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14. 33歳、こらえた涙とこぼれた涙

「じゃあ、2人で打ち上げ! 約束ね?」


 あれから私は、自制していたと思う。少なくとも一月半は恋愛よりも仕事や勉強に意識が向いていた様に思うし、我ながら頑張ったとも思う。

 休み前の反省会は行っていたけれど、この数週間は本当の意味での反省会だったように思う。お酒は飲むけれど確実に仕事の話が中心だった。

 ずっと自制してきたというのに、嬉しそうな佐伯っちの声が耳に入れば、好奇心が顔を出す。私の悪い癖だ。


 2人で打ち上げ?

 バレンタインの打ち上げならば先週の休み前にするはずなのに、なんだか妙だ。


「佐伯っちー! 最近反省会全然来ないやん? 今日は強制参加やでぇ?」


 好奇心と共に、いたずら心までが顔を覗かせる。やってしまったと思ってももう遅い。佐伯っちに思いっきり嫌そうな顔をされ心が痛む。けれど自業自得だと自分に言い聞かせて笑顔をつくった。


「篠山さん、悪いけど今日だけは勘弁してください」


 悲しい反面ホッとする。だというのに、自分の耳に聞こえたのは信じられないような自分の言葉だった。


「はぁ? 付き合い悪いで……仕方ないから夏月ちゃん誘うわ」


 こんな自分が嫌だ。ほとんど条件反射のように出てきた言葉に泣きそうになる。


「いや、夏月ちゃん誘うのも勘弁してください」


 必死で作り笑いする自分がバカみたいだ。


「なんで誘ったらあかんの?」


 分かっているくせに。2人になりたいからだって。佐伯っちは本気であの子を落としにかかってるんだって、嫌というほどわかっているくせに。


「つまり、邪魔するなって事やろ。はいはい。ごちそーさま。ってまだ夏月ちゃんは佐伯っちのこと眼中になさそうやけど。まぁがんばりや……」


 決して泣くまいと必死で口角を上げながら憎まれ口を叩く私は本当に嫌な女だ。


 ロッカー室でこっそり泣いた。赤くなった目をごまかすために、目にゴミが入ったなんてベタすぎる嘘をついて顔をジャブジャブ洗って、明日は病院に行くから反省会するなら私抜きでやって欲しいと宇部ちゃんに投げて逃げるように帰宅した。


 休み明けも、気まずさから佐伯っちやあの子を避けて過ごした。

 妙に調子良さそうな佐伯っちを見るのは辛かったけれど、あの子が佐伯っちを意識している様子がないことから、大きな進展はなさそうだとホッとした自分に嫌気が差す。






 ***


「篠山さん! 久しぶりに王子がご来店らしいですよ」

「王子ってまさか商談王子?」

「そのまさかです! 相変わらずかっこいいらしいですよ。今回も個室なんで、私達がご尊顔を拝むチャンスは帰り際しかないですけど……」


 サービスに指名された山田くんが羨ましい、そう言いながらテキパキ手を動かしていた。

 その後入ってきた情報によると、お連れ様はよくご一緒にいらしていた祖父母ではないかと言う事。もう1人品の良い老婦人が同席しているらしい。

 遅い時間のご来店にもかかわらず、コースを注文されるのはご家族と一緒の時だったなと思い出す。

 それでもコースのラストオーダーギリギリの時間のご来店なのは珍しい。


「残念ながら、姫は一緒じゃないみたいです。それより残念なのは、佐伯さんがサービスしてない事ですね。山田くんじゃあんまり妄想が捗らないというか……」


 前回来店時、王子は予約の際に『特別な日だから』と言って予約をした。そして当日、とても大切そうに女性をエスコートして現れたのだ。

 王子のお相手ならお姫様と相場が決まっている、というわけで姫なのだ。


「山田くんが予約時に名前間違えていたらしくて、立花さんがめっちゃ慌ててたって。確かに蘇芳様って珍しいですもんね。山田くんが入社したのって、王子の渡仏後だから……スドウって聞き間違えるのも仕方ないですよねぇ」


 のんびりした口調とは逆に、片付けを進める宇部ちゃんの手際はビックリするくらい良い。

 最近改めて勉強しているとはいえ、気を抜いていたら宇部ちゃんに追い越されてしまうだろう。


 宇部ちゃんによると、なんでも帰国したその足でボヌールへやってきたらしいとか。それならば遅い時間なのも頷ける。

 出来た料理を受け渡す際や片付けしながらウロウロしている時に情報を仕入れていた様だ。


「やっぱり佐伯さんは呼ばれますよねぇ……一緒に運んでる夏月さんが羨ましすぎる……」


 うっとりした宇部ちゃんの視線の先には両手に皿を持った2人の姿があった。

 前菜の担当をしているとそんな機会は滅多にないが、デセール担当のパティシエがお客様へ直接サービスするのは頻繁ではないものの珍しくもない。

 今回に限っては、佐伯っちが呼ばれて当然だとも思えた。何しろ以前、佐伯っちは商談王子こと蘇芳様がご来店の際には必ず佐伯っちをサービスに指名していたのだから。

 佐伯っちだってご挨拶くらいすべきだと考えているに違いない。

 にこやかにあの子と会話を交わしながらデセールを運ぶ表情は悔しいけれどとても楽しそうだった。


 その直後、立花さんが慌ただしく厨房に駆け込んできた。支配人である立花さんのただならぬ様子に、皆が手を止め、厨房全体に緊張が走る。

 立花さんが放った言葉は、とても意外なものだった。


「佐伯は!?」

「今さっき、蘇芳様に呼ばれて行きましたけど?」


 切羽詰まった様な立花さんとは真逆の、気の抜けたスーシェフ小林さんの声に、立花さんは今にも崩れ落ちそうなほど、項垂れた。


「……間に合わなかったか」


 悔しそうな立花さんの声が印象的だった。

 全く意図のわからない立花さんの言動に、皆がポカンと呆気にとられていた。

 気が付けば、既に立花さんの姿は厨房にはなく——


 それから数十分後、泣き腫らした顔の佐伯っちが1人で厨房に戻って来たのだった。





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