6.やってきた狗(いぬ)
黒岩神社。
創建されたのは千三百年代という歴とした神社である。
そして雫の生家でもある。
昭和に入ってから立て直した拝殿は、それなりに歴史を重ね、良い具合に貫禄が出ている。
雫グループが九尾の狐を倒した翌日の昼下がりである。
頭に血のにじんだ包帯を巻いたミカボシが、黒岩神社の境内を掃除していた。
少し離れた日陰で、モコ助が寝そべっている。
絵面だけで言えば、とても平和な日常、戦士の休息であろう。が、内情は世知辛いものだった。
「おいメコ助、なんで俺だけが罰当番喰らうんだ? お前だって一緒になって騒いでたろ? これって片手落ちじゃね? 俺知ってるよ、これって判官贔屓ってんだろ?」
「モコ助な。よく難しい言葉知ってたな。あれだよお前、日頃の生活態度による判断が如実に表れたって事だぁね。ミカどん、心当たりありすぎで、検討もつかねぇだろ?」
腕を組んで真面目に考え込むミカボシである。
「特にねぇぞ?」
「ミカどん、てめぇ最近雫嬢ちゃん相手に何考えていた?」
「雫の処『ピピー』を破くこと……かな?」
「それが最大の案件であることと同時に、道徳的に大いなる齟齬が生じているという事に早く気づけ。……お!」
モコ助の耳がピンと立った。そしてミカボシを放って駆けだした。
「嬢ちゃーん!」
鳥居の向こうから、制服姿の雫が歩いてきたのだ。
彼女の通う学校の制服は、やけに腰の細さを強調したブレザーである。
モコ助は、雫の胸に飛び上がった。雫はモコ助の顔に頬をすりつけている。
「ちぃ! 言ってる事とやってる事がちがうだろ! どこが道徳的な生活態度だよ!」
ほっぺたを膨らませるミカボシである。
「おい雫、今日は早いな。サボりはよくないぞ!」
「バーカ! 今日は進路指導日だから、進学しない子は早いのよ」
雫が睨むと三白眼になる。大変怖い。
「大学へは行かねえのか?」
「進学系は私学がほとんどよ。そんなお金ないし……。だいいち退魔師として生計立ててるから、大学進学なんて無駄無駄無駄よ」
雫は、モコ助を抱きかかえたまま、ミカボシの前を通り過ぎる。
「……金なら、俺が働いて工面してやるよ」
雫の歩みが遅くなった。
「俺って神様だよ。無駄に能力高いよ。ちょっと出稼ぎに出れば、お前を大学へやらせることなんかラクショーだぜ!」
ゆっくりと雫が振り返る。
彼女の頬は、ピンク色に染まっていた。目が泳いでいる。
「あ、あのさ、ミカボシ……」
「そこまでだミカどん!」
モコ助が甘い空間に介入した。
「ミカどん、てめぇ、どこへ出稼ぎする気だ? 業種は何だ? 簡単で良いから答えてみな」
「えーと、第一希望の場所は中近東。希望業種は傭兵かな?」
雫の顔からピンク分が消えた。
「第二希望は?」
「場所は高天原。業種は押し込み強盗。あれ? 雫、どこ行くの? 今良い話してたのに!」
揺るぎない視線のまま、雫は母屋へ向かって歩いていく。
「ミカどん、てめぇ雫嬢ちゃんと中身のある会話したかったら、もうちっと道徳と生活態度を鍛えろや!」
モコ助はペッと唾を吐いたのち、これ見よがしに雫の胸に甘え始めた。
「ぁんの野郎! いつかブっ殺してやる!」
「ああ、ミカどん。お掃除ご苦労様」
ミカボシが竹箒の折れ曲がり強度の限界に挑戦した時、後ろからもっさりした声がかかった。
ミカボシが振り返ると、髪に白髪の交じった初老の男が立っていた。
買い物帰りなのか、手にエコバックをぶら下げた、目の細い男は雫の父、志鳥真二郎である。
「ぬ、相変わらず後ろを取るのが上手いな」
「よしてくださいよ。ミカどんと同じで、褒められるのは苦手でして。あ、そうそう、もうじきお客さんが来るので、ミカどんも拝殿に入ってください。それじゃまた後で」
真二郎は、こう見えて結界術の第一人者である。言い返そうとしたミカボシの気を遮る事ぐらい簡単なのである。
「うぉおおおっ!」
ミカボシは、竹箒で石灯籠に斬りつけた。
「あ、直しておいてくださいね。雫にばれたら怒られますから」
綺麗な切断面を見せ、斜めにズレ落ちる石灯籠を押さえに入るミカボシであった。
制服のまま、雫が拝殿の上がり口に腰掛けていた。
モコ助は、護衛よろしく雫の脇でお座りしている。
「お客さん、遅いね」
のんびりとした口調の雫。目は遠い山のてっぺんを見つめている。
「初めての人にはややこしい場所だからね」
真二郎は空に遊ぶ小鳥を眺めていた。
「今さらなんだが、殺生石で刀を研いだらキレが半端なくなる気がしなくなくね? 砥石として売り出したら、儲かるぜ!」
「そうですね。殺生石は近づくだけで死んじゃいますからね。劣化ウランを砥石として売り出す方法があれば、それも現実的なんですけどね」
商売人の顔をして話しかけるミカボシ。タケミナカタは、オーストラリア逆輸入タイプのVMAXを整備しながら適当に答えていた。
「タケちゃんとこの父ちゃん、元気してるか?」
「……。オオクニヌシでしょ? 鷹野町で海の家と民宿経営してますよ」
「兄ちゃんのコトちゃんは、相変わらず連絡なしか?」
「……。コトシロヌシでしょ? 天国戦争のどさくさで異世界へ行ったきりですよ」
「あいつ、真面目なんだけどな。天然だからな。真面目で天然キャラ。面白いヤツだった」
「一緒に悪い事をした仲間でしたからね。……兄さんだけ善悪の区別ついてなかったけど」
遠くを……たぶん異世界に見つめているミカボシとタケミナカタである。
そんな平和なお昼過ぎであった。過去形で書いたのは、平和だったのが過去となるからだ。
遠くからエンジン音が聞こえる。
黒岩神社の鳥居をくぐって、一台の車が黒岩神社の境内に侵入してきた。
車に反応して鳥居が発光するとか、仕掛けられた迎撃システムが発動するとか、そんな非日常的な事柄はおこったりしない。
ライト下に修理後が目立つだけの、ごく普通の4ドア小型乗用車なのだから。
金髪の少女が運転する、黄色いスイフトである。
スイフトは拝殿手前の、三台しかとめられないこぢんまりとした駐車スペースに頭から突っ込んで停車した。
四つのドアが一斉に開いた。
「穂乃香、そなたのナビゲーションが不確か故の大遅刻である。責任を取って詰め腹を切るのだ!」
「何言ってるの! あたしだったからこの程度の遅れで済んだのよ!」
「姉ちゃん、単に道が重なってる的な所からじゃぁ高速道路には乗れないんだよ」
「完全にオービスで撮られてますからね。罰金は経費として認めてもらいますからね!」
巫女装束の少女、狩衣姿の少年はいいだろう。神社に似つかわしいスタイルだし、客人としても不思議はない。
こちらの獣耳と獣尻尾のメイドさんと、吸血鬼のガイジンさんペアはいかがなものだろう? およそ神社に似つかわしくないものの五指に入るはずだ。
「どもー! 初めましてぇー! 日室神社の騎旗穂乃香とそのご一行さんですぅー」
猫の皮を三枚ばかり被った挨拶をする穂乃香である。
ミカボシもタケミナカタも、モコ助でさえポカンと口を開けていた。
「ようこそ黒岩神社へ。ここの娘で志鳥雫と申します。どうぞよろしく」
全く動じない雫が、右手を出した。
同じく右手を出して握手をする穂乃香。
「あの有名な雫さんっすか? 双剣の雫っつったら、このギョーカイ初心者のあたしでも知ってますよ!」
「いえ、そんな……」
頬を赤らめる雫。まんざらでもない様子。
さすが穂乃香である。ヨイショさせたら日本一だろう。
それ以前に生き方の下手な雫など、生き方のプロである穂乃香の手にかかれば、赤子の手を捻るより簡単であろう。
「コホン!」
黒マント黒タキシード姿のヴァズロックが、これ見よがしに咳払いをした。
「穂乃香よ、この見目麗しきお嬢さんを我が輩に紹介するのだ!」
ピッと音を立て、ヴァズロックの右手に深紅の薔薇の花が現れた。
「きさまっ! 吸血鬼!」
止まっていた時の中で動きだすミカボシ。耳の棒ピアスを引き抜いた。
「む? 何者だ? 自慢じゃないが、我が輩は女子に友達はいても男子の友人は一人もいないのだ」
吸血鬼然としたヴァズロックは、マントを引き寄せ、手足の間合いを隠した。
「俺様を知らねえとは言わせんねぇぞ!」
「だから知らぬと……その背高のっぽさん! その棒ピアス! まさか! その方、悪神ミカボシ!」
ヴァズロックの右腕に装着する様な形で巨大何かが「発生」した。
それは、全長一メートルあまりの長大な銀の銃。
長方形を基調とし、細かいレリーフが刻まれた美術品そのもの。しかし、そこから発生する「気」は見た者に絶対的な死を暗示させる。
「させるか! カカセヲっ!」
銀の棒ピアスが爆発した。現れたのは長大なランス状の矛!
「よかろう。こないだのケリを付けてくれるのだ!」
ヴァズロックが砲身より青い炎を吹き上げる銃を構える。この距離だ。外しはしない。
「それはこっちのセリフだ!」
ミカボシが構えるカカセヲの表面が螺旋を描いて爆発。同時に根元から炎を吹き上げ、一気に回転しだす。
二つの力は巨大な物。これがぶつかれば、この辺り一帯は荒野となろう。
誰もがそう思った。そこにいる誰もが思考を停止した。
その瞬間である。
雷が二人の頭上に落ちたのは!
次話「狗、帰る」
第一章というか、現世編というか、紹介編は次回で終了です。
日曜日と月曜日は、作者取材旅行wのため、更新をお休みいたします。
22日更新予定です。