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10. 33歳、モヤモヤのクリスマス

 そして迎えたクリスマス当日。1年で1番忙しいと言っても過言ではないその日を私はモヤモヤした気持ちで迎えていた。目の回る様な忙しさだが、例年のこと。滞りなく前菜のオードブルを仕上げてゆく。ここまでにミスはない。だというのに、こんなに仕事を楽しめないクリスマスは初めてだ。


 それもこれも、佐伯っちのせいだ。日に日に熱を帯びる彼の彼女へ向ける視線が気になって仕方がない。今日だって勿論例外ではない。


「デセールの3人いい感じだな、お前らも負けんなよ! 丁寧な仕事しろ!!」


 パトロンの怒号に近い呼びかけに、『Oui, monsieかしこまりましたur』と答えながらもどこか上の空だった。


 だって、心底楽しそうに仕事をする佐伯っちの姿が視界に入ってきてしまうから。

 彼女が呼ばれてホールへ行く。お客様にご挨拶へ行くのだ。彼女の考案したデセールは大好評。一体彼女はお客様とどんな話をしているのだろう。そんな彼女を誇らしげに、相変わらず熱を持った視線で送り出す彼。


 すっかり卑屈になってしまった私なんて、佐伯っちの視界になんて入るわけない。分かっていても更に卑屈になってしまう。もう嫌だ、こんな自分。

 同時に、あの子が嫌な子やったら良かったのに、なんて思ってしまう。






 クリスマスの営業終了後、打ち上げのために振舞われる料理とお酒。去年まで、佐伯っちは私のすぐ近くにいた。だけれど今年はワイワイ騒ぐ輪の中に彼はいない。


 あの子の側に、程々の距離を保っている佐伯っち。隣をキープするのは、まるで彼女の懐に入り込む瞬間を虎視眈々と狙っている様にしか見えない。

 あの子がソルベを配り始めたら、追いかけてすかさずそれを手伝う。本当に分かり易すぎる。


 彼らが配っているのは、今日お客様からとても好評だった口直しのソルベだ。以前、試食として出された3種盛りの皿にものっていたものだが、私はその味をほとんど覚えていない。あの時はソルベの味よりも、佐伯っちとあの子の間に流れる空気の変化の方が気になって……それをごまかす様に頬張ったチョコレートムースの味が衝撃過ぎた。


 あの時の彼女も、今の彼女も眩しい。そんな彼女を追いかける佐伯っちも同じくらい眩しい。

 ウジウジ悩んでいる場合じゃない。私はあの子みたいになれないけれど、これ以上腐っていたって仕方ない。張り合うのも馬鹿らしくなってしまうくらい、二人はお似合いだ。私に入り込む隙なんてないくらい、彼は彼女に夢中で、彼女に振り向いてもらおうと必死なのだ。彼女の方は、それに気付いていなさそうではあるけれど。


「夏月ちゃんこっちにも持ってきてやー!」

「はい、どうぞ」


 思い切って声をかけ、受け取ったグラスのソルベはシャンデリアの光を受けてキラキラと輝いている。スプーンで掬って口へ運べば、口の中ですぅっと溶けて、貴腐ワインの芳醇な香りが鼻腔へと抜けていく。

魚料理と肉料理の間、口の中をリセットする目的でほんの一口分だけ出されるソルベ。

口に含んで溶けた瞬間、モヤモヤしていた私の気持ちさえもリセットしてしまったのかもしれない。


「せっかくの打ち上げなんやし、楽しまな損やなぁ」


 無意識で口から飛び出した、そんな独り言。


「篠山さん、お疲れですか?」

「そりゃ疲れるやろ。今日はクリスマスなんやで?」

「あら? 調子戻ったのね」

「調子戻るも何も……とにかく、めいっぱい飲んで食べるで!」


 拾われるつもりなんてなかった独り言に気付いた宇部ちゃんは勿論、付き合いの長い加奈子にもこの気持ちを気付かれたくない。自分の嫌な部分もソルベのように溶けて無くなってしまえばいいのに。

 精一杯の虚勢でも、腐った姿を彼に見せることがない様笑顔で過ごしたい。

 せっかくのクリスマスだ。美味しいお酒も料理も楽しく飲み食いしなければもったいない。






 ***


「今から飲み直すぞ~! 行く奴集合!! ひとり身の奴は強制参加ね!!」

「ひとり身は強制参加って……その言い方やめてくださいよぉ」

「そうやでぇ、ある種のセクハラやで小林さん!」


 打ち上げ後、二次会へ流れる前のこのやり取りも毎年恒例だった。

 スーシェフの小林さんと宇部ちゃん、私、それからソムリエの笹木さんが同じテーブルを囲む。10人という人数的に同じテーブルに着くのは難しく、3組に分かれて飲むことになった。通路を挟んで向かいにアホの子北上くんと山田くんの同期ペア、少し離れたところに涼さんと桃子さんと佐伯っちとあの子がテーブルを囲んで談笑している。


「あの3人、春には辞めるんだよなぁ」


 カラン、と氷が溶ける音がしたかと思えば、しんみりとした小林さんの声が続く。


 佐伯っちだってわかっているはずなのだ。あの子は春になれば店を辞める。ならばどういうつもりで彼女の側にいるのだろう。


「笹木、席移動しないか?」

「あぁ、行くか」


 物思いに耽っていたら急に席を立った小林さんと笹木さん。かと思えば、涼さんと桃子さんがやって来た。どうやら席を交換したらしい。


「すごいですよね、あのファイル。夏月さんが佐伯さんのためにまとめたんですって」


 ストローを咥えたまま宇部ちゃんが指差したのは、彼が興奮気味でページをめくるA4サイズの分厚いポケットファイルだった。


「夏頃からコツコツとあいつがまとめたんだよ。俺は資料を提供してチェックしただけ。あれさえあれば安心して辞められる」

「夏月ちゃん頑張ってたものね。私達が辞めてから佐伯くんが困らない様にって」


 写真を織り交ぜて丁寧にまとめられているのは遠目から見ても明らかだった。


 佐伯っちはファイルを指差しながら、あの子に話しかけている。どうやら、佐伯っちが質問してあの子がそれに答えているらしい。その距離が先程よりも随分近い。佐伯っちが彼女との距離を更に縮めようとしている様にしか思えないのは気のせいだろうか。


 モヤモヤする。けれど、私がそれをとやかく言う筋合いはない。わかっているけれど、そんな姿を見ているのは苦しい。

 彼女を振り向かせようと必死になっている佐伯っちの姿を。

 幸か不幸か、彼女は佐伯っちの事は恋愛対象として見ていないのは明白だった。以前話していた人の事が今でも好きなのだ。


その後なんとなく話の流れで山田くんと席を代わり、私は北上くんを連れて佐伯っちと向かい合う席へと移動した。

 私の顔を見るなり、佐伯っちはちょっと嫌そうな顔をしたけれど、それも仕方がないだろう。少し離れた席とは言え、直前にしていた私達の会話は佐伯っちにとってはた迷惑であったに違いない。


 佐伯っちがかなり積極的にアピールしているけれど脈なしだとか、私は言いたい放題だったのだ。

 私だけでなく、北上くんもなかなか失礼な事を言っていたと思う。「夏月さん、31なんすか!?」なんて、年齢を大声で言うのはどうかと思うし、その後のフォローは全くフォローになっていなかった。確かにあの子は若く見えるが、「大学生に見える」なんてそれはそれで嬉しくはないだろう。その上、彼氏いないなら立候補したいけど歳上すぎるなど勝手な発言を繰り返すなど、こちらが居たたまれなくなってしまうレベルの失言だった。

 あの子は苦笑して、そんなに気にしていない様だったが、佐伯っちの視線はとても厳しいというか、恨みがましいと言わんばかりにじっとりとした嫌な視線を向けてきたのだ。


「すごいなぁ、これ。夏月ちゃんの愛を感じるわぁ」


 更には、そんな私の発言も気に入らなかったのだろう。

 彼女がクリスマスプレゼントだと言って佐伯っちへ渡した仕事の引き継ぎファイルはそれは見事なもので、きっと仕事の合間は勿論、休みの日も相当時間と手間をかけて仕上げたのであろう品だった。下心も無しに、そこまでやってのける彼女が羨ましくて、それを受け取って浮かれる佐伯っちに苛立ってしまい、嫌味の1つでも言わずにはいられなかった。


「もちろん、ハルさんと私のボヌールへの愛がこれでもかってくらい詰まってますよ!」


 そう笑顔で答えたあの子の表情は、晴れやかで、とびきり可愛くて。少し前の彼女とはまるで別人だった。

 佐伯っちはもちろん、北上くんまでうっすらと頰を赤らめている。彼も佐伯っち同様見惚れていたに違いない。

佐伯っちは頬を赤らめると同時に肩を落としてもいた。いくら笑顔が可愛くても、彼女の言葉は佐伯っちには少々切ない。

「だから脈なしやっていったやろ……」と北上くんへこっそりと声をかければ、苦笑していたが、




 実際に読ませてもらうと、彼女の作った引き継ぎファイルは本当に素晴らしいもので、私は彼女に感心しきりだった。

 綺麗にまとめられたレシピはもちろん、器具や型と言った備品のリスト、オーブンのクセなども事細かに記されていて、更には写真など添付されており、その仕上がりは想像以上だった。

 涼さん曰く、それをほとんど一人でまとめたと言うのだから驚きだ。やはり私との力量の差を感じてしまう。




 その後、この世界に入ったきっかけの話から、バレンタインに提供する予定のデセールの話題へ移り、彼女は私たちに引き継ぎファイルのとあるページを見せてくれた。


「わぁ、可愛いなぁ」

「良いっすね。女の子に受けそうっす」

「流石夏月ちゃん、すごくいいと思うよ! 彩りもシックなのに可愛さもあるし。…Mon premier amour?このムースの名前?」

「うん、皿盛りのメニューもそうしようと思ってるの」


 添付された写真の可愛らしさに思わず感嘆の声を上げてしまった。きっと、あの時試食で食べたムースだ。

 ネーミングは、『私の初恋』という意味のフランス語。


「私の初恋かぁ…バレンタインっぽくてええやん、なぁ?」

「思いっきりさっきの話じゃないですか、マカロンくれた男の子が夏月さんの初恋っすか?」


 あの子の幼い頃、両親と離れて祖母の元へ預けられていた頃のエピソード。泣いている彼女に、フランボワーズのマカロンをくれた男の子の話。その時のマカロンをきっかけに、彼女は菓子職人を目指す様になったのだと先程話してくれたのだが、彼女の笑顔とは裏腹になかなかデリケートで思い話だった。

 そのヘビーさ故に話題を変えたと言うのに、私の言葉を受けた北上くんの発言でまた話題を戻す結果となってしまう。変えた方が良いのかと迷ったが、気になるのも事実だ。

 彼女に感じた影は、幼少期の環境に由来しているのだろうか。


「うーん、それも多少はあるかな。祖母は私の初恋はマカロンの子だって言うんだけどね。どちらかというと、初恋をモチーフにしているのはムースの方なんだよね。甘酸っぱいけれど、ほろ苦い大人の恋。中のワインのジュレは色気をイメージ? なんてね!」

「それって体験談っすか? 元彼の話なんすか~?」

「夏月ちゃんの恋バナ気になるなぁ……教えてー!」


 私が衝撃を受けたムースに隠されたエピソードがあるなんて、気になってしまった私はいつもの軽い調子で聞いてしまった。案の定、佐伯っちには嫌そうな顔をされたが、訊いてしまった以上ここで無理やり話題を変えるのも不自然だ。


「まったくつまらない話ですよ? パティスリーに来る前に働いていた店で……私を指名してアントルメ(ホールのケーキ)を注文してくださるお客様がいたんですよ。たまたま友人の結婚式の二次会であちらは新郎の友人として参加していて……いろいろ話して、自分の気持ちに気付いたんですけど、直後に失恋したんです。好きな人がいるからお見合いを断りたい、家族を納得させるのに恋人のフリしてくれって言われて。あぁ、好きな人いるんだーってショックだったけれど、失恋の記念に引き受けたんです。以来会っていなくて。それだけの関係ですよ」

「それ、苦いっすねー」

「甘くて酸っぱくて苦いかぁ……そんな感じやなぁ」


 答えてくれた彼女はどことなく笑顔がぎこちなかった。それだけ彼女にとっては辛い経験だったのだろう。

 以前、人生初のチェーンの居酒屋で飲み過ぎてしまった、あの時の話の人に違いない。

 彼女は間違いなく今も好きなのだ。佐伯っちの思いに気付けないくらい、その彼が彼女の心に居座って、大きなウェイトを占めているのだ。


「それもあるんですけどね、フランボワーズとショコラのマリア―ジュが彼、好きだったんです」


 どこかさみしそうなその表情は、間違いなく彼女が恋をしているのだと物語っている。彼女の言葉に、佐伯っちの表情が一瞬固まった。まるで、何かに気付いた様な、何かを思い出した様なハッとした顔。


「今そういうの作っちゃうってことはまだ忘れられないんすか? その人のこと」

「え……」


 ヘラヘラ笑う北上くんと、目を見開いて「なんて事を言ってくれたんだ」と言わんばかりの佐伯っち。

 彼女のパッチリとした大きな瞳には、涙が滲み出して……。


「やだ、ちょっと飲みすぎちゃったかも……。何でもない、大丈夫だから」


 苦しそうな笑顔で彼女が言うのと、涙が溢れるのはほぼ同時だった。


「なんで佐伯さんまで泣きそうになってるんすか?」


 こんな時くらい、空気を読んで欲しい。北上くんにそう注意しようとした時だった。


「おい、お前涼について店辞めるらしいじゃねぇか? いつから奴の女になったんだよ? 俺は不満で涼はいいのかよ? んで、今は佐伯とイチャついてんのか?」


 もう最悪のタイミングだ。どうしてこんな時に佐藤がやってくるのだろう。


明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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