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第四章ノ二

 あれから二か月が経った。狐としての生活に慣れてきたロネは、外で森の景色に没頭していた。

 外は広い。際限なく地面は広がっている。川は心地よい音を響かせ多くの魚たちを包んでいる。森の木々は枝だけになり、鈴虫たちの声も聞こえなくなったが、木の実をとる小動物たちや、落ち葉の隙間に隠れている生き物たちは確かに活動していた。


「ロネー。お昼ご飯だよー」

「わかった、すぐいく」


 アジトの上から呼びかけてきたのはレワだった。彼女は初代とそう変わらない時期に狐になった。明るく人懐っこい人柄で、『ほらあな』のムードメイカー的な存在になっている。目がいいため、食事時に外に出ているメンバーの呼び出し係もよくやっていた。

 ロネがキオの次に仲良くなったのが彼女だった。年が一つしか違わなかったのもその一因かもしれない。彼女を起点として他の狐たちとの関係を作り上げたので、ロネにとっては恩人のようなものだ。


 外に出ていたロネは走ってアジトに向かった。北のアジト、トンネルの非常用出口から続く道を走り抜け、出てすぐ前にある古い建物、東の食堂に入った。二階建ての食堂の壁は白く固い土で作られていて、屋根は木の板を応急処置的に貼り合わせている。中には長机が並べられており、人数分の椅子が並べられていた。

 ロネが着いた時点で既に半分ほど席は埋まっており、メンバーは口々に話をしている。残りのメンバーも次々に食事場に入ってきていた。


「ようロネ、座ろうぜ」

「あ、ずるい! ロネ兄は今日は僕と食べるんだよ」


 体術が得意で勝ち気な兄貴のキョウと、ロネにひっつく弟のカイだ。キョウは黒髪を後ろに流して裾の長い服を好んで着ている。見た目は古い不良のようだ。

 二人とも「あんだと!?」「何だよ!」といがみ合っている。


「真ん中に俺が座って、二人は両隣に座ればいいじゃん」


 とロネが提案してみるが、当の二人は一ミリも聞いていない。

 困ったなあと頭を掻いていると、一人の狐が新たに入ってきた。


「そのへんにしときなよ二人とも、キオが来たら面倒になるよ」


 それを聞いた途端、二人は喧嘩をやめた。

 今入ってきたのは、地上に残っている本を読むのが好きなスラ。年はロネより二つ上だが、同い年だと偽っている。冷静で、ここぞというとき頼りになる彼女をお姉さん的存在だと感じているロネには、年齢詐称なんてさして問題ではないのだが。


「呼びはりました?」


 噂をすればなんとやら。キオが二階から下りてきた。


「早く座んないと、キオの分まで皆で食べるって話してたのよ」

「いやぁ、スラはいっつも冗談キツイなあ」


 はっはっはと高笑いしながらロネ達のほうに近寄ってくる。

 ロネの前を通り過ぎ、キョウとカイの肩に手を置いた。


「二人とも、仲良うしようや?」


 二人の耳元で、キオが囁いた。仮面の下の口元が歪んでいる。


「お、おう」「そ、そうだね」

「約束やで?」


 二人が頷くのを確認して、キオは肩を一度たたいてから手を下ろし、


「ささ、はよ席ついて食べようや」


 言うや否や、ロネと肩を組んで歩いていった。

 他の人以上に、この人は心が読めない。

 あまりに飄々としている彼に、ロネはつくづくそう思った。



 三十人近くの狐がそろった食事も、話をしながら食べているとすぐに終わった。

 食事が終わると、それぞれが勝手に席を立っていった。

 ロネも、また今までいた所へ行こうと、食堂を後にした。

 トンネルへの道を歩いていると、後ろからカイが飛びついてきた。十五歳ほどでしかも低身長の彼はおんぶしても重くない。栗色の短髪が首に当たるとチクチクする。


「ロネ兄、木の葉へんげの使い方、また教えてあげようか?」

「ありがとな、カイ。でも大丈夫。もう自由に使えるようになったから」

「へえ、ロネ兄は飲み込みが速いんだね♪」

「まあな」


 ロネは二か月間、カイや他のメンバーに狐特融の能力の一つである『木の葉変化』を習っていた。

 木の葉の中に存在する自然エネルギーと、体内のエネルギーを操って別の物に変化させるというものである。

 上級者ともなると、刀や馬、果ては気迫なんかの目に見えないものにも変化させることができるのだとか。

 ロネも、それほど大層なものは作れないが、自分そっくりのハリボテくらいは作れるようになっていた。

 ロネの返事を受けると、カイは「それじゃあまたね」と言って背中からするりと降りて、道の先へ走っていった。

 外へ続く通路では他の狐も多かったが、トンネルから出るとロネと同じ方向へ向かう狐は一人もいなかった。


「ふう」


 昼飯前までいた場所に来ると、ロネは日に照らされている岩の上に、おもむろに腰を下ろした。

 あぐらをかいて、目を閉じる。

 耳に小動物の駆ける音が届く。今日の朝まで降っていた雨のにおいが地面から匂った。

 呼吸を整え、精神を集中させる。

 音は次第に聞こえなくなっていく。

 …………。

 


「沖助」


 誰とも知らない女性の声が突然耳に響いた。

 ロネは反射的に目を開ける。

 と、そこには今まで自分を包んでいた森の姿など少しも見えなかった。

 代わりに、両手に温かい感触がある。上に伸ばしている手の方に目を向けると、自分と手を繋いでいる大人の女と男が見えた。女の方はこちらを向いて笑いかけている。

 見上げたことから、自分の視点の高さがおかしいことに気付く。元の視点より大分低い。おまけに自分の手が異様に小さい。

 そう、言うなれば。


「子供」


 自分の声が高いことと、下を向いたときに水たまりに映った自分の姿を見て、その予想は現実へと変わった。

 つまり手を繋いでいるのは両親ということになる。父親の茶色の短髪と顔には、どこか見覚えがあるような気がした。

 なぜ自分が子供になっているのかはひとまず置いておいて、ロネは辺りを見回した。

 目に映るのは黒く固い何かで埋め尽くされた地面と、その両側に立っている巨大な建物の群れ。

 建物と黒い地面の間には長方形の石のようなものがしきつめられていて、人々がその上を通っている。

 驚いたのは、人々が狐の面も、鳥の翼も有していないということだ。そして自分も例外ではなかった。

 黒い地面の上は荷車よりも大きい、四つの車輪の付いた箱のようなものが走っている。

 キーーンという高い轟音に気付き空を見上げると、白く、大きく、体に光を反射させる白鳥がいた。

 いや、あれは鳥じゃない、飛行機だ。


「っ!?」


 自分でも状況が飲み込みきれなかった。だが、わかる。

 自分は、ここにあるものが何なのか、わかる。

 道を走っているのは自動車、両脇の高くそびえたっているのはビル、石が敷き詰められているのは歩道。

 ここは……。


 地名を思い出そうとした途端、地面が激しく揺れた。思わず跪いてしまうほどに大きな揺れ、地震だった。

 間もなくして、背中に異物が生える感覚があった。首をできる限り回して見てみると、背中には見慣れた白い翼が生えていた。

 次の瞬間、黒い道、アスファルトで舗装された道路に亀裂が入る。

 亀裂の下から現れたのは、木の幹だった。

 次に姿を現したのは、黒く染め上げられた木の根だ。自らを捻りながら伸びてくるそれは、見るからに恐ろしく、おぞましい。

 それも一本だけではない。根は何本も、何本も、次々に生え出してきた。

 根は空に羽ばたいていく鳥たちを素早い動きで次々にからめとり、亀裂の底へと引きずり込んでいく。


 早く逃げなくちゃいけない、直感的に思った。

 羽の動かし方を、自分は知っていた。

 理由なんか考えず、力の限り羽ばたいた。

 両親に手を引かれ、ビルの合間をすり抜けて、上へ上へと昇っていく。

 目に見える、高くそびえたつ天樹へと。

 なのに。

 脚に何かが巻き付く感触を覚えた。

 羽ばたき続けながら、目線を下に落とすと。


 黒い、細い根っこが、足に絡みついていた。

 絶叫しながら引き千切ろうとするが、木の根はびくともしない。

 両親は精一杯引き上げようとするが、根はそんな力を物ともせず、ぐんぐんと体を下に引き込んでいく。

 そのうちに、手が汗で滑り、自分を置いて上へ上へ、母が上昇していくのが見えた。

 母の手が離れたことで、下降速度はぐんと速くなった。

 父がなおも諦めずに手を伸ばす。自分も手を掴もうと必死にもがく。

 しかし、そんな父に向けて三本の根が襲い掛かった。


 ロネに手を差し伸べることにしか頭が回っていなかった父はあっという間に捕まり、ロネよりも速く地面へと引き込まれていった。

 これで希望はすべて絶たれた。

 底が見えないほどに黒々とした亀裂が迫ってくる。

 亀裂の中に入った途端、頭がぼうっとして、意識が朦朧と……。



「ロネ」

「……っ!」


 目の前に、土の茶色と、木々の緑が戻ってきた。

 湿った臭いが鼻に入る。

 鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。

 戻ってきたのだ。現実に。

 でもこれが現実だとすれば、今まで見ていたものは……?

 ……答えは出ている。あれが、あれこそが前世の記憶だ。


「ロネ、見たんか? あれを」


 横でしゃがみ込んでロネの顔を覗き込んでいたのはキオだった。

 ロネがどういう状況なのか、察しはついているらしい。

 ロネが頷くと、「そっか」とため息を吐いた。

 嫌な感じは、まだ体には残っていた。心臓を鷲掴みにされたような感覚とも違う。全身を切り刻まれたような感覚とも違う。

 自分がなくなっていく感覚。そうとしか言いようのないものだった。

 西方のビヤの言葉の意味を、ロネはこの時初めて、真に理解した。

 こんな記憶、思い出さなくていいなら思い出さなくなった方がいい。

 西方の天樹へ行けば、それができる。

 大ババ様に会えれば。


「心配しなくていい。俺は大丈夫だから」


 立ち上がって、ロネはその場から立ち去っていった。

 ロネの後ろ姿を、キオは黙って見つめていた。



 次の日、ロネは初代に話があると言って、集会を開いてもらった。

 願いがある時は、集会を開き『ほらあな』メンバーの前でその願いを言い、初代の質問に答え、認可されれば受諾されるというルールがある。


「見聞を広めるために、西方へ行きたいです」


 専用の椅子に座る初代に対して、ロネはそう進言した。


「なぜ西方なのだ?」

「西方に、一本の天樹があります。その下で暮らしている狐たちがどうやって生活しているのか、知りたいんです」


 ロネだって「どうして」と言われるのは想定のうち。答えは当然用意していた。

 初代の質問は続く。


「南方にも天樹はある。そちらの方が近いし、狐も多い。お前の望みを叶えるなら、南方でもいいだろう」


 ロネは一瞬、呼吸を忘れた。

 南方に天樹がある。そのことを知らなかったからだ。

 実際には、天樹での講習で習い、クシにも叩き込み直してもらったが、狂っていた期間が長すぎたせいで忘れてしまっていた。

 南方の天樹にはビヤや大ババ様はいない。

 どうしてでも西方に行きたい。でもここで食い下がると初代様に何か目論見があると勘繰られる。


「……」

「……」


 沈黙したまま、時間だけが過ぎていく。

 頭をひねってみても、いい案が出てこない。

 初代が何かを言おうと口を開くのが見える。

 何か、何か、何か何か何か何か……。


「西方でもええやないですか、初代様」

「……なんだと?」


 初代の後ろに控えていたキオがいきなり口を挟んできた。

 顔を少しだけ傾けてキオに目を向ける初代。

 そんな視線は一切気にしない様子でキオはすたすたとロネに近寄っていき、肩を組んだ。


「この子がスタミナ切れになることを心配してはるんやろ? それならわいが付き添っていきますから、心配には及びませんで」

「キオ、集会に口を出すのは」

「禁止なんてルールはないやろスラ。わいはただ単に初代様の不安要素を取り除こう思っとるだけや」

「……」


 いきなり割り込んできたスラにさえ詰まることなく流暢に返すキオ。まるで用意していたみたいに言葉を続ける。

 矛先は、初代に向いていた。


「まさか、自分の仲間のことを、疑ったりはしてませんよね?」


 キオの問いに、肘をついた初代はゆっくりと答える。


「当り前だ。……お前が付くなら、許可してやろう」


 こうして、半ば強引ではあったが、ロネは西方へ行く機会を得た。

 礼をしてロネとキオは二歩下がる。

 初代の号令をもって、集会は幕を閉じた。

 スラやキョウたちに今回の行動の真意を問い詰められたが、語った通りだと答えた。


 ロネは間違いは言っていない。ビヤがいる西方天樹の地上がどのようになっているのか、本心から見に行きたいと思ってはいた。

 ただ、そこに付加される目的がひとつあるだけで。

 皆がそれぞれの場所に散ってから、ロネはあることを思い出した。

 今日はロネが狩り当番だった。

 外に出るために、アジトの入り口に来た時だった。


「お前さん、何を企んどるん?」

「っ!」


 今まで気配が完全にしなかったキオの声が耳元から聞こえた。

 ロネの前に回り込んだキオは「やっぱりや」と歯を見せて手を叩いた。


「まあそれが何であってもええわ。わいはお前さんに協力したる」

「え?」


 思いもよらない一言に、ロネは唖然とした。

 狐たちの誰かに見破られたら、何かしらの妨害をされるだろうと考えていたからだ。


「だってお前さん、悪いことするような子やないし、それに」


 ……それに?


「わいら、家族やんか」


 その一言に、ロネは言葉を失った。


「ほいなら、明日の朝五時にでも出よ」と言い残して、キオは立ち去って行った。


 呆然としていたロネは、少し、口角を上げた。

 翌日、ロネ達は皆が起きだす前に、山から光を飛ばす日を背にして出発した。

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