1.天津甕星サイド(現世)
平野部と山の境目。
人の住む場所と、人の住まない場所の境目。人の地でもモノの地でもない場。
そこで――。
狐と犬が向かい合っていた。
狐の体躯は虎並みである。全身を銀毛で覆い、二本の尻尾が生えている。
犬はココア色のトイプードルである。テディベアカットが愛らしい。
妖しく燃える銀の双眸と、クリクリのつぶらな瞳が見つめ合っていたのだ。
普通、小犬であるトイプードルが、狐による捕食行動の前に震えているものだが、この場合はちょっと違っている。
トイプードルが物怖じしていないのだ。
おまけに――。
「おいおいぉぃ、たかが数十年生きただけで、経立の大先達たるオイラに楯突こうって算段じゃねぇだろうな?」
モコモコのトイプードルが妖怪狐に説教を垂れていた。
「二千百九十九年早ぇえっつんだよ。おう、聞く耳持たねぇって面してやがんな! 上等だこのやろう。かかってきな! オイラの九ミリパラペラムバレットパンチ・モード=サヴァイヴ・エボリューショ――」
「フッ、まだいたか」
トイプードルが喋っている間に、銀狐の額が石榴のように赤く爆ぜた。
全身黒ずくめの大男が、血に濡れた大刀をひっさげて現れる。
「これで八匹目だ」
「おいおい、オイラの見せ場を勝手にさらっていってんじゃねぇよ! テメェが国津神だろうが、闘神タケミナカタだろうと、ぶちのめしてやんよ、この筋肉ダルマが!」
モコモコのトイプードルは、血と脳症をぶちまけながら全身を痙攣させている銀狐に目もくれず、横合いから手を出した偉丈夫に、言葉で噛みついた。
「モコ助よ、いい加減口を閉じろ。貴様、ミカボシの相方でなければとっくに真っ二つだぞ」
モコ助と呼ばれる小犬に噛みつかれたタケミナカタは、レイヴァンの向こうで鋭い目を光らせる。
分厚い胸板。広い肩幅。首回り98㎝。それでいてスリムに見えるのは、身長185センチに及ぼうかという高長身のためだ。
後ろに撫で付けた黒い髪。漆黒の革ジャンに同色の革ズボン。編み上げブーツという出で立ち。絶対に夜の繁華街で目を合わせてはいけないタイプ。
そんなのが、刃渡り1メートルを超える、鉈にしか見えない大刀を手にしていた。
太陽は高い。森は青く、むせ返るような生命力を放出している。
その空気を吸ったモコ助は、言葉に変換して吐き出した。
「心外だな。オイラがミカどんの相方ってところが心外だ。オイラはミカどんの外付け理性発生装置を自負しているが、相方だなんて一度たりとも認めたこたーねぇぜ! むしろオイラより遙かに付き合いの長ぇえテメェのう方こそ相方にふさわしいだろうが! なんなら商標登録して全国に知らしめてやろうか?」
「確かにそれは嫌だ。相方と言ったことをお詫びして訂正する! ……そんなことより先を急ごう。雫さんが心配だ!」
相手に乗るといつまでも喋っているトイプードルをいなし、タケミナカタは、雑木林へと踏み込んだ。
彼はクールな大人キャラだった。
「ちっ! 嬢ちゃんを持ち出されたら黙らざるをえねぇ。命拾いしやがったな、タケちゃん」
「タケちゃん言うな!」
いつもの冷静さをかなぐり捨て、小犬に噛みつく国津神・タケミナカタであった。
彼は、国津神・建御名方神。出雲大社に眠る大国主の御子神。国津神最強の闘神その神である。
なにゆえ、トイプードルの経立と、国津神の闘神がつるんでいるのか? それには深いわけがある。その話は、別の機会に譲らねばならない。
志鳥雫。
彼女は十七になったばかりの少女である。黒い艶やかな髪は肩で揃えられている。純白と朱色に分けられた清楚な巫女装束がよく似合う。
疎らな木々の間に、幾重にも太陽光が斜めに差し込んでいた。
森の葉の色を反射して、辺りは緑一面に染まっている。
エルフがひょっこり顔を出してもおかしくない幻想的な風景。そして、現に幻想的な生物が雫に顔を向けている。それが生物と呼べるのならば。
「ガルゥウウアァ!」
咆吼が大地と大気を震わせた。
それは四本の尻尾を生やした巨大な四足獣。
牛ほどもある体躯を誇る金狐が、雫の前で牙を剥く。口から飛び散った涎が、白い煙を上げて石くれを溶かしている。
恐るべき超妖怪、四尾の金狐。
雫は妖狐を前に、一欠片の恐れも抱いていない。
雫の手には武器がある。
前に掲げた左手には、銀光眩しき直剣。体に這わした右手には、菖蒲の葉に似た諸刃の長刀。
双剣の雫。それが退魔師である彼女の通り名だ。
ジリっと音を立て、にじみ寄る。
「わたしを憶えているかしら?」
雫の目から殺意が溢れ出ている。切れ長の目がより暴力的印象を強めている。
「知らんなぁ」
妖狐は左目で雫を睨みつけていた。狐の右目は潰れている。古い傷だ。
「その潰れた片目を作った原因なら憶えているかしら?」
ずいと、左の剣の切っ先を潰れた目に向ける。
「おう、おうおう、おう! 憶えているとも! もう十年も前になるか。いやもっと前か? あの時のガキか? 母の死体にしがみついていたガキか!」
1つだけ残された金狐の目に、血のような赤い光が灯る。そしてぶれた。
「キサマの母御に潰されし眼。この目が恨みを忘れようかぁっ!」
凄まじい妖気が金狐の体から風となって吹きだした。金狐の体も一回り膨れ上がっている。パンパンに膨れあがった四本の尻尾を扇のように開いて威嚇した。
恐怖そのものと化した妖狐。だが、雫は一切の感情を露わにしていない。
顔色は白にも赤にも染まらず。結んだ唇はゆがみもせず。ただ、僅かに右の剣を上げただけ。
「そこにいたのか雫さん! 助太刀するぜ!」
タケミナカタが走ってきた。
「嬢ちゃん! 相手は相当な古狐だ! ここはオイラに任せろ!」
トイプードルのモコ助が、雫の前に飛び出した。
そして叫ぶ!
「グリフォンよ、来ーい!」
モコ助の首輪に仕組まれた赤い宝石が光を放つ。オリハルコン製の6つの聖獣が飛んできた。それぞれにパーツへと変形。モコ助を中心に、合体シークエンス開始である!
新たに現れた敵に、金狐が目を奪われていた。
雫はそこを逃がさない。
「はっ!」
小さな気合いと共に、鋭い踏み込みを見せる。左の剣を水平に構え、突っ込んでいく。
「そんな、なまくらでぇっ!」
金狐が牙を剥くも、僅かにタイミングがずれた。
雫が払った左の剣はフェイント。右の剣が逆袈裟で金狐の肩を切り裂く。
「グギャン!」
金狐は体を丸めて飛び退った。
「任せろ!」
タケミナカタが足にバネを溜める。
「手を出さないで!」
雫は、タケミナカタを一声で制し、すたすたと金狐のとの間合いを詰める。
「そ、その剣はぁぁーっ! クサナギのぉー!」」
金狐の目は恐怖の色を浮かべている。
雫は右手の剣を中段に構えた。
「そう、草薙の剣。あなたを切り裂ける武――」「グガァッ!」
雫の態度を隙と見たのだろう。金狐がノーモーションで噛みついてきた。
それも予想の範疇。とばかりに、雫は左手の剣を無造作に突き出した。
金狐は突き出された剣をその牙で噛み砕いた。……かに見えた。
剣は砕けず、代わりに金狐の牙が砕ける。金狐の目が驚愕に歪み、そして光を無くした。
金狐の首が飛んでいた。
雫が持つ草薙の剣が綺麗な円を描いていたのだ。
軌道は違うが、先ほどと同じ逆袈裟の技を二度繰り出した。ナメているのではない。余裕の表れであった。
「え? もう終わり?」
モコ助を中心とした、五体のメカによる合体の最中だったのだ。