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俺の机の小さいほうの引き出しが異世界に通じてしまった。-脳筋姫と天空門の勇者-

作者: 裏側の飛鳥

※ゲーム用語だったりがそこそこ出ます。ご注意。

 地図の広げられた細長い長方形のテーブルを、細かな装飾の施されたローブをまとった者たちが囲んでいる。その上座には、腰まで伸ばした美しい金髪をゆらす軽鎧をまとった女性が腕を組んで立っていた。

「姫、もはや連合軍も押され隣国の防衛線も限界にきております。このまま隣国が倒されれば我らのような小国は三日と持ちますまい」

 しゃがれた声で一人の男が姫と呼ばれた女性にいら立ちを隠せないように進言する。

「派遣した兵たちも負傷して続々と戻っております。戦ってくれた彼らに敬意は表するが、しかし彼らはもう戦えないでしょう。怪我もそうですが、恐怖で動くこともできますまい。士気もあからさまに下がっております」

 他の男が早口にそう言った。姫が難しい顔をして俯き、その後大きく頭を振った。

「そんなことはわかっている。だが、連合軍を抜け国民を連れ逃げおおせたとして、その後はどうなる。我らは敵前逃亡した恥知らずと罵られ、そしていずれまた襲い来るやつらの恐怖に怯えねばならない」

 姫は大きく深くため息をつき、右手で顔を覆う。

「なればこそです。姫、我々があなたに求めているのは王家に伝わる大秘術。異世界へ救援を請うことができると言う『天空門(スカイゲート)』を、今こそ使うときであると」

 一人の男がそういうと、周囲の男たちがざわめき始めた。

「かつて魔王を封印せしめたという異世界からの使者を再び呼ぼうと言うのか。あれはおとぎ話ではなかったのか」

 比較的若い声の男が驚きの声をあげる。

「ふむ、お主は知らなかったか。我らが小国でありながら併呑されず国としての体裁を保てているのは、王家に脈々と伝わる異世界の血が畏怖として残っているからであるぞ。他国が名を変え主を変えその姿を保てぬ中、千年も前からこの国の名が残り続けているのは伝説が確固たる真実であるからにほかならぬ」

「ならば、なぜその秘術を使わぬのです。魔王軍の勢力が急激に大きくなっているのは魔王の復活が近い証拠。なればこそ伝説の使者…勇者を呼び出すのは今しかありませぬ」

 若い声の男が拳を握りテーブルを強く叩く。すると、姫がすさまじく渋い顔をしながら顔を真っ赤に染めて語り始めた。

「確かに天空門(スカイゲート)の秘術は私にも伝授されている。だが、皆も知る通りの恥ずかしい話だが、私は魔法の類は大の苦手でな。困ったことにあの秘術は一生に一度しか使うことができないんだ。もし失敗すればそこで終了、二度と使うことはできぬ。そしてさらにもう一つ大きな問題があってだな…」

 次の言葉にそこに居合わせた全員が苦い顔で声を漏らした。

「しかしこのまま世界が終わるかと思えば、我ら小国の問題など些細なことでしょう。姫には我慢していただくしかありませぬ」

 全員が重い表情で頷き、姫に迫った。

「姫、ご決断を」


─────


 コンビニで栄養ドリンクと弁当、酒のつまみを買い込み、もはや愛着のある板の角が少し浮いたアパートのドアを開ける。

 部屋の電気をつけ、鼻歌を歌いながら学習机の上のつけっぱなしのPCのモニターの電源を入れる。すぐさま表示されるデスクトップには、勇ましい表情の男の剣士と杖を持った可憐な少女がポーズを取った壁紙。

 弁当のテープをはがしながら、慣れた手つきでショートカットからいつものアイコンをダブルクリックで起動、開いたウィンドウに自動入力のIDは飛ばしてパスワードを打ち確定、次に開いたウィンドウにスマホを見ながらワンタイムパスワードを打ち込んで、ログイン。モニターが一瞬ブラックアウト、企業のロゴが表示されてフェードアウトしたら、[START]の文字をクリック。すると読み込みが始まったので、一度離れて台所の冷蔵庫に麦茶と缶ビールを取りに行った。

 ――明日は久々の休みだ。今日はちょいとがんばっちゃうぞ。

 22時を少し回った壁かけの時計の針を鼻息一つ払いながら一瞥して、再び机に向かう。モニターには鎧を着込んだもの、ローブに包まれたもの、軽装のもの、の女性キャラクターが並び、カーソルの合っている鎧の女性以外は椅子に座って待機している。

 机に置いたスマホから通知音がした。覗きこむと仲間からのメッセージで「いつインする?できれば盾よろ」と書かれていた。

 ――ならば、今日は君で決まりだ!

 カーソルを変えず、そのままエンターキーを押すとキャラクターが「では、行きましょう!」としゃべってポーズを取り、画面が切り替わっていった。

 変わらない日々の、ほんの少しの楽しみ。友人らしい友人は遠くへ離れて普段会うこともないし、連絡もそうそうない。毎日ネットにつながれたRPGで捕まえた仲間たちと協力して攻略し、時に世間話をし、時に愚痴を言い合い、そして喧嘩してまた仲直りする。有意義かどうかはともかく、会社以外不満のない充実した生活を送っている。少し出てきた腹も歳のせいかな、と半ばあきらめていた。

 ログインしていつもの集合場所にキャラクターを移動させると、すぐさま画面右下に通話ウィンドウが表示され受話器のマークをクリックする。

『おーっす!』

「おいーす。ちょうどインするとこだったわ」

 いつもパーティを組んでいるリーダー格のやつが陽気な声で挨拶してくる。先ほどのメッセージもこいつだ。

『他の奴らももうすぐ来るはずだからPTだけ組んどこうぜ』

「うぃー、今帰ってきてそのままつけたから飯だけ食わせてくれ」

『うへ、仕事おつ!ってか帰ってくんの遅くね』

「納期がやばくてさーマジ営業ぶん殴りたいわ」

『わかるわー』

「とりあえず飯食うぜ。マイクミュートするわ」

『おけー』

 通話ウィンドウのマイクのマークをクリックするとスラッシュが入りこちらの音は入らなくなる。

 かぱっと弁当のふたが音を立てて開かれると、コンビニで温めた余熱が湯気となって部屋に溶けた。麦茶をひと口飲んで早速袋から割り箸を取り出す。そして割り箸を割った次の瞬間―――

「――――っ!!!!????」

 学生のころから愛用している学習机がまばゆい光を放ちまともに目を開けられなくなる。腕で顔を覆うも、それすら透過して瞼の裏に映り込むほどの強い七色の光が暴れまわる。次の瞬間、まるで錆びついていた列車が動き始めたようなけたたましい金属音に似た音が部屋中に響き渡り、たまらず顔をしかめて人差し指を耳の中に突っ込んだ。

「な、なんだァーーーー!?!?」

 思わず声が出る。次第に音は小さくなり、七色の光も段々と穏やかになっていく。

「…っ…?」

 恐る恐る目を開くと、机というよりは右の上から二段目の引き出しの隙間から光が漏れている。

「(なんか変なおもちゃ入れてたっけか…?)」

 確か最後に開けたのは半年前とかいうレベルのまったく用事のない引き出しである。中には輪ゴムで束ねた去年のレシートぐらいしか入ってないはずだ。

 柔らかい光が回転するように七色に漏れる引き出しの取っ手におっかなびっくり指をかける。ほんの少し熱を持っていた。

「(まぁ、開けるしかないわな…なんか変なの入れてて火事になっても困るし)」

 覚悟を決めて指に力を入れる。まるで金属の塊でも入っているのかと思うほどに、重い。

 力いっぱいに一気に引きあける。

「――――っ!」

「………」

 目が合った。

 引き出しを開いた先にいたのは、額に宝石のついた飾りをつけた金髪の、青い瞳の女性。耳は細長く尖っていて、根元には藍色の球の飾りがついている。

「えっと…どちらさまで?」

 俺がそういうと、見上げた形の女性がはっとしたように咳払いをした。

「あ、ああ…ごほんっ。申し遅れた、我が名はイスラルタ。スヴェルリムト国第62代目の王位継承権を持つ姫である」

 かしこまって自己紹介をしてくる。

「あ、ご丁寧にどうも…?」

 内容がつかめない。というか、この引き出しどうなってんの。

 引き出しの下を覗き込むが、特に何の変哲もない木製の引き出しである。

 これはまさか、ラノベとかアニメでよくある異世界転移とか転生とかそんなやつか?ってかあれって大体死ぬのが契機じゃなかったか?よく言う転生トラックとか。なにこの未来から猫を模せてない毒舌ロボットが来るような入口。

 再度引き出しを覗き込むと、先ほどの女性――イスラルタさんとか言ったか――がよそ見をしていて、こちらに気付くと肩をびくりと動かして驚いた。

「し、失礼を承知で尋ねるが、貴殿の名を拝聴してもよろしいか…?」

 自分の自己紹介がまだだった。

「(本名はまずい気がする)あ、えーっと…俺の名前は…グラタ…そう、グランだ!グラン・ドリアーノ!」

 壁に貼ってあるピザ屋のチラシが目に入ってしまった。3か月前のサイドメニューキャンペーンの広告のグラタンとドリアがうまそうだ。

「グラン!なんと勇ましい名であろう!それにドリアーノとは、聖樹の加護も受けているような響きも素晴らしい!まさに貴殿は我らの世界に迎えるべき勇者!」

 勇者?

「あー、えっと勇者ってなんですかね…?」

 聞きなれているが日常ではまず聞かない言葉がよぎる。

「貴殿はスカイゲートの秘術により選ばれた異世界の勇者なのだ。百聞は一見に如かずと聞く。こちらの世界を覗き見るのがわかりやすかろう」

 嬉しそうにそう言ってイスラルタが引き出しから離れた。誘われるように引き出しに顔を入れて見る。

「っ!…すっげぇ…!」

 顔を突っ込むと強風が横っ面を叩いた。思わぬ風に面食らいながら目を開いて左右を見回すと、つながっている場所がすさまじく高いところであることが分かる。真下には石造りの床があるが、恐らく塔か何かなのだろう、周りは胸の高さぐらいの石の塀で囲まれており、その向こうには目の高さの稜線がはるかかなたに続いている。

「ここは!?」

 あまりの強風に大声でイスラルタに問いかけた。

「再び来る世界の危機に備え、スカイゲートの秘術のためだけに建立されたスヴェルリムト王家に代々伝わるスカイタワーだ!」

 イスラルタもまた大声で返事した。

「世界の危機ってなんだ!っていうかどうみても日本人じゃないのになんで日本語通じるんだ!」

 強風の中叫ぶ。

「千年前に封印された魔王が復活の兆候を示している!そしてその眷族が我々ヒトの世界を蹂躙せんと侵略を開始したのだ!私がしゃべっているのはスヴェルリムト語だ!ニフォン語とはなんだ!貴殿の世界はニフォンというのか!?」

 風が強すぎる。たまらず手を伸ばしてちょいちょいとこちらに来るよう手招きすると、イスラルタが少しむっとした表情になりつつもこっちに近寄って来た。それを見て、俺は顔を引っ込めた。

「む、いかがされた」

 再び最初の状態に戻る。

「風が強すぎて大声出さないといけないだろ。この時間に叫んだらお隣さんに迷惑だ」

 そういうと、イスラルタが怪訝そうな顔をする。

「この時間…?お隣?貴殿の世界は遅い時間なのか?まるで太陽に照らされているかのようにそちらに見える部屋は明るいではないか」

 そう言われて、文明の差に気付いた。電気の照明とかそういうのはないのだろう。魔法の照明とかはないんだろうか?

「俺たちの世界は部屋を昼のように明るく照らす照明道具があるんだ。スイッチ一つで点けたり消したりできるぞ」

 そう言って少し離れて部屋の電気をオンオフと切り替えて見せる。

「な?」

 イスラルタが瞳を輝かせて感動している。

「おおお…!異世界はまるで神の国のようだ!光の力も自在であるとは、それこそ神の御技ではないか!」

 電気職人の方々、胸を張ってください。そして感謝してます。当たり前に使っててごめんなさい、ありがとう。そう思わせるほど大げさに驚くイスラルタ。

「それで、俺が選ばれたって言ってたけどさ。正直俺、凡人なんだがそっち行ってなんかできるのか?」

 そう。俺はただの会社員だ。若々しいわけでもなく毎日運動もせずに自宅と仕事場を往復して時折夜更かしする油ものが大好きな不健全極まりない生活習慣病予備軍の男である。強いて言うなら煙草は吸わないぐらいか。

「安心してほしい。スカイゲートの秘術では非凡なる者は選定されない。世界を救う見込みのある者の近くにゲートを開くよう作られているのだ。かつて世界を魔王の脅威から守った勇者もこちらの世界に降り立つと同時、近くに転がっていた剣を拾い一振りするだけで千の魔物を蹴散らしたという伝説がある。きっと何かすさまじい力を得ることができるのであろう」

 腕を組んで自信満々にそう語る。

「さぁ、グラン・ドリアーノ殿!我らの世界を救いに降臨いただけるか!」

 両手を広げ仰々しくそういうイスラルタ。

「ごめん、今とりあえず約束あるんで後にしてもらえるかな」

 我ながら相当そっけなく言ったと思う。

「む…先約があったのか…これは失礼した。そうであるな、いかな異世界といえど人は人、個人の都合があるゆえ仕方のないことだな…」

 物わかりがやたらよすぎるので逆にちょっと申し訳なくなった。

「ちょっと仲間と大物狩る約束してるんでね。詳しいことは一時間ほどあとで。晩飯も今からだから」

 そういうと怪訝そうな表情をする。

「貴殿、よもや食事を取りながら狩りに出ると言うのか!しかも狩りを一時間で済ませるだと!?」

「まぁ、いつものことだし。俺一番前でヘイト稼いでPOT使うだけだから」

 目を丸くして口を半開きにし、わなわなと震えるイスラルタ。

「食事を大物の獲物の、それも一番前で戦いながら摂る!?そのようなものが凡人などというのか、そちらの世界は!」

「ちょい忙しい時はさすがにパンとか口にくわえてやるけどさ」

「なんと凄まじい。異世界の使者が勇者たるゆえんはそこにあるのか!」

 なんだかすごい感動された。

「一回閉めていい?会話とかあんまり聞かれたくないし」

 そういうと急に慌てた顔になった。

「そ、それは困る!このゲートは一生に一度しか開くことができないのだ!このまま貴殿を迎え入れられぬまま閉じられればこの世界を救う手段はもうない!」

「えーまじか…」

 少し考える。そういえばこの引き出しは開く前から向こうの世界から繋げられていたような気がする。

「半分ちょっと閉じてみていい?」

 返事を待たずに半分引き出しを閉める。

「あ、ちょっと!」

 慌てて閉まる引き出しに手をかけた。

「半分閉まってるところ何か見える?」

「え?これは…木の板か?」

 その返事で十分だった。

「オーケー、じゃあここ閉めても大丈夫だ。このゲートっていつまで開いたままにできるの?」

 予想通り、この引き出しそのものがゲートになっているらしい。ゆえに、机としての引き出しの開閉はゲートには関係なさそうだ。

「塔の力でおおよそ1ヶ月半は持つだろう。しかし、連合軍の防衛線はそこまでは持たぬ。魔王軍の勢力と連合軍の力量差は日増しに大きくなっている。試算した者がいたが、持って4週間…いや、3週間とわずかといったところだ。それまでに状況を打開せねばならない」

 思ったよりタイムリミットは長かった。

「まぁ、俺もいきなりいなくなると周囲に迷惑かかるから待って。あとこれって行き来できるのか?」

 世界を救うのはともかく、帰ってこれないのは困る。というか文明レベルもあるからな、ネトゲできなくなるのは切ない。

「ゲートが開いてる間ならば問題ないはずだ。だが、一度閉じるともうつなぐことはできぬ」

「ってことは…1ヶ月半の間に世界を救って帰ってこないといけないってことか」

 なかなかのハードスケジュールである。

「ま、一時間ほどすまないが待っててくれ。用事済ませてくる」

 そういうとかしこまった表情になるイスラルタ。

「了解した。武運を祈る」

 大層なことをするわけじゃないので軽く手を振って引き出しを閉めた。

 ………。

 もう一回開く。

「ひゃっ!?」

 イスラルタが可愛らしい声で驚いた。閉めたのでちょっと落ち着いていたのだろう。

「ごめん、夢かと思って一応再確認で開けただけだ。お邪魔した」

 ぱたんとまた閉めた。

 モニターの方に向かい直す。冷えてしまった弁当を前に、割り箸はどこにいったかと探す。

「…つまりどういうことだってば」

 机の端で落ちかかっていた箸を拾い軽く振って唐揚げをとった。


『あれ、飯食ったんじゃないの?』

「いや、ちょっといろいろあって食いながらですまん」

『うへぇ咀嚼音やべぇ。静かに食ってくれよ!』

『うわぁまじ腹減るわぁ。晩飯カップ麺で済ませたからさー』

 いつのまにかボイスチャットに参加していたもう一人がうらめしそうに声をあげる。

「からあげうめぇ!」

『くぬやろう!』

 そんなこんなしながら、イベントのボスの真正面に陣取り挑発スキルでヘイトを稼ぐ。防御全振りのステと装備だ。自動回復もついているため、オートアクションを起動していればまずもって全滅することはない。

 仲間との共闘を続けながら、先ほど起こったことを思い浮かべる。今も引き出しの隙間からは七色の光が漏れていて、夢ではないと主張している。

「なぁ、二人とも」

『なんだ?』

『なに?あ、やべミスった』

 俺に向けられたボスの直線範囲攻撃に巻きこまれてる。ざまぁ。

「いきなり海外派遣で難民キャンプに奉仕活動いけって言われたら行くか?」

『会社命令だったら行くしかねえだろ』

『いや俺だったらそれさすがに会社辞めるわ』

 意見が二つに分かれた。

『え、何?海外行くの?』

「まぁ似たようなお誘いがかかってるんだよ」

『まじでー!昇進か終身のどっちかじゃん!怖くね!?』

 だよなぁ。そもそも生きて帰れる保証もない。

 しかし、世界が滅ぶと言われて、しかも自分しか救えないと言われれば見放すのも気が引ける。一生後悔しかねない。

「…行くか。スヴェルリムトに」

『ん?新マップ?』

『新マップはブラトニアだったろ。来月実装だわ』

 自分だけがいつもの世界からゆっくりと剥がれ落ちて行くような奇妙な感覚を覚えていた。


「お待たせー」

 引き出しを開けるとイスラルタの姿が見えなかった。頭を突っ込んであたりを見回すと、塀に背中を預けてうとうとしているのが見える。

「ん……はっ!?」

 俺に気付いたのか慌てて立ち上がり姿勢を正す。

「失敬したグラン殿。して、成果はあげられただろうか」

 こちらに近づき見上げた。

「おかげさまで今回欲しかったイベントレアは確保できた。もう少し走りたかったがそっちの事情もあるからな。来月の大型アプデまでにそっちの用事済ませて帰ってこねえと」

 そういうと、内容はよくわかっていなさそうだが、ぱっと明るい笑顔になる。

「で、では貴殿の力を我らに貸していただけるのか!」

 大きく頷いた。

「いいよ、ここで断ったら一生夢で後悔しそうだし」

 とりあえず向こうに行って、こっちの仕事と両立できる内容か考えながらやろう。

「貴殿の寛大な心に感謝を…!今まで悩んでいたことは愚にもつかぬことであった。貴殿ならば、この身捧げることに躊躇いはない!」

 …ん?どゆこと?

「えっと?」

 俺が不思議そうな顔をすると、唐突に顔を真っ赤に染めるイスラルタ。

「あ、済まない、その、貴殿がこちらの世界で力を発揮するためには…私と契りを交わさねばならぬのだ…」

 契り…。

「つ、つまりは我と婚姻を結び、スヴェルリムト王家の力を継承するということだ!簡単にいえば我と結婚して次期王位継承権を得、異世界の使者をスヴェルリムトの秘術によって強化できるのだ!」

 結婚。

「結婚」

 余りにも恥ずかしくなったのか、両手で顔を覆って指の間から目だけ出してこちらを覗く。

「そ、その…!世界を救えれば王位継承権は破棄しても構わぬ…!貴殿の世界での生活もあろう!無理強いはできぬ!それとも、私を妻にすることがお気に召さないか…?」

 もじもじとしながらこちらを窺う。

「いや、大丈夫だ。そろそろ嫁さんが欲しいと思ってたところだ」

 むしろ俺でいいのか。喉まで出かかった言葉を飲み込む。多分、美醜感覚はあんまりないのだろう。悪い顔じゃない自信はあるが最近たるんできて、どんだけ間違えても一目で見て結婚したいなんて思えるようなかっこいい顔ではないぞ。

「では、こちらへ来ていただけるか。皆に紹介したい」

 嬉しそうに手を広げながら下がる。

「(まぁ、戻れるらしいし行ってみるか)」

 さすがに恥ずかしいのでさっき脱いだばかりのワイシャツとスーツを着て、いざ引き出しに足から入っていく。

「うわ、結構高いな…」

 ゆっくり下がっていく。と―――

「あ!」

 思わず声が出た。

「いかがされたグラン殿!」

 何事かと慌てるイスラルタの声。

 やばい。

 こんなところでまさかの。

「狭くて、通れない…!」

 主に腹がつっかえて…!

「なんと!?」

 ぷつんとお腹のあたりのボタンがひとつはじけ飛んだ。やだ、すっごい恥ずかしい。

「ご、ごめんちょっと押し上げて!一旦戻る!」

「りょ、了解した!」

 イスラルタの細い手が俺の足裏に触れる。余りにもその感触が華奢で絶対に持ちあがらないと思ったのだが…。

「うおおおおおおお!?」

 ひょいと持ち上げられ、予想外の動きに俺はそのまま部屋の中に放り出され頭から床に落ちた。

「いっててて…」

「グ、グラン殿!?大丈夫か!?」

 ぴょんぴょんと引き出しからイスラルタの前髪が飛び出して揺れている。

「イスラルタさん…」

「恐れ多い!呼び捨てで呼んでいただけないか!」

 さん付けで呼ぼうとしたら即答された。

「ああ、え?…んじゃイスラルタ…すごい力持ちだね」

 俺行かなくても彼女だけでいいんじゃないか?

「も、申し訳ない。慌ててしまって力加減ができなかった」

 よく考えたら女性に力持ちって言ったら失礼だったような気もしたが、言われ慣れているのか特に気にしていないようだ。

 そんなことより。

「不摂生がここで祟るか…」

 引き出しが狭くて腹がつっかえて通れない。なんて恥ずかしい勇者だろう。そんなことを思っていると、イスラルタの声が聞こえてくる。

「すまない、グラン殿。本来であれば大型の船一隻通れるほどの巨大なスカイゲートを開くことができるはずなのだ。だが、私は魔法の才がなく武術の訓練ばかりしていたら、少量の魔力しか蓄積できぬようになっていたのだ。ゆえに、此度のスカイゲートもここまで小さくなってしまった…これは私の落ち度だ。申し訳ない」

 フォローなのか本当なのかわからないが、兎にも角にも腹がつっかえた事実は消えない。

「くっ!力づくで開けないものか…!?」

 引き出しの枠に手がかけられ、ばちばちと不穏な音がする。

「だめだ…塔の力でこの大きさに固定されてしまったようだ。このままでは世界が…」

 広げることはできなかったようで、ひどく落ち込んだ声が聞こえてくる。

 よくよく考えれば引き出しの枠は単純に人が通れる大きさかといえばかなりきわどい。腹周りもだが、肩幅もある。肩も柔軟にひっこめられなければ通ることは厳しい。ラケットの枠ほどではないがかなり通過するのが難しい部類だろう。

「3週間」

 引き出しに近づいてイスラルタにそういう。

「え?」

「必ずそっちに行ってやる。だから3週間俺にくれ」

 真剣な顔で言う。

「3週間でここを通れるぐらい鍛えてくる」

 呆然とする彼女に笑いかけた。


 会社には「急な用件で休まないといけなくなったから有給40日フルで使う。ダメならやめる!」と辞表と一緒に有給申請書を出した。すっごい険しい顔の上司をこっちも険しい顔で牽制しにらみ合うこと10分、上司が折れてくれた。「帰ってきたらこき使ってやるから覚悟しやがれ」と憎まれ口を叩かれたが、おとといまで頑張ってたことも幸いし納期は守れそうで、ちょうど次の案件まで余裕があったようだ。

 40日の有給消化など普通ならば退職時ぐらいだ。うきうき気分で遊び呆けたいところだが、急を要する事態である。3週間で腹周りをくびれまではいかなくとも胸囲よりは狭めなくてはならない。それに加えて全身の柔軟だ。何からやればいいのだろう。身体づくりなどド素人中のド素人だ。本屋で調べるか。それともトレーナーについてもらって鍛えるか。食事制限なども考えねばならない。

 ふらふらと本屋へと向かい、トレーニング雑誌をぱらぱらとめくる。健康的に痩せるや、短期間で痩せる、体を鍛える、体幹トレーニング。さまざまな言葉が並ぶ。総じた感想は。

「素人が適当にやるもんじゃないな、これ」

 となると、トレーナーについてもらうパーソナルジムだ。ネットで検索するといくつかヒットする。値段はそこそこするが…

「ネトゲの課金に比べりゃ大したことないな…」

 別におかしなことは言ってないよな。な?

 というわけで、俺は最短で最速に確実に的確に健康的に鍛えて痩せるためにパーソナルジムを選択することにした。っていうかやり方を選んでる暇がない。

 かくして、3週間で細マッチョになる男の戦いが始まった。


―――


「姫。もはやこれまでかと」

 焼け野原となった最終防衛線の夜の闇に、魔王軍の赤い目が浮かび上がりおぞましい光景が広がっている。

「敵の数はわからず、連合軍の兵も二千を切りました。あとは我ら人間の意地の悪あがき」

 このまま押しこまれれば、負傷した兵たちはおろか国民のすべてが無抵抗に蹂躙される。

「あれから3週間。よく持ちこたえた。勇敢に戦った兵たちに感謝を。勇敢に散った英霊に敬意を。最期に死地に向かう我らに一矢報いる力を授けたまえ…」

 姫が胸の前で手を組み祈った。

「さぁ、戦いの銅鑼を鳴らせ!咆哮をあげよ!我らスヴェルリムトの兵は一騎当千!魔王の軍など我らの力で蹴散らしつくしてくれようぞ!」

『オオオオオオオオオオォォォォォォォ!!!!!!』

 そう叫ぶと、銅鑼が鳴り兵が声をあげる。

「我に、続けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」

 国旗のはためく槍を天に衝き、そのまま白馬の腹を蹴って駆けだした。それを追うように全軍が一気に突撃する。

 魔王軍は動かず、迎え撃つように静観している。そして、両軍は激突した。


「姫!!!」

 戦いが始まってどれぐらいが過ぎただろう。敵の攻撃をかいくぐり、ときにまとめて薙ぎ払う。鍛えに鍛えてきた身体も、すでに限界が来ている。

「どうした!」

「押されています!もう、残すところ100人を切りました!」

「っ!」

 ここまで。まだ復活もしていない魔王の眷族にこうもしてやられる。悔しさで胸が潰れそうになるのを抑え、槍を振るう。はためいていた国旗もいつのまにか破れ原型は残っていない。

 いやだ。死にたくない。死なせたくない。この世界を守りたい。たとえ自分ひとりになっても、腕が一本しかなくなっても。最期まで戦い抜く!

「うあああああああああああ!!!!」

 王家の力で並の兵士の数倍の力を持つ。けれどそれだけじゃ何も守れない。手の届く先で兵が一人、また一人と倒れていく。私に魔法の力があれば。どうして私の時に。どうして父上も母上も急逝なされたのか。どうして私には兄弟がいなかったのか。どうして、私はこんなにつらい運命にあるのか。

「うわああああああああああ!!!!」

 雨…?それとも、涙…?あれ、私、泣いてる…?

 しょっぱい。

 やっぱり、泣いてる。

 泣いてるよ。

 助けて。

 誰か助けて。

 誰か――――!

「………ぅぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 この声―――

「姫様ああああ!」

「イスラルタぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」

 包囲している敵を蹴散らしながら、四組の騎兵が菱形の編隊で突撃してくる。

「俺だぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!」

 間違いない。 

「結婚してくれぇぇぇぇええええええ!!!!!」

 胸が高鳴る。この気持ちは。

「貴殿に、我が一生を誓うぞおおおおおおおお!!!!!」


―――


 イスラルタの顔を確認してすれ違いざまに馬の上から抱き寄せかっさらう。

「すまねぇ、遅くなった!」

 腕の筋肉もついてこんな芸当もできるようになった。鎧の分がちょっと重いが十分片手で抱き上げられる。

「すまねえが3分周りを守ってくれ!」

『了解です!』

 ここに連れて来てくれた兵士たちに号令をかけ、イスラルタを抱きかかえながら馬から飛び降りる。

「こっちの世界でも指輪の交換とかあるのか!?」

「ゆ、指輪!?」

「あーあってもなくてもいい!俺の気分の問題だ!ほらここに立ってくれ!」

 イスラルタを立たせて、その前に跪く。

「俺の世界式でやるぜ。改めて言うぞ!」

 懐から小箱を取り出して、開けてみせた。

「俺と、結婚してくれるか?」

 中には、一ヶ月分の給料丸々はたいて買ったダイヤの指輪。

「…はい!」

 その返事を聞いてすぐ左手を取り、手甲を外して薬指にはめた。すると、ぼろぼろと涙を流して泣き始める。

「す、すまない…涙が、どうしても止まらない…!こんな気持ちは初めてなのだ…!」

 立ちあがってイスラルタの顔を見つめる。

「俺だって初めてさ」

 それだけ言って、俺はイスラルタの腰を抱き寄せ唇を奪った。

 その瞬間。

 俺とイスラルタの身体から強力な白い光が発せられ、風が起こり周辺の魔王軍の兵士を巻きあげて巨大な竜巻となっていく。

 離れないよう力強く抱き寄せる。すると、イスラルタも俺にしがみついた。

「これが、スヴェルリムト王家の力…!?」

 驚いていたのは俺だけではなかった。竜巻は光とともにその規模を広げ野球場の広さほどを吹き飛ばしたのち収まる。そして、空から俺たち二人に向けてスポットライトのように光が差し込んだ。

「これは…?」

 その光が段々と細くなり、足元の地面へと文字通り刺さっていく。

 光の先から形作られていくのは、剣。

「へぇ…ファンタジックでいいね。気に入ったぜ」

「グラン殿…少し口調が変わられたか?」

 そうかもしれない。筋肉がついて自信もついたのか。

「嫌か?」

 完成した光の剣を取り、魔王軍に向けて構えた。

「いや。以前よりとても魅力的になった」

 ふっと笑ったイスラルタに、俺も笑って返す。

「さぁ、反撃開始だ」


―――


 それから俺たちは魔王軍を一気に蹴散らし、領土を取り返していった。迫るタイムリミットが頭をよぎりながら、魔王の封印塚まで攻め込み、無理やり魔王を復活させて不完全なまま止めを刺した。

 その時間にして約二週間。

 こんなに強くなっていいのかと思うほどだが、王家の力が異世界の使者にもたらす強化っぷりは半端なく、余った時間を復興に割けるほどの余裕っぷりだった。

 そして、その日は訪れた。


 大勢に見守られながら、俺たちはスカイタワーの前に立っていた。

「有給きっかり40日使いきったなぁ」

 明日出勤かと思うと割と憂鬱である。

「ユウキュウ?悠久が40日とは随分と短いのだな。グラン殿の世界は悠久よりもっと長いことを指す言葉があるのか」

 その言葉に笑う。

「覚えていけばいいさ。でも、本当にいいのか?」

 イスラルタの顔を窺う。

「余り決心の揺らぐ質問はしてくれるな。もう決めたのだ」

 少しむっとしたあと、笑って見せる。

「そっか。しかし、手続きどうするかな…子供は日本国籍取れるけどイスラルタは戸籍ないからな…」

「も、もう子供の話をするのか…?」

 驚いて顔を真っ赤にする。まぁ、国籍とかよくわかってないよな。

「あー、はは、気にしなくていい。俺が頑張るさ。さ、みんなにお別れだ」

 一緒に振り向いて、イスラルタの背中をぽんと叩く。

「みな、国を捨て行く私を許してくれるか」

 恐る恐るイスラルタがそういうと、ぱらぱらと拍手が起こる。そしてその拍手は次第に大きくなりいつしか盛大な拍手になった。

『姫様!私たちは姫の幸せを願っています!』

『国に尽くしてくれてありがとうございました!』

『あとは我々に任せて、幸せになってください!』

 いろんな声が聞こえてきた。そのどれもが、イスラルタへのはなむけの言葉だった。

「みんな…ありがとう。ありがとう…っ!」

 感極まったのか涙があふれてくるイスラルタの肩を抱く。

「すまねぇなみんな、お姫様はもらってくぜ!」

 俺がそう叫ぶと、割れんばかりの歓声が上がる。

「さ、行くぜ。ゲートが閉じちまう」

 歓声と声援を背に受け、俺たちは塔の入り口に向かった。


 短期間でいろんなことがあった。

 世界を救うために死ぬほど筋トレしたこと。

 敵陣のど真ん中で求婚したこと。

 恐ろしい化け物を剣一本でめちゃくちゃに蹴散らしたこと。

 まるで夢を見ていたような体験だったが、それが本当だったと証明する存在。

「イスラルタ」

 ぼろアパートのど真ん中で彼女の名前を呼ぶ。

「なんだ、改まって」

 正面に見据えて両肩に手を置いた。

「愛してる。絶対に幸せにする」

 俺の、俺たちの本当の戦いは、これからだ。



―――おしまい―――

 お読みいただきありがとうございました。

 短編ということで相当いろんなところを端折りつつ書かせてもらいました。

 完全にギャグにするつもりだったんですがテーマどこだよってレベルで脱線してます。申し訳ない。どうしても一日で書き上げたかったんです()

 タイトルの状況でだいぶ出オチです。異世界行きたくてダイエットするぞ!成功したぞ!で終わるつもりだったんですが、後味すっきりになるよう今回の展開とさせてもらいました。思いついちゃった設定を消化できて満足です。


 それではまた別の作品や連載でお会いしましょう。拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

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