#1
今日の注文は、チョコレートソースをかけたキャラメルマキアート。
女子三人でオープンテラスの丸いテーブルを囲めば、なんだか都会の女子高生になったような気分だ。にぎやかな雑踏、天を衝くような高層ビル、ゴミひとつない町並み。
もちろん、ゴミなんか出るはずもない。だってここは電脳空間、最近じゃ猫も杓子もみんなが夢中の、大規模SNSの中なのだ。
「えっ、ユミコ別れちゃったの? マジ? あの二人、ぜったい上手くいくと思ったのにー」
「彼のお母さんの反対らしいよ。ほら、あそこ、お兄さんの時も大変だったじゃん?」
二人の話を、適当な相づちを打ちながら聞く。正直、誰と誰が付き合おうが別れようが、そんなの本人たちの自由だと思うんだけど。
「ねえ、春陽は最近、そういう話ないの?」
「あるわけないじゃん、ねー?」
まったく期待していない様子の二人に、「ないわよ」と笑って答える。カップに手を伸ばし、甘いキャラメルマキアートを一口。カフェラテの苦味にキャラメルの甘味、さらに味と香りでもって存在を主張するチョコレート。本物とはぜんぜん違う、なんて言う人もいるけど、私にとってはこっちのほうがよっぽど「本物」だ。きっと現実世界の「本物」を飲んだら、「なにか違う」と思ってしまうのだろう。
ログアウトしてヘッドギアを外せば、私は山と田んぼとイオンしかない田舎町の、ただの冴えない高校生だ。ちなみにそのイオンまでは山道を原付バイクで四十五分、マクドナルドはあってもスターバックスはない。同じ高校に通うこの二人も、本物のスタバのコーヒーなんて飲んだことさえあるのかどうか。
でもこの空間の中では、自分のうつし身に五感を接続することで、誰でも平等に都会の空気を吸って、同じ味のコーヒーを飲める。それって、とても素敵なことだと思う。
「どうせまだ、あのカリスマIT社長さんに片思いしてるんでしょー? 春陽はもうちょっと現実も見なって。せっかく可愛いんだから、ちょっと頑張れば絶対モテるよー」
「いやいや、これでも大進歩だよ、ずっと『好きな人はスティーブ・ジョブズ』って言ってた春陽が、まだ生きてる人間の男に興味を持ったんだから! あの住田なんとかって人、フツーに若くてイケメンだしさ、あたしゃホッとしたよ」
「住田じゃなくて住吉よ、住吉透那!」
まったく、名前くらいは覚えてたっていいんじゃなかろうか。住吉透那が社長を務めるミゼット社は、このSNS――「ミゼット」の運営会社でもあるっていうのに。
友人達の言うとおり、確かに彼は「若くてイケメンのカリスマIT社長」だけど、それだけで済ませていい存在じゃない。
このSNSがこれほど大きくなったのも、ミゼット社の創業者でありチーフエンジニアでもある彼の功績だと言われている。カリフォルニアの名門大学を飛び級で卒業し、シリコンバレーで起業したのち帰国。彼の指揮のもと、またたく間に成長したミゼット社は手広く合併や買収を繰り返し、いまでは知らぬ者はないほどのIT企業として社会に君臨している。
「それそれ、そいつ! そういやあのイケメン、最近あんまり見ないよねー。ちょっと前はあっちこっちでインタビューされてたのに」
「そうね。最後に出たのは先月のテレビだったかしら」
最近見なくなった、というより、一時期あまりにも彼がもてはやされすぎた、のだと思う。情報技術になんかまるで関心のなさそうな女性誌にまで、「休日の過ごし方」だの「私服のコーデ」だのが載っていたほどだ。「休日? 最近休みを取ってなくて」「私服? ぜんぶ店員さん任せです」という、ぶっちゃけまくりのインタビューがついていたけど。
でも……確かに言われてみれば、最近あまり公の場で彼の姿を見かけない。何か新しい製品の開発に夢中だとか、そういう理由ならいいのだけど。あの仕事ぶりだから、過労で倒れてドクターストップ、なんてことも充分にあり得る。そう考えると心配だ。
「春陽なんか、わざわざ東京まで会社見学に行ったくらいだもんね。ありゃビビったわ」
「あー、そういやそんなこと言ってたね。社長さんには会えたの?」
「ちょっとだけ、ね」
ハイエンド機が無造作に転がる、社長の執務室を思い出す。何か質問は、と聞かれて、思わず社長の使っているヘッドギアの型番を尋ねてしまった。さすがにもうお年玉の前借りはできなかったが、私はこつこつバイトに勤しみ、最近ようやく同じヘッドギアを手に入れたところだ。いつか彼のようになりたい、という気持ちを、まずは形から叶えてみたのである。
「愛の告白はしてきた?」
「す、するわけないでしょ!」
いくらなんでも、住む世界が違いすぎる。あの天才社長が私なんかを好きになってくれる理由なんて、探そうとすることさえ思い上がりが過ぎる。ほんの一瞬だけど、言葉を交わせたことでさえ、私には分不相応なほどの奇跡なのだ。
あのとき初めて見た、東京の景色を思い出す。人だらけだと思っていたミゼットの世界よりもずっと、現実世界の渋谷は混雑していた。あんな場所を日常の空間として過ごしている人たちは、きっとただそれだけで、私なんかとは違う世界の人間なのだろうと思う。
不意に着信音が鳴った。同時に、視界の隅でメッセージの受信を知らせるウィンドウが展開する。送信者の名前だけで内容の見当はついた。本文にさっと目を通す。
それから、よし、と気合いを入れて、キャラメルマキアートを一気飲みすると立ち上がる。こんなことをしても、幸いにしてこの電脳世界では舌を火傷することはない。
「ごめん、バイトに呼ばれちゃったみたい。行ってくる!」
「お疲れさまー」
「頑張ってね!」
友人達に手を振ると、私は指定された座標を目指して走り出した。
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春陽の背中を見送り、残された二人は再びお喋りに花を咲かせる。
「にしても春陽、最近楽しそうだよねー。バイトじゃなくて、デートに行く時の顔してるよ」
「仕事が恋人、ってカンジ? 春陽らしいじゃん。そういや、春陽のバイトってアレ、いったい何やってんだろうね」
「ただの監視員よーとか言ってたけどさ、それであの浮かれっぷりって、逆に心配かなー」
「まあ春陽だし、しゃあないって。暗い部屋でモニターとか眺めてニヤニヤすんの、好きそうじゃん」
「あー、そうかも!」
――友人達の間でそんな会話が交わされていたことなど、春陽は知る由もない。