馳川譲治
――西暦二一二〇年、春。どこにでもある瓦礫の山の前。
コンクリートの瓦礫に腰かけ、ため息を吐いている男がいた。彼が座っている瓦礫からは折れ曲がった鉄筋がいくつも飛び出している。もう一度ため息を吐いた男の足元を、耳だけが肥大化した奇形のネズミが横切った。
殺人が日常化し、得体のしれない野生動物が闊歩する混乱と狂気の時代。そんな時代に、ひとりため息を吐くという光景はありふれた、と言うよりむしろ平和なものであったが、彼の心は穏やかではなかった。
今日、彼は家を失ったのだ。
「くそ……」
男は――馳川譲治は、目の前の瓦礫を見つめ、口の端から情けない声を漏らした。元は自身の家であった瓦礫に座り、埃にまみれた手で顎をなでると無精髭が音を立てた。
譲治の家は倒壊したビルの瓦礫の山からさらに奥へと入り込んだ場所にあった。入り口は狭く、高い瓦礫に囲まれている。人一人が隠れ住むには最高の立地だった。譲治がここに定住を決めて数年。居住者である譲治とたまに立ち寄る行商人以外が、ここに足を踏み入れたことはなかった。譲治が誰かに見つかるという可能性さえ考えなくなるほど安全な場所のはずだった。
しかし、今日こうして彼の家は破壊され、備蓄していた物資もすべて盗られてしまった。野生化した豚を捕まえ、久々のたんぱく質だと喜んでいた数時間前を譲治は懐かしく思った。
譲治は短い黒髪を撫で上げ何度目かのため息をついた。それから言葉にならない弱音を口の中で呟きながら立ち上がると、腰のベルトに取り付けられた工具が音を立てた。機械の修理をすることが彼の生業だった。
人並みより幾分か鍛えられた太い腕を頭の上に乗せ、しばらくはうろうろと瓦礫の周りを歩き回っていたが、やがてトタンのひとつに手をかけその下を探り始めた。石の破片や焼け焦げた木材、錆びたトタンのかけら以外にはなにも見つからない。備蓄していた食料、水、衣類、マッチ、煙草、浄水器、発電機……すべてなくなっている。使い古した下着まで無かった。
譲治は背負っていた大きなリュックを下ろした。使い込まれ色あせているが、頑丈なものだった。彼はひとまず、今自分が何を持っているのかを確認することにしたらしい。狩りの後はすぐに帰宅するつもりだったので、ろくなものは入っていないのは分かっていた。だが、確認せずにはいられなかった。
中身をひっくり返してみると、水筒が転がり出てきた。中の水は半分も入っていない。さらに中に手を突っ込んで探ってみると、汗と血が染みになっている手ぬぐい、大型ライトに小型のナイフ、僅かな重みしかない小銭入れが出てきた。ベルトにはドライバーやらレンチやらと一緒に太陽電池のライト。それに加えて刃渡り二〇センチほどのサバイバルナイフが腰の鞘に納まっている。今の持ち物はこれだけだった。
その他にあるものと言えば、着ているよれたシャツに、薄汚れて埃臭い上着、砂と雨で色落ちしたジーンズ。腰に差したリボルバー拳銃には弾は入っていない。
彼は思わず天を仰いだ。午後の日差しが妙に眩しく感じられた。
「なんてこった……」