缶と楊枝、水
こちらは銃を構えているというのに、フレンドリーに接してくる髪の薄い男。譲治は自分が場違いな事をしている気分になり銃口を下げた。いつ襲いかかって来ても対処できるように腰のホルスターには戻さず、引き金にも指をかけたままにしておいた。
「さあお客人、お上がりください! 目的はなにかな。水か食料か。いくらでもあるよ」
男はそう言うと玄関脇にあった小奇麗で立派な浄水器と、食卓の奥に設置された純白の冷蔵庫を指差した。どちらも音を立てていることから、稼動しているようだ。
「ああ……その。少し休ませてもらえないかな。連れの具合が……」
「なんと、お連れさんが! それは大変だ。おい! ちょっと来てくれ」
男が譲治の言葉を遮って食卓の方へ叫ぶと女が一人やってきた。譲治を見止めると、ゆったりとした動作で会釈した。譲治も視線は二人に向けたまま軽く頭を下げて答えた。
「この旅人さんのお連れさんの具合が悪いそうだ。ベッドを貸しておやりなさい」
女はうなずくと、ベッドを用意しに階段を上って行った。譲治は男と一緒に連れ添ってマコトを迎えに行った。その間、譲治は決して男を死角には入れなかった。親切を装い襲われることなど今の時代では日常茶飯事だ。譲治はこの男を信用していなかった。
廃墟に戻ると、幸いなことにマコトは譲治が寝かせたままの状態でいた。
「しっかりしろ、いまちゃんとしたベッドを借りたから」
「う……」
「おや、女の子ですか」
「ああ、それがどうかしたか?」
「いえ、それより早く運びましょう」
譲治は一瞬訝しげに思ったが、横になったマコトが辛そうに身をよじるのを見て一旦思考を止めた。今はマコトを安静にできる場所に運ぶのが先決だ。瓦礫の中から廃材二つ持ち出し、毛布をくくりつけて即席の担架にして運ぶ。男二人がかりだったので楽に運ぶことができた。
玄関に着くと男は一旦担架を下ろして自分と譲治、マコトのブーツもよく拭いてから、二階に用意したベッドへ運んだ。譲治が入ってきた時もそうであったがかなり潔癖な人物のようだ。マコトを寝かせるベッドも新品のように真っ白なシーツで、マコトにかけられたブランケットも染みひとつなかった。
マコトを寝かせると、譲治は男と共にそっと部屋から出た。
「すまない。助かった」
「いいんですよ! 困ったときはお互い様です」
一階に降りると男の妻と息子がにこにこ顔で待っていた。それから自己紹介が始まった。亭主であろう髪の薄い男は彰。その妻はおとなしそうな女性だが、夫と同じように笑顔を絶やさない。彼らの息子はまだ旧世界で言うなら小学校低学年といった年齢に見えた。
「俺は譲治。連れはマコト……よろしく」
ひとりひとりと握手する。なんだか異様なほどにこやかな一家だ、譲治は思った。それと同時に、得体の知れない不気味で異様な雰囲気を一家から感じた。
異様なのは一家だけでなく家の内装もだ。外観は少し綺麗な程度だったが、中に入ってみると壁紙も天井も家具も、新品のようにピカピカなのだ。この時代にこれほど綺麗な物を集めるのは、かなりの額の金と労力が必要なはずだ。
ここには長居しないほうがいいかもしれない。マコトの調子が回復しだい出て行こう。譲治はそう決めた。譲治が辺りを見回していると彰は笑顔のまま口を開いた。
「私の家族はきれい好きでしてね」
きれい好き。そんな言葉で片付けていいのだろうか。
「この辺りにはどんなご用事で?」
「まあ……旅をしているんだ。あてもなくな」
シェルターのことを話すと、助けたんだから我々も入れろなどと言われかねないので、譲治は適当にごまかした。
「そうでしたか、いろいろ大変だったでしょう。ゆっくり休んで行ってくださいね!」
「それは……どうも。助かる」
「さあさあ自己紹介も済みましたし、一緒に食事をとりましょう!」
彰は食卓を指差し譲治に席に着くように促した。テーブルの上には様々な肉料理が並べてあった。単純なステーキから、揚げたもの、蒸したもの、煮込み、照り焼き、炒めものに、肉のパイまである。
「さあ、召し上がってください。我が家自慢の料理ですよ」
取り分けられた肉料理を見て、譲治はある光景を思い出してしまった。
砕け、飛び散った野盗の頭部。
それと目の前の料理を重ねてしまったが最後、食欲などわくはずもなかった。その上、この一家はどうにも怪しい。安易に料理を口に入れて毒薬でも仕込まれていたら目も当てられない。それに、逃げ場の少ないこの状況で食事という大きな隙になる行動を初対面の相手に見せる事は得策ではない。
「今、食欲なくてな……」
「そうですか?」
彰一家は残念そうな顔で皿を下げた。
「厚かましいんだがなにか消化のいいものはないか。マコトに食べさせてやりたい」
「そうでしたわ。なにかないか見てきます」
そういうと彰婦人は立ち上がり、 キッチンの方へと引っ込んでいった。しばらくすると桃の缶詰めと楊枝をのせた小奇麗なトレーを持って帰ってきた。譲治は缶と楊枝の袋が未開封であることをさりげなく確認して受け取った。
形だけの会釈をして、ワックスで磨きぬかれた階段を上る。二階に上がるとこれもまた自分の顔が映るほど磨かれた木製の扉を静かに開けた。譲治はマコトを気遣い足音を立てないように近づき、ベッドに腰かける。
「大丈夫か?」
「……さっき、薬飲んだんで大丈夫です」
そう言うマコトの顔はまだ熱かった。譲治は缶詰めを開けて桃を楊枝で一つ取ってマコトに手渡した。マコトは小さく口を開け、おずおずと桃を口に運んだ。
「……甘くておいしい。何ですかこれ」
「桃だ。消化にいい」
もう一切れ食べるマコトの横顔に、ふと娘の顔が重なった。
風邪を引いた時、同じように桃を食べさせてやったことがあった。
◇
あれは四歳くらいの時にかかった麻疹だったか。高熱が出て大慌て。おかゆも食べたくないと言うから、缶詰の桃を食べさせたんだった。一口食べてあの子がおいしいと言ったときは安堵したものだ。
あの時もあの子はぐずったりしなかった。
「調子はどうだ?」
「……平気、だよ」
「まだ熱があるな。寝てなさい」
「うん……」
「辛くないか?」
「大丈夫だよ」
「わたし、お父さんが言ってたこと守るから」
――俺は、あの子に何を言ったんだ?
◇
「譲治さん」
「ん?」
「……譲治さんもどうぞ」
差し出されていた桃の一切れを、譲治は慌てて口に入れる。何度か咀嚼してから、先ほど拾ったペットボトルの水で流し込む。
「もっと食べますか……?」
「俺はいいから、お前が食べろ」
マコトはうなずくと、口を開けた。
「何してる」
「食べさせてください」
「お前……」
「お願いします……」
譲治はしょうがないといった様子で楊枝を受け取り、桃を刺してそっと差し出した。マコトは熱で上気した顔を崩しながら桃をほおばった。もぐもぐと口を動かしてから飲み込むと、また口をあけた。
「あー……」
「おいおい一回でいいだろ」
「だ、だめですかね……?」
ブランケットのすそで口元を隠しながら笑顔を作るマコトに、譲治は僅かに表情を崩した。それからもう一度桃をマコトの口元に差し出してやると、マコトは嬉しそうに桃を頬張った。
そうやって何度か譲治が食べさせていると缶は空になった。熱はまだあるようだが、食欲はあるようなので譲治は一安心した。
「ごちそうさまでした」
「ほら、水だ」
譲治は水をマコトに飲ませ、真っ白なブランケットをかけ直す。そのとき、譲治はマコトと目が合った。ぼんやりとしたその目は何か言いたげに揺れていた。
「どうした」
「私、怖いです」
「怖い? 何が」
「あの人たちです……」
「彰たちのことか? なんでまた」
「よくわかりませんが……」
「馬鹿言うな。突然転がり込んできた俺たちに、寝床だけじゃなく食事もくれたんだぞ」
マコトを安心させるためにそう言いながらも、譲治はやはりそうかと考えた。いつ死んでもおかしくないこの時代にこんなに綺麗な家具をそろえ、通りすがりの人間に親切にする者がまともなはずはない。すぐに出て行くべきなのかもしれないが、調子の悪いマコトをこのまま連れ出すのは得策ではない。
「体調が悪くなると色々考えるもんだ、だから今は休んでおけ」
ベッドから降りようと立ち上がった譲治を、マコトは弱々しい手の動きで止めた。
「どうした」
「おでこ……おでこくっつけてください」
「なに?」
「具合が悪い時とか、嫌なことがあった時、管理官にいつもそうしてもらってたんです」
「……」
譲治は軽くため息をつくと、マコトの前髪を持ち上げ、額をくっつけた。
伝わってくる体温は、やはり熱い。
数秒の間、二人は無言で額をつけ合った。
「……もういいか?」
「はい」
額を離すとマコトはとても安らいだ顔をしていた。その顔をみて、譲治は僅かに口角を上げた。こんなに安心した他人の顔を見るのは久しぶりだった。ずれたブランケットの位置を戻すと、譲治はベッドから立ち上がり、ドアを静かに閉めて部屋を出た。
振り向くと、彰が階段を登ってきていた。譲治の肩が少し跳ねる。
「すみません、驚かしてしまって。あの子の具合はいかがですか?」
「ああ……大丈夫そうだ」
「そうですか! いやあ、なら安心だ。健康が一番ですからねえ!!」
「……申し訳ないが、もう少しお世話になってもいいか」
「ええ、もちろん。かまいませんよ! 」
彰は笑顔を張り付けたまま会釈すると、一階へと降りて行った。あの笑顔の裏に何かを隠しているのだろうか。譲治はあごに手をあてた。
考えすぎなのか。彰一家にしてみれば、殺そうと思えば殺すタイミングはいくらでもあった。ただの親切な一家なのか。それとも危険な連中なのか。
しかし、いくら考えようと答えが出るものではなく、ともかくマコトの傍を離れずにいようと譲治は決めた。彰が居なくなった階段から目を外して譲治は部屋に戻ろうとした。
――その時だった。
急激な眠気が譲治を襲った。疲労からくるような生易しいものではない。まぶたを上げようとしても、全く抵抗できずに視界が狭まってくる。睡魔が形を成して自分を押さえつけてくるような、強烈な眠気だった。譲治は立っていられず磨きぬかれた廊下に膝をついた。
(こ、これ……は……)
間違いなく何か薬を盛られた。ここにきて何を口にしたのか譲治は必死に思い出した。肉は勧められたが食べていない。桃缶は食べたが、缶も楊子も確かに未開封だと確認した。製造年も昔のもので、譲治も何度か食べたことのある旧世界のメーカーのものだった。何かを混入させることはできないだろう。
では、自分は一体何を――。
(ま……さか……)
赤いポストに入っていた水。あれに薬が入っていたのか。この家から三軒分は離れている場所で手に入れたはずだ。もしかしたら、ここら一帯はやつ等の――。
そこで譲治の思考は途絶え、そのまま綺麗な床に倒れ伏した。
最後に感じたのは、冷たい床の感触。
そして、誰かが階段を上ってくる音。
譲治は意識を失った。




