恋愛というのはかくも難しきものである
「いろいろと思うことはあるが、とりあえず今までの人生において恋愛に興味のなかった自分をここまで恨む日がこようとは思わなんだ」
クソ真面目な顔でよくわからないことをのたまう友人、康介の言葉に、宗太郎は怪訝そうに眉をひそめた。
康介は、学業優秀スポーツ万能。
ではあるものの、非常に頭が固く、おおよそ恋愛というものを好まない、というより、学生が恋愛をするということを毛嫌いする種類の人間であった。
少なくない対価を支払い、勉強をするために学校に通っているならば、ソレに集中すべきではないのか。
そんなことを常々主張する康介は、同性である宗太郎から見て「うらやましい」と思えるような美形であるにもかかわらず、あまり女子に持てるというようなことはなかった。
当人もまったくそれを気にしておらず、考えたことすらない様子であったのだが。
その康介が、宗太郎のところに来て、らしからぬ言葉で嘆いた。
これはなかなかに面白そうなことが起きているのではあるまいか。
「なんだよいきなり」
宗太郎は読んでいた本を閉じ、聞く姿勢を見せた。
それを確認した康介は、深いため息を吐く。
「お前は驚くかもしれんし、正直俺も自分で自分が信じられんのだが」
「随分もったいぶるな」
「どうも俺は、その、恋というものをしていたらしい」
康介は、まったくの真顔でそういった。
いままで、むしろ恋愛を忌避していた様子すらあった、康介の言葉である。
宗太郎は目を丸くしながら、康介の顔を覗き込んだ。
「どうした。頭でも打ったか」
「いたって正常だ」
「俺は意外と長くお前の友人をやっているつもりだが、未だかつてその手の話をお前から聞いたことがないぞ」
「俺も意外と長く自分をやっているが、この手の話をしたこともなければ、考えたこともなかった。だからこそ、自分で自分を恨んでるんだよ」
この答えに困惑した宗太郎だったが、康介の顔はまったくの真顔である。
宗太郎は腰を据えて、話を聞くことにした。
「相手は?」
「いわなければならないものか」
「そこをはっきりさせなければいろいろと前提が成り立たない話もあるからな。まあ、無理にとは言わないが、聞いた方がアドバイスもしやすかろう」
「そういうものか?」
「例えば、勉強の仕方がわからないと聞かれたとする。それが数学か国語か、あるいは科学か世界史かで、勉強の仕方はだいぶ変わるはずだ。当然アドバイスの仕方も変わる。と、俺は思う」
康介は「なるほど」と頷いた。
しばし考えるように目を閉じ、唸り声をあげる。
宗太郎が「コイツ、肺活量すげぇな」と思い始めたころ、ゆっくりと目を開けた。
「同じ部活の後輩で、水村 奏多くんというんだが」
「お前マジか」
この時宗太郎は、「人間というのは本当に驚くと、案外簡単な言葉しか出てこないものだな」と思った。
奏多は友人である充希の部屋で、ベッドに突っ伏していた。
二人の家は徒歩圏内であり、長く友人を続けていることもあって、かって知ったる他人の家、という状態で、奏多には遠慮がない。
充希も、迷惑そうな顔はしているものの、文句は言わなかった。
だが、ほかのことに関しては、言いたいことがある。
「で? なにがどうなったって?」
「先輩がやばいの」
「やばいって。何がどうヤバいの」
「先輩がいつも以上に色っぽいの!」
「お前は何を言っているんだ」
思わずそういった充希は、悪くないだろう。
奏多が「先輩」と呼んでいると思われる人物は、少なくとも充希の基準では、色っぽかったためしなど一度もなかったのだ。
「先輩って、康介先輩でしょ? ガチガチにお硬い」
「そうだよ。かっこいいよね、硬派っ! って感じで!」
「まぁまぁ。その辺はあれとして。康介先輩が? 色っぽい? って?」
「そう、それ!」
奏多は思い出したというように体を起こし、事の次第を話し始めた。
康介先輩というのは、奏多が思いを寄せている同じ部活の先輩である。
生真面目で他人にも自分にも厳しく、少々頭が固いところはあるものの、優秀な先輩だ。
先生たちからの信頼も厚く、後輩や同級生からの受けもいい。
ただ、恋愛対象になるか、というと、別の話である。
頼りになる先輩で、理想の上司。
だが、恋人にするには口うるさいし堅苦しい。
そんな評価が、一般的なところであった。
つまり、奏多は例外ということになる。
奏多が康介と出会ったのは、奏多が入学して早々のことである。
部活見学に回っていた奏多と充希は、康介の部活に見学に訪れていた。
ボードゲーム部、という変わった部活だ。
活動はさらに変則的で、一か月間同じゲームで遊び続け、その内容に関するリポートを書く、というものである。
全員が真剣にゲームに取り組むその姿は、一種独特の雰囲気を醸し出していた。
充希は早々に「この部活はやめよう」と決心したのだが、意外なことに奏多は悩んでいる様子を見せる。
そんな奏多を見て、康介は驚いたような顔を見せた。
「この部活の活動内容を聞くと、大抵の人間が顔をしかめて入るのを辞めようと思うものだと思うんだが」
「え? そうなんですか?」
首をかしげる奏多に、康介は「そうだ」と頷く。
「大体において、こういった部活は部活を口実にゲームで遊ぶための場だと思われることが多くてね。活動内容を説明すると、反応は大まかに二つに分かれる」
「どんな風にです?」
「まず、嫌そうな顔をする。もちろん表情を隠す場合が多いが、大体はこれだ。単にテキトウに遊んで部活をしているという実績だけが欲しい人は、大体そうリアクションをする」
「あー。そういう人は確かに多そうですねー」
「次いで、なかなか面白そうだ、という顔をする人。これは稀なケースで、そういう人間はすんなりこの部に入ることを決める。今の部員のほとんどがそうだね」
「皆さん、そういうのがお好きな方なんですね」
「ところが、君はそのどちらでもないように見える。純粋に悩んでいる様子だ。こういうと問題があるかもしれないが、ボードゲームに興味があるようにも見えない」
確かに奏多は今時の女子、といった風情で、「そういう風」には見えなかった。
実際、充希は奏多が「人生ゲーム」以外のボードゲームをやっているのを見たことがない。
奏多はきょとんとした顔をしてから、苦笑を作った。
「今までやったことがありませんから、正直楽しいかどうかはわからないけど、興味はあります! っていうか、先輩たちがやってるのを見て、楽しそうだなーって思ったんですよ」
それに、と奏多は続ける。
「部活って、新しいことを始めるチャンスでもありますから。知らないものにチャレンジしてみたいなぁー、って」
実に奏多らしい考え方だな、と、充希は思った。
康介は少しの間目を丸くして、楽しそうな笑顔を作る。
「素晴らしい考え方だと思うよ。そういうことならば、ほかの部活も見学すべきだ。いくつも回れば、これは、と感じるものも見つかるだろうからね」
奏多によると、この時に康介に惹かれ始めたのだという。
本当なら一人でも部活に入れたいところだろうに、自分のことを気遣ってくれる心根が良かったのだとか。
なにより、その時の笑顔にやられた、らしい。
充希にとっては、何百回と聞かされた話である。
結局、奏多は康介と同じ部活に入った。
惚れるというのは厄介なもので、一度そうなってしまうと、何を見ても「かっこいい」などと思ってしまうもののようだ。
一緒に活動するごとに、奏多は急速に康介に惹かれて行ったのである。
いわゆる「恋に落ちた」状態になるまでには、ほとんど時間はかからなかった。
そこからの奏多は、非常に積極的な攻勢に打って出た。
直接「好きです」とは言わないものの、「好きですアピール」をしまくったのだ。
ほかの男性にするよりちょっと近づいてみたり。
恋人募集中アピールをしてみたり。
好きなタイプは年上の真面目な人といってみたり。
充希から見ても「露骨すぎるだろ」と思うような、嵐のような攻撃であった。
しかし。
康介はソレに全く気が付かなかったのである。
おそらく、そもそも自分が女子にそういう対象として見られていない、と思っているのだろう。
暖簾に腕押し。
蛙の面に水。
華麗ないなしの数々は、優雅に舞うマタドールを思わせた。
男子高校生といえば、おおよそ女子と付き合いたいと思っている。
そう考えていた充希であったのだが、その考えを改めざるを得なかった。
世の中には、女性が自分に惚れるわけが無く、そういうアピールをしてくることは絶対にありえない、と考える男子高校生が、実在するのだ。
何かトラウマや事情があるわけでは無く、天然自然にそう考える男子高校生が。
その事実は、充希が生きてきた中でも最大級の衝撃であったのだが、まあ、それは今はいいだろう。
「で? 色っぽいって? 康介先輩が?」
「そうなの! こう、時々目が合うことがあるんだけど! その時に、顔が赤くなることがあるのっ! それがもう、なんていうか、こうっ、たまんなくって!」
「おっさんか。よかったじゃん。赤くなってるってことは、意識されてるってことなんじゃない?」
今までの攻撃に全く動じてこなかった康介だが、最近は少しだけ変わってきている。
そう、充希の目には映っていた。
だんだんとではあるが、奏多のことを意識してきているように見えているのだ。
しかし、奏多にはそう見えていなかったらしい。
「んー。そうかなぁ? なんか、むしろ嫌われてるような」
「嫌われてる? なんで?」
「この間ね。ボードゲームやってて、こう、手が触れたの。そしたら、すごい勢いで引っ込められちゃって。まあ、熱中して手汗すごかったってのもあるんだけど」
「はい?」
「あと、たまたま距離が近づいた時とか、すごい勢いで離れられるの。もしかして私、臭いのかな?」
「マジか」
少し不安げな顔で言う奏多に、充希は若干引き気味な困惑の表情を向けるのであった。
「恋をしたことに気が付いたきっかけはあったのか」
宗太郎に聞かれた康介は、深刻そうな顔でうなずいた。
「少し前、理想の恋愛対象像の話になってな。その時に、いくつか条件を上げたんだ」
「条件ねぇ」
「そのとき、指摘されたんだよ。それらの条件はすべて奏多くんに合致しているのではないか、と」
全くの真顔で言う康介をみて、宗太郎はどつきまわしたくなったが、ぐっと我慢した。
話が前に進まなくなるからだ。
「それで?」
「まさか、そんなわけが無いと思って、冷静に考えてみたんだ。すると、思わぬ事実に行き当たった」
「ほう」
「俺は理想の恋愛対象像というのに、無意識に奏多くんを当てはめていたのではないか。奏多くんの特徴を、条件としてあげていたのではないか」
「つまり?」
「俺の理想の条件が奏多くんと合致したのではない。奏多くんを理想像として、そこから考えられる特徴をあげていたのだ、と」
「彼女が条件に当てはまったのではない。彼女が恋愛条件だから、彼女に当てはまるような答えになったのだ。みたいな感じか」
「そのとおりだ」
あんだけアタックかけられてりゃ、そうもなるだろう。
そんな言葉を、宗太郎はぐっと飲みこんだ。
鈍感な男だとは思っていたが、流石に恋をしたと自分から言い出すほどになれば、相手からのアプローチにも気が付いているだろう。
恐らく自分でも色々後悔しているだろうし、そこに追い打ちをかける必要はない。
そう、宗太郎は判断したのである。
しかし。
康介はそんな気遣いをものともしない男であった。
「正直、俺にもなぜそうなったのかわからないんだ。気が付かないうちに、俺は彼女に惹かれていたんだろうか。こういった気持ちは後輩である奏多くんには迷惑だろうし。いったいどうしたものか」
「お前マジか」
人間の鈍感さの限界ってそこが知れないな。
そう思う宗太郎であった。
なんか、息抜きのために書きました
たまにはこういうの書くのも面白いな、と思いました