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私は目の前で失われてしまう命がある事が嫌だった。
それが動物でも。
手を伸ばして、必死に駆け寄り白い小さな毛玉を抱きかかえる。
次に聞こえてくるのは、大きな車のクラクションと急ブレーキの音と誰かの悲鳴。
腕の中にある暖かな温もりに安堵して、私の世界はプツリと途絶えた。
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「ーーん……っ……?」
目を開けると木目の天井。体を起こそうとして、クンっと頭を引っ張られ枕の上に逆戻りする。どうやら背中の真ん中くらいまである自分の髪を腕で押さえ込んでいたみたい。
改めて体を起こして周りを見回すと、6畳ぐらいの広さの部屋に小さな出窓。木で作られた丸いテーブルと一人掛けの椅子があり、枕元のサイドテーブルの上には水差しとコップが置いてあった。
「ここは……?」
そう呟いた時、部屋の扉からひょっこりと覗き込んでくる5歳ぐらいの女の子の顔が見え、ビックリして息を吸おうとしたけどうまく吸えず、詰まってむせてしまう。
「おかーさーん!! くろいひと、おきたー!! おかーさーんってばー!」
目が合うと、もの凄い勢いで駆け出した女の子はそう叫びながら何処かへ走り去っていく。
(くろいひと? 私の事……かな?)
開け放たれた扉をしばらく呆然と見つめているとパタパタと足音が聞こえ、女の人が部屋に入ってきた。
「起きた? 体は大丈夫かしら?」
「は、はいっ。何ともありません」
「それなら良かったわ。始まりの森の入り口で倒れていたとエミリとダンが……。あ、娘と夫が見つけてきた時にはもう、ビックリして……」
あの女の子はエミリちゃんって言うのか。元気いっぱいで利発そうな子だったなと思うと自然と笑みが浮かぶ。この女の人はアンさん。柔らかな雰囲気の可愛らしい人だ。エミリちゃんはお父さんに似たのかな?
アンさんにはもう一人、息子のアル君がいて今は旦那さんのダンさんと出掛けていて居ないみたい。
「あの、始まりの森って何ですか?」
「あら? ヤトノー村の子じゃないのかしら? 始まりの森って言うのは遥かな昔、始まりの森がまだ精霊の森と呼ばれていた頃に精霊の国と人間の国を巡って起きた悲劇的な出来事からそう呼ばれるようになったのよ」
「悲劇的な出来事……」
「私も詳しく知らないのだけれど、その出来事があってからは境界に結界が張り巡らされて行き来は出来なくなったって母に聞いたわ」
「結界……」
(私は……精霊や妖精がいる世界に、異世界に来たって事?)
「……それで、アナタみたいな子があんな森の中でどうしたの?」
「え? えっと、私は……。…………っ! ゆき、雪は、白い猫は居ませんでしたか!?」
そうアンさんに問われて、混乱する頭を抱えながら何があったのかを思い出した。
その日は休日で、久しぶりに遠くのショッピングセンターまで買い物に行こうと思い、ちょっと肩口の出るチュニックに膝丈のスカートとオシャレをして朝早くに家を出た。
「はぁ……。せっかくのお休みなのに雨かぁ〜。残念」
パラパラ降り注ぐ雨を見つめながら、差していた鮮やかな金糸雀色の傘をくるくる回して駅に向かう。
水たまりを避けて歩いていると、白い影がすぐ側を横切っていく。
「雪……?」
彩おばあちゃんが飼っていた、真っ白な毛並みの左右で色の濃さが違う虎目石みたいな瞳の猫。
私は雪が大好きだった。三年前におばあちゃんが亡くなってから天涯孤独になった私にそっと寄り添ってくれた優しい猫。
嬉しい時も楽しい時も寂しい時も哀しみで苦しい時も傍に居てくれた。
異変に気がついたのは白い小さな毛玉が蹲って動けないでいる事。雨の日だと言うのに猛スピードで大きな車が近付いて来てる事。
もう何も考えられなかった。
それで助けた後にどうなるかも。
その猫が雪かどうかも分からないのに。
傘を放り出して必死に駆け寄ると白い小さな猫はやっぱり雪で、道路の側溝に右脚を取られていた。
震える手で脚を側溝から引っ張り出して雪を抱える。
雪が腕に居る事に安堵して、ギュッと目を瞑った所で記憶が途絶えていた。
その後……?
その後、私はどうした?
「……? ……ち悪い? 大丈夫?」
「っ……ごめんなさい、大丈夫です。えっと、私の傍に白い毛並みの猫は居ませんでしたか?」
アンさんは顔を真っ青にして掴みかかりそうな勢いから、急に黙り込んだ私に驚いて目を白黒させている。ごめんなさい。
それに、記憶を辿っていて話を聞いてなかったなんて言えないっ。
申し訳なさから話を逸らして視線を下げる。
「うーん……夫がアナタを運ぼうとした時には何もいなかったと聞いているけれど。……ちょっと待ってね」
少し考えてからそう言うと、大きな声でエミリちゃんをこちら呼んだ。
「エミリー! こっちにいらっしゃーい!」
「は〜い。おかあさん、どうしたの〜?」
可愛らしい声が聞こえ、先ほどの5歳ぐらいの女の子が部屋に入って来ると「ちょっとエミリに聞きたい事があるのよ」と、アンさんが笑顔でエミリちゃんに話しかける。
「このお姉さんを森で見つけた時、白い猫さんは見なかった?」
「しろいねこさん? ……ん〜?」
うんうん唸りながら思い出そうと頭を捻る姿がとても愛らしくて。雪が居ない不安を和らげてくれた。
「おねーさんのちかくにはいなかったとおもう……」
「そっかぁ……。思い出してくれてありがとう」
「おねーさんどこか、いたいの?」
心配そうな顔で見つめてくるエミリちゃんに、笑顔でお礼を言ったつもりがちゃんと笑えていなかったみたいだ。
こんな小さい子にまで心配かけちゃうなんて、ダメだなぁ、私。
「何があったか分からないけれど、アナタが良ければこの家に居るといいわ」
「アンさん……。ありがとうございます」
優しくアンさんに頭を撫でられ、泣きそうな顔を見られまいと俯いているとエミリちゃんが窓の方を指差して、
「あー! ねこさん!!」
と、叫んだ。
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