黴
冬虫夏草という言葉を聞いた事はあるだろうか?
蛾の幼虫が土の中にいるときに、細菌に侵されて死んでしまう。
四年後には成虫となる蛾の幼虫だが、細菌に侵されるとそれはかなわず細菌の養分となり死んでいく。
つまり、簡単に言えばカビのようなものだ。
簡単にくくってしまうのは失礼かもしれないが、細菌もカビの一種。
人間は成長する過程でどんどん色々なものに侵されていく。
僕はそれがカビとして目に見えてしまうのだ。
幽霊が見えるとか、守護神がみえる、はたまた未来が見える。
そんなたちのいいものではなかった。
第一、今僕は大切な友人を駅で待っている際。
周りの人間はカビだらけだった。
僕の見えるカビとは人間の悪事である。
本当にカビの生えてない人間を見るためには、産婦人科にいって生まれたばかりの純粋無垢な赤ん坊を見るしか方法は無いだろう。
ズボンの左ポケットの中の携帯が不意に震えた。
中身を確認すると親友からのメールで、どうやら急遽待ち合わせ場所を変えたいという内容だった。
僕は目の前のスクランブル交差点へ向かい歩いた。
すれ違う人々。
女子高校生らしき足をちらりと見る。
太ももあたりは汚染された海のような緑色をしていた。
これくらいならまだマシだった。
「痛っ!」
「どうしたの?」
「なんか最近コケるんだよねー。」
「なにもないのに?疲れてるんじゃん?」
「そっかなぁ・・・」
後ろでは先ほどの女子高校生が話していた。
よろけた女の足は黒ずんでいて、手先までもが侵されていた。
彼女は・・・相当な悪事を働いている。
しかし、あの程度だったら万引きくらいだろう。
気にかけるまでもない。
問題は今から会う親友だった。
違う場所で大きく手を振っている人が見えた。
彼だ。
「ごめんごめん。急に場所を変えて。」
「大丈夫、いつものことだろ?」
「はは、それを言ったら駄目だよ。」
目の前の親友は、首の半分までが真っ黒くなっていた。
先日は鎖骨までだったような気がする。
親友は場所を変えようと、いつもの喫茶店に入りいつも通りの珈琲を注文した。
「それで、今回はどうした?」
「実は妹が結婚することになったんだ。」
「そうか、それはよかったな!」
「ああ、だから招待状を渡しに。」
「ありがとう、必ず行くよ。」
それからしばらく、最近あったことや愚痴などの他愛も無い話をただただするだけだった。
はずだった。
僕は気になり、最近なんか変わったことはあるか?と訪ねた。
「ちょっと、危ない仕事をしていてね。でも結構なお金になるんだ。
妹が結婚するし、ちょっとだけアルバイトのつもり。」
「そうか、あまり無理はするなよ?」
「勿論さ。今日はありがとな。」
喫茶店を出て、右手首の時計を見ると。
星が綺麗な時間。くらいだった。
数日後、彼の妹の結婚式が行われた。
僕は招待状を持って彼と妹のところへ訪ねた。
「本当に、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。昔から変わらないですね。」
「こいつが変わったら俺は困るよ。」
途中から会話に加わった親友の顔が、目元まで侵食されていた。
少し驚きつつも平然と会話をつづけることに成功した。
「お前、無事妹も結婚したんだ。そろそろあのアルバイトやめたらどうだ?」
「あ、そうだな。もうそこまで金もいらないしな!」
にっこりと笑う彼の笑顔を信じるしかなかった。
信じなければすべてが終わってしまう。
そう、思ったのかもしれない。
数日後。
親友の妹から一通の手紙が届いた。
内容は彼が寝たきりになった、という知らせだった。
真夏の太陽をそのまま照り返すコンクリートの上をひたすら走った。
病院の一室には親友の妹と、静かに眠っている彼がいた。
「知らなかったんです。どうして・・・」
「なにが、あったの?」
「私に・・・私のために・・・大きい結婚式を上げてあげたいって言って。
新しく働いていたんです。」
「どこで?」
「麻薬の密輸入です。やめると言った時に・・・なにかで殴られたみたいなんです。」
ベッドの上の親友の頭には包帯が巻かれていた。
「僕が、あの時止めていれば・・・」
「え?」
「ごめん、2人きりにしてもらえる?」
彼女はそれを聞いて、ゆっくりと部屋を出て行った。
目の前の親友には薄く産毛のような胞子がまとわれている。
今はもう、真っ黒だったり汚染された海のようないろではない。
頬をそっと撫でてやる。
手には胞子はついていないが、軟らかい感触だけは確かめられた。
それが人体の軟らかさか、胞子の軟らかさかは定かではなかった。
何故、僕はこんな目があるのだろうか。
あるにもかかわらず、親友を止められなかった。
それをすごく悔やんだ。
しかし、今目の前にいる親友は僕が人生を歩いてきて一番綺麗。
生まれたばかりの赤ん坊よりも。
誠実に生きた人間でも。
どんなものよりも綺麗。
悔やみと目の前の美しさは葛藤のようだった。
医者に聞いたら、彼はいつ目を覚ますのかはわからないらしい。
丸椅子に座った僕はまだ親友を見つめたいた。
彼は一生目を覚まさないだろう。
年を取って細胞が衰えても、ずっと・・・
彼は完璧な冬虫夏草になってしまったから。
悪事は彼を養分としてこれからも生き続ける。
ずっと、ずっと美しい姿のままで。
end 20090619