お父さん?
「――と、こんな感じです」
「ああ、わかった」
譲治がベッドに腰掛けたままで言うと、マコトはその隣に座った。
「あの、譲治さん。質問してもいいですか」
「なんだ改まって」
譲治が言うと、マコトは何かいいたげな視線を譲治に向け、すぐに逸らしてもじもじとし始めた。いつも遠慮なしに質問を浴びせかけてくるのに、珍しいこともあるものだと譲治は思った。
「どうした」
「その……お父さんってどんな人なんでしょう」
「お父さん?」
「はい、このシェルターじゃ男の人はいなくて」
「そうらしいな」
「それにさっきちょっと……」
「ちょっと?」
「とにかく、お父さんってどういうものなんですか?」
意外な質問に、譲治はしばし考えたが、やがて口を開いた。
「そうだな。父親っていうのは、嫁さんと子供持って、家族を愛する男のこと……かな」
「具体的にはどんなことするんですか」
マコトは腰を浮かせ、譲治のほうへ寄って質問を重ねた。
質問するマコトの声は心なしかいつもよりトーンが低かった。
「そりゃあ子供作ったり、その子供にいろいろなことを教えたり……」
「いろいろなことを教えてくれる人……ですか」
「それだけじゃない。奥さんと子供を養って、それから……守ったりする男だ」
「お父さんって、とっても素敵な人なんですね」
「そうか?」
「はい。きっと譲治さんもいいお父さんなんですよね!」
譲治はコップを手に取り何度か水を飲んでから静かに答えた。
「……俺はいい父親なんかじゃない」
「どうして、ですか」
「俺なんかより、あいつのほうが強かった」
「娘さんの話ですか」
「……」
◇
あれは確か社会科見学の時だった。
シェルター見学の授業で、妻が仕事でいけないからと、俺がついて行ったんだ。
そして、見学中に急に警報が鳴り響き、シェルターの扉が閉められたんだ。
それきり妻とは会っていない。生きている可能性は少ないだろう。
あの時も、皆が水や食料のことでもめていたのに、あの子は一人我慢していた。
あいつは青白い顔で――。
「お父さんいつも言ってるでしょ? みんなに――」
みんなに、みんなになんだ。
駄目だ。思い出せない。
◇
譲治の沈黙をどうとらえたのか、マコトは静かに立ち上がると出口へと向かった。譲治は呼び止めるでもなく、コップの中に残ったわずかな蒸留水を見つめていた。
「私はこれで……ゆっくり休んでくださいね」
マコトは自動ドアの前で振り返って言った。
「そうさせてもらうよ」
「何かあったらそこのインターホンで呼んでください。二階の共同居住区に居ますから」
譲治が軽く手を振って答えると、マコトは出口の自動ドアへ向かった。科学素材の堅牢なドアがせり上がり、マコトは廊下に一歩足を踏み出して、その場で止まった。自動ドアの枠に手をかけなにか言いたげにまごついていた。その様子を不思議そうに見つめる譲治と目が合わないようにしながら、マコトは口を開いた。
「譲治さん、最後にひとつ。聞いていいですか」
「なんだ」
「譲治さんは私にとっての――お父さん、になるんでしょうか」
譲治は口を閉じたままマコトの横顔を見つめていた。少しの間、二人は黙ったままだった。遠くから、子供たちが騒ぐ声がわずかに聞こえた。譲治はマコトの横顔を見つめたまま、呟くような小さな声で言った。
「……いや、俺はお前の父親にはなれない」
「……そう、ですよね。変なこと聞いてすみません」
譲治には、その横顔がほんの少し悲しげに見えた。しかし、再び譲治のほうに向けられたマコトの顔は、いつも見ている無邪気な笑顔だった。
「それじゃあ、また明日ですね……」
「ああ、また明日……」
マコトが出ていくと、譲治はコップの残った蒸留水を飲み干しシャワーを浴びようとバスルームに向かった。ドアの開閉ボタンを押そうとしたところで、シャワーで貴重な水を使ってもいいものかと考え、開閉ボタンの横のインターホンに向かった。インターホンのスイッチを押すと、少し間があってからマコトの声が聞こえた。
「どうかしましたか?」
「早速ですまないが……」
インターホンのマイクから聞こえてくる声はいつもの調子で、譲治は安心した。
「シャワーは使ってもいいのか」
「えっと……譲治さんは特別にいいそうです」
「そうか、ありがとう」
譲治はインターホンのスイッチを切ると、服を瞬間クリーニング機なるものに入れ、改めてバスルームに入った。湯船もあったがさすがに遠慮してシャワーの前に立つ。『温』と書かれたボタンを押し、お湯が出るまで待って頭からシャワーを浴びる。
久しぶりの温かいシャワーで譲治は身も心もさっぱりした。十分に堪能すると、『止』を押す。すると、壁の一部が開いてバスタオルが出てきた。それで体を拭き、バスルームを出るとベッドの上に洗浄された服がたたんで置いてあった。
譲治はありがたくそれを切ると、幾分固めのベッドに腰掛け、大きく息を吐き出す。そうしていつものように娘の写真を取り出し、眺める。
どうして思い出せないのだろうか。
毎日一緒にすごしていた。誰よりも愛していた。それなのになぜ。
譲治はもう一度ため息をつくとベッドに倒れこんでうす青色の天井を眺めた。科学素材の天井には、青鈍色の鉄骨の様なものが左右に走っており、いかにも頑丈そうだ。
娘のことよりも今は目の前の問題を解決しなければならなかった。浄水器の基盤が手に入る見通しはついていないが、もし見つけられればこの環境で毎日を過ごすことができる。マコトたちと一緒に。
マコト。彼女はなぜあのような質問をしたのか。譲治は頭の後ろに手を回して考えた。
男という存在を知らずに育ったから、あのような質問をしてきたのだろう。たまたま歳の離れた自分を父親のように思ってしまったのだ。もし初めて親しくなった男が、若かったのなら恋愛感情になっていたのだろう。ある種の憧れのようなものが混じった一時の感情。その程度のことだ。譲治は起き上がってきちんとベッドに横になると、娘の写真を上着の胸ポケットに戻し、目をつぶった。
譲治はあっさりと眠りについてしまった。
その日彼は、夢を見なかった。




