第8話 アツの受難
「アツ!」
タツキの様子を見守るかのように、沈黙を続けていたダンの突然の言葉に身震いして反応するアツ。
「タツキ殿を別室に案内しろ。予め言っておくが、拘束など無用!客人同様に接するのだ」
慌ててタツキの元に駆け寄るアツ。
そこで初めてタツキの様子に気付く。
タツキは両足でしっかり地を踏みしめながら、意識を失っていた。
いや、意識がこの場を離れているといった方が正しいかもしれない。
なぜこの役目を自分に命じたのかを瞬時に察知したアツは、近くの職員に声を掛け、タツキを抱きかかえるように選別の間を出た。
「各々持ち場に戻れ!」
扉が閉まるまでその様子を見届けたダンは、何事もなかったかのようにそう宣言すると、瞬く間に選別は再開された。
ダンがこの時、妙な胸騒ぎを覚えていた事を除いては、タツキが登場する前となんら変わりないリズムで粛々と……。
別室に連れられてきたタツキは、長椅子に寝かされていた。
ピクリともしない身体とは対照的に、眼球だけは何かを追いかけているかのように慌ただしく動いている。
「けっこう時間経ってますが大丈夫…なんですかね?」
沈黙に支配された重苦しい空気に耐えきれなくなった職員の一人が、タツキから目を離さないまま口を開く。
誰かに伝える意図のないこの言葉は、当然のように誰に届く事なく静寂に吸い込まれた。
部屋の隅には椅子に座って頭を抱えるアツの姿があったが、追い詰められたその表情は、職員にいつもとは違う意味で声をかけるのを躊躇わせていた。
さらに時間が経過した後、もう一人の職員が思い出したかのように言葉を発した。
「雫様には、もう報告入ってるのかな?」
何気なく口にしただけだった。
だから、直後のアツの異常な反応にその場にいた職員一同、腰を抜かしそうになるほど驚いた。
「しまったぁーーーーっ!!」
それはつい今しがたまで、世界の不幸を一人で背負い込んだかのような悲壮感を漂わせていた男から出る声ではなかった。
静から動へとスイッチが切り替わったかのように、今度は部屋の中をぶつぶつ言いながら歩き回るアツ。
アツは必死に考えていた。
そして…観念した。
とぼとぼと歩き、タツキが寝かされている長椅子まで来ると右手を翳す。
「処方、快気」
アツの手の平から放たれた球体はタツキの身体に接触した瞬間、眩い光を伴って弾けるように消えた。
「跳ね返ってきましたか…本日3回目ですし、この様子ではほとんど効果は期待出来そうもありませんね」
言葉通り、2度目までとは違ってタツキはピクリとも動かない。
唯一の効果…というより変化は、目を閉じた事ぐらいである。
「自然と目が覚めるのを待つしかないようです。私は雫様にタツキ殿の件を報告してくるので離れます。この場はお願いしますよ」
職員にそれだけ告げるとアツは部屋を出て行った。
「さすがに今回ばかりはアツさんに同情しちゃうかも…」
この場にいた職員全員が同じ思いだったのだろう。
誰からともなくアツが姿を消したドアに向かって、深々と一礼するのであった。
部屋を出たアツは長い廊下を歩いていた。
選別の間を取り囲むようにぐるっと一周しているこの廊下、目的の三階へ向かう階段は二箇所しかなく、その階段から最も離れた別室にタツキを運んでいた事もあって、まずは階段に向かっていた。
途中ですれ違った数人の職員はタツキの件をすでに知っているのか、会釈だけで声を掛ける者はいなかった。
仮に声を掛けたとしても、今のアツの耳には届かなかっただろう。
実際、アツ自身は職員とすれ違った事すら気付いていなかったのだから。
歩きながらアツは今日起こった事を振り返り、自分の行動について考えていた。
たった一日で色んな事があった。
タツキという名の侵入者の出現が全ての始まりだった。
タツキを連行した手柄によって得られる穏やかな日々…そんなにうまい話なんてないとは思いながらも、内心では結構期待していた。
それなのに……こんな最悪な現状は全くの想定外である。
(どこで間違ったのかな…何でこんな事になってしまったのだろう…)
階段が目と鼻の先まで近付いていたが、答えは見つかりそうもなかった。