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4. 30歳、ブスなのは仕方ない。

 大人になると、時間の流れが学生の頃と比べて格段に速くなる。年々そのスピードを増し、気が付けば誕生日を迎え、私は30歳になった。

 三十路を越えてもなお、困惑の日々だ。


「ようこそ30歳!」

「篠山、おめでとう!!」


 誕生日を迎えた翌日、先に三十の大台に乗った春生まれの桃子さんと夏生まれの加奈子がお祝いしてくれた。

 同じ年の2人とは、アルバイト時代から数えると10年の付き合いだ。以前は加奈子と一緒にサービスをしていた桃子さんだが、パティスリーが出来てからはそちらに配属され、去年から販売の責任者を任されている。


「桃子さんも加奈子もありがとう! 遂にアラウンドでもなんでもない30(サーティ)になってしまったわ。三十路やで、三十路。30ってだけでなんか大きく変わってしまいそうな気ぃするけど、何にも変わらんもんやなぁ……」

「それ、私も思ったわ。30歳の誕生日を迎えたからって急に変わるわけでもないって当たり前のことなのにね。」

「30になったら、もっと大人になれるもんやと思ってたわ……」


 思わずついてしまったため息に桃子さんが反応した。


「篠山さん、何か悩みでもあるの……?」

「桃ちゃん、3年も前の失恋引きずってるのよ、篠山は」


 桃子さんは知らない。染井との事を。だから敢えて加奈子は昔の失恋と表現したのだろうし、それはありがたい。だけど、だけど……


「もう吹っ切れたし! 引きずってないし!!」


 その点は譲れない。吹っ切れたからこそ、佐伯っちの優しさににドキドキしている。私は佐伯っちに恋をしているのだろう。もう、認めざるを得ない。


 染井の事は好きだった。私は彼を好きだったけれど、彼にとって私はただの都合の良い女でしかなかった。既婚者の彼にとって、私はただの不倫相手。愛人ですらなかったのだ。だって、彼が愛していたのは私ではなく、家族だったから。私はきっと家政婦の様なものだったのだ。夜の相手もする家政婦。自分で言って悲しくなるが、それが事実だ。


 今の私は佐伯っちが好きだ。だけれど、私が彼を好きで良いのだろうか? と思ってしまう。

 歳下で、真面目で、素直で優しい佐伯っち。恋愛に於いても真っ直ぐで一途。背だってそこそこ高いし、良い感じに筋肉も付いてスタイルも良くて、顔まで可愛らしい感じで整っている。

 そんな彼がモテない筈はない。私なんかよりもずっとずっと相応しい女の子が彼の隣に立つべきなのだ。


 歳上で、小煩くて、可愛げのない私。それだけでなく、人の(みち)から外れた恋愛をする様な私が彼とどうにかなりたいだなんて烏滸がましいのだ。例え相手が既婚者だと知らず、結果的にそうなってしまったものだとしても不倫は不倫だ。いや、最後の晩のせいで完全なる不倫だった。真っ直ぐな彼にはそんな事をしていた私は相応しくないのだ。


「昔の()じゃなくて、昔の()()を引きずってるって言ったでしょ? なんだか後ろ向きなのよ、今の篠山って。もっと自分に自信持ったら良いのよ。自分を好きになれば良いのに」


 加奈子はさも簡単に言うが、倫を外した自分を好きになるなんて……。

 あの頃の私は女としての自信に満ちていた。偽りの言葉を与えられて得ていた自信は、呆気ないほど脆かった。もう少し、私の見てくれが良かったら……なんて思っても、今更どうにもならない。醜い内面が顔に出てしまっている。元からブスなのに、それがより一層引き立てられてしまっている私の顔。

 外見も内面も醜い自分を好きになるなんて、無理だ。


「そんな簡単に言われてもなぁ……加奈子みたいに色っぽくもないし、桃子さんみたいに美人でもないし」

「まずは卑屈になるのをやめなさい」


 小気味の良いパチンという音と同時に感じた痛み。顔を背けて拗ねた私の額を加奈子に叩かれた。私がやっても可愛くないのは百も承知だが、ほおを膨らませ不満をアピールする。


「悩みとか不満があるならハッキリ言いなさいよ。口に出してスッキリしてから30代過ごした方が良いわよ、絶対。仕事の愚痴でも良いから、溜めてるものあるなら今ここで吐き出しなさい」


 加奈子に促され、私は最近感じた不満を口にする。恋愛の不安を日常の不満とすり替えて話すだけでも随分気が晴れるものだとは知らなかった。

 突っ込まれたり、共感したり、アドバイスをくれたり、加奈子と桃子さんは些細な愚痴も親身になって聞いてくれる。

 そんな2人の存在を、とてもありがたいと思う。






「ほんまに感じ悪かったんやって〜! 『俺がそっちにいた頃は全てデセールで仕込んでた』って言うんやで? あの頃は、関さんも涼さんもおったし、三田っちと佐藤と田中くんと、辞めてしまった女の子もおって……考えたら今よりも3人多いやん! パティスリーにフィユタージュ(折込みパイ生地)とかブリゼ(練りパイ)とかグラス(アイスクリーム)系まとめて仕込んでもらうからってこっちの人数減らして向こうに人数割いたんやろ? なのにこっちが無能みたいな言い方にあの態度、なんやねん!」


 思い出しただけで腹が立つ。

 それは数日前、パティスリーに前もってお願いしていたフィユタージュを受け取りに行った時の出来事。

 同じ歳、だけれど入社時期が私よりも遅いため私にとっては後輩である佐藤に絡まれて、彼が応募したレシピコンテストで準グランプリ受賞した自慢話を聞かされたのだ。

 早く仕事に戻らなくてはいけないからお願いしていたものを早く出してくれ、と催促したところ思いっきり嫌味を言われたのだ。


「篠山荒れてるわねぇ……」

「スーシェフだからってほんと感じ悪いわぁ……そんなに偉いんかい!」

「ほら、ボヌールと違ってパティスリーは年齢層も低めだし、スタッフの入れ替わりも早いから……ボヌール時代からのスタッフって、佐藤くんと関さんと私しかいないのよ。だけど関さん、最近忙しくて……出かけることも多いし、私も時々意見はしているんだけど……」


 きっと桃子さんが意見したところで聞く耳を持たないのだろう。

 専門学校卒のスタッフが多い中、大卒で入社した佐藤は周りよりも歳上で、プライドも高い。しかも、タイミングよく空きが出て、周りと比べてもかなり早い時期に厨房に入ったため、サービスとか販売の大切さをイマイチ理解していない。その考えを改められぬまま、パティスリーのNo.2になってしまった。


「関さん以外におらんのかいな……だけど、中途の子らもいたやん、オープニングの時。その子らで職人歴が佐藤より長いのはおらんの?」

「みんな佐藤くんとソリが合わなくて辞めちゃったのよ。中途で採用されたオープニングスタッフはもう夏月ちゃんしか残っていないわね……」


 ナツキちゃん——きっとあの子や。


 私が佐藤に嫌味を言われている最中、フィユタージュを準備して渡してくれた女の子。他のスタッフは私と佐藤のやり取りを聞いて何もしてくれなかったのに、店頭にいた彼女が私に気づいて用意してくれた。しかも、佐藤の嫌味の最中に話に割って入って声をかけてくれた子だ。


「店に出てた子やろ? あの子、ナツキちゃんっていうんやね」

「そう、水縹(みずはなだ)夏月ちゃん。夏に月って書くの。すっごく良い子よ。佐藤くんとは合わない……っていうかちょっかいかけられてかなり迷惑してるみたいだけど」


 むしろ佐藤くんとウマが合う人の方が圧倒的に少ないんだけどね、桃子さんは苦笑しながらそう呟いた。


 夏月ちゃん——可愛い子やった。肌が真っ白で、美人さん。

 だけど、影があるというか……暗いとは違う、何か悩んでると言うか、何かを背負っている感じ。

 私に声をかけてくれた時も笑顔がぎこちなくて。少し手が震えていたのは、佐藤に対する苦手意識なのかもしれない。


「佐藤くん、ストライクゾーン広すぎなのよ。手も早ければ、入れてからも早いのよね」

「……加奈子ぉ!??」

「か……加奈ちゃん?」


 加奈子の爆弾投下にフリーズする私と桃子さん。


「多分、あっちの女の子の4分の1は手出してるんじゃないかしら? なかなか落とせないってのがきっとその夏月ちゃんって子ね」

「加奈子……そんな話……誰に聞いたん?」

「本人だけど? 彼、ベッドの上だとベラベラ喋ってくれるわよ?」

「加奈ちゃん!?」


 桃子さんの綺麗な顔が歪んでしまうほど、加奈子の話は衝撃的だったらしい。


「なんでそんなに引っかかるのかしら? と思ったんだけど、パティスリーの男女比ってこっちと全然違うのよね。それに、ボヌールのスタッフって目が肥えちゃってるって言うか……男前を拝む機会があり過ぎだったのよ。今はもう拝めないけれど、涼さんと商談王子がその筆頭ね。佐伯くんとか支配人は顔面偏差値高い部類の人だし、若い子たちも可愛い顔してる。それに比べて、パティスリーのメンズは関さんをはじめゆるキャラ色が強目と言うか……比較対象のせいでちょっとばかり背の高い佐藤くんがよく見えちゃうんでしょうね。制服(コックコート)マジックみたいなものも有るだろうし」


 加奈子の持論は確かに一理あるし、ゆるキャラ色が強いとは的を得て上手い事言うなぁとも思う。あまり大っぴらな同意はしかねるけれど。


「1度誘われてお試ししたらしつこいのよ、佐藤くん。やたらと自信満々だし。篠山にも分けてやって欲しいくらいだわ、どこから来てるのかわからないあの自信。……前置きがちょっと長いだけで言う程良くないわよ? 最初っから最後まで割と向こうのペースで進めたがるし」

「…………………………」

「…………………………」


 加奈子なりにオブラートに包んだ発言なのだろうけれど、桃子さんには過激過ぎたらしい。加奈子の奔放さに耐性がついている私ですら、ぶっちゃけ今日のはちょっとキツイ。


「加奈子……知りたくなかったわ……」

「だって、涼くんには相手にしてもらえなかったし。お手軽なところで手を打ったらダメね」


 にっこり微笑みかける加奈子に対し、遠い目をしている桃子さん。

「涼くん」と言うのは、フランス修業中の桃子さんの彼氏だ。2年前までボヌールでデセールを担当していた実力派の菓子職人、春日野(はるひの) (りょう)さんの事だ。

 身長180cmオーバーの涼さんは、顔がちっちゃくて足が長い。切れ長の目で整った顔立ちは冷たい印象を与えるが、桃子さんを見つめる姿は非常に微笑ましく、しかしながら奥手らしく何もアクションを起こさない涼さんに、周りがやきもきしていた頃が懐かしい。

 結局、涼さんが渡仏直前に桃子さんに告白してようやく付き合い始め、超遠距離恋愛は現在進行形で続いている。


「……次は佐伯くんあたりに声かけてみようかしら?」

「加奈子、佐伯っちはあかん! 絶対ダメやで!!」


 言ってからハッとする。何をムキになっているのだろう。これじゃあ、佐伯っちが好きだって言っているようなものじゃないか。

 佐藤に嫌味を言われた時、戻った私を気遣ってくれた。困ったように眉を下げて、「向こうに行く用事あったら俺が行くんで、声かけて下さい」なんて言われたら彼への気持ちは大きくなるばかり。だけれどこの気持ちは円滑に仕事をして行く上では隠すべき事。加奈子にすら言っていない。


「い、色々……き、気になって仕事中集中できなくなってしまうから!! 佐伯っちに限らず、厨房の人らに手ぇ出すのは……ぜ、絶対あかんで!!」

「そ、そうよ。加奈ちゃん。パティスリーも含めて、ボヌール関係者はちょっと控えてほしい……かな。加奈ちゃんが本当に好きで、真剣にお付き合いするならもちろん応援するけど……」


 慌ててごまかした私だが、桃子さんが同調してくれたお陰で不自然にならずに済んだ……はず。


「2人とも落ち着いてよ。それじゃあ私が見境いないみたいじゃない? ちゃんと私の中にルールがあって、線引きしているから大丈夫よ。それにね、私は恋愛がしたいわけじゃない。恋愛ごっこがしたいだけ。遊びに付き合ってくれる人をちゃんと選んでるの」

「恋愛ごっこ……?」

「そう、そこに気持ちは無いからごっこ遊びなの。あいにく、ずいぶん昔に私の気持ちはとある人に全てあげてしまって。後悔はしていないけれど、疲れちゃったの、本気で恋愛することに」


 現在該当者は店にいないから安心して、なんて言われても安心できないのが加奈子だ。彼女が特定の誰かにのめり込んでいるところを見た事がない。

 私が加奈子と出会った時は既に先程話していた様な考え方をしていた。


「叶う筈のない思いだったのよ。それに、今のスタンスで遊ぶのが1番性に合ってるとも思うのよね」


 にっこり笑う加奈子は艶やかで綺麗だ。辛い恋愛をしてきたからこそ、その色っぽさと美しさを手に入れたのだろう。そしてそれ故に今のスタンスでいるのだ……今の今迄、私は知らなかったけれど。


「篠山はそういうタイプじゃないんだから、適当な相手と遊ぶのはやめなさい。とりあえず、男を見る目を養うところから始めたら? 過去の過ちに囚われて、自分を卑下してたらどんどんブスになるんだから。どんなに綺麗な顔で産まれたとしても、卑屈担ってる女はブスなの。逆に、整った顔じゃなくても自信に満ちていたらキラキラしてるんだから。現に今のあんた、相当ブスよ?」


 時々思う。加奈子って本当に同じ年なのかと。ぶっ飛んだ発言で周りを驚かせたかと思えば、急に核心をついてくる。アドバイスには説得力もあるし、酸いも甘いも噛み分けた様な貫禄すら感じる。

 そんな加奈子にブスと言われても腹は立たない。彼女の言うことはぐぅの音も出ないほどに正しいのだから。


 男を見る目を養う……か。


「なんだか昔の私を見ているみたい。人生1度きりなんだから、楽しまなきゃ損よ。外見を磨こうなんて思わなくていいの。楽に生きなさい、楽に」


 加奈子の言葉に、胸のつかえが消えてなくなった気がした。

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