7.狗、帰る
「キャピッ!」
「ほげぇ!」
どちらがどちらの悲鳴を上げたのかは不明だった。雷鳴の中、声が聞こえた事が奇跡だった。
人々の(神と犬を含む)鼓膜が破れなかったのがミラクルだった。
黒焦げになった人っぽい何かが三つ、前後してドウと倒れる。受け身を全く無視した漢の倒れっぷりである。
「え? 三つ?」
こういう時、モコ助は抜け目ない。間違い探しが得意な犬だ。
もうもうと燻るミカボシとヴァズロックの間に、小さな影が藻掻いていた。
どうやら子供らしい。
「た、大変じゃないの!」
「早く手当を!」
穂乃花と雫が連携し、小さな被害者を現場より引きずり出した。
「あら?」
雫が何かに気づいた。
身長は一メートルもないだろう。幼稚園児程度の体格だ。
上半身に衣はなく、厚地のズボンだけをはいた子供。ワンショルダーの五分丈ズボンだ。
日本ではあまり見かけない革製のサンダルを履いている。子供にしてはサイズが大きい。
しかし、雫が気づいた違和は、そこじゃない。
「あ、あれ?」
頭を抱え上げた穂乃香が違和に気づいた。
「イヌ?」
頭部が犬なのだ。
そして微妙に人間が入っている。
丸顔のコリーと言えば通じるだろうか?
「「か、可愛いー!」」
二人は声をシンクロさせた。
丸顔の犬は小犬に共通するデザイン。よって、大変可愛い。つまり女子受けするモコモコさんなのだ。
よく見れば、全身を茶色い毛が覆っている。
「怪我をしているわ。中に運び込みましょう」
「じゃ、あたしお腹持つから、雫先輩は頭と足を持って……」
雫と穂乃香が大変甲斐甲斐しい。
「二人とも、ちょっと待ちなさい」
待ったを掛けたのは雫の父、真二郎だ。
「この子、人間じゃないよね?」
そのように指摘され、初めて二人は気づいた。自分たちが担いでいるのが人外の生物であることを。
「そう言えばそうね。なんでそこんところに気づかなかったんだろ? 普通、悲鳴の一つでも上げるシーンよね?」
穂乃香が小首をかしげる。
「おいおい、嬢ちゃんたち、ミカどんと吸血鬼が雷に打たれた点で悲鳴を上げてやれよ」
モコ助が突っ込むが、二人の興味は犬型人間から離れない。
「あ!」
その疑問に対し、雫が答えを出した。
「ミカどんやモコ助と付き合ってるから、人外の生物に対する生理的抵抗値が低下しているのよ」
「そうか! 家にも吸血鬼と狼がいるからね!」
納得である。
「納得できねぇ!」
モコ助が割り込んできた。
「黒岩神社のマスコットであるオイラとキャラが被ってんじゃねぇか! ……もとい、こいつは危険だぞ! 雷撃を使う可能性が高い! ってこたぁ、剣使いの雫嬢ちゃんにとっちゃ相性最悪! ここはひとつ、おいらのモコガンガーで――何してくれるかな? オイラは猫じゃねぇんだぜ穂乃香嬢ちゃん」
穂乃香がモコ助の首を掴んでヒョイと持ち上げている。
「へー、可愛い」
「ふっ! なかなか見る目のある美少女じゃねぇか。どれ、雫嬢ちゃん以外の美少女の抱かれ心地でも堪能するとするか」
モコ助は穂乃香の豊かな胸に頬をすりつけている。
「ちょっと待て。おまえ、それ犬だぞ。トイプードルが喋ってんだぞ!」
人の形をした真っ黒けに焦げた物体が穂乃香に話しかけてきた。
それはまるで、雷の直撃を喰らった長身の人物のような消し炭だった。
「キャーッ!」
「キャーじゃねぇよ! 俺は驚いて、犬が喋るのは完全無視かよ! むしろ自然体? どっかいかれてんじゃねぇの?」
ミカボシが、口から煙を吐いた。ベタな点はきっちり抑えるタイプの様だ。
「一番近いのはコボルトである。そやつはコボルトの一種であろう」
ヴァズロックが、涼しい顔で立っていた。体の数カ所から煙を上げたままの姿で足をプルプルさせている。実はすごいダメージを受けているのである。
穂乃花がハタと気づいた。紹介がまだだった。
「あ、先に紹介しておくわ。こちらが吸血鬼ドラキュラ伯爵」
「吸血鬼ではない。我が輩はワラキア伯、ヴァズロック・ボクダン・チェルマーレなのだ。美しいお嬢さん、よろしくお見知りおきを」
ヴァズロックが手を差し出した。モコ助がお手をして答える。モコ助のナイスプレイである。
「で、そこのパツキン獣耳がロゼ。ロゼの横でボーとしてるのが弟の輝。あ、天津甕星と建御名方は知ってるわ。いろいろと利用させて……もとい、お世話になったことがあるの
へー、あんたここに居座ってたの」
穂乃香はコボルトの顔をタオルで拭く片手間で身内を紹介した。
「どういう事よ?」
雫が三白眼でミカボシを睨む。
「いや、アレだよ。ほら、前に異世界へ行く前にアルバイトしてた先で知り合ったんだ。な、タケちゃん?」
いきなり振られたタケミナカタは、露骨に嫌な顔をした。
「うー。まあ、そういうことだ」
まさかそこでロゼにボコられたとは口が裂けても言えない。
「それより、なんで雫さんは騎旗家の面々とお知り合いになったので?」
何とかして話題を変えようとした矢先。
「う、うう……」
コボルトが意識を取り戻した。
「どうしたの?」
「何があったの?」
穂乃香と雫がコボルトの顔を覗き込む。
顔の造りは少年だ。ショタ……もとい、年相応で万人向けに可愛かった。
「……た、頼む」
日本語がコボルトの口から聞こえた。
「……を捜して……」
所々が聞き取れない。
雫はコボルトの額に手を当てた。熱を測っているのだ。
「誰を捜しているの? ゆっくりと喋りなさい」
コボルトはうつろな目を開いた。瞳の色は綺麗なブルー。
そこにいる全員が、コボルトの周りに集まった。
「……天津甕星か、建御名方……」
雫と穂乃香は、お互いの顔を見つめ合った。
「関係者ね?」
「確かに」
二人は揃ってミカボシに目を向けた。白い目を。
「え? 俺? 俺はコボルトに知り合いはいないぞ? タケちゃん系じゃないのか? な、タケちゃん?」
タケミナカタは返事をしなかった。食い入るようにコボルトを見つめていた。
「おい、タケちゃん?」
タケミナカタの表情が激変した。それは泣き顔だった。
「兄上! 兄上ではありませぬか! 何故この様なお姿に?」
タケミナカタは大きな手を伸ばし、穂乃香からコボルトを取り上げた。
「国津神、大国主の息子である建御名方の兄と言えば事代主だが?」
おそらくこの中で一番の知識量を誇るモコ助が解説者として名乗りを上げた。
「ミカどんがいう天国戦争、つまり天津神、国津神の国譲りの際、美保ヶ先沖海上で真っ先にケツを割った大国主長兄の事代主だな? 次にケツ割ったのが建御名方の旦那だ」
モコ助は、容赦ないトイプードルであった。
「建御名方! そして天津甕星まで! 神は我を見捨てなかったか……我は神だけど!」
尻尾を振り回すコボルトことコトシロヌシである。
そしてタケミナカタの腕から飛び降りた。
「ちょっと待ちなさい。あなたはいったいここへ何しに来たの?」
雫がコトシロヌシの後を追って走る。
「我が世界が魔物との戦いで滅びんとしている! 甕星よ、共に来てくれるな?」
凛とした態度。モフモフの犬型人間でなければ凛とした態度。
「え? 魔族? え? ちょっと言ってる意味、わかんねえっすねぇ」
ミカボシが話しについてこれないでいた。だれだってそう言い返すであろう。
「ゆくぞ、甕星! 見よ、これが天の逆手だ!」
コボルトはミカボシの足下にしがみつき、天の逆手を打った。
「へー、ああやって打つのね」
雫が冷静に感心していた。
一天にわかに搔き曇り、直上の雲が紫色の光を放ち始めた。
「アシハラ奥義、異世界転移ッ!」
天より、青白い光の柱がミカボシに向かって降りてきた。
その光に見覚えのあるモコ助は声を限りに叫んだ!
「イカン! あれは異世界を渡る光だ!」
「え、ちょっと待って、みんな見捨てないで! てめぇコト助! 手を離しやがれ!」
「もう間にあわねぇ。全員ミカどんより待避ーっ!」
モコ助がミカボシを見切った。
命と人生の危機。
こんな時、人は、自分が一番大事な物を命をかけて守ろうとする。
壺が大事な者は、身を挺して壺を守る。自分自身が一番大事な者は、我先に逃げようとする。
ヴァズロックは穂乃花の体をそのコウモリマントにくるんだ。
輝はロゼの手を。ロゼは輝の腕を掴んだ。
モコ助は、ミカボシに近寄ろうとする雫の邪魔をした。父、真二郎は雫を突き飛ばし、タケミナカタは雫をキャッチ。バイクの後ろへと跳躍した。
「え? なに? 俺は無視? 見捨てられたの?」
悲しそうな悲鳴を上げるミカボシを中心にして、青白くて太い光の柱が立った。
だが、ミカボシはみんなに見捨てられたわけではなかった。
なぜなら、その柱は必要以上に太すぎたのだ。
つまり、黒岩神社拝殿前にいる十名全員が、円の内に捕らわれてしまっていたのだった。
ヴァズロック、穂乃花、輝、ロゼ。
雫、モコ助、真二郎、タケミナカタ、コトシロヌシ、そしてミカボシが異世界へと渡ったのである。
その日の夕暮れ。
一人の女児が、息せき切って黒岩神社にやってきた。
見た目、どこにでもいる小学生である。
彼女の名は高原キイロ(微乳・10才相当)。
縁あって穂乃花が経営する日室神社に、姉・ヒメコと共に間借りしている者である。
ヴァズロックが居候する神社に住まいする者である。言うまでも無く人間ではない。
「はぁはぁ、異変を感じ取り、様子を見に来たのだが案の定だったな」
彼女は黒岩神社をくまなく捜査し、一つの結論に至った。
「黒岩神社の戸締まりとセキュリティ並びにご近所その他関係各方面への挨拶は、この月読がしかと引き受けた。思う存分、暴れてくるが良い」
非常に面倒見の良い児童である。
「穂乃花がいなくなれば日室神社の経営も正常に戻る。こちらも安心してくれるがよい」
そしてキイロは大きく溜息をついた。
「……巻き込まれなくてホントよかった」
さっきの溜息は、安堵による吐息であった模様。
第1章? 終了です。
いよいよ、次章より異世界入り。
次話「ミカボシ、異世界へ入る」
お楽しみに!