少女
ふと、遠くから誰かの叫び声が聞こえた。譲治は胸ポケットに写真をしまうと、瓦礫の山から出て、辺りを見回した。すると、遠方からリヤカーを引いた男が、砂煙を上げながらこちらへ向かって来るのが見えた。どうやら何者かに追いかけられているようだ。
家を失ったという厄介な出来事があったばかりなのに、これ以上の面倒事はごめんだ。譲治はそう思い、もう間に合わないと知りつつも、瓦礫の影に引っ込もうとした。その背中に向かってリヤカーの男が叫ぶ。
「ちょっと! 助けてくだせえ旦那!」
「いや、今俺忙しくて」
「なに言ってんですか! ほら、来ましたよ!」
「おい待て……ああ、全く……」
男は耳障りな金属音を立てながらリヤカーをとめると、譲治の後ろにリヤカーごと隠れた。そし「やっちゃってください」などと無責任なことをささやく。男を追いかけてきた男女の二人組が、今度は譲治を取り囲む。
「荷台のモン全部よこしな!」
「そうすりゃ命だけは助けてやるよ!」
タイヤの切れ端やトタンで補強した服、手にしているのは鉄パイプや角材。腰にはいくつものスプレー缶。典型的な野盗の格好だ。年齢は譲治より少し下だろうか。男の髪はモヒカンで、鮮やかなオレンジに染められていた。女はところどころ派手な色で染めた黒いロングのストレート。
口々に罵声を浴びせてくる目の前の男と女は、まだ野盗になって日が浅いようだった。譲治が今まで出会ってきた野盗は、こちらを見るなりギラギラと目を光らせながら襲い掛かってきた。まともに会話できる輩など皆無だった。目の前の二人の目はまだ狂気に満ちていない。
ならば、と譲治は腰に差したリボルバー銃を引き抜いた。もちろん弾は入っていない。ハッタリだ。しかし、まともな脳みその人間に対しての威嚇には十分だった。にやついていた二人の表情がサッと雲った。
「あれってもしかしてよ」
「け、拳銃じゃないの?」
「そうだ、撃たれたいか?」
目の前の二人が冷静になる前に譲治は話を先に進めた。ここからは賭けだった。拳銃に弾が入っていないことがバレたら終わりだ。譲治は生唾を飲み込みたくなるのをなんとか堪えて口を動かす。
「このまま消えれば何もしない。俺も弾がもったいないからな。さあ、どうする」
二人組みが何かを答える前に、わざと大きな足音を立てながら一歩踏み出した。
「どうなんだ!」
精一杯の虚勢を張って大声を張り上げ、撃鉄を起こす。野盗たちはあたふたと視線を走らせてから、譲治に向かって捨て台詞のようなものを叫びながら走り去っていた。
二人が見えなくなってから、譲治はようやく銃を下ろした。どっと疲れが出てきたような気がして、深く息を吐いた。二対一で、相手は武器持ち、その上かなりの至近距離。まともに戦えば、無傷では済まない状況であった。
「へへ、助かりました」
小男は振り向いた譲治に向けて、隙間の開いた歯を見せて笑った。
この男、拾ったガラクタを色んな場所で取引して生計を立てているスカベンジャーという職業を営んでいた。譲治も日用品などをこの男から買っていたが、友人というわけではない。名前すら知らなかった。単なる利用価値のある知人、といったところだが、今やほとんどなにも持ち物がない譲治にとっては、ありがたいタイミングでの訪問だった。
野盗を引き連れてきた事は恨めしいが。
「なんで俺のとこに来たんだ。それもあんな連中引き連れて」
「それが、面白いもんが手に入ったんで、旦那のとこに寄ろうとしたらさっきの野盗に」
揉み手しながら笑う小男は、譲治の背後を見て、黄色く濁った眼を見開いた。
「あれ、旦那。家はどうしたんで?」
「見れば分かるだろ、ぶっ壊された」
「はあ、それはお気の毒です」
ぼりぼりと頭を掻きながら言う小男の言葉に、譲治は小さく舌打ちした。まったく気持ちがこもっていない。もっとも、今の時代では同情という感情を持ち合わせている人種は少ないのだが。
「で、何だって?」
「は?」
「面白いものとか言ったろ」
「ああ、そうでした」
ぱんと手を打ち、男はリヤカーの後ろへひょこひょこと歩いていった。譲治は撃鉄を下ろしてから銃を腰に戻し、後についていく。正直なところ、その『面白いもの』に大して興味はなかった。しかし、これから色々買おうと思っていたので、小男の申し出を断って機嫌を損ねたくはなかった。
この時代でも、一応売買の相場というものはあるが、値段は商人の裁量に任せられている部分も大きい。それに加え譲治は今、非常に弱い立場にある。ここぞとばかりに値段を吹っかけられることも十分考えられる。譲治は少しでも不利になる要素は排除しておきたかった。
小男はリヤカーにかけられたボロボロの毛布に手をかけると、譲治の方を振り向いた。
「いいですか旦那」
「ああ」
小男が毛布をめくるとそこには――少女が横たわっていた。