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世紀末救世主になれないおっさんは目が死んでる  作者: 海光蛸八
三章 パイはいかが?
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水とミミズと猫缶と

 草むらを行ったりきたりするマコトを眺めながら、譲治はリュックを開いて残りの水を確認した。残りは2リットル入りのペットボトルの三分の一くらいだろうか。食料ならば底をついても一週間はなんとかなるが、水はなくなると三日と持たない。簡単なように見えて、マコトのしていることは生死に関わる重大なことだった。


 マコトから一旦目を離して辺りの風景に視線を向ける。この辺りはかつて住宅街であったようだ。数十年前まではこの道も登校中の学生が通り過ぎる姿を見たり、朝餉の匂いを嗅ぐこともできたのだろう。


 しかし、今はそのほとんどが倒壊し、見通しの良い広場のようになってしまっている。マコトのグローブにあるレーダーに頼らずとも、周りに誰も居ないことが分かるほどだった。


 広場の先に目を向ければ、真ん中から折れた電柱が家屋の一つを押しつぶしているのが見える。反対側を見れば、誰の仕業か知らないが玄関先に残されたポストに赤茶色をした腕の骨が突っ込まれているのも確認できる。


「歩いてきました」

「おう、ご苦労さん」


 譲治は草むらから出てきたマコトにねぎらいの声をかけた。一時間ほど続けていたせいかマコトの顔は赤みを帯び、息も上がっていた。譲治はマコトの膝下に巻いてあった清潔な布を取り外し、小ぶりのやかんに絞る。それほど多くはないが、やかんの半分ほどの水が採取できた。譲治は布をしまい、ガラスのコップと携帯コンロを取り出した。


「なにしてるんですか?」

「蒸留水を作るんだ」


 やかんの水を沸騰させてその注ぎ口にコップをかけておけば、逆さにしたコップに比較的綺麗な水蒸気が溜まる。コップの下に水筒なり空のペットボトルを置き、流れ落ちてくる雫を受ければ蒸留水の出来上がり、というわけである。


「あ、浄水剤ありますよ」


 マコトは例によってベルトの収納から、ティーパックのような物を取り出した。


「それひとつで五十リットルは浄化できます」

「そうなのか」

「まだいくつかありますんで」

「待てよ。だったら、お前のシェルターの浄水器、治さなくてもいいんじゃないか?」


 なぜか、譲治の言葉にマコトは反応しなかった。ただぼんやりとした視線を譲治に向けているだけで口を開こうとしない。「おい」と譲治が話しかけると、マコトはハッとして口を開く。


「あ、はい。何ですか」

「だから、その薬があるならなんで修理する必要があるんだって聞いたんだ」

「えっと……雑菌とかはそれでいいんですが、化学薬品とかは浄化できない簡易的なものなので」


 マコトは少し時間をかけてそう答えた。運動してきて少し頭の回転が遅くなっているようだ。


「私が生まれる前は、定期的に業者の人が薬を持ってきてくれたらしいんですが……ここ十数年くらい来ていないらしくて」


 十数年前と言えば世界が崩壊した頃だ。薬の配給がなくなったこともうなずける。


「なら早く行かないとな」

「そう、ですね」


 そう答えるマコトの顔は、いくらか赤く、熱を持っているように見えた。譲治には運動のせいではないようにも見えた。譲治がマコトの額に手をやると、少し熱いような気もしたが、運動のせいなのか体調のせいなのかまでは判断できなかった。


「おい、大丈夫か」

「なにがですか?」

「熱っぽいように見えるが」

「大丈夫ですよ。それより、動き回ったからお腹すきました」

「そういえば朝飯がまだだったな。なにか食うか」


 まだ顔が赤いが、食事と聞いてマコトは目を輝かせた。

 心配して損した、と譲治は思った。


「わあ! ハンバーガーですか? それともスシ?」

「いや、そんなもんはない」

「じゃあ愛されコーデ?」

「たぶんそれは食い物じゃない」


 うきうきとしていたマコトの顔が、しゅんとしてしまった。譲治は苦笑いしてから錆びだらけの無骨な携帯コンロに火をつけた。それからビニール袋を取り出し、こげ茶色の小さなものをいくつか取り出した。


「ミミズの干物だ。そんなにうまくはないし量もないが、食料は節約しないとな」


 質問される前に言ってコンロに火で炙る。マコトはその様子を好奇心目を輝かせながら見つめた。開いたままの口からは早速よだれがこぼれ始めている。


 ミミズの干物に十分に火が通ったことを確認して、譲治は口に放り込んだ。調味料で味付けされているので、甘辛い味もしっかりついていて口当たりも柔らかいのだが、何分量が少ない。調理する前ならミミズはえんぴつほどの大きさがあったが、炙ると小指程度の大きさになってしまう。


「ほら食え」

「いただきます!」


 そんなものでもマコトは実に美味しそうに食べる。譲治が一瞬自分の味覚がおかしいのかと思うほどに美味しそうに。


 小さなそれを二人で黙々と口に運ぶ。先に食べ終わったマコトが物足りなさそうにしていたので、譲治は自分の分も半分マコトにやった。マコトはお礼を言ってから受け取ると、再び美味しそうに頬張る。


「そんなにうまくないだろ」

「美味しいですよ?」


 どれだけシェルターの食事はまずいのだろうかと、譲治の不安が増す。いや、いくらなんでもミミズよりはうまいはずだと譲治は思い直し、リュックから大きめのキャットフードの缶とアーミーナイフを取り出した。赤い持ち手で様々なツールが付いたものだ。その中の缶きりを引っ張り出し、開封した。


「それって猫の餌用の缶詰ですよね」

「ああ」

「食べるんですか」

「お前だってミミズ食ってるだろ」

「これって人の食べ物ですよね」

「旧世界じゃ、まず食べなかったな」

「え、そうなんですか」


 ほえーと間抜けな声を出し、ミミズの干物を眺めるマコトから視線を外し、ネコ缶を開ける。パッケージはすり切れて中身は分からなかったが、見たかぎりではどうやら魚系の缶詰のようだ。譲治は中身をスプーンですくい、口に入れる。


「あ、これだ」

「え?」

「マグロだよ、これマグロの缶詰だ」


 譲治が言うとマコトはぱっと顔を輝かせ、猫のように四つんばいですばやく譲治に近寄ってきた。譲治は顔を引きつらせながら中身を掬い、よだれが溢れるマコトの口にスプーンをつっこんだ。マコトは嬉しそうに口をもぐもぐと動かしたが、すぐにその表情は曇った。


「マグロ……うーん……これがマグロ」

「想像と違ったか?」

「そうですね……はい」

「まあ、寿司のは生で、過熱してある上にこっちは……」

「猫用ですもんね」

「そういえば猫は知ってるのか」

「ネコ目・ネコ亜目・ ネコ科・ネコ亜科・ネコ属に分類される小型の哺乳類ですよね!」

「そういう言い方されると、全然可愛く思えなくなるな」


 譲治は猫の缶詰を、マコトはミミズの干物を食べながら他愛もない話をする。


「ごちそうさまでした」


 マコトは顔の前で丁寧に手を合わせて言うと、コンロをしまっている譲治の方を向く。


「それで譲治さん」

「なんだ」

「質問の続きいいですか?」

「……」


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