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9. 33歳、頑張る彼を見て苦しくなる。

 33年前、夕焼けが真っ赤に空を染める中、病院に駆けつけた父。

 その直後に産まれたから、私の名前は(あかね)になった。

 安易で単純な名前の由来が昔は嫌だったし、数年前には不倫相手の子どもと偶然にも同じ名前だったりして嫌悪を感じてしまった時期もあったけれど。

 今は以前ほど嫌いではない、自分の名前。




「誕生日、おめでとう」


 誕生日だからと飲みに誘ってくれた加奈子。33回目ともなると目出度いとも思えないけれど、祝ってもらえるのは素直に嬉しいと思う。


「なんだかんだで、毎年こうやって祝ってくれてありがとう」

「篠山の誕生日過ぎると年末まであっという間よね」

「私の誕生日過ぎるとクリスマスの予約も始まるからなぁ……今年も残り二ヶ月なんやね」


 歳を経るごとに、流れる時間の速さはどんどん速くなっていく。とは言え、今年は特に早い気がする。


「そう言えばあの二人、何かあったのかしら?」

「あの二人?」

「佐伯くんと夏月ちゃん」


 二人の名前が出た途端、ドキリとした。加奈子の言う「何か」とは一体なんだろう。


 二人の距離がまた近くなったとでも言うのだろうか?

 二人の間を流れる空気が甘ったるかったとでも言うのだろうか?


「妙にギクシャクしてたから気になっちゃって」

「ギクシャク……?」

「そう。佐伯くんに対して夏月ちゃんが警戒してる、というか。よそよそしい感じがしたのよね」


 二人の距離が縮まった訳ではない事に、正直胸を撫で下ろしたのも束の間。ギクシャクしていたのは佐伯っちがあの子を警戒させる様な事をした、もしくは言ったからと言う事なのだろうか?


「ちょっと前の……ほら、居酒屋からカラオケに流れた反省会、2人がカラオケに後から合流した時もなんだか変な空気だったじゃない?」

「いやいや、あれは単に夏月ちゃんが飲み過ぎて具合悪かったからやろ?」

「……本当にそれだけかしら?」

「加奈子は一体何を期待してるん?」

「送り狼、ってキャラでもないしねぇ……」

「あの日はなにも無かったハズやで? 送り狼も何も夏月ちゃんタクシーで帰ってたやん?」


 それはまるで自分に言い聞かせている様だった。あの日は何もなかったはずだからと。

 だが加奈子は甘くはなかった。何かあって欲しいと思っているのではないかと勘繰ってしまうくらいの食いつき様だ。


「だからその時よ。タクシー拾って乗せたのは佐伯くんでしょ? 別れ際に気まずくなる様な事言っちゃったとか?」


 たしかにあの子をタクシーに乗せたのは佐伯っちだった。

 佐伯っちは「送っていく」と言っていたけれど、遠回りになるからとあの子に断られていた。それに佐伯っち自身がベロベロに酔っていたから、もし断られていなくて送って行ったところで彼自身が帰宅できたかどうか怪しかっただろう。

 少なくとも、休み明け笑顔で会話していた二人からはあの時何かあったとは考えにくい。

 昨日の帰り際だって仲良く新メニューについて話していたのに。

 今朝だっていつも通りだった。


「いやいや、休み明けは普通やったし。昨日までだって特に変わりないし、今朝だって佐伯っちはいつも通りにやけとったで? ……という事は、何かあったとしたら……」

「あったとしたら仕事中って事?」


 加奈子の一言は、私が言い淀んだ言葉そのものだった。まさか、とかあり得ない、としか浮かばない。仕事中に、よりにもよってあの真面目な二人の間にギクシャクする様な事があるなんて信じ難い。涼さんだって2人と一緒に仕事をしているし、私達の目だってある。

 思い起こせば、休憩中のあの子はいつになく真剣で、難しい顔をしながらノートに何かをひたすら書き込んでいた。佐伯っちは、涼さんを捕まえて釜の癖がどうだとか、質問責めにしていたような気がする。


 それは、まぁよくある光景でもあるが、加奈子にそう言われたら、ギクシャクしているからこそお互い仕事に没頭していたように思えてきた。いつも通りの佐伯っちだったら、ここぞとばかりにあの子に聞きそうなものなのに、わざわざ休憩中の涼さんを()()()()まで質問責めにしていたのだ。


「休憩中もお互い必死そうやったし、ほら涼さんとこの新メニューの件で二人とも行き詰まってるんちゃう?」


 加奈子が彼らを詮索したら、知りたくもない事を知ってしまいそうで怖い。私は咄嗟に嘘をついた。


「あんまりちょっかいかけて煽ったら可哀想やで? 周りがやいのやいの言うてたら、上手くいくもんもいかなくなるやん」

「それあんたが言う? 篠山の方がちょっかいかけてるじゃない」

「私はちょっかいかけてるんやなくて、イジってるだけやし。一種のコミュニケーションやで?」


 そう言いながら、自分の今までの行動を省みて思う。

 佐伯っちの思いが届かないよう、私は無意識に彼を煽っていたのだろうか?

 潜在的に、上手くいかない事を願いながらゴチャゴチャ口を出していたのだろうか?




 あの日、カラオケで佐伯っちの歌った曲が頭から離れない。

 もとはCMか何かに使われていた曲だったと記憶している。特に好きなアーティストというわけでもないけれど、聞き覚えのある曲だったから。名前を呼ぶように語りかけるような歌い出しが特徴的な曲。

 佐伯っちが歌ったのは、映画の主題歌としてセルフカバーされたバージョンのものらしい。


 ここ数日、ひとりになるとその曲を口ずさんでしまう私。その度に馬鹿みたいだと自己嫌悪に陥って。

 私の為に歌ってくれた訳じゃないのに。

 そうだったらどんなに良いだろう。

 私があの子だったら彼の思いにもっと早く気付いて応えるのに。私も好きだって、声を大にして言うのに。


 だけど、あの子は気付かない。


 佐伯っちは、隙があるようでないあの子につけ入ろうと必死なのだ。振り向かせようと必死な事も、真っ直ぐな瞳で

 見つめていることも、あの子の懐に潜り込む為にしている事で。

 きっとみんなも気付いていて、気付かないのは彼女だけで。


 もうずっとあの子が彼の気持ちを気付かなければいいのに。


 幸い、世間も職場もクリスマスに向けて目の回るような忙しさを迎え、苦しさはいくらか緩和されている。

 自分の仕事で精一杯。佐伯っちを常時観察するほどの余裕は無い。時々視界に入るギクシャクした2人の様子に安堵しつつも不安になる。




 残念ながら、ギクシャクした2人の関係は長くは続かなかった。






 ***


「良かったらこれ、試食です」


 加奈子とあんな話をしてから数日後の休憩時、あの子に渡されたのは3種の皿盛りデザートだった。

 淡いゴールドとのソルベと、深い紅と黄金色をした2種のソースが添えられたチーズケーキ、艶やかなグラッサージュを纏ったチョコレートのムース。


「人数分用意できなかったので、シェアして下さい」


 どこかスッキリした表情のあの子に、嫌な予感がした。ふと佐伯っちを見れば、彼も同じように何か憑き物が落ちたような顔をしている。


「羽田さん、1人で1皿抱えてるなんてずるいっすよー!」

「北上、文句言ってると関に食われてなくなるぞ?」

「関さん! どうしてこーゆー時に来ちゃうんですか? 俺の分食わないで下さいよぉ」

「こういう時だから顔出すんだろ? にしても美味いじゃねーか」


 休憩中なのか用事があったのか、パティスリーからフラフラやって来た関さんと羽田さん、2人のシェフに揶揄われているようにしか見えないアホの子北上くん。

 そんな3人のやり取りを嬉しそうに眺めながら笑う彼女は、いつになく穏やかな表情をしていた。そんな彼女を愛おしそうに見つめつつ、声をかける佐伯っち。そこに流れる空気はギクシャクしていた今までが信じられないほど穏やかで、幸い甘さはないものの、それまでとは全くの別物だった。


 いたたまれなくなった私は、受け取った試食のチョコレートムースを頬張った。

 瞬間、突き抜けるフランボワーズの香り。それを優しく包み込むチョコレート。少し遅れて感じる苦味も心地よい。

 甘くて酸っぱくて、そして苦い。絶妙なバランスに言葉が出ない。


「夏月さん、めっちゃ美味いんでお代りください!」

「北上、お前食い過ぎ。少しは自粛しろよ」


 北上くんと佐伯っちのやり取りに対する皆の笑い声も、私の耳をすり抜けてゆく。と同時に、あの子の笑顔の笑顔が眩しすぎてあの子から思わず目をそらしてしまう。

 分野が違うとはいえ、私はあの子との力量の差に打ちひしがれていた。


 ——人の心を動かすってこういう事なんや


 佐伯っちがデセールに異動したいと言っていたのが少しわかった気がした。


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