11. 33歳、たまには役に立ちたい
「嫌な酔い方してますねぇ」
先程は空気を読まない北上くんに注意せねばと思ったが、こう言う形で空気を読めないところは嫌いじゃない。佐藤の場合、周りがハッキリ諌めないのにも問題があるのだ。それを北上くんだけにやらせるのは良くない。
「佐藤、自分が相手にされないからってそれはないやろ? 第一、奥さんと子どもが待ってるんやからクリスマスくらいさっさと家に帰ったりや?」
パティスリーのスーシェフである佐藤にとって、私は下の立場の人間との認識だろうが、入社時期などを考えれば一応先輩に当たるのは私なのだ。若手にばかり押し付けてはいられない。
「佐伯、夏月連れて店出てろ。とりあえずどっか行け。あとで合流するから」
佐藤がやってきた事に気付いた涼さんのフォローもあり、佐伯っちは彼女に手を取る。胸がチクリと痛むが、そんな事を気になどしていられない。
「おい、逃げんのか? まてよ、オイ!」
「まだ飲み足りないんなら私が相手してやるからな、ほらこっちに座りや。お店に迷惑かけたらあかんで? 同業者ならわかるやろ?」
「佐藤、ここに座れ。不満があるなら俺も聞くぞ」
涼さんと二人掛かりで佐藤を座らせ、とりあえずグラスを握らせた。
佐藤はそんなに酒が強くない。こんな調子なら、もう少し飲ませれば勝手に潰れてくれる事だろう。そうしたらタクシーに押し込んで自宅の住所を運転手さんに伝えさせるだけだ。
「子ども、産まれてもう半年くらいやったっけ? 奥さん、めっちゃ大変な時期なんやで? いくらクリスマスがケーキ屋にとって忙しいからって、早く帰ったりや。他の女の子に絡む必要ないやん」
「半年といったら子どもも可愛い盛りだろう?」
「…………」
「そもそも職場恋愛やったんやし、奥さんかて仕事終わってんのきっとわかってんで? 結婚して初めてのクリスマス旦那が帰ってこないなんて酷い話やん?」
「……篠山さんには関係ないですよ」
「関係ない、は無いやろ? 楽しく飲んでたとこに割り込んで来たのは佐藤やん。文句言われる筋合いなんてないで?」
佐藤に恨みがましい目で見られたが、むしろこちらの方が恨めしい。
佐藤さえ来なかったら、佐伯っちがあの子と二人で店を出る必要など無かったのだ。
彼女のあんな話を聞いて泣き顔まで見てしまった後だから、佐伯っちがアクションを起こすことはない、そう信じたい。だからこそ逆に……と言うケースである可能性も無くは無い。どちらにせよ、私としては良い気がしない。だけれど、二人を逃して佐藤を引き止める役を買って出た事にた後悔はない。適材適所という言葉の通り、私にぴったりの役割なのだ。
今まで嫌がらせのごとくお節介の様な事はしてきたし、これからもそれを辞めるつもりはない。けれど今日はクリスマスだ。たまには佐伯っちへ塩を送るのも悪くない。
「佐藤も知っていると思うが、俺は桃子と店を出す。夏月を誘ったのは、俺のフォローも桃子のフォローも出来る上、桃子の話し相手としても適任だからだ」
涼さんは静かに佐藤へ語りかける。
「桃子はともかく、夏月まで辞めさせるんだ。今まで世話になった以上、ボヌールに迷惑をかけるわけにはいかない。筋を通す、という意味でも佐伯にはボヌールのデセールについて漏らさず伝える必要がある事くらい佐藤だって理解しているだろう。俺は新しい店の事でやるべき事があるから夏月に任せ、佐伯はボヌールのために自分がどうすべきかを理解している、ただそれだけの事にどうして佐藤は声を荒げるんだ?」
涼さんの問いかけに、佐藤はフンっと鼻を鳴らす。
「涼さん、独立するからって浮かれてるんじゃないですか? 水縹引き抜く前に、パティスリーも含めたボヌールの状況を把握してもらわないと困るんですよ。桃子さんを辞めさせるっていうのに、水縹まで連れて行くなんて、ボヌールの事を考えていないでしょう? こっちはただでさえ人手が足りなくて困ってるって事、理解してます?」
「……正直、理解しかねるな」
「……はぁ?」
佐藤は私だけでなく、涼さんまで見下している様だ。棚ぼた的に出世してしまった佐藤の鼻柱は簡単にはへし折れないらしい。酔っているにしても、先輩である涼さんへ対する発言とは思えない。
流石の涼さんもカチンときた様だった。ただし、涼さんはそれでも冷静に一言返しただけだったが、その涼さんの返答に対しても噛みつく勢いだ。
イキがる佐藤だが、涼さんへのイチャモンは自身へ直接返ってくるブーメランである事に気付いてないのだろうか。
「人手は足りている筈だ。売り子とパティシエとの連携がなっていない、もしくは人任せ、言い換えれば自分の仕事ではないから関係ないと押し付け合いをしているスタッフが多いから何事も円滑に回らない。その筆頭が自分である事を自覚した方がいい」
見兼ねた小林さんが口を出してようやく大人しくなった佐藤だったが、苦虫を噛み潰した様な表情を見れば腑に落ちていないのは明らかだった。
「まぁそんな顔せんでもええやん。人手が足りんのやったら足りんなりに努力せななぁ。涼さんも桃子さんも夏月ちゃんも辞めんのは決定事項やねん。八つ当たりしても仕方ないで。それに、恋愛は個人の自由。仕事中ならともかく、今は違うんやからイチャついてもとやかく言う筋合いは無いねん。羨ましかったら早く帰って奥さんとイチャイチャしたらええやんか。きっと家で待ってんで? タクシー呼んだるで、来たらもう帰り」
結局私には何も出来なかった。
タクシー会社へ配車の電話をかけたのは宇部ちゃんだし、タクシーまで連れて行ったのは小林さんと涼さんで、桃子さんが佐藤の奥さんへ電話をかけて運転手さんへ行き先を伝えていた。
タクシーが来るまでの間、小林さんから追加のお説教を食らった佐藤は随分と大人しくなっていた。きっと私ではああはならない。
佐藤を帰した後、落ち込んでいた私は敢えて二人掛けの席へ座り、一人きりでぼーっとしていた。しばらくすると、そんな私の向かいに小林さんがやってきた。
「夏くらいから関も佐藤に遠慮せず言うようにしてるらしいんだけどな、改善が見られないと。それなら仕方ないから他スタッフの意識改革をする方向にシフトしたんだってよ。このクリスマスはそれが功を奏したらしい。それだけじゃなくて、今まで佐藤に任せていた事を他の奴に任せたら想像以上に上手くやってくれたとか。夏月が向こうにいた頃は、夏月が犠牲になっていたからあいつが思い通りに振舞っても仕事は回っていた。思い通りにならない苛立ちをぶつけるのは筋違いなのに、それが理解できないのはそれだけ佐藤が追い詰められているって事なんだろうな」
小林さんが溜息まじりに呟いた。
改善の気配が無いどころか、先程の一件で佐藤が反省していない事が顕著になってしまった。追い詰められているから仕方がない、と庇える状況はとうに過ぎているし、彼の立場的にも許されない。
当初は、関さんをはじめとした上役の人達の監督不行き届きとして、猶予期間というか挽回の機会を与えられていたようだが、人員の見直しが行われる事になりそうだと小林さんは言う。
「関はきっと降格だろうな」
「確かに関さんが諌められなかった部分はあると思うけど……何もそこまでする必要、ないんやないですか?」
「あいつの場合、それを嬉々として受け入れそう、というより望んでるんだよ」
正直、小林さんの言っている事がわからなかった。降格を望んでいるだなんて、信じられない。関さんという人は、少しおちゃらけているというか、ゆるい雰囲気を醸し出しているけれど、向上心のある人だ。そんな人が降格を望むなんて、あり得ない。
「篠山にはまだわからないかも知れないけれど、まぁ色々あるんだよ」
小林さんにそう指摘され、まるで心の中を見透かされてしまったような恥ずかしさを覚えた。
「篠山も若いうちに色々悩んで、沢山苦労しといた方がいいぞ。その方が伸び代が大きいし、周りが気付けない事に気付ける。夏月はそういうタイプだと思うし、佐伯もそうだ」
「確かに、夏月ちゃんも佐伯っちも周りをよう見てるし……加えて、佐伯っちはほんまに成長著しいというか。そんな二人見てると、私はまだまだやなって恥ずかしくなるんです」
あの二人を見ていると、劣等感に苛まれる時がある。自分の努力が足りないと理解していても、嫉妬してしまうのだ。
「40過ぎるとな、新しいこと始めたくても自分のスタイル崩すのが怖くなるんだよ。だから、今のうちに色々手を出した方が良い。学べる機会があるなら学んどけよ。きっと損はない」
小林さんも周りをよく見ているからこそ、勉強不足だと痛感している私へこんなアドバイスをしてくれるのだ。
私は仕事の忙しさに甘んじて学ぶ事を後回しにしている。これではいけないとわかっているのに。
「とは言え、仕事ばかりしてても視野が狭まるしなぁ。恋愛も出来る時にしといた方が、相手を見つけといた方が良いぞ。マジでアクション起こせなくなるっつうか、億劫になる。彼氏ができても、仕事に対してストイックになり過ぎんなよ? 俺はそれで妻に愛想つかされて出ていかれたからな……篠山も気を付けろよ。とにかく、気付けた時に出来る事やっとけって話だ。そうする事に慣れてれば、新しい事だって受け入れられるし、変化にも順応出来る。無駄に劣等感を覚える事もない」
やはり経験者の言葉は重い。そんな有難いアドバイスのおかげで、私の心は少し軽くなった。




