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第五章ノ一

「なかなか着かないもんだな」

「脚だけで行こう思たら、まあそらキツイわな」


 焚火でネズミの串刺しを炙りながら、二人はぶつぶつと小言を零していた。

 洞穴を出てから三日が経った。いくつかの野を駆け小高い山を越えてきたが、未だに天樹の輪郭すら見えてこない。

 丸い月は天中で二人を見下ろしている。


「今日で大体、半分くらいやろな」

「そ、そんだけぇ?」


 空を見ながら呟くキオの言葉に、ロネはがっくりと肩を落とした。

 しかし、キオに言わせてみれば、これでも速いのだという。


「普通やったら、三日で三分の一進めたらええ方や。それを半分くらい行けとんのやから、十分速いんやて」

「その普通って、何基準なんだよ?」

「わいの実体験基準」

「……」

「ロネ、信じてないやろ?」

「信じてる」

「ほんまに?」

「本当に」

「そりゃよかった」


 にっこりと笑むキオの顔が、焚火の柔い光に照らされる。

 いい具合に焼けてきたネズミの腹を見て、ロネは串を引き抜いた。

 小さなネズミの体に、遠慮なしに大きくかぶりつく。

 しっかりした歯ごたえと噛めば噛むほど出てくる旨みは、筆舌に尽くしがたい。

 極上の食材を堪能しながら空を見上げた。見慣れた幾億の星々が瞬いている。

 翼で飛んでた時は、一日とかからず着いたのになあ。

 研修の日を思い出し、ふとそんなことが頭に浮かんだ。


「鳥の翼は優れもんやけ、あれに比べたらおっそいわな」


 火をいじりながらキオが言う。

 ロネは焚火に目を戻して、ネズミを一齧りした。

 三日の間で、普通に話すのには慣れても、やはりキオの雰囲気には、慣れきれないところがあった。

 悪い人では、ないんだろうけど。



 五日が経過した。今日の夕食は近くの川で獲った魚の串焼きである。


「ここのところ、何かの串焼きとなけなしの木の実以外食べてないんだけど」

「贅沢言うんやない。冬なんやから、当然や」


 二人は魚をちょいちょいつついて、万遍なく焼いている。

 キオの話によると、もうすぐ西方の森に入るらしい。

 恐れていた記憶の再起もない。このまま、どうにか西方天樹に上ることができれば、目的を果たすのは容易い。

 しかしそのためには、越えなければならない関門があった。

 目の前で「もうええやろ」と魚にかぶりつこうとしている、キオである。

 理由も聞かずについてきた。協力するとは言っていた。

 でも、もしそれが天樹の上にいる『鳥』たちへの頼み事だと知れたら。

 もしかしたら言い合いになるかもしれない。終いには力ずくでも連れて帰られるかもしれない。もっとひどいことになるかもしれない。

 様々な想像が、ロネの頭の中を行き交っていた。


「ほね、はよ食へんとそれ焦えるへ」

「え? あ、ああ」


 自分の側に刺してあった串を引き抜くと、火に当たっていた面の皮は黒い炭になってしまっていた。

 皮をある程度剝いで食べてみると、中はまだ無事だった。それどころか、皮に守られて十分に火が通っている分、逆に普通よりおいしいくらいではなかろうか。


「うまそうな顔やのう」


 かっかっかと笑われて、はっとなったロネは緩みきった顔の筋肉を引き締めた。



 魚を食べ終わると、キオは寝る準備を始めた。

 言うならここしかない。


「なあキオ」

「ん? どないした?」


 こちらを向いてくるキオに、言わなくちゃいけない。

 俺の目的は、西方の天樹に行って、大ババ様に会うことなんだ、と。

 言わないと。言わないと。

 思っているのに、口が動かなかった。

 思いは先走りしそうなほどに強くなっているのに、声が喉の奥で縮こまっていた。

 開いた口が、徐々に閉じていく。

 視線が下に落ちていく。

 だめだ。言わないと、言わないと。


「ロネ」


 呼ばれた方を見る。キオが体ごとこちらに向いている。


「深呼吸してみ」


 え。

 その一言さえも出ない。


「ええから。やってみ」


 言われた通り、肺一杯に空気を吸い込んで、腹の中のものをすべて出すくらい息を吐いた。不安はまだあるが、少しは紛れていた。


「言えるか?」


 キオの質問に、ロネは時間をかけて首肯した。

 じっと見つめてくるキオ。その耳に、入れておくべき言葉がある。


「俺が西方に向かってるのは、そこの天樹にいる大ババ様に会って、前世の記憶を封印してもらうことだ」


 キオはまっすぐ見つめ続ける。


「普通なら、こんなこと許されないのかもしれない。今更になって言うことじゃないのかもしれない。でも。一緒についてきてくれたあんたに、何も言わないまま進むのはいけないと思って。ここしかないと思って、言った」


 ロネの言葉に、数回頷く。


「どうか頼む。俺を西方天樹に行かせてくれ」


 頭を深々と下げた。キオの顔は一切見えない。

 だが、足音が近づいてきた。視界の上端に靴が見える。

 どうだ……?


「…………それを許可することは、できひん」


 冬の静寂に、キオの静かな声が響いた。

 覚悟はしていた。

 もしかしたらと。

 だからあまり落胆はしなかった。

 でも、目の端から零れてくるものは、流石に抑えきれなかった。


「なーんて、言うと思っとったんやろ?」


 ……ん?

 ロネが顔を上げると、笑っている顔が見えた。

 もしや、この人。


「いやー、はっはっはっはっは。ここまで見事に引っかかってくれると、わざとやっとるんやないかて思えてくるわ」


 止めどなく笑い続けるキオに、ロネは一人、置いてけぼりをくらっていた。

 頭が追いついたとき、無性にキオをひっつかみたくなったロネは、いきなりキオにとびかかった。

 襲われている当人は、遊んでいるかのようにひらりひらりとロネを避け、なおも笑い続ける。

 ロネのスタミナが切れても、笑い続けた。

 ひとしきり笑った後、キオは「ごめんごめん」と笑いをおさめた。


「最初にも言うた通り、わいはお前さんが何を考えとってもそれを手伝っちゃると覚悟を決めてきた。そんときにちゃんと、お前さんがそう言うことも想定済みや。何も心配いらん。お前さんの頼み、全力で協力したるわ」


 一度引いたはずの涙が、またぽろぽろと溢れてきた。


「あーもう。そんな歳になってからに、まだ泣き虫かい」


 言いながらキオは、ロネの体を抱きしめた。

 涙腺の堤防は完全に崩壊した。

 次々とあふれ出てくる涙と声を、キオはじっと受け止めた。



 次の日、一段と大きな川を渡った。

 キオが先行していく。


「途中ふっかいとこあるから気を付けぇや?」

「わかっt……ぶ!?」


 言ってる傍からロネは深みに嵌った。

 一つため息を吐いて、キオが数歩下がってロネを引き抜いた。


「よう気をつけえやって言うたやろ」

「す、すまん」

「まあええよ。ここを超えれば、天樹はすぐそこや」


 なんとか二人は川を渡り切った。

 重い服を絞りながら前を見ると、森は大きな口を開けてロネ達を迎えていた。


「この道をずっと行けば、ええはずや」


 キオは粗方水気を抜くと、すぐに走り出した。

 ロネも離れ離れにならないようにと後を追った。

 服に残った水分は、走っている間に風と日光で抜けていく。

 完全に乾いた頃には、もう昼頃になっていた。


「……っ! 止まれ」


 キオの指示が早いか、二人は足を止めた。

 キオだけでなく、ロネも森の木の陰に潜伏している気配に気づいた。

 人だ。数は三……いや四か。

 刀を引き抜き、二人は臨戦態勢をとった。


「隠れとらんで、出てこいや!」


 キオの声に反応して、一人が姿を現した。真正面の木に隠れていた奴だ。


「キオ……なのか?」

「ん? お前は……ミザテか!」


 いきなり出てきた狐は、キオを見るなり刀をしまい、ずんずんと近寄ってきてキオとハグを交わした。

 状況が飲み込めないロネは、口を開けたまま思考と身体を硬直させている。


「ああ、すまん。皆出てこい。こいつらは敵じゃない」

「ロネも、刀下ろしや」


 言われて、他の三人とロネは納刀し、二人の方へ集まった。


「こいつはキオと言ってな。古い友人だ」

「こちらさんはミザテ。西方で仲良うなったんよ」


 二人が思い出話に花を咲かせ始めると、ロネ達はそれぞれで自己紹介をし、先ほどの謝罪をし合った。


「まあ無事で何よりだ。お前たちが来たことはすぐにビヤ様達に知らせるから、少し待っていろ」


 話の流れでミザテが言った一言に、ロネの耳は動いた。


「ビヤ様って。ミザテさんは、ビヤさんのこと知ってるんですか?」


 不思議そうな顔で頷くミザテ。


「なぜ、あの人のことを?」

「なぜってそれは、あの方が我々の首領だからな」


 平然と言われた言葉は、ロネの耳に届いてから意味を持つまでラグを生じさせた。


「ビヤさんが……狐の首領?」


 何だか、信じられない話だった。天樹の上にいたから、てっきり下との関わりはないと思っていたのに。

 フリーズしているロネは横に置いて、ミザテは懐から小さな笛を取り出し、高らかに吹き鳴らした。

 大きな音に、ロネは思わず耳を塞いだ。

 笛を吹き終わると、ミザテ達はどこかへ去っていった。

 ロネは「どこに行くんですか」と問いかけたが、彼らからの返事はなかった。

 後ろからキオに肩を叩かれたが、キオは理由を言わず、ただ首を横に振るだけだった。

 数分の後、数人の鳥たちが天樹の雲から下りてきた。

 鳥らしき物体が目に見え始めたくらいから、キオは視界を手で覆った。その仕草を見て、ロネも慌てて視界を閉ざした。


「ロネさん、と、そちらはお連れの方ですね、お待ちしていました」


 下りてきたのは、ロネと同年代と見える若い鳥たちだった。『ミコシ』と呼ばれる籠が下ろされると、ロネ達はその中へと誘導された。この籠は、人を運ぶためにあるものらしい。

 二人が乗り込むと、『ミコシ』の入り口は外から紐で固く結ばれ、簡単には開かないようになった。

 ぐっと下に押し付けられるような感覚の直後に、浮遊感が二人の体を包む。地面を離れた『ミコシ』は徐々に高度を上げていき、空の上の天樹へと狐を連れて行った。



 天樹に着くと、『ミコシ』を縛っていた紐が解かれた。ロネが外へ出ると、皺くちゃのお婆様の声が聞こえてきた。


「ロネ、目を開けてもよい。大丈夫じゃ」


 言葉に従い目を開けると、見覚えのある皺だらけのお人が出迎えてくれていた。


「お久しぶりです。大ババ様」

「うむ。ロネよ、お主が来るのを待っておった」


 大ババ様は、昔と変わらない様子でロネを迎え入れた。

 昔と違うのは、大ババ様以外の鳥が外に出てきていないということだ。


「そちらの方も、よう連れてきてくださった」


 大ババ様が礼を言うと、誘導されて出てきたキオは目を塞いだまま、頭を静かに下げた。

 一通りの出迎えが済んだところで、ロネは気になったことを口にした。


「大ババ様、なんで俺が来るとわかったんですか?」


 下の狐しかり、迎えに来た鳥しかり、まるでロネ達が来ることを前もって分かっていたかのような手はずの整いようだった。


「もしや、大ババ様には予知能力なんかも……」


 言葉の途中だったが、大ババ様は否定した。


「儂にそんな力はない。予知能力があるとすれば、それはクシというあの娘の方だよ」

「クシ!? クシがどうしたんですか?」

「あの子が伝えに来てくれたんじゃよ。じきにお主が、狐の姿でこちらにやってくるとな」


 クシが、伝えに。

 それを聞いて、ロネは目頭を押さえた。

 クシは分かってたんだ。ロネがビヤの話を頼りに、記憶の封印のために西方天樹に来ることを。


「心通じる、ええ話ですなあ」


 ……わざわざ口に出さなくていいのに、この人は。

 目の見えないキオを、ロネは静かに睨んでいた。


「それでは、うちに移動するかの」


 大ババ様は、以前と同じように大ババ様の邸宅へと歩いていく。


「ロネ、ロネ。すまんけど、わいを誘導してくれんかな? この通り目を塞がんといけんからさ」


 片手で両目を隠してもう片方の手を差し出してくるキオ。

 言われてロネは、キオの手を取って誘導していった。


「すまんね、わいがこんなことで」


 キオの言葉を聞き流しながら、ロネは大ババ様の後をついて行った。



 入口の敷居に軽くつまずきながらも、キオたちは大ババ様の家に入った。

 中ではビヤが待っていた。


「そこの狐、もう目を開けても大丈夫だぞ」


 彼の声に、キオの耳が動いた。


「その声は、ビヤ様やね。久しぶりです」

「キオだったのか。……そうか、お前も狐に」


 ビヤが思い出に浸っているうちに、キオは目を覆っていた手をおろした。


「おお、ほんまに大丈夫や」

「ここには特別な結界を張っておるからな」

「あ、大ババ様。お久しぶりやね」


 キオは手を挙げて挨拶した。

 キオも大ババ様を知っていたらしい。一体いつから長老をしているのだろうか。


「なぜ会ったときにすぐ挨拶せんかった?」

「いやあ、目で見えるまで大ババ様には挨拶せんと決めとりましたから、すいませんの」

「ふん、お主は鳥の時から変わらんの」


 昔からこの調子なのかと、ロネは内心少し呆れる。


「変わってますよ? わいかて少しは」

「そうじゃの、昔は周りを気遣うなど二の次じゃったからの」


 ロネにしてみれば、今も周りを気遣っているのか疑問である。

 キオは呆れ顔をしているロネの方に目を向けた。


「ロネ、自分では分かっとらんかったと思うけど、君は異常なんやで?」


 いきなり話が自分の方に向けられたため、ロネは「え?」と間の抜けた声を出した。


「狐は普通、鳥を見ると殺人衝動が起きるもんなんや。でも君は仕草から見て、見えてへんかったけど、仕草から見て、目を閉じてへんかったやろ?」


 驚きすぎて声が出なかったため、ロネは頷いて意思を示した。


「それが異常やて言うとるんよ。まるでまじないか何かをかけられとったように」

「儂がまじないをかけとったのじゃ」


 大ババ様が、会話に乱入してきた。


「ビヤがこちらに来てから研究を始めた術での。まあ言ってみれば、簡易的な衝動の封印じゃよ。一度発動すれば、何か問題が起きん限りは、完全に衝動を抑えことができるのじゃぞ」


 問題。ロネの場合は、クシの呼びかけで意識を取り戻したときに近くに転がっていた死体が、それにあたる。


「何のために、その封印をかけているんですか?」


 ロネの質問に、大ババ様はさっぱりと答えた。


「敵を増やさないためじゃ」


 実に簡潔、実に明快な答えだった。


「さらに欲を言えば、味方を増やすためでもある」

「ん? その二つって、同じじゃないですか?」


 少し違うと、大ババ様は言った。


「具体的に言えば、ここにおるビヤは味方。下におる西方の狐たちは敵ではないのじゃ」


 その説明は、ロネの頭をさらに混乱させた。


「お主、何故ビヤはこちらにいて、下の狐たちが上に来ないのか知っておるか?」

「え?」


 言われてロネは考えてはみたが、「好みの問題」くらいしか思い浮かばなかった。


「正確には違うが、まあ近い。つまりは、ここにおるビヤは記憶を封印しておるが、下の狐たちはそれをしてないんじゃよ」


 狐になって間もなかったビヤや、大ババ様の術をかけられていたロネを除き、狐は元来、鳥との友好的な関係を持とうとはしない。そうする前に、衝動が起きたり、記憶によって鳥に対する憎悪を植え付けられてしまうからだ。西方の狐たちも当然、例外ではない。

 でもそれなら、敵ではないというのは、どういう意味なのだろうか。


「下の狐たちと鳥との間には、住み分けがなされているということじゃ」

「住み分け?」

「私が彼らの頭首となっていることは知っていますね?」


 そこで話に入ってきたのはビヤだった。


「ええ、狐たちから聞きました」

「それが何よりの答えですよ」


 要するに、ビヤが頭首となることで、本来成立するはずのない停戦協定のようなものが実現されているということだ。


「いやはや、あれは流石に骨が折れましたよ。何せ相手は西方中の狐たちですからね」


 嫌そうな顔をして、思い出話を語るビヤ。


「ちなみに、その数はどのくらいだったんですか?」

「数は、おそらく二百は優に超えていたでしょうね」

「二、二百……」


 身体能力、特に足腰が強い狐を二百人相手……。気が遠くなりそうな数字だ。


「もちろん、二百人を一気に相手したわけではありませんよ? でも、一番下からしか戦わせてもらえず、一対一を申し込んでも実際は一対多の構図になることが多くて。それに加えてだまし討ちに石の遠隔投てき、闇討ちや罠。いろんな手を使われましてね。実現するには数年かかりました」

「数年でやり遂げはるんやから、お師匠様はすごいわあ」

「言葉に気持ちがこもってないぞ、キオ」

「ありったけ込めたんやけどなあ」


 はっはっはと、締まりなくキオは笑う。


「まあそんなこんなで、一番上を倒して、私が頭首になり、狐たちに鳥に対する攻撃の禁止を命じ、無害な場所に行くよう指示したということです」


 これが、「ビヤは味方、下の狐たちは敵ではない」の真相だった。


「なら、今回狐たちが迎えに来ていたのも」

「はい、私の指示です。多人数で来ることも考えられましたので」


 この時ロネは心の底から、ビヤさんが思慮の深い方でよかったと思った。そうでなければ、最初から鳥たちが迎えに来ていたら、今頃下の森で血で血を洗う乱闘騒ぎが起こっていたかもしれないのだから。


「ひとまず、説明は終わりじゃ。それでは、遅くなったが儀式に移ろうかの」


 大ババ様の言葉に、ロネは気を引き締めた。

 自分が無理を通してやってきたのは、このためなのだから。


「それではロネ、ここに座りなさい」


 大ババ様の指示に従い、ロネは邸宅の床の中心に座った。よく見ると、床に薄くインクで文字が書かれているようだった。その文字は円の中心から外側へと広がっており、床の一帯を埋め尽くしていた。

 俗にいう、魔法陣というものである。

 ビヤとキオが魔法陣から出たのを見て、大ババ様は陣の端に立ち、俯いて何かを唱えだした。

 まるで特別研修の時の耳打ちにそっくりだと、ロネは思った。

 大ババ様の詠唱に反応するように、床の文字列が緑の光を帯びていく。

 その光は、時間と共にどんどん強くなっていく。

 そして、大ババ様が手を天に突き刺すように勢い良く上げるのと同時に、陣の光は最高潮の輝きを放った。

 とっさに目を瞑ったロネが、次に魔法陣を視界にとらえた時には、光は既にどこぞへと散ってしまっていた。


「キオ。お主も来い。次はお主の番じゃ」


 大ババ様は床に視線を落としたまま、キオを呼んだ。

 しかしキオの返事がない。


「キオ」


 再度名前を呼ばれても、「ああ、いや」と生返事をするばかりだった。


「何をしておるの……」


 言葉半ばで口を閉じた大ババ様。

 急かすのを止めたのは、ビヤだった。


「大ババ様。少し、時間を与えてやってください」


 まっすぐキオの方を見つめるビヤ。

 視線の先にいる狐は、その仮面の下の瞳に、愁いをにじませていた。

 少しばかりの時が過ぎる。

 外の、遠くの広場で遊ぶ子供の声も聞こえるかと思うほどの静寂が、キオたちの周りに佇んでいる。

 と、ようやくキオが顔を上げた。


「大ババ様、お願いします」


 噛みしめるように言うキオの言葉に大ババ様も強く頷いた。

 そうして、キオの記憶と衝動の封印も、滞りなく終わった。



 夜になり、空に三日月が昇る頃。


「っかぁ! 温泉最高!」


 ロネ達たちは、温泉で疲れを癒していた。

 キオは久しぶりに入る天樹の露天風呂で叫んでいる。アジトにも風呂はあるが、火を焚くのが面倒で、そうそう入らないのだと言う。

 キオが特別というわけではなく、一部を除きほとんどの狐は川で体を洗って済ませている。

 温泉を満喫するキオとは対照的に、ロネはずっと水面を眺めていた。


「何やロネ、浮かん顔して」

「ん? ああ。ここの鳥と狐の関係は、理想形に近いのかなって思ってさ」

「理想形?」


 聞くと、ロネは頷いた。


「俺の理想なんだけどさ。狐も鳥も関係なく、お互いがお互いの存在を認め合いながら、丁度いい距離感で生きていく。そんな理想」

「ふーん。確かに、そら理想やな」


 空を眺めたまま、キオは何気なく返事をする。


「ここでは意図的に距離をとることで無用な争いは避けられてる。東方でも、完全な和解にはいかないまでも、ここと同じくらいの関係にできれば」

「ええけど、無理に近いな」


 キオの直球な発言に、ロネは言葉を詰まらせた。


「お前さんも分かっとんのやろ? 初代様が許さんいうことは」

「……うん」


 初代はどの狐よりも深い恨みを抱えている。鳥との全面戦争すら考えているかもしれない。そんな人に「鳥と住み分けをして平和に暮らさないか」などと言った日には、どんな目に遭うか分かったものではなかった。


「あの人が『ほらあな』の中で一番強い。わいや、他の力自慢でもあの人には敵わん。たとえ差し違える覚悟だとしてもや」

「うん」


 葉の使い方、身のこなし。それらにおいて、初代の右に出る者はいない。年齢というものを感じさせないのだ、初代は。


「そんな人には、ここと同じ方法は通用せん」

「……」

「でも、や。力だけが全てっちゅう訳やないやろ?」


 キオの言葉に、ロネは視線を上げた。


「言葉で説得するんや」


 反論を言い出そうとするロネの口を押さえて、キオは言葉を続ける。


「もちろん、お前さんみたいな新米の言葉なんぞにあの人は靡かん。それでも、付き合い長くて、狐のこともよう知っとるわいの言葉なら、あるいは」


 今まで長く初代と生活してきたキオが、初代の恨みを理解した上で道を示し、説得すれば、もしかしたら初代も動いてくれるかもしれない、という考えだ。


「無論、これも賭けや。うまく行くかわからん」


 それでも、一筋の光明は見えた。


「賭けをするからには、負けた時の保険をかけとく必要がある。つまりは、あちらさんの協力を取り付ける必要がな」


 あちらさんとは何処なのかなんて、聞かなくてもロネには分かった。


「東方天樹の鳥たちだな」


 キオは、静かに頷いた。

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