表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

#1

 今日の注文は、チョコレートソースをかけたキャラメルマキアート。

 女子三人でオープンテラスの丸いテーブルを囲めば、なんだか都会の女子高生になったような気分だ。にぎやかな雑踏、天を衝くような高層ビル、ゴミひとつない町並み。

 もちろん、ゴミなんか出るはずもない。だってここは電脳(バーチャル)空間、最近じゃ猫も杓子もみんなが夢中の、大規模SNSの中なのだ。

「えっ、ユミコ別れちゃったの? マジ? あの二人、ぜったい上手くいくと思ったのにー」

「彼のお母さんの反対らしいよ。ほら、あそこ、お兄さんの時も大変だったじゃん?」

 二人の話を、適当な相づちを打ちながら聞く。正直、誰と誰が付き合おうが別れようが、そんなの本人たちの自由だと思うんだけど。

「ねえ、春陽(はるひ)は最近、そういう話ないの?」

「あるわけないじゃん、ねー?」

 まったく期待していない様子の二人に、「ないわよ」と笑って答える。カップに手を伸ばし、甘いキャラメルマキアートを一口。カフェラテの苦味にキャラメルの甘味、さらに味と香りでもって存在を主張するチョコレート。本物とはぜんぜん違う、なんて言う人もいるけど、私にとってはこっちのほうがよっぽど「本物」だ。きっと現実世界の「本物」を飲んだら、「なにか違う」と思ってしまうのだろう。

 ログアウトしてヘッドギアを外せば、私は山と田んぼとイオンしかない田舎町の、ただの冴えない高校生だ。ちなみにそのイオンまでは山道を原付バイクで四十五分、マクドナルドはあってもスターバックスはない。同じ高校に通うこの二人も、本物のスタバのコーヒーなんて飲んだことさえあるのかどうか。

 でもこの空間の中では、自分のうつし身(アバター)に五感を接続することで、誰でも平等に都会の空気を吸って、同じ味のコーヒーを飲める。それって、とても素敵なことだと思う。

「どうせまだ、あのカリスマIT社長さんに片思いしてるんでしょー? 春陽はもうちょっと現実も見なって。せっかく可愛いんだから、ちょっと頑張れば絶対モテるよー」

「いやいや、これでも大進歩だよ、ずっと『好きな人はスティーブ・ジョブズ』って言ってた春陽が、まだ生きてる人間の男に興味を持ったんだから! あの住田なんとかって人、フツーに若くてイケメンだしさ、あたしゃホッとしたよ」

「住田じゃなくて住吉よ、住吉透那(すくな)!」

 まったく、名前くらいは覚えてたっていいんじゃなかろうか。住吉透那が社長を務めるミゼット社は、このSNS――「ミゼット」の運営会社でもあるっていうのに。

 友人達の言うとおり、確かに彼は「若くてイケメンのカリスマIT社長」だけど、それだけで済ませていい存在じゃない。

 このSNSがこれほど大きくなったのも、ミゼット社の創業者でありチーフエンジニアでもある彼の功績だと言われている。カリフォルニアの名門大学を飛び級で卒業し、シリコンバレーで起業したのち帰国。彼の指揮のもと、またたく間に成長したミゼット社は手広く合併や買収を繰り返し、いまでは知らぬ者はないほどのIT企業として社会に君臨している。

「それそれ、そいつ! そういやあのイケメン、最近あんまり見ないよねー。ちょっと前はあっちこっちでインタビューされてたのに」

「そうね。最後に出たのは先月のテレビだったかしら」

 最近見なくなった、というより、一時期あまりにも彼がもてはやされすぎた、のだと思う。情報技術になんかまるで関心のなさそうな女性誌にまで、「休日の過ごし方」だの「私服のコーデ」だのが載っていたほどだ。「休日? 最近休みを取ってなくて」「私服? ぜんぶ店員さん任せです」という、ぶっちゃけまくりのインタビューがついていたけど。

 でも……確かに言われてみれば、最近あまり公の場で彼の姿を見かけない。何か新しい製品の開発に夢中だとか、そういう理由ならいいのだけど。あの仕事ぶりだから、過労で倒れてドクターストップ、なんてことも充分にあり得る。そう考えると心配だ。

「春陽なんか、わざわざ東京まで会社見学に行ったくらいだもんね。ありゃビビったわ」

「あー、そういやそんなこと言ってたね。社長さんには会えたの?」

「ちょっとだけ、ね」

 ハイエンド機が無造作に転がる、社長の執務室を思い出す。何か質問は、と聞かれて、思わず社長の使っているヘッドギアの型番を尋ねてしまった。さすがにもうお年玉の前借りはできなかったが、私はこつこつバイトに勤しみ、最近ようやく同じヘッドギアを手に入れたところだ。いつか彼のようになりたい、という気持ちを、まずは形から叶えてみたのである。

「愛の告白はしてきた?」

「す、するわけないでしょ!」

 いくらなんでも、住む世界が違いすぎる。あの天才社長が私なんかを好きになってくれる理由なんて、探そうとすることさえ思い上がりが過ぎる。ほんの一瞬だけど、言葉を交わせたことでさえ、私には分不相応なほどの奇跡なのだ。

 あのとき初めて見た、東京の景色を思い出す。人だらけだと思っていたミゼットの世界よりもずっと、現実世界(ほんもの)の渋谷は混雑していた。あんな場所を日常の空間として過ごしている人たちは、きっとただそれだけで、私なんかとは違う世界の人間なのだろうと思う。

 不意に着信音(アラート)が鳴った。同時に、視界の隅でメッセージの受信を知らせるウィンドウが展開する。送信者の名前だけで内容の見当はついた。本文にさっと目を通す。

 それから、よし、と気合いを入れて、キャラメルマキアートを一気飲みすると立ち上がる。こんなことをしても、幸いにしてこの電脳世界では舌を火傷することはない。

「ごめん、バイトに呼ばれちゃったみたい。行ってくる!」

「お疲れさまー」

「頑張ってね!」

 友人達に手を振ると、私は指定された座標を目指して走り出した。


 #


 春陽の背中を見送り、残された二人は再びお喋りに花を咲かせる。

「にしても春陽、最近楽しそうだよねー。バイトじゃなくて、デートに行く時の顔してるよ」

「仕事が恋人、ってカンジ? 春陽らしいじゃん。そういや、春陽のバイトってアレ、いったい何やってんだろうね」

「ただの監視員よーとか言ってたけどさ、それであの浮かれっぷりって、逆に心配かなー」

「まあ春陽だし、しゃあないって。暗い部屋でモニターとか眺めてニヤニヤすんの、好きそうじゃん」

「あー、そうかも!」

 ――友人達の間でそんな会話が交わされていたことなど、春陽は知る由もない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ