子犬
空には雲が垂れ込め陽の光を遮っていた。灰色の雲は徐々に黒雲に変わり、今にも一雨きそうな空模様であった。野生動物も雨の気配を感じ取っているのかほとんど姿は見えない。耳が肥大化したネズミや、頭と尻尾がそれぞれふたつあるトカゲが時折道を横切るのを目にする程度である。
そんな気の滅入りそうな空の下に二人は居た。
マコトは譲治に言われたとおり必要最低限の会話しかしなかった。しかし、その従順な態度は、マコトが一晩かけて考えた譲治と言う興味深い人間へ近づくための第一段階であった。
マコトと言う人間を一言で言い表すのならば、子犬である。何にでも興味を示し、痛い目に遭ってもすぐにまた鼻を鳴らしながら近づいていく。ただし、犬のように無計画に近づくのではなく警戒心と今まで以上の好奇心を持って、である。マコトは今、興味深い譲治という存在に少しづつにじりよる作戦を無意識に立て始めていた。
マコトには同年代の友人は居らず、周りは一回り以上年の離れた大人か子供達しか居なかった。その環境ゆえにマコトは二つの能力を自然に身に着けていた。子供達を思いやり対等の立場で話し合える思いやりと、大人を敬い礼節を持って接するという能力である。だが、マコトはそれらふたつと同時に鋭敏な好奇心を持って生まれていた。新しいものに触れる悦び、それが彼女にとって最大の楽しみだった。
マコトにとってこの世界は興味をそそられるものばかりであった。
シェルターの蛍光灯とは比べ物にならない太陽のまぶしさ。仕切られること無く青々とどこまでも広がる空。プランターに収まりきらないほど大きな植物や木々たち。ブーツから伝わる柔らかな地面の感触。風が運んでくる様々な匂い。全てが美しく映った。
だが、美しいものばかりではない。譲治に会うまでに彼女は多くの恐ろしいものを見た。打ち捨てられた死体、狂気に駆られるまま人殺しを行う者、醜く変異し凶暴化した動物。それらから逃れ、譲治に出会えた事は幸運だったと自分でも思っていた。
マコトは譲治という人間に恐怖と同時に強い関心も覚えていた。譲治は確かに怖いが、それらの恐ろしいものとは違う。マコトはそう確信していた。根拠は譲治の顔だ。あの写真を見ているときの顔。とても優しい顔だった。だが、同時に寂しそうでもあった。その二面性をもった顔に、マコトは興味を惹かれたのだ。
穏やかな人々に囲まれ、なんの穢れも無く真っ直ぐ健やかに生きてきたマコトにとって、譲治は初めて触れる異質な存在だった。それは恐ろしいものだったが、同時に新鮮で刺激的なものであった。だからマコトは譲治にもっと近づきたかった。
とはいえ、今はその事は考えてはいられない。
この危機を乗り越えるまでは。
「おい! しっかり押さえろ!」
「はいぃ!」




