女神だった君へ
フィクションです。実在の人物、歴史、戦争、兵器などとは一切関係がありません。
2132年7月~2133年7月 クフラ防衛戦役
これはアルムナート・エアクラフト・カンパニーによる国家転覆を目的とした攻撃に対し、大日本・蘇芳自治区が空戦部隊を出動させて防衛を図った戦いのことである。アルムナートはもともと大日本が他国による侵略行為に対応するための空戦兵器開発・製造の代表的企業であったが、国の代表者の交代に伴う国策の転換によって自社に不利な条件を立て続けに押し付けられたことに腹を立て、国家転覆のために独立府を興し、新型兵器を大量製造していた。その拠点が蘇芳自治区の蘇芳沖約30キロメートルの御影島にあったため、蘇芳が国家防衛の拠点になった。空戦兵器のパイロットが集められ、アルムナート製の無人戦闘機”クフラ”に対応できる勢力が配備された。大日本はアルムナートに次ぐ第二位の爽光重工に依頼して独自の戦闘兵器の開発を急ぎ、より多くの人員を戦闘要員にし、戦闘力不足を補った。そのとき志願したのが、空戦機のパイロットを父に持つ蘇芳の少女・牧森侑華、当時十四歳であった。爽光の戦闘兵器”エアバトルスーツ”は空戦における移動のしやすさに重点を置いたものであり、最高速度の実現、かつ戦闘員の保護において並ぶものはない質の高さを誇った。侑華はそれを纏い空を舞うことの魅力に憑かれ、若くして最高の戦闘員になった。いつしか空姫と呼ばれるようになった彼女は、クフラ防衛戦役でも空を舞った。美しい線を描いてクフラを撃墜するその姿はまるで女神であり、アルムナート職員からも特別視されるほどであった。国家転覆を完遂できる戦闘力を用意したアルムナートに大損害を与え、蘇芳自治区の損害を最小限に抑えつつ大日本を守った侑華だが、大打撃を与えた作戦終了間際に受けた攻撃が原因で意識を失ってしまった。
反乱を終結させた大日本は平和を取り戻し、アルムナートを怒らせるきっかけとなった平和主義への道を歩み始めた。徹底的な反戦、最新技術を活用した防衛、外国との連携を進める中、”知の富国政策”によって全員が高等教育を無償で受けられるようになった。戦闘員の数は激減し、侑華のような未成年者はパイロットになれず、志願者は養成校に行くように法律が定められた。
二年の時を経て目を覚ました侑華は自分の功績を認めず、自分がしたことを信じなかった。彼女は空戦の記憶を失っていたのだ。十六歳になったばかりの彼女は最寄りの臨海晴風高校への途中入学試験に合格して少し遅れて高校生になったが、自分を称え畏敬の念を抱くクラスメイトの態度が気に入らず、孤立気味だった。このまま高校生を続けても楽しくないので両親に退学を相談したが、両親ですら彼女を大物扱いした。まるで自分だけがおかしいかのような周囲の態度に侑華は居場所を失い、自分を知る人のいない場所に行こうとしていた。
彼女が遠くで暮らすための資金集めをし始めたとき、報酬を提示して彼女を誘う人物が現れた。その人の名は三嶋陽菜。ダークブラウンのショートカットの元気娘だ。彼女は空戦を競技化した”エアマスタリー”に魅入られ、部のエースにまで上り詰めた情熱家だ。彼女は空戦で名を挙げた侑華に相談を持ち掛けた。侑華は空戦絡みのことをもう聞きたくなかったが、強引に中庭に連れていかれてしまった。そこにはエアマスタリー部の部員が揃い、大物へのもてなしを用意していた。侑華は改めて辞退を申し出たが、説明だけでも聞いてほしいと数の圧をかけられ、今日限りの妥協を決めた。
「臨海晴風のエアマスタリー部はエアマスタリー大会の初代王者なの!去年に始まったばかりの大会で伝統はないんだけど、それでもあの時の感動は後の世代にも味わってほしいのね。でも私たち二年は優勝した三年と比べて実力がずっと下なの。毎日練習してはいるんだけど、これまでのリーグ戦は0勝1分2敗と芳しくない。しかも先月始まった予選では5チーム中最下位で突破が厳しい状況...このままじゃ先輩の願いを叶えられない」
陽菜の隣にいるのは部長の萩良幸世。黒髪ポニーテールが特徴的な2年生だ。彼女は部の代表として侑華にオファーを提示した。
「そこでクフラ防衛戦役で大活躍をした牧森さん、貴女にこの部を救ってほしい」
萩良部長の表情は真剣そのものだが、侑華にとってはその態度さえも自分を空戦の人と位置付けたいがための計画の一部に思えた。彼女が変わらず否定的な立場を表明すると、萩良は俯く侑華の向かいに座った。
「貴女があの戦いに嫌な思いをしているのだとしたら、私はそれを忘れてほしい。そのために争いのための空戦じゃなくてエンターテインメントのためのエアマスタリーに熱中してほしい」
侑華は首を横に振った。
「嫌な思いもなにも、私にはその戦いの記憶が一切ないんです。私が空を舞ったとか、次々と敵を倒して敵を壊滅させたとか、そんなはずないです。だって私はただの女子で、まだ十五歳だったんですよ...?」
「...貴女は自分の記憶にない事ばかりで自分を語られて困惑しているのね。それだけ大きな功績だったということを理解しているかしら」
「私はみんなと違って戦争で名を挙げることがどれだけすごいことか分かりません。それに、私が殊勲ということは、私は多くのものを壊して、もしかしたら人を殺したかもしれない...そんなことを功績だ、大活躍だって称えられても、ちっとも嬉しくありません」
侑華は自分が戦争に行ったということは、自ら望んで出撃したということだと考えた。そんなこと自分がするはずないと頑なな彼女だが、顧問が侑華が志願兵であることを告げてしまった。
「私が自ら戦争を望んだ...そんなことありえません!」
「先生は君のお父さんと知り合いでね、君が空を舞うことに夢中になって遊び感覚で的を攻撃していたと嬉しそうに話していたよ。戦争に行くときだって、誰かの役に立つことを望んでいたと...」
「先生、それ以上は...」
狼狽える侑華を見た陽菜が先生を止め、話を切り替えた。侑華は目に涙を浮かべ、口を覆って俯いた。
「嫌なことを言ってごめんなさい。私たちはもっと貴女の気持ちを考えるべきだったわ。でも余裕ができたら少しでもいいから考えてみてほしいの。空戦とは全く違う、楽しく舞うことを目的としたエアマスタリーのこと...空に魅入られた貴女の願いに合致していると思ったの。空戦で名を挙げたっていうのは、実力がある事の証明として使っただけ。貴女が何かを傷つけることはもうないわ」
「ごめんなさい...みんなが空戦のことばかり言うから、私にはそれしかないのかと思って、でも私にはその記憶がないから、私って何なんだろうって思っちゃって...」
大きすぎるアイデンティティばかりが他人に認められ、自分がアイデンティティとしたいものは認められない。それが『普通の女子高生』にどれだけ深い傷を与えたか、周囲は想像しなければならなかった。無神経だったと反省した部員と顧問がその場から去ろうとすると、侑華は涙声で陽菜を呼び止めた。
「もとはと言えば私が強引に連れて来たからだよね、ごめん」
「そうじゃなくて...私はずっと私をわかってくれる人を求めていたんです。だから最後に私のことを理解しようとしてくれたみんななら、私の居場所を作ってくれるかなと思って...ヘンな望み、ですよね」
すると陽菜は袖で侑華の涙を拭い、手を取った。
「作るよ、居場所。誰よりも貴女のこと知ってる人ですら貴女のことを正しく見てなかったとしても、私たちはちゃんと本当の貴女を見るよ。だから...」
陽菜は照れくさそうに頭を掻いて笑顔を見せた。
「貴女のこと、教えてよ...侑華ちゃん」
「三嶋先輩...」
「陽菜でいいよ。みんな下の名前か渾名で呼ぶからさ。これからちょっと部活見学をして、私たちがどんなことやってるかだけでも見てほしいんだけど、時間ある?」
「あ、はい...」
「嫌な気分になったり具合が悪くなったりしたらすぐに帰っていいからね。部活だけが私たちの繋がりじゃないわけだし」
陽菜に連れられた侑華は活動場所の臨海晴風フィールドに移動し、観戦席に腰をかけた。
「ちょっと待っててね。飛行ユニットに着替えてくるから」
一人になった侑華は過去に自分がしていたことを思い出すのを恐れていた。今の自分とは違う過去の自分と向き合ったとき、心を保っていられるだろうか。先生の話にあったように、本当に過去の自分は人の役に立つことを望んで敵を殺害していたのだろうか。だとしたら今の自分は人殺しの過去を持つ大罪人で...
「侑華ちゃん、お待たせ」
「あ、陽菜先輩...それが飛行ユニットですか」
陽菜は黄色のラインが入った白いコンプレッションスーツに腰回りと胸がプレートで防護され、足の裏に超小型飛行力増幅器がついた飛行ユニットを着用して侑華の前に立った。
「詳しい説明は後にするとして、軽い説明をしちゃうね。エアマスタリー参加者は飛ぶためにこのユニットを着るの。このスーツは空を移動するときに極限まで空気抵抗を減らすデザインになってるから、身体にピッタリついてるの。最初は抵抗があるかもしれないけど、慣れればあんまり気にならないよ。観戦者からはよく見えないし、参加者は女性だけだからね」
「身体のラインがはっきりしててなんか嫌ですね...」
「体形を気にする子には辛いかもね。そういう子にはもっとプレートがいろんな箇所についてるユニットを勧めてるよ。空気抵抗が増えるせいで移動速度が下がるけど、恥ずかしくはないかな。で、どうやって飛んでるかなんだけど、この靴って分厚いでしょ?シークレットブーツみたいに」
「ええ」
「この中に飛行力増幅器ってのがついてて、それが飛行を可能にしてるの。最新技術だし複雑な構造をしてるから私たちには理解不能なんだけど、とにかくこれが最重要なわけ」
足の裏には厚いアクリルケースの中に緑色の光る球体が入っているのが見える。おそらく自分が空戦のときに着用していたスーツにもこれが仕組まれていたのだろう。ベンチから距離をとった陽菜が飛行すると、思わず驚きの声が漏れた。
「足の裏の向きによってどこに飛ぶかは決まる。つまり進行方向と真逆に足の裏が来る。上昇ならこう、下降は怖いけど足の裏を天に向けて、鷹が狩りをするときみたいに急降下してから落ちても痛くない高さで増幅器をオフにする。ミスると大ダメージを負うから、ふつうは海の上で降下してから地上に平行移動して着地するんだ」
飛行ユニットに関しては感覚的なものが大きいという説明を受け、次は部長によるエアマスタリーのルール説明が始まった。ホワイトボードが用意され、幸世が黒マーカーで要点を記した。
「1チーム最大10人、同時出撃3人のチーム制で試合時間は8分。決着は3人の同時ノックアウト、10人の全滅、時間切れ。時間切れの場合は獲得点数が多いほうが勝ち。点数の稼ぎ方なんだけど、フィールドにある『ポイントバルーン』を割ると点が入るほか、相手に『バレット』を当てることでも点を貰える。ユニットには耐久力が設定されていて、バレットが当たった箇所によって耐久力が減る。0になるとノックアウト状態になって交代を強いられる。2人同時にノックアウトになっても2人、ベンチが残り1人なら1人が交代で出ればいいけど、3人の場合は残り人数にかかわらず負けになるわ」
幸世は練習用ポイントバルーンと練習用バレット、それを装填するシューターを見せた。
「次は用具の説明をするわね。フィールドにあるのはポイントバルーンだけで、破壊されると30秒後に再設置される。主に海面か地面の近くに設置されるのをバレットで撃ち抜くか接触して破壊する。参加者が持つのはユニットの他にシューターとバレット10発ね。バレットは出撃中なら1分ごとに最大5発補充できる。用具はこれだけよ」
「意外とシンプルなんですね」
「まだ始まって一年しか経ってないからね。これからルール改訂がされてさらに楽しくなるはずよ。最後に選手交代と審判について。選手は好きなタイミングで腕の端末から審判に通知して許可を得ることで交代できるわ」
「ん、腕の端末?」
「スマホを競技専用にさせたものね。これを含めてユニットよ。陽菜はさっき付けてなかったけど、競技の時は必ずつけなきゃいけないわ。で、主審は地上2人海上2人の計4人がいて、ルール違反を判定する。点数はバルーン内蔵のセンサーが通過したバレットを判別して自動的に加点してくれるから、審判の仕事じゃないわ」
これは映像判別技術とスーパースローカメラを合わせたもので、大日本製品の精度は世界的に有名だ。審判は試合前の用具の確認、試合開始・終了の合図、交代の承認、ルール違反のチェックを行うとルールブックに記されている。
「そんなところかしらね。何か質問は?」
侑華は陽菜と幸世が着ているユニットを指差し、最も気になっていた質問をした。
「そのユニット、いくらするんですか...?」
その質問に対して待っていましたと言わんばかりの笑顔を見せた二人は口を揃えて答えた。
「だいたい30万円」
「うえぇ!?」
これだけ高い技術力の結晶を利用しているのだから、むしろ安いと思うべきかもしれない。しかし女子高生にはあまりにも高い。小遣いを貯めたりアルバイトをしたくらいでは簡単に買えないものだ。そこで学校からの支援金や親の金で買う、ユニット開発会社の試作品を借りるなどの方法で調達している。昨年度の大会で優勝したことにより爽光重工エアマスタリー部門の注目を集めた臨海晴風高校には、2機の試作品が貸し出されている。
「でも侑華は報酬金で余裕で買え...あ今の忘れて」
「報酬金...ああ、私の学費になったかな」
「そっか。ま、まあとりあえず説明は終わったし、実際にどんな感じかを見てよ。うちの部員は丁度10人だから5対5でやるね。審判はいないから交代は自由ね」
それぞれリーダーを決めて開始位置につくと、ユニットの合図で開始された。3人ずつ空に舞い、それぞれの作戦に従って移動した。陽菜はスピードを活かして相手より先にバルーンを撃ち抜くが、その背後を幸世が狙っている。このとき陽菜の味方は幸世を狙うことで彼女が陽菜を狙うことを止められる。一瞬の判断が勝敗を分ける試合において、パターンはある程度決まっている。
「すごいなぁ...あんな速度で飛んで怖くないのかな」
陽菜チームのベンチに座ってそう呟いた侑華に、隣の二年生・前川綺が反応した。
「助手席に座って高速道路を走ってるとさ、たまにスピードが怖くなることない?」
「あります。お父さん毎回100キロ出すから...」
「でしょ。でもお父さんはちっとも怖がってないんだよね。自分が出してるから。それと同じだよ。まあ、慣れってのもあるけどね」
「ああ、なるほど...」
「私も最初は怖かったよ。でも楽しくなってくるんだ。そのうちもっと速く飛びたいって思うようになる」
「えぇ...陽菜先輩、すごい速さ...」
「陽菜はこの部で一番速いし、去年の予選に出場した経験があるから飛行に慣れてるんだよ。あの子が一番空を楽しんでる」
空を楽しむという言葉に心地良さを覚えた侑華は自由に空を舞う陽菜に憧れを抱き始めていた。バレットを華麗に躱し、瞬時に背後をとって相手の背中を撃つその動きに、侑華は完全に惚れていた。
「侑華ちゃん乙女の目してるよ」
「あっ、なんか見惚れちゃいました」
あっという間に終わった試合から戻って来た陽菜と幸世に、侑華はこう言った。
「興味が湧きました。まだ自分が飛ぶのは怖いし覚悟できてませんけど、この部にいたいです!」
すると二人は笑顔で頷き、侑華の両手をとった。
「ようこそ、エアマスタリー部へ」
「歓迎するわ、侑華」
「私たちも!」
その態度の中にあったのは今までの畏敬ではなく、新たな仲間を迎えるために一新された友愛だった。
「よろしくお願いします!」
―こうして、牧森侑華はエアマスタリー部に加わった。彼女が空を舞う日は、そう遠くない。