譲治さん
二人が飛び込んだ部屋は厨房のようだった。食器棚や引き出し、冷蔵庫まで開けるが使えそうなものはなかった。扉の外からは爪で扉を削る音が聞こえる。一瞬音が止んだが、すぐに扉に衝撃が走った。夜獣たちは体当たりで扉をこじ開けようとしていた。
「ここから逃げられませんか?」
マコトは料理を運ぶ用の小型のエレベーターを指しながら言った。小柄なマコトはともかく、譲治はどう頑張っても入れそうにない。
「どうですか?」
「俺は入れそうにないな」
「じゃあ、どうしたら……」
そうこうしている間に、ドアには再び衝撃が与えられ、金属製の扉がぎしぎしと悲鳴を上げている。譲治はあごに手をあて、髭をなで上げる。
その視界に、眉を寄せて痛みと必死に戦っているマコトが映った。視線に気が付いたマコトは口元から血を滴らせながらも、譲治に向かって力なく微笑んだ。
「なんとか、なりますよ……」
「……」
譲治はゆっくりと深呼吸すると、ある決意をした。
リュックからタオルの塊を取り出すと、マコトに歩み寄った。
「いいか、よく聞け」
「なんですか?」
「……」
「どうしたんですか?」
譲治は深く息を吸い込み、言葉を紡いだ。
「これに乗れば、お前は奴らに気付かれずに一階までいける」
「譲治さんは……? 譲治さんはどうするんですか!」
「……なんとかする」
「なんとかするって……」
マコトが何かを言う前に、譲治は口を開く。
「ここを出たら俺を待たずにジャンクタウンまで戻れ。今からなら日が暮れる前にはたどり着けるだろう。そしたらあのアンドロイドに、傷の治療とシェルターの近くを通る行商隊と同行させてもらえるよう頼め」
「なに……なにを言ってるんですか?」
「戻ったら、浄化装置の修理だ。赤い取っ手のカバーの中にこいつをはめるんだ」
「待って、待ってください」
「頼む、聞いてくれ。右上の赤い取っ手のカバーを開ける。すると中にもう一つカバーがある。四隅のネジを外してその中にこれをはめ込めばいい。それだけで動く様に修理してある。いいか、上下左右間違えるな」
「そんなの、譲治さんがやってくださいよ……」
マコトの声が震え始める。
「私こんなの……こんなの嫌です……ッ!」
「このままじゃ、二人とも死ぬ。お前がやらなきゃ駄目なんだ」
譲治はマコトに目線を合わせるように屈んだ。
マコトは顔を逸らして、必死に嗚咽を押し殺していた。
「お前は浄水器を直せる奴を探しに外に出て、そして修理工の俺に出会った。これは……運命だったんじゃないかと思う」
「譲治さん……」
「運命だなんて安っぽいと思うかもしれないが、俺はそう信じてる。俺が生きてきたのは、お前の助けになるためだったんだ。そのために、あいつは――このみは、俺の身代わりになってくれたんだと思う」
「……」
「このままじゃお前まで死ぬ。そうしたら今までやってきたことが……娘の命までも無駄だったってことなる。いいか、お前が生きることが、俺や娘の生きた証になる、無駄な人生じゃなかったってじゃなかったって証明になるんだ」
「じょうじさん……」
マコトは大粒の涙を流して俯いた。だが、小型エレベーターへ誘導する譲治に抵抗はしなかった。ふと、譲治は思い出した。ずっと、ずっと思い出せなかった言葉を。
「思い出したよ」
「……え?」
「娘にいつも俺が教えてたこと。はっきり思いだした」
譲治はマコトを見つめ、自分の娘に向けるような、穏やかな笑みを浮かべた。
「『強い子になりなさい。自分だけじゃなく、みんなを幸せにできる人になりなさい』……マコト。お前にもそうしてもらいたい。この世界のみんなを、幸せにしてもらいたい」
譲治の目には、光が戻っていた。
「譲治さん……」
「……頼めるか」
「…………はい」
マコトがうなずくと、譲治は再び笑みを浮かべた。嗚咽を漏らすマコトを小型エレベーターに入れてガラス製の扉を閉め、一階と書かれた上昇ボタンを押した。それから譲治は扉に額をつけた。マコトもそれに倣う。
ガラス越しに、二人は額をつけ合った。ほんの一瞬のことであったが、その時の二人には永く、永く感じられた。徐々にエレベーターが上昇を始め、額が離れていく。
「譲治さん……嫌です……!」
「マコト、大丈夫だ」
「譲治さん……!」
「大丈夫。大丈夫だ」
「いや……じょうじさん……!」
マコトは必死に顔を床に押し付け、譲治の姿を追う。
少しずつその姿は見えなくなっていく。
譲治は最期に、頭上のマコトに向かって微笑んだ。
「……頼むぞ」
「譲治さああああああん!」
狭いエレベーターの中で、マコトは叫んだ。
夜獣がドアを突き破る音と共に、譲治の姿は視界から消えた。
マコトは泣いた。
小さく狭いエレベーターの中で大声をあげて泣いた。
体から何か大切なものが流れ落ちていく気がした。
だが、エレベーターから降りる頃には、彼女の目には強い決意に満ち溢れていた。マコトは強い足取りでシェルターから出ると、まっすぐ前を向いて駆け出した。
いつもまにか黒い雲は消え失せ、暖かな日差しが降り注いでいた。




