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不完全パズル

作者: れんティ
掲載日:2014/12/14

 「忘れないでね?」

冷たい風が吹き抜ける中、彼女は寂しげに笑い、そして消えた。


第一章

 睡眠は唐突に終わりを告げ、掛け布団を跳ね飛ばす勢いで俺――秋山優は飛び起きた。肩で息をしながら、今の今まで目の前に広がっていた光景について考えを巡らせる。

 内容は、はっきりと覚えている。別段、悪夢と呼ばれるような物ではなかったのだが、俺の体はまるで悪夢を見たかのように汗ばみ、荒い息を繰り返している。何故なのだろうか。分からない。分からないから、夢の中の光景を思い起こす。

 吸い込まれそうな夜空、体に突き刺さるような冷気、流れていく風。フェンスに囲まれたどこかで、俺と向き合うように立った同年代の少女。何かを告げるその少女の顔は俯いていて見えなくて、腰の辺りまで伸びた髪だけが舞っていた。顔の見えない少女はなぜか悲壮感に溢れていて、俺はとっさに手を伸ばした。その手が少女へと届いたと思ったときには、少女の姿は風の中に掻き消え、伸ばした手は空を切っていた。

 夢は、過去の記憶を基にしたものだと聞いたことがある。ならば、あの光景と共に感じた五感の情報も、俺自身の記憶の中から引っ張り出されたものだということになる。けれど、俺にあんな知り合いはいない。つまり、その説は否定された事になるのか?

 ……まあいい。どうせ夢だし、深く考えても時間を無駄にするだけで明確な答えが見つかることは無いだろう。

 嫌になるほど仮説と検証を繰り返す脳の動きを凍結させて、べた付く体に辟易しながら俺はベッドを出た。

 簡単に用意した朝食を前に時間を確認すれば、いつだったかに自作した電波時計は午前八時を指していた。バイトの出勤時間は午前九時、ここからバイト先まで歩いて十五分だから、十分間に合うだろう。面倒だが、そうしなければ生活できない。

 規則正しく正確に、俺の日常は回っていく。誰もいない、静まり返った家の中に「いってきます」と声を投げかけて、突き刺すような寒さに震えながら扉を閉めた。

 「お、来たな。今日のは机に乗っているやつだ。期待してるぞー?」

「ま、やれるだけやりますよ」

「相変わらず愛想ないなー!」

周囲の仕事の仲間から飛ぶ野次を気にせず、俺の机と定められた席に座る。その机の上には、仕事の指示がびっしりと書かれた書類が積み上がっていた。ま、どれも俺の得意分野だ、今日中に終わるだろう。ただ、気が重くなるのはどうしようもない。大きく肺から息を吐き出して、俺は書類を捲った。

 「いやー、助かった助かった。このまま提出していたら大変な事になることだったよ。さすが天才少年といったところかな?」

 吹き飛んだデータを修復するついでにソースコードと計算の間違いを指摘したら、もはや懐かしくもあるあだ名で呼ばれた。それに何の反応もせず、曖昧に笑って踵を返す。

「いえ、こちらこそ出すぎたことをしました。それでは、失礼します」

次は、どれを先に行くのがベストなんだか。


第二章

 仕事から解放された午後五時。必要な食材等を買い入れた俺は、家の近くの交差点で見慣れた姿を見つけた。声を掛けることなく通り過ぎようとすると、向こうも俺に気づいたらしく、長い髪を翻して駆け寄ってきた。

「優!久しぶり!バイトの帰りか?」

「……ああ」

猫背とはいえ百七十はある俺とそう変わらない身長に、腰の辺りまで伸びたポニーテール。定規のように伸びる背筋と一部の隙無く着こなされた制服から受け取る印象通り、生真面目な優等生だ。名前は大橋翠。中性的なのがコンプレックスなれっきとした女子。

「素っ気無いな。久しぶりに会った幼馴染に何か言うことはないのかよ?」

「お久し振りです翠さん。……これでいいかよ」

「まあ、いいんだけどさ」

俺の嫌味に顔色一つ変える事無く返事をする技能は、いつの間に身に付いた物だろうか。

 「優、学校辞めた理由、話す気になったか?」

また、その話か。何度も言ったはずだ。こいつには正直に。親には、まあ適当な建前を並べ立てた。元々放任主義的な親で、俺が高校に入るや否や世界を飛びまわるような人たちで助かった。が、その反面翠はそれを是としなかったのだ。いくら俺がはぐらかしても食い下がってきて、仕方が無く俺は翠には本当の理由を話したはずだった。

 「何度も言ってんだろ。わかんねぇんだよ」

そう、明確な理由は分からない。いや、やめた理由は分かるが、その原因が分からないのだ。ただ高校内で日々を過ごすだけで、懐かしさが、寂しさが、絶望が、後悔が、とてつもない罪悪感が、俺の胸を灼いたのだ。だから、それに耐えられなくなってやめた。

 ただ、こいつはそれをただの言い逃れだと思っている。理由があって言いたくないから、そんな言葉でごまかしているのだと。

「……そっか。じゃあ、言えるようになったら教えてくれ」

「何でそこまで俺に構うんだよ」

「……役に、立ちたいんだ。何でもいいから、優の役に立ちたい」

「……んだよそれ」

真剣な、そして悲しそうな瞳で俺を見つめる翠に、なんと答えていいか分からず、俺は大股に翠から離れた。いや、離れようとした。

「あ!待て!」

「……なんだよ、まだ何か?」

「……その、な?今度の、日曜日に、一緒に出かけないか?」

「……はぁ?」

「いや、ダメだったらいいんだ。でも、優、元気ないだろ。ちょっと気分転換に出かけたりしたらどうかなーって。……ダメか?」

別段用事は無いが、行く気にはなれない。ただ、今にも涙が溢れてきそうな、不安に揺れる瞳を湛えて、それでもおどけたように首を傾げる翠に拒絶を突きつけられるほど俺は非道でもないわけで。

 「……わぁった。いいだろ。行ってやるよ」

数十秒の睨み合いの末、根負けした俺が両手を上げて降参の意を示す。昔から、俺はこいつには敵わないんだった。いつも、最後には俺が折れることによって意見の対立は合意へと繋がる。男尊女卑なんて夢のまた夢だ。百八十度逆じゃないか。

「ほんとか!?やった!じゃあ、日曜日の朝十時に迎えに行くからな!忘れるなよ!」

何だろう、こいつに耳と尻尾が見えそうだ。子犬の。キラキラした目で見上げられると、俺としても対処は困るんだが。異性なんて、こいつ意外ほとんど接したことないし。

――――本当に?

 何なんだ、今感じた、あの違和感は。


第三章

 地球は止まることを知らず、やってくるのは日曜。休日にしては早い八時に起床した俺は、久し振りの外出に胸を高鳴らせることなど一切無く、なし崩し的に決まった外出へと嘆息しながら淡々と準備をしていた。生憎高校を辞めて以来、外出なんてバイトと買い物以外ほとんどしていないのだ、外出の楽しみなんて記憶の底で擦り切れている。

 いつも通り簡単に用意した朝食をつつき終わり、片付けに入ろうとしたところで壁にかかった時計が十時を指した。

 片づけを終え、時刻は十時十分。そろそろ来るか。

 その予想を裏切る事無く、インターホンが音を奏でた。わざわざそれに返答なんかせず、戸締りを確認して玄関の扉を開ける。

「あ、おはよう!」

「……よぉ」

満面の笑みで俺を出迎えた翠は、俺が鍵をかける間も鼻歌交じりで今にも踊り出しそうだった。何がそんなに楽しいのやら。

「……で、どこ行くんだ?」

「ん?んーとな、駅の近くのショッピングモール。あんまり遠くないし、いいだろ?」

「今更文句なんてねぇよ」

何か、この間見たときより楽しげに見えるのは気のせいか?俺みたいな無気力で無愛想な奴と出かけて何が楽しいんだか。ひょっとして頭のねじが緩んでいるのだろうか。いや、それは無いな。こいつの頭のねじは人一倍固いし。


 「……もう、二年になるんだな」

何が、とは聞かなくても分かる。俺は、あえて何の返事もしなかった。

「優が学校を辞めたのって、一年生の終わりだろ?ボクも受験とか卒業とか目前に迫ってきたから、何となく、意識しちゃって。一年生の頃の優はたくさん発明して、新聞とかテレビとかに引っ張りだこだったな、とかさ、優がそんなになっちゃったのは学校辞める少し前からだなー、とか、な。たくさん思い出すんだ」

その通りだった。真っ当に学校へと行ってる奴はそろそろ大学受験などにてんやわんやな時期。そんなときにこいつはこんなに悠長でいいのだろうか。

「ボクだって成績は危なくないし、一日ぐらい大丈夫だって」

俺の表情から言いたいことを受け取ったのか、俺が口を開こうとしたタイミングで翠が質問の答えを突きつけてくる。こういうとき、幼馴染なんだと実感するな。

 「……ショッピングモールで何するんだ?」

「とりあえず、ぶらぶらしようと思ってるんだ。あそこはほとんどなんでも揃ってるから、気分転換にはいいかな、って」

まあ、早い話が無目的、無計画だったわけか。とはさすがに言えはしない。純粋に俺を気遣っての行動なのだから。

 そんな俺達を乗せて、バスは停留所へと滑り込んだ。

 久し振りの人混みは、熱気と喧騒を携えて俺を包み込んだ。とは言えどこにでもある、平凡な日曜日だから、人出はそこまで多くは無いのかもしれない。が、俺からしてみれば十分人混み足り得る人数だ。

 「じゃあ、まずは本屋でも覗いてみるか?ここの本屋は品揃えが豊富なんだ」

「んじゃ、そうするか」

言われるがまま翠の提案に乗り、本屋へと歩を進める。俺の一歩先を半ば飛び跳ねるようにして歩く翠の姿が、夢の少女と被って見えた。

 ――ほらほら、優、のんびり歩いてると置いてっちゃうよ?

「何のんびりしてるんだ?置いてくぞ?」

まるで踊りか何かのように振り返った翠の声に、俺は我に返った。夢の中で見た少女。磨りガラスを通したようにハッキリしない姿は、鮮烈に目へと焼き付いていた。まるで、それを忘れてはいけないと俺自身が叫ぶかのように。

「……ああ。分かってる」

 翠の言うとおり、本屋は品揃えが豊富で、普段中々お目にかかれないような専門的なものまで揃っていた。これには感嘆せざるを得ないな。俺がいくら探しても見つけられなかったようなものまであるのだから。

 熱心に本の背表紙を眺めていたら、手持ち無沙汰にしていた翠が声を上げた。

「よかった。前みたいな優だな」

その言葉の意図を掴みきれず、俺は本の背表紙から一旦視線を外し、翠へと目を向けた。

「……前みたいな、って何だよ」

「だって、優は昔から発明ばっかりで、そういう本読み漁ってたし」

「そんなの、大体の理論は頭に入ったからな、昔みたいに読み漁る必要がなくなったんだ」

「それだけじゃない、今の優は、何か無気力だ。そこまで無愛想じゃなかったしな」

その理由については、俺からは何も言えない。俺自身は、今までもこうだったと思っているのだが。翠はそう思っていないらしく、俺の沈黙を肯定と受け取ったようだった。

「だから、こことか来たら元気になるかなって。優の好きそうな本がたくさんあるから」

俺は、俺が思っている以上に翠を心配させていたらしい。俺がばつの悪さを感じるほど、翠の表情はこちらを窺うようで、その瞳には純粋な光が浮かんでいた。

 ――優、あんまりムスッとしてると誤解されるよ?君はいい人なんだから、もっと周囲にそれをアピールしないと

「……ッ!」

まただ。また、あの少女だ。おぼろげな輪郭、陰になった顔。ここ数日で何度も見た。影のように、幻覚かと疑うほどいたるところに現れて。何なんだ。俺は遂に頭がおかしくなったのか?そもそも、あれは誰なんだ。俺の記憶なのか?それとも、俺が何かを基にして位置から作り出した幻想なのか?それとも……

 洪水のように溢れてくる思考を塞き止める術など持ち合わせておらず、俺はたちまち呑みこまれた。

 「……い、おいってば!大丈夫か?」

俺を覗き込む顔に、焦点を合わせる。見慣れた翠の顔、背景は本屋。大丈夫、これは現実だ。俺の思考じゃない。あの夢でもない。

「……わりぃ、大丈夫だ」

まだ、思考の残滓が脳裏に残っている。それを振り払うように頭を振って、一刻も早くここから離れようと決めた。

「なあ、そろそろ昼飯にしねぇ?」

「そうだな!ちょっと早いけど、この後だと混んじゃうし」

上手く俺の提案に乗ってくれた翠は、どんな物が食べたいかを考え始める。俺はそれに適当な相槌を打ちながら、見覚えのある風景の中に歩を進めた。

 ……ん?見覚えのある風景?

 何でだ、何で見覚えがある?俺がここへ来たのは初めてじゃないのか?いや、でも、翠とどこかへ出かけるのは初めてだし、俺一人で来たのか?こんなところに?

 「なぁ、フードコートはこっちだぞ?」

人気の無い脇道に逸れた俺に、翠が不思議そうな声を上げる。確かに、目指していたフードコートはこの道の反対側だが、俺が目指すのはそっちじゃない。

「いや、こっちのカフェの方が飯も美味い」

 フードコートと銘打つくらいだから、確かに有名チェーン店も、そこにしかない店も、バリエーションは豊富だ。それこそ、今食べたいと思う物があるくらい。けど、それよりもこの道の先にひっそりとあるカフェの方がメニューは限られてても美味いし、雰囲気もいい。こいつも気に入るだろ。

……だから、何で俺はそんなことを知っている?

「あれ?優って、ここ来たことあるのか?」

「いや……たぶん、ある」

「なんだそれ、大丈夫なのかよ?」

「いや、あることにはある。記憶もはっきりしてる。けど、なんで来たのかわかんねぇんだよな。あそこの本屋には行ったことなかったし。しかも一人できたんならそんなカフェなんて目もくれないだろうし」

「じゃあ、誰かと来たのか?」

「いや、そんなはずはない。だったら覚えてるはずだ」

――うーん、フードコートよりもこっちかな。雰囲気もいいし、何より特製オムライスが絶品なんだよ?

 この少女は実在するのか?それで、俺はそいつとここへ来て、案内されて、そしてそれを綺麗さっぱり忘れた。

 いや、それは無いな。自分で言うのは何だが俺の記憶力はいい方だ。そんな出来事があれば覚えている。たとえそれが欠片だけだとしても。こんな、幻覚かどうか怪しくなるようなものじゃない。

「優?優が行くって言ったんだぞ?」

「……ああ」

 なら、答えは簡単、これは俺の幻覚だろう。あまりに衝撃的な夢を見たせいで、いたるところにその影を見るようになってしまった。そんな答えで、十分だ。

 俺の情報に間違いは無く、確かにオムライスは美味かった。それに、場所によるものなのかひっそりとした雰囲気も、心地が良くてついつい長居をしてしまう。そんな店だった。

「いいお店だったなー、また来るか」

「……気が向いたらな」

「またそういうことを言う」

翠も目に見えて元気になって、楽しめたようだった。

「これからどうするんだ?」

「……特に何も無いな」

「じゃあ、もう帰るか?少し早いけど、明日は平日だしな」

「……そうするか」

仲睦まじく歩く茶髪のカップルを遠目に見ながら、ぼんやりと答えた。その二人が目に付いたのは衆人環視の真っ只中で彼女の方がなにやら怒っているからだ。まあ顔は真っ赤だが。彼氏の方はと言えば、端正な顔で慈しむような表情を形づくって彼女を宥めている。

「いいな、あの人たち。喧嘩してるのに楽しそうだ」

「……喧嘩というより一方的に罵倒されてねぇ?」

「それもそうかもしれないな。でも楽しそうだ」

……ドMなのか?男の方。あんなにイケメンなのに。

「ま、どーだっていいだろ」

俺達はこれから帰るんだし。

――楽しそうだね、私たちも仲間なんだよ?世間から見れば立派なリア充だもんね

ほら、やっぱり幻覚が出てきた。もう、何を見ても幻覚に結びつく気がしてきたな。

「……ほら、行くぞ」

 だったら、ここを一刻も早く抜け出すに限る。三十六計逃げるに如かずってな。

 吹き抜けの下を凝視して袋を取り落とした少年の横を通り過ぎ、ショッピングモールから逃げ出す。そして、迷う事無くバス停へと向かった。

「え?優、こっちであってるのか?」

「間違いない。家方面の路線は、五番のバス停だ」

理由も裏付けも無いが、確信だけはある。腕の一本を賭けてもいい。

 急ぎ足で到着したバス停は、確かに家の方面だった。

「ホントだ、ボクも何回か来たけど、覚えてなかったのに」

「……ま、記憶力はいい方だからな」

 誤魔化しつつ、滑り込んできたバスに乗り込む。すぐに、幻覚の巣窟は見えなくなった。


第四章

 寝室のベッドでうつ伏せになり、俺は一向にやってこない睡魔を待っていた。睡魔に誘われるとは言うが、睡魔を誘うのはどうなんだろうか。

 こうやって何もしていない暇な時間は、取りとめも無い思考が脳を埋め尽くしていく。そんな疑問は、すぐに幻覚についてへと変わっていた。

(あれは本当に幻覚なのか?)

(俺はショッピングモールに一人で行ったのか?)

(一人で行ってカフェを見つけたのか?)

(いたるところに出てくるとは言え、幻覚は何を見ても出るわけじゃない。じゃあ、何を見たら出て来るんだ?)

(ショッピングモールのいたるところと、この間は学校の通学路でも出た。近くの店なんかでも出たりする。どれも、記憶に違和感のある場所だ)

 「……少し、調べてみるか」

記憶に違和感のある場所。なら、今までの記憶をできるだけ掘り起こしてみればいいだろう。

 そう思い立った俺は、昔買ったノートを引っ張り出し、久方ぶりにシャープペンをノックした。

思い出せる限りの記憶。小学校の頃の断片的なもの、中学のところどころ抜け落ちたもの。高校の……

 「……ここがおかしいのか」

 高校に入った頃の記憶から、齟齬が生じている。俺が入った科学部に、部長がいないなんておかしなことがあるか。それに、夏頃から俺の活動範囲が急激に広がっているが、俺は一人で鎌倉なんぞに行くような人間じゃない。俺じゃなくても一人で行かないだろ。たとえ金を詰まれても嫌だな。俺は歴史に感動するような人間ではないのだ。

 高校に入ってから、中退するまでの一年間に何かがあったと考えるべきだ。とりあえず、ノートやら何やら引っ張り出してみるか。

 部屋の隅に押し込めた遺跡から発掘してきた過去の遺物は、ところどころよれて埃を被っている以外は記憶のままだった。

 驚くほど綺麗な教科書は後に回して、一番使い込んだ後のあるノートを手に取る。表紙を開くと、中には設計と計算がびっしりと書き込まれていた。

「……これ、設計ノートか……」

 『設計ノート』は、俺が様々な発明の設計や計算を詰め込んだ、いわばアイディアノートだ。居間に掛けてある電波時計から、自作のパソコンや小型ヘリコプター、果てはタイムマシンまで、ありとあらゆる俺の発想が詰め込まれている。

 記憶の齟齬の理由を探る、と言う目的を忘れて、ノートを捲っていく。見れば見るほど懐かしさが込み上げてきた。真面目な設計から、戦隊ヒーローの変身は可能か、なんて馬鹿みたいな検証までしてある。

 「……え……?なんだ、これ?」

俺の四角張った乱雑な字に混じって、丸みを帯びた丁寧な字が混じっている。それは俺のケアレスミスを指摘していたり、要点だけを取り出して纏めたり、逆に俺が指摘したりとこれに関して相談していたらしい字面だ。こんなもの、初めて見た。

 俺の記憶も、ノートの中身も、このノートを誰かと一緒に使ったりすることは無かったはずだ。しかも、一旦消されたのか、筆圧だけの白い線になっているところが見受けられる。おかしい。これからしておかしい。

 残念ながら日付を書いていないため、これがいつなのかは分からない。ただ、前後の内容を見る限り、高校一年の間だと思われる。

 つまり、これは違和感のある記憶の真っ只中の内容なのだ。この字はたぶん女性のもの、だとすれば、化学部の誰かか、翠だ。けれど翠はどちらかと言えば文系、こんな知識は無い。この内容は大学かそれ以上のレベルなんだから。科学部の誰かに触らせれば嫌でも覚えているだろう。俺の設計にはとんと興味を示していなかったんだから。しかも、字はその後のノートに何度も出てくる。こんなこと、同じ部活なだけの奴なんかにやらせるものか。たとえ頭が良くても、すべてについてこられる奴ではなかったみたいだし。

 なら、何で俺はこいつにこんなことをやらせてるんだ?俺の聖域にまで干渉させている。

 他にも何か手がかりはないかとノートを捲っていけば、前後に何も無い白紙のページに、何やら殴り書きされていた。これは、崩れてはいるが俺の字だ。

『二〇一九年一月十日、P.M.六時、高校の屋上』

日付と時間、場所が指定されている。これは、何のメモ書きだ?この日に、何か予定があったのだろうか。それとも、電話か何のメモで使ったのだろうか。

 そこまで考えて、俺はふと気がついた。二〇一九年は、今年だ。そして、今日は一月九日。つまり、この日付は明日だ。高校は、俺の通っていた高校で間違いないだろう。つまり、明日の午後六時、俺の通っていた高校の屋上で何かがあると見て間違いない。問題は、何が起こるかだが……まあ鬼が出るか蛇が出るか、二つに一つだ。家の中で悶々とするよりも行ってみた方が早いだろう。それで俺が危険だとしても、まあ悲しむような人間はいないわけで。

――まったく、そんなこと言わないの。君が危険な目にあえば皆悲しむ。少なくとも、私は悲しいよ?

 そんなもの、ただの幻覚だろ。ま、翠は何か思うかもしれないけどな。

 明日は、屋上に行こう。

 そう決めて、俺はもう一度ベッドに潜り込んだ。


第五章

 世間一般はまだ冬休み真っ只中で、高校も静まり返っている。午後五時半、二〇一九年が始まって十日、まだこの時間までやる部活は無いのか。まあ、好都合だ。

 校門を乗り越えて、施錠されていない玄関を通り過ぎる。懐かしさよりも先に何故か泣きたくなる校舎の中を、見つからないように足音を殺して走り去り、屋上へと突き進む。

 薄れかけていた記憶を頼りに入り組んだ廊下を疾駆する。のんびりと歩いていれば、職務に命を掛けている警備員に見つかり、すぐに追い返されるだろう。

 こんなことなら、昔の制服を来てくれば良かった。忘れ物を取りに来ました、なんて言い訳が通じたかもしれないのに。まあ、深く突っ込まれれば終わりだが。

 職員室の前を、気配を消して通り過ぎる。見つかったらと思うと心臓が喉から飛び出そうだった。そのまま屋上への階段を全速力かつ音を立てないように駆け抜け、鍵のかかった扉の前に辿り着いた。さて、ここからが問題だ。

 使われている鍵は旧式の暗証番号型、おそらく二〇十五年の義務化のときにつけたままだろう。この程度のものなら十分ほどで開錠可、現在は五時四十五分だから、間に合うな。

 持ってきた携帯端末を鍵に接続して、解析を開始する。予想と違わず、八分ほどで端末が震えた。

「……0618、ねえ」

確か校長か何かの誕生日だったか。こんなに分かりやすいものでいいんだろうか。侵入者も最初に入れそうなものだが。まあ、この鍵が破られても大した被害はないからか。ん?この番号、この鍵、この扉。どこかで見た気が……まあ、一年通ったんだ。見覚えがあるのも当然か。

 冷たい風が吹き抜ける屋上に出る。その途端、何かと光景が被った。

「……夢……?」

 夢の中の光景。見てから一ヶ月ほど経つのに、いまだ薄れることを知らない風景。青緑のフェンスに囲まれた、コンクリートの地面。遠くに見える夜景と月明かりだけが光源の、薄暗い世界。時刻は午後五時五十九分。

 腕時計の秒針が、一定のリズムを刻んでいく。それにあわせるように、俺は数歩前へ進んだ。身を切るような寒さが俺を包む。後三十秒。

 残り十秒をきった時、一際強い風が吹き、俺は咄嗟に顔を背けて目を瞑った。突き刺さるような空気に背を向けてむき出しの顔を庇い、風が収まるのを待つ。それも、十秒ほどのことだった。

 風が通り過ぎて、屋上に静寂が戻る。六時を過ぎたが、屋上の光景は変わらずそこに――――いや、屋上の中心付近に、何かが現れていた。

 それは妙に見覚えのある滑らかな立方体で、上部から棒が飛び出ている。吸い寄せられるように近づけば、正体が分かった。

 夢の中で、少女の足元に置いてあったもの。そして、設計ノートに書いていた、俺のすべてをつぎ込んだタイムマシン。そんなものが、何でこんなところに。そして、どこから現れた?

 答えなんて、分かりきっている。タイムマシンがどこからとも無く現れた、それはつまりタイムトラベルをしてきたと言うことだ。でも、どこから。そして、何で誰も連れていない?

 答えを知るべく、恐る恐るタイムマシンに近づいていく。設計だけして作ったわけではなかったが、正常に作動したようで何よりだ。しかし、誰が作ったんだ?

「……いったた……」

近づいていくと、タイムマシンの後ろ側で誰かが声を上げた。声色からして女。無性に泣きたくなるような声。後頭部を押さえて蹲るそいつは、俺が近づくと涙目で立ち上がった。俺と目を合わせて、泣きそうに笑う。

 「……あ、久し振り、かな?優」


第六章

 俺の脳裏を、記憶が流れていく。その少女の顔だけで、記憶の齟齬はすべて消えていた。

「……あ……せんぱ……」

不自然に塗り替えられていた記憶が、元あった形に戻されていく。押さえられない感情が、俺の頬を滑り落ちた。

「やっぱり忘れちゃってたか。まあ、思い出したなら良しとしようか」

「……せ、先輩……」

「あれ、約束も忘れちゃった?二人っきりなら名前で呼ぶんでしょ?」

「……ホントに、岩波菜々先輩……?」

「他に誰がタイムトラベルするっていうの。私は正真正銘岩波菜々だよ」

 そう、目の前の、夢の中の少女は、俺の先輩で、科学部部長で、設計ノートの字を書いた人間で、そして、俺の恋人だった。


――――――二年前――――――

 「ようこそ科学部へ。歓迎するよ、秋山優君」

高校入学後、特に悩みもせず科学部へと入部した俺は、開口一番そう言われた。

「私は、部長の岩波菜々。何かあれば聞いてね?」

「……よろしくお願いします」

「そう硬くならない。肩の力抜いて、のんびりやっていこう」

「……他の部員はどうしたんっすか?オリエンテーションの時は男女五人って言ってましたよね?」

その割には、一人も見当たらない。全員が遅れてくるなんて偶然があるのだろうか。

「……一人は、軽音部との兼部で週一、二回しか出れなくて、二人は幽霊部員で、残りの二人も今日は休みなんだよね」

つまり、所属している人数は五人だが、真面目に部活をしているのは先輩含めて三人ってことか。しかも、その二人も打ち込んでいるとは言いがたい。

「……つまり、いつもいるのは部長だけなんっすね」

「そうなんだよね。あんまり予算もないから日常的に何かをするわけにもいかないし、文化祭に少し大きな実験をやるくらいかな」

 まあ、簡単に言えば小さい部活なんだな。この調子なら、顧問も掛け持ちか適当かの二択だろう。

「それに、人数は関係ないんだよ。君が来てくれたからね。でしょ?天才少年君?」

「……別に、俺は自分の好奇心に応じてやってるだけっす。それを世間が大仰に騒ぎ立ててるだけで」

「でも、すごいよ。この間の、ジェットパック!人間があんなに簡単に空飛べるなんて、びっくりしちゃった。あれ、姿勢制御みたいなのはどうやってるの?エンジンもかなり小型化しないとダメだよね。それでいて人一人を自由に飛ばせる力があるなら……」

 俺に話しかけるようだった口調が、どんどんと独り言へと変化していく。どうやら、スイッチが入ってしまったらしい。なんだろう、こういう人のことを科学オタクとか言うのだろうか。まあ、俺も人のこと言えないが。

「……そんなに興味あるんだったら、設計、見ますか?」

「いいの!?」

「別に、減るもんじゃないっすし。まあ、売られたりすると困りますけど」

「大丈夫!」

首がおかしくなるんじゃないかと思うほどの勢いで頷いた先輩は、俺に部室中央の椅子をすすめ、自分は隣に座った。

「これ、俺が設計とかを書き溜めてるノートっす。で、これがジェットパックの設計図」

びっしりと文字と図が書き込まれた汚いノートを、先輩は目を輝かせて覗き込む。食い入るように読み込むその姿は、かわいらしい容姿とのギャップに驚かされるな。

「……はー、こんな人がいるなんてね。びっくりしたよ。他には、何か無いの?」

「とりあえず、捲ればいくつか出てきますけど」

「もっと読んでみてもいい?」

「いいっすよ」

――――――これが、俺と菜々先輩の出会いだった。


 「ねぇ、秋山君、少し付き合ってくれる?」

俺が科学部に入ってから二ヶ月と少し。梅雨入りしたばかりの陰鬱な教室に、先輩の声が響き渡った。この頃になれば一年生にも情報が入ってきて、様々な話が飛び交う。主に、部活の先輩から聞いた話だったりが。例えば、

「おい、あれが岩波先輩だぞ」

「え、マジ!?うわ、初めて見た、噂通りかわいいなー」

「あったり前だろ?三年の先輩に聞いたんだし。嘘はねぇって」

先輩の噂。まあ容姿端麗な人だとは思っていたが、上級生でも噂になっていたとは。だから何だって話だが。まあ、想い人の人気があるのは嬉しい反面不安でもある。

 閑話休題。俺を呼んだ先輩は、しおらしい動作でそう言った。かわいいとか思ってしまったのは秘密だ。

「いいっすよ」

 まあ、どうせ今日の部活の連絡とかだろう。昼休みが丸々潰れることにはならないだろうし。昼休みがあってもすること無いし。そんな軽い気持ちで先輩の後について廊下を歩いた。周囲の生徒から突き刺さる視線が痛いのには辟易したが。

 やってきたのは化学部部室。正確に言えば第三理科室で、何故か先生方は化学講義室と呼ぶ名前の多い教室。まあ最後のは少し前に名前が変わったからだそうだが。で、肝心のこんなところに連れて来られた理由は、俺も知らない。先輩はさっきからだんまりを決め込んでいて、話しかけられる雰囲気じゃないし。

 けたたましい音を立てて扉が開き、俺と先輩を部屋の中に飲み込んだ時点で鍵がかかる。

「……いい加減に教えてくれませんか?わざわざこんなところまで連れて来た訳を」

何度も『こんなところ』と言っている様に、高校内でここは辺境に当たる。普通教室がある東校舎の一階から渡り廊下を通って西校舎へと移動し、そこから更に三階へと上がらなければならない。運動量が洒落にならない距離なのだ。特に、俺のようなインドア派には。

「……うん。えっとね、秋山君。私ね、君が、好き、だよ」

 予想の斜めどころかオーロラレベルで上を行く話だった。何だそれ。学校有数の美人が俺に告白?ありえん。

「……何で、キョロキョロするの?」

「いや、ドッキリならカメラがあるはずだと……」

「もう!違うよ!正真正銘心からのこ……くはく……なの……」

こ、と言った時点で自分の言おうとしていることに羞恥を覚えたのだろう、尻すぼみになった言葉は、空気に溶け込むようにして消えていった。その反応が、逆に俺に話の真実味を感じさせた。先輩は、こういうことが上手い人ではないし。というか、この二ヶ月あまり見てきた感じでは、むしろ下手だと思う。初めて会ったときとか首がおかしくなるほど頷いてたし。

 と言うわけで。

「……え、本気っすか?」

「本気じゃないのにこんなこと言わないよ」

「え、でも、俺みたいなのに?」

「そんなこと言わないの。理由が欲しいなら……そうだね、秋山君と一緒にいると楽しいんだよ。さりげなく気づかってくれてるから、安心して私も近づいていける」

「……そんなこと、ないっすよ」

「あるよ。例えば、いつも気が付けばお茶が置いてあるし、ここに掃除当番はないのにいつも綺麗。後は、私と歩くときいつも斜め後ろだよね。私が階段で足を挫いてからかな?優しいんだよ、秋山君は」

どれもこれも図星だった。熱心に何かをやっている先輩にはいつも飲み物を用意したし、誰よりも早く来たときは軽く掃除している。五月の初めに先輩が階段で足を捻って腰を打って以来、いつでも支えられるように後ろを歩いている。すべて本当のことだ。唯一つ、違うことがあるけれど。

「……でも、誰にでも優しいのかな。そうなのかな、秋山君はいつも一緒にいる女の子がいるんだっけ。もしかしたら、彼女?」

「……あいつは幼馴染っす。妹みたいな感じっすね。それに、先輩は間違ってます」

何も言わない俺に、耐え切れなくなったように悲しげな声に変わっていく先輩に、宣言する。これから言おうとしていることの恥ずかしさに悶えながら。

「……先輩だから、するんっす。熱心に文化祭の出し物を考えてる先輩だから、いつも早く来て机を拭いている先輩だから、俺に話しかけてくれる先輩だから、俺はやさしくなれる。手伝おう、見習おう、気づかってあげよう、そんな気になれるんっすよ」

別に、俺は誰にでも優しいわけじゃない。世話を焼くわけじゃない。率先して教室の掃除なんかしない。そんなのは翠の役割だ。俺は、ただ先輩の役に立てればいい。少しでも支えになればいい。

「……どうして?」

「……先輩が、好きだから」

そんなことをする理由なんて、決まりきってる。言葉にすれば一言なのに、人の人生すら左右するほどの力を孕んだ感情。それほどまでの力を秘めた気持ちは、俺の行動を変えるくらい容易いことなんだ。

「……ホント?」

「……先輩は本気なんでしょう?だったら俺も同じくらい本気っす」

これでドッキリとかだったら笑えないな。まあ、先輩の顔を見ていれば分かることだが。

 で、その先輩の顔はといえば、今にも泣きそうだった。

「え!?あ、あの……」

「あ、えっと、これは、なんでもないの。ただ、言おうって決めたときから不安だったから……ほっとしたのかな?」

話している間にも先輩の目は見る見る潤んでいき、茶化すように首を傾げた勢いで一粒零れる。決壊した涙腺は、一気に水を吐き出し始めた。

「……落ち着くまで、俺はトイレにでも行ってるんで。しばらくしたら戻ってきます」

 こういうときの対応なんて分からない俺は、取り乱した挙句によく分からないことを告げて部室を出た。学校の授業に、こういうときの対処法を教える時間を取り入れるべきだな。選択制でもいいから。

 こうして、俺達のたどたどしい交際は始まった。


 「お待たせ!」

夏真っ盛り。この時期、融点の低い俺は、溶けていく体と戦う毎日。そんな炎天下でも、先輩は元気だった。目も眩むような白い服は、元気に日光を反射して直視できない。

「……そこまで待ってないんで、大丈夫っす」

「……そうなの?でも、一応先に着いてたみたいだから、ね?」

まあ、ここまでの会話で分かる通り、今日はデートである。とは言え、近くの古びた町並みを当ても無く彷徨うだけだが。

「うーん、私さ、鎌倉って来たことないんだよね」

「ああ、近いからこそ行く機会がないってやつっすか」

「そうそう、何となく今度でいいか、みたいになって結局行かないの」

デートと銘打った割には特に変わるわけでもなく、いつも通り他愛の無い話をしながら人の流れに沿って歩いていく。目指すのは、とりあえず近くの寺か。暑いな。

 古いものが多く残る町並みは、現代と過去が入り混じって不思議な感覚をつれてくる。それは周囲を歩く観光客にとっても同じで、誰もがひっそりと雰囲気を楽しんでいた。まあ、一つ向こうの大通りへ出れば、ひっそりの「ひ」の字も見あたらないが。

「なんだろう、雰囲気がいいところだね」

「そうっすね。まあ、普段の都会よりはマシじゃないっすか」

「ねぇ、私たち一応付き合ってるわけだから、敬語はやめない?」

話の流れは華麗に流して、本題を切り込んでくる。なるほど、感想は緩衝材だったわけか。

「……でも、一応先輩っすから」

「うーん、でも、今は彼女なんだよ?敬語は、距離が遠い気がして嫌だなー」

「先輩が、そう言うなら」

「ほら、それも。菜々でいいよ」

それは、さすがに恥ずかしい。まあ嬉しいが、恥ずかしい。大事なことだから二回言った。きっとテストにも出る。まあ、何のテストかは知らないが。

「……菜々が、そう言うなら。でも、学校では『先輩』で『敬語』だからな」

「うー、そうだね。じゃあ逆に二人のときだけそうしよっか。約束ね」

「……ああ。分かった」

 よく分からないまま約束させられてしまった。まあ、満更でもないが。「二人のとき」とやらには、今も含まれてるんだろうな、と思いつつ流れてきた汗を拭う。会話を終えてから、すぐに気恥ずかしさが襲ってきた。熱もないのに顔が真っ赤だ。ここまで心臓が踊り狂っているのは、ジェットパックのテストで峠のガードレールから飛び降りたとき以来だな。あれは死ぬ気だったが、今は死にそうだ。

「……ねぇ、私たちって、付き合ってるんだよね……」

不意にそう呟いた先輩の視線の先には、腕を組んで歩く、大学生くらいのカップル。真っ黒な髪は光を吸収して熱そうだ。

「まあ、一応」

とりあえず答えてみたけれど、会話を続ける気は無さそうだ。何かを考え込む様子で、黙りこんでしまう。何かあったのか?急に黙り込むようなことは無いはずだが。それに、今の独白の意味は何だ?付き合っていることの確認なら今しがたしたはずだが。

「……やっぱり、そうだよね。うん」

自己完結した呟きの後、右手に体温を感じる。もっとも、かなり局所的にだが。

「……なんで、人差し指と中指だけなんだ?」

夕焼けのように赤くなった顔を隠すように俯いて、俺の指を握る先輩は、小さく呻きながら首を振るだけ。何の要領も得ない。まあ、俺の顔も相当真っ赤だろうが。

「……さ、さすがに恥ずかしい……」

どちらかと言えばこのどっちつかずな状況も恥ずかしいのだが。

と、言うことで。指を申し訳程度に握る先輩の手を振りほどいて、握り直す。今度は掌を。

「へ!?え、あ、う……」

恥ずかしくなって顔を背ける。視界の端で、先輩がはにかんだように笑うのが見えた。

 気が付けば、目指した寺はすぐそこに見えていた。

 

 休日はあっという間に過ぎ去り、迎えた月曜日。校門付近になってから、俺に向けられる好意的ではない視線がどうも気に障った。一定距離を保って、俺を見ながら言葉を交わしている。そのくせ誰も俺に話しかけようとはしない。どうにも居心地の悪い空間だった。しかも、向けられる視線に好奇の色は無く、ただ単純に嫌悪と怒り、憎悪だった。中学時代、自由研究でスマートフォンを自作したときよりも酷い。とは言え、耐えられないほどではないから無視を決め込んだ。

「……なんで、アイツ学校来れんだよ」

どこかで、誰かが呟いた気がした。

「……なあ、これはどういうことだ?」

教室についても、無遠慮な視線は止まない。さすがに気になって、中学からの友達に尋ねる。教室の反対側まで移動するだけなのに、俺の一挙一動に視線が絡まってくる。

「……ここじゃマズい」

そう言って立ち上がった友達の後について、教室を出る。向かった先は、人気の無い空き教室だった。

「……お前について、変な噂が流れてる」

窓枠に寄りかかった友達は、開口一番そう吐き捨てた。苦虫を噛み潰したような顔で、嫌悪感を隠そうともせずに。

「根暗だとか、何でもできてキモいとかなら慣れてるさ」

「違う。岩波先輩についてだ。お前が先輩を脅してるとか、暴力を振るってるとか、根も葉もないことだけどな、大多数の人間にそれが正しいかなんて関係ない。気をつけた方がいい」

それだけまくし立てると、友達はすぐに教室を出て行った。たぶん、これ以上俺と関わっていると色々迷惑がかかるんだろう。そこを咎めるつもりは無い。ただ、もう少し話を聞きたかったのだが。後は、翠にでも聞くか。

 とりあえず、そんな噂が流れる理由が知りたい。解決はそれからだ。

 学校にいる間は極力自分の席から動かず、部活も携帯で休みの連絡をした。これで、放課後自由に動ける。まあ、先輩から返事は来ていないが。

 そんな風に根回しをしつつ迎えた放課後。俺はいつも以上の速さで家へと帰った。自室の鍵をかけ、学校に設置されている防犯カメラのクラッキングを開始。多少の時間がかかるため、その間に翠へと電話をかける。課外活動で出られないかとも思ったが、すんなりと繋がった。

〈もしもし?どうかしたのか?〉

「噂について、お前なら情報が早そうだしな。それに、お前なら周りも手を出そうとしないだろ」

〈それね……あるぞ。結構聞いてる。どんなことが聞きたいんだ?〉

さすが、学級委員は違う。どんな質問にでも答えられると宣言したわけか。無意識だろうが。

「そうだな……具体的内容、出所、それに対しての反応、そんなところか。分かるか?」

一気にまくし立てた質問に、聞き返される事無く沈黙が降りる。そしてそれはすぐにため息へと変わった。

 〈まず、内容だけど。これは優が岩波先輩に許されざることをしている、なんて内容だな。具体的には『脅してる』『暴行してる』って感じ。暴行は、どちらの意味でもな〉

 まずは社会的地位を貶めるところから始めるわけか。なんと陰湿なことか。しかも生理的な嫌悪感を催すような内容ばかり。犯人はかなり性格の悪い人間、ってところか。まあ、俺は慣れてるけど……

〈次に、出所だな。これは、ボクに言えるのはサッカー部ってことだけ。それ以上は分からない。憶測で言えば他の問題に発展するし〉

サッカー部。内容的に上級生だと見ていいかもしれないな。一年が言い出しただけならここまで広まるのはおかしい。

〈最後に、反応。これは、犯人の思惑が優を貶めることなら、大成功だろうな。全校生徒の九割はお前を極悪人だと決め付けて、避けてる。先生も真偽を確かめるのに動き出すレベルだ。まあ、内容が内容だしな〉

なるほど、腹が立つくらいに上手くいってしまっているわけか。こんな幼稚な悪巧みが。なんとまあ、全校生徒の精神年齢が低いことか。そっちの方が頭に来るな。

「助かった。サンキューな。お前も下手に動くなよ」

〈悪いけど、そうしないとボクの身も危ないからな。甘えさせてもらうよ。最後に、確認させて欲しい。優、お前はやったのか?〉

「いや。事実無根だ」

〈それを聞いて安心した。それじゃあな。委員会を抜け出してるんだ。……そういえば、サッカー部の板崎先輩が、岩波先輩を好きなんだって。彼女いるのに、とか狙ってたのに、とかクラスの女子が騒いでたな。ま、お前には関係ないか。じゃあな〉

 ……なんだったんだ。最後のは関係ないだろ。カモフラージュか?それにしてももう少しマシな話題があるだろうに。

 いや、待てよ?サッカー部の板崎先輩が、菜々先輩を好いている。彼女がいるのにそんなことを明言するとは、節操のない奴だな。いや、ただ単に調子に乗ってるだけか。けれど、噂の出所はサッカー部の、おそらく上級生。そして、板崎とやらもサッカー部の先輩だ。これは、調べてみる価値はありそうだな。

防犯カメラのクラッキングを中止し、学校の名簿の方へと標的を移す。コンピューターに任せずに俺自らが行ったため、痕跡を残さないように注意しても、数分で完了した。

 板崎は、三年六組の出席番号三番。写真で見た限り、容姿はいい方だろう。なんと言うか、チャラそうな外見だが。後は、接触するか?だが相手は運動部で先輩。しかも仲間は見込めない。到底勝てないだろう。元来、俺は頭で勝負する方が得意なのだ。ここは奇策を用いるのがセオリーだろう。後は、どうするかだが。板崎がスマートフォンなら、クラッキングするなりなんなりしてみるか。


 噂が流れ始めてから、約一ヶ月。久し振りに部活へと顔を出した俺の目に飛び込んできたのは、何かを考え込む先輩の姿だった。一心不乱に頭を働かせている、と言うよりは悶々と悩んでいると言った方がいいのか。机の一点を見つめている。

「……先輩、どうかしたんっすか?」

返事は無い。屍とは言わないが、本当に集中しているらしい。声をかけるべきか軽く悩んだ後、俺はいつも通りお茶を淹れた。

 零さないように少し離れたところに置きながら、先輩の様子を窺う。いつもとは違い、文化祭での出し物や部員募集に頭を悩ませているわけでは無さそうな、真剣さの中に悲哀を含んだ顔。とりあえず、話を聞くために起こす必要がありそうだ。

「先輩?……菜々?」

周囲に誰もいないことを確認してから、名前で呼ぶ。二人きりのときの約束だった。そして、そこでようやく先輩の目の焦点が合う。

「……あ、秋山君。来てたんだ」

「……どうしたんだ?なんか真剣に悩んでるっぽいけど」

「……ううん、なんでもない。大丈夫だから、ね?」

絶対に大丈夫じゃないな。これは、放っておいたら大変なことになりそうだ。とりあえず、もう一押ししてみる。

「大丈夫じゃないだろ。どう見ても悩んでるようにしか見えないんだけど」

先輩の正面の椅子に腰を下ろして、真っ直ぐに見つめる。数秒睨みあった後、先輩が大きく息を吐いた。

「……あの噂、優も知ってるでしょ?あからさまに優を貶めるようなことばっかり並べて。私は被害者で、優が加害者。そうやってクラスに流れてるから、皆私のことを心配して優を悪く言うんだけど、否定しても苦笑いで正直に言いなさいって。この間なんて先生まで出てきたんだよ?優は、大丈夫?」

「全然平気だな。特に何をされるわけでもないし。まあ気分は悪いが」

強いて言うなら、わざと肩をぶつけたり、いつでもどこでもサッカーボールが飛んで来ることくらいか。

「まあ、こういうのはあんまり気にならない性質だしな」

「……ねえ、優。私、優の傍に近づかない方がいいのかな」

「それだけは、やめろ。そんなのあいつらの思うつぼでしかない。興味無い振りしてれば、いずれ飽きて収まる」

元凶が板崎にならな。ここ一ヶ月ほどで調べた結果、板崎は第一印象通りかなり遊んでいいた。二ヶ月ほどで一緒にいる女性が変わっているらしい。そんな奴なら二ヶ月もしないで飽きるだろ。元凶が飽きればその周囲が飽き、その空気は瞬く間に全校生徒へと伝染する。簡単に収まってくれるだろう。それまでの辛抱だ。

「でも、辛いでしょ?私が優に近づかなくなれば、変な噂を流してる人もすぐにやめると思うし」

「やめてくれ。頼むから。馬鹿な奴の幼稚な嫌がらせのせいで、菜々が嫌なことをする必要ないだろ」

「……でも、優は?このままだと本格的にいじめられるよ?」

「……菜々がいれば大丈夫……今の忘れてくれ」

かなり恥ずかしいことを言った。まあ、本心ではあるのだが。

 この会話で、俺は決めた。とりあえず、元凶を潰してみようと。俺のことをどうこう言うのなんて好きにすればいいが、そのせいで菜々が傷つくなら話は別だ。方法は後々考えるが、同じように社会的地位を落とせば大人しくなるだろう。それには、情報が不可欠だ。まずは翠に聞いてみるか。とりあえず、先輩を宥めて一旦部室を出る。

 この間のように、翠はすんなり繋がった。委員会もあるはずなのに、タイミングのいいことだ。珍しく弾んだ声が耳朶を打つ。

〈もしもし、どうしたんだ?〉

「ああ、板崎先輩について、知っていることを教えて欲しい」

電話の向こうで、息を呑む気配がした。触れてはいけない話題ではないはずだが。俺の知らないところでそんなことになっていたのか?

〈……わかった。ボクの知っていることはすべて話す。クラスは三年六組。立ち位置的には中心にいるような人だ。顔も良いし身長も高い、頭もそこそこ。それだけ揃っていればモテるのは当たり前だろうな。ただ、性格的には難がありそうだ、巧妙に隠してはいるがな。二ヶ月毎くらいで彼女は変わってるし、その最中でも平気で他の人に告白しているらしい。それと、もう一つ。岩波先輩にも告白して、振られたらしいぞ〉

グレーが徐々に黒へと変わっていく。ただ、断言はできないだろうな。これだけだとすべて状況証拠、言い逃れなんて容易いだろう。

「他には何かないか?できるだけ、出所がハッキリしている情報がいい」

〈そうだな、告白の話はボクともう一人が見てる。確か、梅雨の真っ只中だったはずだ。もう彼氏がいるって、毅然としてたぞ。〉

そこで、笑みを含んだ声で教えてくれる。全く知らなかった。ただ、翠よ。面白がっているのがバレバレだぞ。

〈それと、サッカー部のマネージャーに聞いたけど、噂も確かにサッカー部の板崎先輩が言い出したらしい。振られた後、岩波先輩の彼氏について、散々罵詈雑言をぶつけていたらしい。よっぽど悔しかったんだろうな〉

遂に我慢の限界を迎えたのか、翠は声を殺して笑い始める。そういえば、心底楽しんでいるような笑い声は、ここしばらく聞いていなかったな。梅雨に入った辺りから、塞ぎこんでいることが多かったし。珍しいと言うか良いことだから、収まるまでそっとしておいた。

〈……ごめんごめん。で、話の続きだけど。振られてしばらくした後、七月入った頃から、そんな話を言い出したらしい。『岩波が泣いてる横で、一年の秋山が笑ってた』とか、『岩波の顔にいつも絆創膏が付くようになった』とか。もっともらしい理由を挙げて。まあ所詮噂だし、もっともらしく語られれば信じてしまうのもしょうがないだろ。そいつらを責めないようにな〉

 泣いてる先輩の横で俺が笑ってたのは、先輩が何もないところで躓いて転んだから。痛みと恥ずかしさで涙目になる先輩が面白くて、つい笑ってしまった。絆創膏は、確かにきびだったか。心配になって聞いたら秘密だと言いつつ教えてくれた。

「……分かってる。呪うなら板崎先輩一人だな」

〈怖いこと言うな。まあ、その後すぐにその噂は広まって、この状況だ。……優、人の噂も七十五日。もう少し耐えればいずれ皆飽きるから、それまでがんばれ〉

「大丈夫だ。その前に何とかする」

〈……無茶はしないでくれよ〉

「……そこまではしないって」

翠が何か言う前に、礼を言って切る。翠のおかげで犯人はほぼ確定した。後は、どうするかだけど。噂を払拭するなら、それ以上の話題性を持つ話で上書きすれば良いだろう。だとすると、できるだけ大勢の目があるところの方が良い。目撃者が多ければ多いほど噂はすぐに拡散する。板崎一人が言い出した話が、学校全体に広まるまで一ヶ月近くかかっているように。そして、これには準備が必要だ。今は七月も終わりに近づいている、文化祭が終わる頃までに決行できればいいか。

そこまで決めて、俺は部室へと戻った。

「……菜々」

周囲の音も、光景も、雑念さえも遮断するように学校祭の出し物を考えている先輩に、恐る恐る声をかける。よほど集中していたのだろう、肩を盛大に震わせた先輩は、こちらも恐る恐ると言った様子で顔を上げた

「噂の件だけど、もう少しで片が付きそうだ。だから、後二ヶ月くらいだけ、我慢してくれないか?」

「……後、二ヶ月。うん、大丈夫。がんばれる。優は?」

「言っただろ、俺は元々こういうことは気にしない性質なんだ」

そこで一旦噂の話は切り上げ、学校祭の出し物についての話題へと移行させる。

 「……それで、学校祭の出し物、どうすんだ?」

「……うーん、せっかく優もいるんだし、大きく派手にやりたいよね。でも、思いつかなくて……どれもインパクトにかけるんだよ」

「……瞬間移動、物質変換、いや、拡張現実とか?重力操作、なんてのもいいかもしれないな」

「確かに、それができたらすごいけど、後二ヵ月半くらいでできるの?」

「……全部、基礎理論は分かってるし、設計から完成まで二ヶ月あれば何とかなる。夏休みもあるから、大丈夫だろ。で、どうする?」

難易度もあるが、ギリギリかもしれないな。ただ、できることは間違いない。意見を求めた先輩は、難しい顔で唸っている。

 「……拡張現実を応用して、ゲームとかできない?ゲーム機を被って、脳からの指令をゲーム内のあばたー?に送るの」

名案だ。ただ、そうするとかなり面倒なことになりそうだが。

「……できるけど、後二ヶ月半でできるかどうかはわからないな。ゲーム内の設定とかキャラクターデザインとか必要になるだろうし」

「……私、絵は得意だよ?言ってくれればやれると思う」

その点はクリアー。ただ、基礎理論的にはどうなるんだろうか。

「……脳の指令を読み取り、それを電気信号にしてアバターに送る。かつ体への指令は遮断。そうすると頭に被るような形が最適か?」

「……その辺に開発は優に任せていい?私はゲームの内容を考えるから」

「……ああ」

 思いついた設計をノートに書き込んでいく。見る見るうちにノートは埋まっていった。

 「遅くなっちゃったね」

「そうですね。夢中でやってましたから」

それぞれの担当作業に熱中し、気が付けば七時。とっくに下校時刻は過ぎ、日も暮れかけた時間帯だ。

「暗くなりましたけど、大丈夫っすか?」

「全然平気だよ。あんまり遠くないし」

下校する生徒の姿もまばらで、太陽の残光だけが俺達を照らす。さっきまでとは打って変わって緩やかに流れていく時間。今だけは馬鹿な噂も忘れて過ごせた。

 先輩と別れて、家へと向かう。学校から徒歩二十分、通り一つ向こうから自転車通学区域となる残念な場所。そんな住宅街に、不釣合いな姿があった。

 「おいおい、シカトすんなや」

俺と同じ制服、襟元の徽章は二年生。一応先輩か。

 「……何か用っすか?」

「おめぇ、一年の秋山だろ?一言言おうと思ってな」

「……噂なら事実無根っすよ」

「ちげぇよ。おめぇ、生意気なんだよ。後輩の癖に」

やってることは同じようなものだが、こいつらの方が好感を持てる。正々堂々と正面から来てるわけだし。

 言いたいことだけ言うと、俺の返事を待たずに去っていく。何がしたかったんだか。俺の行動を見ていれば、そういうことに耳を貸すような人間ではないことくらい分かるはずだろうに。

 ただ、一つだけ思い知った。噂、そして今の先輩。俺への批判は、根が深そうだ。


 夏休みは、ゲーム製作で瞬く間に過ぎていき、九月。残暑も薄れ始め、ゲーム製作は佳境に入っていた。基礎設計はとっくに終わり、本体であるヘッドギアもほぼ完成。恐怖感を与えないように気を配ったものの、無骨さは拭いきれていないのが欠点だが。残るはゲーム内容の調整だけだ。普段はあまり顔を出さない部員も、この時期は頻繁に出入りしている。誰もが最初、俺を見て嫌な顔をするが、一日活動すれば普通に戻る。そんなものだ。

 「……うーん、遠距離系のものがあった方が、幅は広がりますよね!」

「けど、そうするとゲームバランスが崩れねぇか?」

「例えば、弾速を遅くしてみたらどう?注意してがんばれば、弾いたり切ったりできます、みたいな」

「それだ!秋山、できるか?」

「大丈夫です。でも、そうすると大き目の弾丸がいいですよね」

「そうだね、最低でも野球ボールレベルじゃないと!」

「そうすると、ミサイルとかグレネードか?でもそれは剣と両立できねえよな」

「弾速は遅くして、弾道をあらかじめ表示すればどうっすかね。この線をタイミングよく塞げば弾けます、切れますって」

「それもいいな。それなら拳銃レベルでも大丈夫か。打つ方も狙いやすいしな」

「じゃあ、そうしようか。優、剣の方は?」

「このゲームの命っすからね。片手剣、両手剣、短剣、刀、細剣、この五カテゴリの中の十種類から、一つ選べるようにしてます」

「お、いいねぇ、テストプレイはいつできる?」

「今から拳銃についてプログラムするんで、明日、遅くとも明後日には」

「じゃあ、そん時は俺がやるわ」

「ええ、お願いします」

 ちなみに、ゲームは二人対戦型、いくつかの剣と銃の中からメインとサブの二つを選んで戦う。ステージはこの学校を少しアレンジしたもの。バーチャルリアリティの世界を十分に感じてもらうためには、この形が一番良いとの考えに則ったものだ。

 九月に入って、噂はまだまだ消えないものの、先輩も気にしなくなってきている。板崎もこれ以上実力行使に出てくることは無く、表面上は平和だ。ただ、この間思い知ったように根は深く、明らかに噂とは違う理由から俺に絡んでくる奴らも多い。どいつもこいつも異口同音に「後輩の癖に生意気だ」とのたまうわけだが。これは先輩には言っていない。言っても何の解決にもならないし、先輩を余計に心配させるだけだ。

 雑念を振り払うように頭を振って、俺はキーボードに手をのせた。


 「バーチャルリアリティゲーム、『スクールバトラー』絶賛稼働中でーすっ!」

渡り廊下から、平松先輩の声が響いてくる。テンションの高い声は、宣伝にピッタリだと抜擢されたのだ。二日間の内、一日が平松先輩、もう一日が牧本先輩のシフトになっている。軽音部も忙しいため、もう一人は来ない。菜々先輩は二日続けて受付。俺は不都合の修正と、一人客の相手。悲しいかな、数人で来ても一人でやる奴がいるせいで俺の仕事は予想以上に多い。十人に一人は一人客だ。

 「現在一時間ほど待つことになってしまいますが、よろしいでしょうか?……はい、すみません。では、順番の一つ前になりましたらこちらの端末が音を鳴らしますので、お手数ですがもう一度ここにお越しください。はい。ありがとうございました」

 先輩の言葉通り、このゲームは大盛況だ。一組十五分ほどだが、常に六組ほどが並んでいる。そんなに長時間並ばせるわけにも行かないので、一昨日から急いで作った自作の端末を渡しているわけだが。これも数が足りない。今も俺が増産しているくらい足りない。

 「いらっしゃいませ。科学部企画、対戦型バーチャルリアリティゲーム、スクールバトラーへようこそ」

こんな噛みそうなセリフだが、先輩は噛まない。その能力は尊敬します。

 「……へぇー、ホントにゲームなんだ。けどさぁ、そこで蹲ってる奴が気に入らないんだけど?」

どうも友好的じゃ無さそうだ。明らかに俺を敵視し、貶めようとしている。……誰かと思えば板崎だった。性格の悪さを隠そうともせずに俺を罵ってきている。

「……すいません、手が足りなくて。手伝ってくれると早めによけられますね」

「はぁ?客に手伝わさせんなよ。お前、どの面下げて学校来れんの?」

一緒にいる男子生徒二人が、ニヤニヤといやらしく笑う。どうも、最後の言葉は俺の噂に対しての発言らしい。気が付かなかった。

「……失礼しました。けどこっちもいっぱいいっぱいでして。気になるのは分かりますけど、我慢してくれるとありがたいですね」

「目障りだって自覚してんならさっさと消えろよな。ま、その肝の太さは分かってたけど」

どうにも我慢の限界が近づいてきた。ただまあ、ここで噛み付けば先輩達に迷惑がかかるわけで。がんばって押さえて、押さえて……

「……分かってるならわざわざ口に出す必要ないでしょう。さすが、幼稚な嫌がらせをする人は脳の出来が俺らとは違いますね」

 無理だった。意地の悪い笑みを浮かべていた板崎の顔が驚くほどの速さで真顔に戻り、次いで無様に歪む。こめかみに青筋が浮かびそうだ。

「はぁ?幼稚とか意味わかんねぇ。そこにいるのが目障りだって言ってるだけだろ」

「わざわざそうやって絡んでくるところが幼稚だって言ってるんです。普通に入ってきて受付するだけなら、俺は視界に入りませんよね?ゲームを終えて帰る途中なら別ですが。さすがにそれくらいは考えてますよ。ああ、それとも『幼稚』って単語の意味が分からないってことですか?それなら図書室にでも行って国語辞典を引いてください」

 よくもまあ、ここまですらすらと嫌味を並べられたものだ。おかげで板崎に顔の歪みがいっそう酷くなってしまった。これ以上はやめておいた方がいいか?騒ぎを大きくするわけにも行かないし。すでに先輩は受付しながらこっちの様子を窺っているし、客もチラチラ気にし始めてる。板崎が引いてくれるといいんだけど。

「……教室ん中見回したらお前が目に留まっただけだし。ホントマジになってんじゃねぇよ。バカみたいだぜ?さすが、脅迫したりする奴はちげーわ」

「……それはあんたが創ったありもしない妄想でしょう?振られたからって彼氏が悪者だと決め付けるなんて、ストーカーですか?それとも自分が主人公だと思い込んでるイタイ人ですか?どっちにしろ関わりたくないですね」

「はぁ?俺が作ったって証拠があんのかよ。ねぇだろ?」

「ありますよ。さすがに腹が立って色々調べましたからね。てか、その発言自体がフラグだってことに気づいてますか?」

「どーせ妄想だろ。言ってみろよ」

 下卑た嗤いが心なしか引き攣っているように見えるのは俺の思い込みだろうか。本当にそうなら推論は当たってそうだ。

「板崎先輩は、菜々先輩に振られたそうですね。その後、先輩の彼氏、つまり俺について散々罵ってたとか。で、しばらくして噂が流れ始めた。これも、板崎先輩が情報元ですよね。動機も十分、状況証拠も残っている。これだけ揃っていれば疑われて当然だと思いませんか?……ああちなみに。菜々先輩が泣いている横で俺が笑っていたのは、先輩が何も無いところで転んだからで、菜々先輩の顔の絆創膏はにきびを隠すためだそうですよ」

「そんだけで俺を犯人だと決め付けたわけか?んで俺にいきなり暴言吐くとか意味わかんねぇ。お前頭大丈夫か?」

「あんたこそ頭大丈夫か?彼女いるのに他の人に告白して、振られたらその彼氏のないことないこと言いふらす。名誉毀損で訴えられたら確実に負けますよ」

無言で俯く取り巻きと、顔を極限まで引き攣らせる板崎。そこで、板崎の持っていた呼び出し端末が音を鳴らした。

「……順番みたいですね。ご案内しますよ」

ヘッドギアが置かれた席に板崎を案内し、座らせる。手早く内側の布を交換し、板崎の頭に被せようとしたところでふと気が付いた。

「そういえば、一人でやるんですか?」

「……そうだよ。こいつらは興味ないんだと」

舌打ちしそうな勢いで告げた板崎に、俺が相手をする旨伝えれば、本当に舌打ちされた。

 「んじゃあ、俺が勝てばお前は土下座して俺に謝れ。名誉毀損だ何だって、お前も同じことしてんじゃねぇか。で、お前の噂を認めて岩波と別れろ」

まだ続けるか。というかセリフが三流以下ですけど。さすがにバカらしくなったから、鼻で笑ってやった。途端に板崎の顔が怒りで燃え上がる。

「な!テメェ、今笑ったな!」

「……今も笑ってますけど、どうかしましたか?」

頬に、衝撃が走った。思わずよろめいて、たたらを踏む。かろうじてヘッドギアは無事だった。危険を避けるため棚に置いて、板崎に向き直る。

「あんた、ホントダサいよな。そんなんでよくモテるよ。世の中節穴ばっかりだ。それとも化けの皮がはがれるとすぐ振られるから、よく彼女が違うのか?」

もう一度拳を振りかぶった板崎に、無我夢中でタックルをかます。全力でぶつかったおかげが、もつれ合って倒れこんだ。

「ッてぇ、テメェ、ふざけんな……!」

「それはこっちのセリフだろうが、クズが。土下座して謝るのはお前の方だろ。何ならお前のスマホ、クラッキングして中身ぶちまけてやろうか?」

「……ッ!テメェ、それ犯罪だぞ!」

「故意に人の犯罪をでっち上げておいて何を今更。それとも、流されてマズいことでもあるのか?」

 ちなみに、一度やった。痕跡は残していない。今の彼女にデートの誘いのメールを出して、その三十秒後に日時と場所、あて先を変えただけの同じ文面を違う女子に出していた。三人くらい。まあ、それがばれればこいつに近づく女子生徒もぐんと減るだろう。ちなみに、同級生らしき男子生徒に送ったメールには、現彼女の不平不満と罵詈雑言が並べ立てられていた。どれも自分勝手だったが。

 言葉につまり、動きを止めた板崎の胴体に馬乗りになって、胸倉を掴む。

「噂の話を言い出したのは、あんたが一番最初だ。サッカー部でだろ?しかも、証拠だと言って並べた話は梅雨に入る前、あんたが菜々に告白する前だぞ。あんたが直接目撃してその推論に辿り着いたなら、噂を流すのはもっと早いはずだろ?推論を立てるのに一ヶ月もかかったなんてバカなこと言うなよ」

「……どうだっていいだろ、そんなこと。てか早くどけよ。いい加減にしねぇともう一回殴るぞ」

「ダッセェな。セリフが三流以下だぜ板崎先輩。力で脅して黙らせる?そんなもの今時小学生でもしないっての。どうだっていい?ふざけてんじゃねぇぞカスが。こっちは現に被害を受けてんだ。知ってるか?菜々は自分のことじゃねぇのに半泣きだったんだぞ?自分のせいだと感じて。テメェが流した噂のせいでだ!テメェみたいな奴はさっさと人間辞めやがれ!ダサすぎて見てられねぇんだよ!」

「テンメェ……もっかい言ってみろ!」

「何度でも言ってやるよ。ダサすぎて見てられねぇから人間辞めてとっとと消えろ!」

 俺を殴ろうと、板崎が両腕をめちゃめちゃに振り回す。大半は俺に当たらず床や壁を殴りつけるだけだが、数発は当たった。いや、掠ったと言うべきか。黙らせる為に掴んだ襟を引き寄せて頭突きをかました。俺の脳みそも揺れている。それはもう全方向に大胆に。

「……いい加減に白状して、すべて取り消せ。全校生徒にあれは嘘だったと話せ。じゃなきゃどうなっても知らないぞ」

「ふっざけんな、何で俺がそんなこと……」

「まだ言うのか?別に俺はいいんだぞ?お前のメールの中身を全部ぶちまけても。痕跡なんて一切残さないでできる。実は一度見せてもらった。あれが晒されればかなりのイメージダウンだよなぁ?いや、針の筵になるか?どっちも面白そうだな?」

 今の俺はかなりの悪人顔だろう。そして、さしずめ俺に馬乗りにされたままの板崎は被害者か。まあ、こいつが先生に駆け込んでも厄介なことになるだけ。そこまでアホではないと信じたい。ここまでやって信じるも何もないが。

「……んじゃ、よろしくな。他のお客さんの邪魔だ、さっさと出てってくれ」

大げさな動作で板崎を促す。好奇と嫌悪と困惑が同じくらいの割合で混ざりあった視線の最中を、すごすごと引き上げていく板崎の背中が見えなくなったところで、次の客らしきカップルに目を向けた。

待っていたカップルは俺の視線に肩を震わせた後、彼氏を前にして俺の案内に従った。

「……驚かないんだねー」

「まあ、慣れてるというか何と言うかだしね」

そんな会話は余所でやってくれ。何となく気温が上がった気がしてくるから。軽い説明をして、カップルの頭にそれぞれヘッドギアを被せた。

「……それでは、お楽しみください」

お決まりの文句を告げて、ゲームを開始させる。廊下の突き当たりと黒板に設置したモニターから、音楽が流れ始めた。

 「お疲れ様でしたー!いやー、終わっちゃいましたねー、文化祭!」

終わって疲れているはずなのに、どうして平松先輩はそうテンションが高いのか。エネルギー機関が俺とは違う気がする。

「そう言えば、部長と牧本先輩は最後だったんっすもんね」

「今更?まったく、優はもう少し周りに気を使いなさい。昨日の喧嘩も、あの後先生に呼ばれたんでしょ?」

「まあ、事実確認と軽い注意だけでしたけどね。先に手出したの向こうっすし」

はぐらかすように軽く流す。実際は噂の話も含めてかなりかかったわけだが。結局は板崎が主犯だということになったため、俺へのお咎めはやり返したことくらいだ。

「ま、もう少し先輩を頼ってもいいんじゃねぇか?俺達もいるわけだし」

「……そうっすね、今度からはもう少し考えます」

「はい、辛気臭い話は終わりでーす!じゃあ、今日は解散で。片付けは、また水曜日に!」

「じゃあ、俺も帰るわ。戸締りだけ、よろしくな、部長」

 先輩二人の足音が、遠ざかって消える。何となく顔を見合わせた俺と先輩は、沈黙が居た堪れなくなって顔を背けた。

「……優、この後、空いてる?」

「ええ、まあ。どうかしたんですか?」

「ん?駅前のショッピングモールにね、打ち上げがてら行かない?」

「いいっすよ」

 立て付けの悪い音を立てて、扉が閉まる。とっくに沈んだ太陽は、未練がましく地平線を照らしていた。


 先輩と、打ち上げという名目でデートを終えた後、家に帰った俺を待っていたのはどうにもげんなりする内容の手紙だった。郵便受けに乱雑に突っ込まれた手紙とも呼べないような代物は、板崎をやっつけて晴れ晴れとしていた俺の気分をもう一度突き落としたのだ。

 内容は至って簡潔。破り取られたメモ用紙に、『一年の癖に生意気だ。身の程を弁えろ』といつか言われたような文章が殴り書きされていた。果たして誰を好いて誰と付き合うかに身の程も学年も関係あるのかと聞いてみたいが、送り主にとっては重大な問題なのだろう。板崎とは違う方向に訳の分からん脳みそをしている。

 ただまあ、この手紙によって、根の深さを思い出させられたのは事実であって。どうにかしなければ、と俺は無駄に高性能な脳みそを回転させた。

 そして、辿り着いた結論。簡単で、滑稽かつ夢物語。けれど、俺になら実現できるかもしれない答え。多少の危険は孕むかもしれないが、それだって利点で掠れて見えないくらいだ。そうと決まれば、さっさと取り掛かったほうがいい。いつもの鞄から設計ノートを取り出して、真っ白なページを開いた。


第七章

 季節は巡り、葉は色づいて落ちた。気温は日に日に低下して、今ではコートが必須だ。

「こんちわー。あれ、菜々先輩来てたんっすか」

先輩はとっくに引退し、受験に向けての勉強に入っているはずだ。科学部も部員が二名に減り、平松先輩が部長になった。とは言え、週に一回はどちらかの先輩が顔を出すが。

「うん、息抜きにね。そういえば、優はもう発明品の発表しないの?」

「今は、大きなものを作ってるんですよ。それが出来上がるまでは、他のは無しです」

「へぇー、どんなの作ってるの?」

「まだ、基礎設計段階なんで言いません。もう少し目処が立ったら、っすね」

「えー、残念。じゃあ、私はそろそろ帰るね」

何しに来たのか分からないほどさっさと帰ってしまう。まだ俺が来てから十五分経ってないぞ?本当に息抜きというか、顔を見に来ただけなのか。もう少しゆっくりしていけばいいと思うのは考え無しというべきか。

 先輩が去って行った後、部室には沈黙が下りる。俺は元々社交的ではなく、しかも設計に没頭する為、会話が無きに等しくなるのだ。二人しかいないのに平松先輩を無視する形になってしまうのは申し訳ないが、会話をしていると作業効率が落ちるので仕方が無いと思って欲しい。

「秋山くーん、コレ、悪いけど起動させてくれない?」

菜々先輩が去って、 時計が半周した頃。不意に上げられた平松先輩の声は、どうやら俺に頼みごとらしい。不承不承顔を上げると、平松先輩は文化祭で使ったヘッドギアの前にいた。どうやら、あれをやりたいらしい。

 「いいっすけど、それ二人用ですよね?」

「ふふーん、お父さんに頼んで、知り合いにCPUを組んでもらったのだー!」

「……ちょっと待ってください。今それ組み込みますから」

まあ、十分もあれば終わるわけだが。

 ゲームを起動させ、軽く手直ししたCPUを組み込むと、平松先輩は即座にゲーム世界へと旅立っていった。これで、俺は存分に打ちこめる。滑らかな立方体に棒を突き刺した機械の設計に。基礎は終わった。計算も確認段階。あとは、材料と組み立てのみ。これなら、冬休み辺りには終わりそうだ。


 予想通り、冬休みに入った頃には最終調整段階へ突入した。普段、親が不在というのはこういうときにありがたい。大音響で何かをやっても、苦情は来ない。まあ、来たとしても無視するだけなのだが。

 パソコンの画面を通り過ぎていく計算式に間違いがないかどうか確認しながら、ふと携帯をみる。目に映ったのは一瞬なのに、着信を知らせるランプに気づいたのは、偶然か。

 とりあえず計算式の移動を止め、携帯を取る。集中するためにバイブレーションまでも切っていたため、無視してしまうところだった。

「もしもし、どうしたんだ菜々」

〈いや、最近話してないなーと思って。息抜きに電話したんだよ。今、大丈夫?〉

「ああ。大丈夫だけど」

〈そっか。クリスマス、過ぎちゃったね〉

「いきなりネガティブな話題だな。けどまあ、確かに忙しかったみたいだな」

〈うん。まあ色々とね。主に勉強だったわけだけど。今度は、いつ会えるかな〉

そこで、沈黙が降りる。このテンションは、勉強疲れなのか、はたまた別物なのか。俺だって高いわけではないから、そこに突っ込むことはしないわけだけど。でもまあ、寂しそうな先輩に、一つ考えを改めた。

 「そうだな……一月十日、午後六時。学校の屋上で待ってる」

〈……分かった。じゃあ、一月十日の午後六時、屋上ね〉

 そう言って、通話は切れる。完成予定は九日だったし、元々十日に決行する予定だった。けど、先輩を巻き込むつもりは無かったはずだが。成功率百パーセントではないことに挑戦する前に、先輩の顔を見て起きたかったなんて理由ではないと思いたい。

 この気まぐれが、後々俺を苦しめるとは知らずに。


 迎えた一月十日。午後五時半。念のためかなりの余裕を持って家を出た俺は、重たい立方体を抱えて、屋上の扉の前に立っていた。前日に調べた番号を打ち込み、暗証番号式のロックを解除する。足で乱暴に扉を開ければ、その先は、フェンスに囲まれた屋上だった。

「……結構寒いな……」

 今日は風が強く、澄み切った夜空と相まって体に突き刺さる。その中心から少し外れたところに、持ってきた立方体を置く。冷え切ったフェンスに寄りかかって、ノートパソコンを開いた。先輩が来るまで後十五分ある。それまでに最終確認でもするか。

「あれ、優も早いね」

と思えば、すぐに先輩も来た。開けっ放しだった扉を潜って、屋上に入ってくる。その寒さに、身を震わせたようだった。

「それで、今日はどうしたの?」

「発明品の紹介。ただ、ギャラリーは菜々だけだけどな」

「へぇー、それは何?」

「聞いて驚け、タイムマシンだ。もっとも、現在から、前後二年しか跳べないけどな」

「へぇー!タイムマシン!で、それでどうするの?」

「俺が、二年前に跳ぶ。そうすれば、俺と菜々は同い年になって、変な嫌がらせをする奴もいなくなるだろ」

「でも、タイムパラドックスとかはどうなるの?」

「俺の理論だと、タイムトラベルをすると、行った時間に存在する『俺』は消え、旅行者である『俺』の存在にすり替わる。つまり、同じ時間に二人の『俺』は存在しないんだ。」

つまり、タイムパラドックスは起きないのだ。

「じゃあ、失敗するとどうなるの?」

「万が一失敗すれば、存在は消える。俺のタイムマシンは一度旅行者の存在を消して、行きたい時間の存在とすり替えるわけだから。その過程で失敗すれば旅行者は元々いなかったことにされる」

タイムマシンの実験中も、今何を送ったのか分からないときが何度かあった。今も思い出せていない。ただ、失敗はないだろう。

「でも、失敗しないさ。何度も実験したんだから。じゃあ、計算の確認するから、ちょっと待ってくれ」

もう一度パソコンの画面に視線を落とす。その向こうで、先輩がどんな顔をしていたのかは見なかった。

「……優は、私と同い年になる為にタイムトラベルするんだよね」

「ああ。そうだな。そうすれば理解できない嫌がらせへの対処も楽になる」

「……そういえば、これ、どうやって使うの?」

「ん?未来ならF、過去ならPにつまみを合わせて、その棒を握ったまま横の赤いスイッチを押すんだ。そうすれば二年前か二年後に跳べる」

何故そんなことを聞いたのか分からないが、まあ使い方を知りたいと思うのは別におかしいことじゃない。なにせ、人類初のタイムマシンなのだ。

 「ねぇ、優。優はさ、私と同い年になりたいんだよね」

「……ああ」

「それはさ、別に優がタイムトラベルしなくてもいいよね」

「……ああ……?」

「じゃあさ、優」

上の空で返事をした後、ようやくその言葉の真意を悟る。俺がタイムトラベルしなくても同い年になれる。それはつまり、先輩が二年後に跳ぶということだ。

 そこで俺は、ようやく気が付いた。先輩が、俺の目的を話してからずっと、俯き加減で悲しそうな顔をしていた理由に。それは、そうだろう。成功率百パーセントではないことに、しかも失敗すれば存在が消えるかもしれないことに、恋人を挑戦させたい人間なんていないのだから。

 パソコンを叩きつけるように地面に置くと、俺は先輩を止める為に駆け出した。設計の都合上、過去と未来どちらにも行けるようにはなっているが、未来の方は万全とは言えない。俺が使用することを前提としているのだ、未来に行く気が無い以上、そちらはどうしてもおろそかにならざるを得ない。確率としては五分と五分。実験だってしていない。そんなものを、先輩にやらせるわけには行かない。けれど、理屈を説明していては、先輩を止めるには間に合わない。俺は、必死で駆け出していた。

 「……優の発明だから……」

決意に煌く瞳が、俺と視線を絡める。その姿へと必死で制止の言葉を叫びながら、俺は手を伸ばした。

「……大丈夫だとは思うけど……」

ダメだやめろダメだやめろダメだやめろダメだやめろダメだダメだダメだダメだ……!

「……ダメだぁッ!」

「……私のこと、忘れないでね?」

限界まで伸ばした俺の指先が、先輩の腕を捕らえる寸前―――――――――――――――――――先輩の姿が、掻き消えた。

 「ああああああああああああああああああああああ……!」


 どのくらい、そうしていたのかは分からない。一分かもしれないし、十分かもしれない。力なく冷たいコンクリートに座り込んでいた俺は、動く気力も無く、ただ絶望と罪悪感に打ちひしがれていた。

「……先……輩……?」

 おかしい。おかしいおかしいおかしい。でも、何で、嘘だ。嘘だろ。嘘だといってくれ。まさか――――失敗した?

 俺は、先輩の名前が思い出せなくなっていた。

恐怖と絶望に突き動かされ、俺は自分の記憶を乱雑に辿っていく。どれもこれもまだ鮮明だが、すべて名前に靄がかかったかのように思い出せなかった。

 「嘘だ……!」

 確認するべく、屋上からの階段を駆け下りていく。失敗なら、成功……なら……?

 その可能性に思い当たったとき、俺の背筋は凍った。腰の辺りから寒気が背骨を伝って頭を覆う。肌が粟立ち、急激に周囲の温度が下がった気がした。

先輩の教室に、転がるように入る。暗がりの中で探した先輩の机は……どこにも無かった。名前が思い出せない以上、感覚でしかないが。それでも、以前聞いたクラスの人数と、机の数がかみ合っていない。三十二個あるはずの机は、三十一個しかなかった。

 教卓に入っていたクラス名簿も、三十一人しかいない。いや、薄れかけた名前が、一つあった。真新しい名前に混じった、消えかけた名前は、見る見るうちに薄くなり、消えた。

 俺の体を、絶望が包む。間違いなく、タイムトラベルは失敗した。先輩の存在は、消えかけているのだ。

 さっき、屋上で見た光景が、フラッシュバックする。先輩の姿は、・・・・・掻き消えた。そう、消えてしまったのだ。実験では、この時間の俺が消えるなんて事はなかった。つまり、先輩も何事も無く二年を過ごせるはずなんだ。なのに、消えた。そして、クラスから、存在を抹消された。もう、学校から消えただろう。明日になれば、世界中から先輩の記憶が、存在したことの証しが、消えるはずだ。もうじき、俺の記憶からも消えるだろう。

 ――――そんなこと、させてなるものか

 タイムトラベルは、まだ成功している可能性だって残っている。何か不測の事態が置きかけているだけかもしれない。根拠の無い、ただの希望的観測。だけど、俺はその残り〇.一割にも満たない可能性にかける。二年後の一月十日、午後六時に先輩が屋上へと現れる可能性に、縋る。

 全速力で家へと駆け戻った俺は、設計ノートの空白に、日付と時間、場所を書き込んだ。たとえ明日明後日で俺の記憶が改竄されたとしても、二年後、もし先輩が現れたときに思い出せるよう。危険に飛び込んだ先輩を、出迎えられるように。


第八章

 「やっぱり、忘れちゃってたかー。そんな気はしてたんだよね」

すべて、思い出した。合わないピースを無理矢理はめ込んでいたような記憶は、正しいピースを加えて完成を見た。感動と驚きに替わって、疑問が頭を覆い尽くす。それを、俺は止めなかった。

「……先輩、でも、どうやって?あの時、確かに失敗したはずじゃ……」

「タイムマシンを起動してすぐ、かなりの衝撃で一度タイムマシンが数分かな?止まっちゃったんだよね。慌てて電源を入れなおしたら動いたんだけど、その時に一回手を離しちゃって。ものすごい勢いで飛んで行くタイムマシンに慌てて掴まったら、その勢いのままここに着地。頭打っちゃった」

 つまり、タイムマシンが止まったこと、もしくは一旦手を離したことで先輩の存在が消えた。ただ、完全に消えるには至らず、印象の強い記憶は残っていた、そんなところか。けれど、そうすると説明がつかないことがある。

 「けど、どうして先輩は消えたんっすか?実験の結果そのままなら、この時間の先輩は何事も無く二年過ごせたはずなんっすよ」

「それって、本当にそうなの?過去に行くときだけだったりとかじゃない?」

……言われてみれば、すべての実験は猫と俺が実験台だった。どちらも過去のことは分からないから、すべて自分が見たものと猫の反応でしか分からないわけだ。つまり、その事象が起きた時の状況についてはっきりとは分からないのだ。俺としたことがパニックに陥って冷静な判断ができていなかったらしい。二年前の自分は猛省だな。

 「……よく分からないっすね……まあ、何はともあれ先輩が戻ってきて良かった」

「もう、また先輩って呼んでる。二年も会わなかったから仕方ないけど、ちゃんと名前で呼んでよ。敬語も禁止。もう同い年なんだよ?」

そういえば、そうだった。今頃、三年の教室には菜々の机と名前が加わっているはずだ。本当に、存在が戻っているなら。この辺のメカニズムは研究する価値がありそうだ。

「分かった。何はともあれ、お帰り、菜々」

「……ただい……ま……」

なんて言うべきなのか見当もつかず、とりあえずそんな言葉をかけてみれば、菜々の目には涙が浮かぶ。いつの間にか引いていた俺の涙と同じように、頬を伝ってコンクリートの地面に染みを作った。

 「……菜々?どうした?」

「……怖、かった。タイムマシン止まったときも、手、離しちゃったときも。このまま消えちゃうんじゃないかって怖くて……全部忘れちゃうんじゃないかって、忘れられちゃうんじゃないかって、思ったら……」

 それは、俺の胸の罪悪感を、後悔を、たたき起こして表面へと浮上させた。俺のせいだ。俺のバカな考えが菜々をここまで追い詰めて、怖がらせて、挙句泣かせている。なんてバカな奴だ。幼稚な結論にしがみ付いて、周りの心配なんて余所に突っ走って。結果色々な人に迷惑をかけているじゃないか。翠も、菜々も。どうしようもなく、バカだ。板崎のことを笑えないじゃないか。

 「……ごめん、全部俺のせいだよな。俺がバカなことしたせいで。ごめん。ごめん」

行き場をなくした感情が、思い余って目尻から飛び降りていく。早まる必要なんてないのに。こんなとき、どういう話をすればいいのか分からない。涙を流して謝り続ける俺は、傍から見れば滑稽だろうな。無駄に高性能な頭は、肝心なときに働かない。

 パニックに陥った結果、俺が取った行動は、菜々を抱き締めることだった。菜々にとってタイムトラベルの時間が長かったのか、短かったのかは分からない。けど、その中で考える時間はあったんだ。そんな時間があっただけでも苦痛だろう。

「……優は、あったかいね」

それは、体温なのか。それとも、心の問題なのか。この寒空に十分以上いるんだ、温かくはないだろうに。きっと、感じ方だろう。

「……なあ、タイムトラベルは、長かったか?」

「……うん。長かったよ。正確な時間は分からなくても、体感的には二日くらいあった気がするんだ」

 それは、きっと気が狂うほどの長さだっただろう。そんなにも長い間、自分が消えるかもしれない恐怖とともに過ごしてきたのだ。人の温もりなんて、一欠片も感じられなかったに違いない。改めて、そんなにも悲しい状況へと追いやってしまった俺自身に、嫌悪と怒りが混ざった獣が牙を向く。それは四方の壁を盛大に引っ掻き、齧り、暴れまわった。それが放たれれば、俺はきっとタイムマシンで二年前に跳び、先輩のタイムトラベルを止めさせ、タイムマシン自体を壊す。けれど、それではダメなんだ。その時間の菜々は辛さを味あわなくても、今、俺の腕の中にいる菜々の辛さは取り除けない。そんなのは自己満足、解決になっていないのだから。

「辛かっただろ、寂しかったよな、怖かったよな。ごめん。俺のせいだな。ごめん」

「ううん、もう、終わったことだから。私は、大丈夫。ね、泣かないで。優こそ、辛かったね。ごめんね」

 菜々を抱き締めたまま、俺は呪文のように謝り、泣き続けた。


第九章

 「……優、落ち着いた?」

涙が出なくなった後も、俺は菜々の肩に顔を埋めて嗚咽を続けた。自分でも、何をやっているのかわからなくなっている。そんな無様な俺に、菜々は黙って背中を擦ってくれていた。ありがたいことこの上ない。もはや、どちらが旅行者か分からないな。まったくもって情けない。

 「……ああ。ごめん。ありがとう」

ようやく上げた俺の顔は、酷いことになっているのだろう。俺と目を合わせた菜々はかすかに吹き出した。

「……ごめんね、ちょっと、どっちがタイムトラベルしたんだかわかんないな、って」

俺と同じことを考えていたらしい。まあ、自分自身でそう思うってことは菜々がそう思わない可能性が低いということでもあり。まあ当然だよな。

「……まあ、ちょっと大げさだったな。けど、俺、菜々の存在が一旦消えた後、学校辞めたんだ。耐えられなかった。記憶はないのに、学校のいたるところで懐かしさとか、寂しさとか、絶望とか、後悔とか、罪悪感とかに苛まれて。色んなところで菜々の面影だけ思い出して。一時的にとは言え存在が消えた人を、そこまで思い出せてたんだから、かなり強い気持ちだったんだろうな」

「何で他人事みたいに言ってるの。学校辞めるなんて、どうするのさ」

「まあ、どうにでもなるだろ。それよりも、菜々が戻ってきたことの方が重要だ」

腕をほどき、真正面から菜々を見る。あまり変わらなかったはず身長は、いつの間にか少し高くなっていた。

冷たくなった手が、俺の頬を撫でる。疑問を視線で伝えれば、菜々は、慈しむような微笑を浮かべた。

「いつの間にか、身長差ができちゃったね。やっぱり、二年後なんだ」

体感的には二日位でも、現実は二年経っている。町の風景も、学校も、家だって、少なからず変わってしまっているだろう。それに適応するのだって、少なくない時間がかかるはずだ。改めて、俺は菜々になんて物を背負わせてしまったんだろうか。

「色んなところが、少なからず変わってる。しばらくは戸惑うだろうな。ごめん。本当なら俺が背負うはずことを、菜々に押し付けちまった」

「まだ言うか。もう終わったことだし、私が自らやったことだよ。優に悪いことなんて一つも無い。私こそ謝らなきゃ。辛い思いをさせちゃったでしょ?」

「菜々が帰ってきたから、それでいい」

再び込み上げてきた涙を押し留めて、俺は屋上中央に鎮座する立方体に向き直った。

「さて、あれは壊すか。二度とこんな思いはしたくないだろ?」

一抹の名残惜しさを感じながら、タイムマシンをフェンスの上に持ち上げ、遥か下の地面へと落とす。数秒後、金属が砕け散る音がした。

「よかったの?」

「もう、目的は果たしたからな。あんなものを保管して悪用されたりしたら責任持てない」

底面に傷がついたノートパソコンを脇に抱えて、菜々の方へと顔を向ける。視線に込めた言葉に気がついたのか、菜々は嬉しそうに笑いながら俺の横に来た。

肩が触れ合う距離で、並んで歩く。突き刺すような冷気は、繋いだ手の温かさに負けて消えた。


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