12. 33歳、自分を顧みる
お正月頃の話です。
久し振りに帰省した。
現在両親が暮らすのは、私がかつて通っていた高校の近くである。
「早く孫の顔見たいって思ってたけどな、もう諦めたわ」
帰省して早々の私に対して、母親は唐突にそう言った。
「……無理して結婚なんてしなくても良いんかなって思ってな。あかねはあかねの好きな様に生きなさい」
どういう風の吹き回しだろうか。そう思う反面、自分が失望させたのだろうかと不安になる。
母の言葉にモヤモヤしながらも、高校時代の友人達が集まると言うので会いに出かけた。
中には10年以上会ってない子もいて、多くが既婚者だった。
「篠ちゃん、フレンチの有名店で働いてるんやろ? あの頃から料理上手やったもんなぁ……」
高校生の頃の呼び名で呼ばれると、なんだか照れ臭い。けれど、当時の思い出が蘇る気もする。
「篠ちゃん、肝っ玉母ちゃんってイメージやったよね」
「せやねん。篠ちゃんが料理人ってちょっと意外やったけど、かっこいいやんなぁ」
「やっぱ自分の店持つのが夢だったりするん?」
「店出すなら大阪に出して欲しいなぁ」
「子どもおったらフレンチとかなかなか行けないやろ? 子連れOKな店とか流行るんちゃう?」
自分の店を持つ。彼もそんな事考えたりするのだろうか。
「篠ちゃん、こっちで店出しぃ」
「ついでにイケメンシェフ紹介してや」
「そやで、職場にイケメンおらんの?」
イケメン、と言われて佐伯っちの顔が頭を過る。
間違いなく彼はイケメンと呼ばれる部類の人間だ。涼さんもそうだし、山田くんだってそう。『残念な』という前置きが付くが北上くんも該当するだろう。
「篠ちゃん、その反応は……職場にイケメン君おるんやな?」
「写真ないの? 写真」
「写真、あったかなぁ……?」
スマホのロックを解除して、アルバムを起動する。写っているのは、料理の写真が圧倒的に多い。
「仕事熱心なんやなぁ……」
隣にいた友人が私のスマホを覗き込んでそう呟いた。
最近は熱心と言えるほどの情熱があるのかさえわからない。仕事は好きだ。それなりではあるが、まじめに取り組んでいると自負している。けれど、中途半端で宙ぶらりんな気がしてならない。
「あ、若い男発見!」
「見たい! あ、ほんまや……この子は可愛らしい感じやね」
「こっちの子の方がいけてるんちゃう?」
「私は可愛い子の方がタイプやねん」
友人達の眺める写真に写っていたのが北上くんと山田くんでホッとする。私が中央に写っている3ショットだ。
「両サイドに若い男侍らせてるとか、篠ちゃんも隅に置けんな」
「ほんと羨ましいわぁ……片方あたしに譲ってやぁ」
「今の聞かれたらアンタの旦那、ヤキモチ妬くんちゃう?」
「そんなん妬く暇あったら家事手伝えって話やねんけど。うちは育児もほぼワンオペやし、休みの日でも旦那はなーんもせんで?」
キャラキャラと笑う友人達の話題はあっという間に旦那さんの愚痴と子どもの話になった。
仕事の帰りが遅いだの、金曜日には呑んで来るから終電に間に合わない事もしばしばで、休みの日は寝てばかり。
そんな話を聞いていたらまるで自分が非難されている気持ちになる。
出勤は彼女達の旦那さんよりも少し遅いけれど、帰りもその分遅い。定休日前日にはほぼ毎週飲んで、始発に乗って帰宅する。もちろん休日は昼まで寝て過ごす事が多いし、下手すれば夕方まで起きられない事だってある。
子どもを育てる事の大変さだって、大変だろうなとは思うけれど想像でしか大変さを推し量ることはできない。
そんな私が彼女達に共感出来るわけもなく、なんとなく居心地が悪い。
むしろ、旦那さんサイドの意見に共感してしまいそうだとも思う。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
気不味くなった私は逃げる様にトイレへ向かう。学生時代とは違うのは分かっている。もう15年以上前の話だ。みんなそれぞれ大人になって、それぞれの生活を送っている。
私と彼女達とは生活の主軸が完全に違うとは分かっていたけれど、結婚して子どもがいる子だけではなく、私と同じだと思っていた独身組も彼女達の愚痴に共感し、非難していた事に少なからずショックを受けた。
クリスマスに聞いた小林さんの話とリンクしてしまう。きっと小林さんの元奥さんは友人達と同じような不満を持っていたのだろう。
私は私で、彼女達とは状況が違う。
私と労働環境という面で状況が同じである人達は、結婚とか出産とか子育てとか……どんな風に考えているのだろう。
桃子さんはきっと涼さんの仕事に対して友人達の様に愚痴ったりしない。同業者同士というのは、やはり仕事に対する理解があるからきっと折り合いをつけやすいと思う。
同業者でもみんながみんなそうじゃない。きっと、店を持つという同じ目標に向かっているからこそなのだろうけれど。なんだか羨ましい。私にとってあの2人は理想の夫婦像に近いのかもしれないと思った。
宇部ちゃんはなんだかんだでまだ若い。北上&山田ペアだってまだ先の話だと思っているだろう。
佐藤は結婚しているという自覚がなさ過ぎる。
佐伯っちは、どういうつもりなのだろう。
真面目な彼の事だから、『好きだから付き合いたい』で終わるはずがないと思う。その先を見据えているに違いない。
——あの子との、その先を?
イマイチ押しが弱いとは言え、結婚するつもりで口説こうとしているのだろうか?
だとしたら、その後どうするのだろう。あの子は、涼さんについて行くから遠距離恋愛になるわけで。もし、佐伯っちが口説き落としたとして、責任感の強い2人だ。お互いすぐには仕事を辞めるなんて選択はしないだろうし……じゃあ別居婚? 遠距離の?
あの2人ならあり得そうで怖い。
前々から理解っていた事だけれど、佐伯っちの心に私が入り込む隙なんて微塵も無い。けれどどうしてもそれを認めたくなかったのは、あの子が佐伯っちに対して見えない壁を作っていたからだ。
けれど、この半年であの子は佐伯っちに随分心を許すようになった。男女の恋愛感情こそ無いのかも知れないけれど、人としての好意とか信頼を彼に対して抱いているのは明らかで。
つい1週間前のあの日。すっかり薄くなっていたけれどその壁を佐伯っちが突き破ってしまった気がした。
それまでは、佐伯っちの方も彼女に対して遠慮しているというか、様子を窺うような、どこか躊躇うような雰囲気があったのに、佐藤から庇う姿にはそれが無かった。
きっと涼さんに言われなくとも、佐伯っちは佐藤からあの子を守っただろう。戸惑う事なくあの子の手を握り、佐藤との間に立って睨みつける様な視線で制した彼は本当に格好良くて。
見たことのない彼の一面に私も一肌脱がねばと思ってしまう程だった。
あの日あの後、2人の間にどんな会話があったのかわからない。
けれど、休みを挟んで出勤してきた佐伯っちのあの子を見つめる目が今までよりもずっと真剣で、私は勝手に打ちのめされてしまって。
……なんて、私はトイレで何を考えているんだろう。
気不味くて逃げてきた筈なのに、ひとりでブルーになってしまったら余計に席に戻り辛くなるのに。
友人達の元へ向かう足取りはとても重い。
「ねぇ、奥さんとはいつ別れてくれるの?」
「まぁ、そのうちな」
「いっつもそればっかり。私が30なるまでには結婚してな?」
「そんな事言って、若い男が出来たら俺なんて捨てるんやろ?」
「んなわけないやん、酷いわぁ……」
聞き覚えのある声がして、無意識にそちらへ目が行く。
——染井だった。
幸い、相手には気付かれていない。
あれからもう8年。私の知っている染井よりも幾分か年齢を重ねているのを感じるけれど、一緒にいるのはあの頃の私と同じくらいの女の子で、彼のセリフも当時と大差ない。
女の子30歳までまだ少し余裕があるのだろう。その声には必死さよりも無邪気さを感じる。
彼女がなんて事なく発した言葉に衝撃を受けながらも、昔の私と立場の同じ彼女を目の当たりにして、自分もこうだったのかと思うと改めて情けなくなった。
「奥さんと別れさせてまで、結婚なんてしたくないわぁ」
振り向くと、友人がいた。今日集まった中で、独身なのは彼女と私だけ。
「篠ちゃんもそう思うやろ?」
「……急にビックリしたわ」
「盗み聞きだなんて、お行儀悪いで?」
「盗み聞きじゃなくて、聞こえてきただけやし……」
「まぁ私も篠ちゃんの事言えないんやけど。なんか、今日元気ないやん。どうしたん?」
彼女に促され少し2人で話をする流れになり、直ぐに戻らなくて良い事にホッとしている自分がいた。
「なんか色々思う事があってな」
「篠ちゃんもみんなの話についていけなかったんやろ?」
「……え?」
「私もそうやで? なんかな、自分の母親の愚痴聞いてるみたいやなって思ってん。兄がな、よく実家に子ども預けるんやけど、その愚痴にすごく似てて。母が言ってるのはこういう事かって思ってた。別に共感出来たわけじゃないけど……女の愚痴って、話聞いて共感してもらえたらスッキリするってテレビで言っててん。だからまぁそれで平和ならいいかなって」
「なんかちょっと安心したわ。共感出来ないのが自分だけじゃないんやって。私、多分みんなの旦那さんと似たような生活してるから……」
「自分が責められた気分になったんやろ?」
頷くと、彼女は笑った。聞けば、彼女も似たような思いをした事があると言う。
「私も周りに置いていかれた気分になって婚活とかしてみたんやけど……めんどくさくなってやめたわ。それとな、母の知り合いが騙されたんやって。いわゆる結婚詐欺ってやつ。婚活中の人だけじゃなくて、その親世代狙ってるケースもあるらしいで? 知り合いのとこはダブルやったって。焦って無理するとロクな事ないなぁって母親と話しててん。篠ちゃんも気ぃつけてな」
家を出るときに母親に言われた言葉が蘇る。もしかして、母はそういったことを心配して無理に結婚しなくて良いなんて言い出したのだろうか?
そう思ったら、なんだか気が軽くなった。