。菜箸があっさりとはじけ飛んだ。
「っ!」
大きく跳び下がって、円形のフロアの縁に立つ。振り返って目が眩んだ。今更気がついたけれど、ここはスカイツリーのてっぺんだ。およそ四百五十メートルの第二展望台ではなく、六百三十四メートルの高さにある、アンテナの最上部。落ちても死なない、と理性は訴えるけれど、感情が足をすくませる。
「ふっ、ざけないでよ!」
杖のモードを切り替えて跳ぶ。両手首めがけて針を撃つ。マーキングした座標めがけて凍結攻撃。上手く発動しない。考えてみれば、いつも相手は動かない建物ばかり。動いている相手と戦うなんて初めてだ。落ち着いて。最初は上手くいかなくて当たり前。
「無駄な足掻きを」
なにか言っているが無視。次は巨人ではなく杵築さんを狙う。近づく前に巨人の手が迫る。
「きゃぅっ!」
吹き飛ばされる。円形フロアから放り出された。恐怖をねじ伏せて杖を振る。フロアの端に針を撃ち込み、その座標めがけてロープを射出。必死にしがみつきながらロープを巻き上げ、フロアに這い上る。手のひらにも足の裏にも冷や汗が噴き出している。
「ぐっ!」
体勢が崩れているところで、巨人の手が私の身体を捉えようとする。逃げ切れずに足を掴まれた。床に押し付けられる。杵築さんが拳銃を持って近づいて来た。落ち着いて。何をしようとしているのか知らないけれど、あれが当たったところですぐに死んだりはしない、はず。
「心配しなくても、痛くはないはずですよ。ねえ?」
これみよがしに魔法使いへと視線をやり、杵築さんが嫌らしく笑う。巨人の手から逃れようともがくけれど、両腕を押さえられて身動きが取れない。
「あ――」
ぱん、と銃声がして、私の頭が撃ち抜かれる。その直後、視界を見たこともないような警告表示が埋め尽くした。頭が痛い。脳に何かが入り込んでくるような感覚。いやだ。何これ。やめて。もうダメ!
「諦めるな!」
魔法使いの声がする。そうだ。落ち着いて。大丈夫。まだ死んだりしたわけじゃない。私はまだ戦える。戦ってやるんだから!
#
「やめて! 来ないで!」
春陽は床に爪を立て、あらぬ方向に視界を向けて絶叫した。杵築が愉悦に満ちた笑みを浮かべ、魔法使いはそれを憎々しげに睨んでいる。
「ウソつき! 苦しいじゃない! あなたはっ、こんなこと、社長に……っ!」
「この状況で彼の心配をしますか。大したものだ」
ぜいぜいと息を切らしながら、「ふざけないで」と呻く春陽。巨人の手は既に離れていたが、彼女の杖は遠くに転がっている。春陽がそこに手を伸ばす様子もなかった。うう、と小さく声を上げて、春陽が顔を伏せる。
杵築はゆっくりと彼女に近づき、その髪を掴んだ。苦痛に歪む表情を眺めようとでもいうのか、無理やりに顔を上げさせる。
「――ふざけないで」
そして杵築は、冷ややかな春陽の声を聞いた。
#
こっそりポーチから取り出し、腹の下に入れてあった手錠を、目の前にある杵築さんの足首にかける。逃がしてたまるか。
警告表示のせいで視界が悪い。彼がいま、どんな顔をしているのか拝みたいのに。住吉社長をはじめとして、たくさんの人が作り上げた「ミゼット」を、平気でおもちゃにできる人だ。いったい今、どんな顔をしているんだろう。
「あなたなんかには、無理よ」
おそらく彼は、住吉社長を悪者にして蹴落とすことで、自分がトップに座ろうとしているのだろう。それが駄目でも、せめて自分の言うことを聞きそうな人をトップにつけようとしているに違いない。たとえば私のように。
でも、そんなせせこましい人間に、この「ミゼット」をどうにかできるわけがない。
ユーザーだってきっと分かっている。みんなが「ミゼット」に集まるのは、そこにかけられた愛情を感じるからだ。だからこそ、安心して楽しい時間を過ごせるのだ。
くらり、と頭痛がする。私のアバターのデータがおかしなことになっているのが分かる。通常のログイン・ログアウトの流れから切り離されている感覚。ならば私のアバターを管理しているのは何?
目を閉じる。「ミゼット」のシステムが私の身体に接続している。権限の一部がそちらに奪われている。その代わり、私にもいつも以上の権限が発生している。
「ぴぴぃ!」
チビが私の杖を拾う。右手に持たせてくれる。感覚のままに片手でダイヤルを回し、システムに干渉。やったことはないけど、できる。なにか得体の知れない力が、私を助けてくれている。なんらかのプログラムなのか、それとも気合だとか愛情だとかそういうものなのか、そんな区別さえもつかないけれど。
「私は……負けない!」
彼の足首は、手錠を通じて私の左手に繋がっている。そう、ちょうどいいところに、おあつらえむきの目標がある。
私は杖の先端を、情け容赦なく、杵築さんの股間にぶち当てた。
#
杵築さんが悲鳴と共にひっくり返る。効果はばつぐんだ。
「あ……」
ぐらりと視界が揺れる。システムが私の意識をどこかへ連れていこうとしている。住吉社長がどこかへ消えてしまったように、私もどうにかなってしまうのだろうか。
「ぴぴっ」
チビが私の右手をつっついた。
「なあに……?」
「ぴぴぴ!」
その鳴き声は、任せろ、と言っているように聞こえた。
「え?」
直後、チビの姿が少しずつ、光の粒子に変わっていく。光は私の身体に吸い込まれて、壊れていたものを修復するように、じんわりと染み渡っていく。
「チビ……?」
暖かくて、ひどく眠い。あの羽毛のやわらかいぬくもりに包まれているみたい。
「――ありがとう」
最後に、そんな声が聞こえた気がした。魔法使いの声、だろうか。
#
気がつくと、私の意識は途切れ――目を覚ましたときには、元いた記念館の中に、ぼんやりと立っているところだった。
カギも、あの扉も、跡形もなく消え失せていた。