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いっそのこと野盗にでもなるか。彼は涙ぐむ目に手を当て、そんなことを考えた。
世界が崩壊してから生き残った人間のほとんどは、野盗になるか定住地もない浮浪者になるしかなかった。野盗になるのは若い者ばかりであるが、譲治はその時点で問題があった。だがそれ以前に、譲治は野盗になるのはごめんだった。
どこかの映画か小説から引っ張り出してきたような悪趣味で退廃的な衣装に身を包み、世界が崩壊する前の――『旧世界』のギャングよろしく、スプレーの落書きで自分たちの縄張りを示すような連中だ。譲治にはまったくついていけない感覚だった。そしてなにより、譲治は野盗を忌み嫌っていた。必死に生きようとする人々からわずかな希望を奪い、殺す。そんな連中に一瞬でもなろうかと考えた自分に腹が立った。
ならば、『シェルター』か『壁』に入れてもらおうか。譲治はそう考えた。
『シェルター』は、旧世界の技術で作られた避難所で、一部の人間はそこで難を逃れた。彼らは今もその穴ぐらで暮らしている。『穴ぐら』という表現は、シェルターに入れなかった者たちの、羨望と憎悪が入り混じった蔑称だった。
鋼鉄の扉と、強固な外壁に守られ、水も食料も安全に手に入る。そんなシェルターの人々を、外に居る人間が羨むのも仕方がないと言えばそうだ。『シェルターに入れるのならば、自分の子供でも喜んで売る』という格言が産まれるほど、この世界の住人はシェルターの生活にあこがれていた。
しかし、その格言のような言葉は、シェルターへの憧れと同時に、その中に入ることへの難しさを表している。シェルターの扉は外側からこじ開けることはまず不可能であり、仮に内部の者と話ができたとしても、見ず知らずの薄汚れた人間を、そう易々と入れてくれはしないだろう。
『壁』はどうか。こちらは外界に取り残された人間たちが、野生動物や野盗から身を守るために作り出した町のようなものだった。木くずやトタンをつなぎ合わせただけの貧弱な仕切りしかない場所もあれば、奇跡的に残っていた重機を使い、コンクリートの瓦礫や廃車・廃電車で作った堅牢な防御壁を築く場所もあった。壁の中に入るには、建設に関わり、労務を提供するか、金を払うしかない。逆に言えば、金さえ払えばその中で比較的安全に暮らせるというわけだ。
昨日までの譲治であれば、数週間程度なら『壁』に入ることもできたかもしれない。だが、今の手持ちは限りなく少ない。永住どころか、半日入れてもらえるかも疑わしい。
結局のところ、シェルターへ入るツテも、大金もない譲治は、結局のところ明日をも知れぬ浮浪者になるしかないということだ。譲治は再びコンクリートの瓦礫に座り込むと、がっくりと肩を落とした。頭を抱え、自分の未来を憂える。しばらくそうしていたが、そのうち上着から一枚の写真を取り出してじっと見始めた。
そこには女の子が映っていた。桃色の着物に身を包み、黒髪をピンクのヘアピンで留めている。彼女は両親と思しき男女に挟まれ、満面の笑みを浮かべている。写真の裏面には『このみ 五歳 七五三で』とマジックで書かれていた。譲治はその写真を見つめたまま、ふっと息を吐いた。
「俺は死んでもお前には会えそうもないな……」






