第七章「長崎」
高氏は得宗家の館で待っていた。
いつものように高時から呼び出された、というわけではない。呼び出してきたのは、長崎高資である。
……はて、一体どのような用件か。
高氏と高資の間に、私的な繋がりはない。とすれば公的な要求であり、この情勢下であれば出兵の要請かもしれない。
ところが、やって来た高資が告げたのは別のことであった。
「足利殿。そなた、得宗殿に何を言うた」
ぶしつけな質問だった。いくら高資が権勢家であるとは言え、足利の当主に対して随分な態度である。
これには高氏も機嫌を損ねた。
「何を、とは?」
「とぼけられるか」
「とぼけるも何も、何事かの説明もなければ、お答えしようがございませぬ」
言われて、高資は言葉を詰まらせた。よく見ると顔が紅潮しており、肩肘が張っている。
「得宗殿がわしと父の暗殺を企てたことは、そなたも知っているであろう」
なんだそのことか、と高氏は内心鼻を鳴らしたい思いだった。
「おそれながら、長崎殿は、私が得宗殿に何事かを吹き込んだと仰せられるのですか」
高氏は人を憎む心は薄いが、不意に感情的になるときがあった。このときも話し方にそれが出ている。
当然高資はしかめっ面になったが、拳を震わせるだけで物を言わない。
「まさか、内管領殿の御言葉とも思えませぬな。我ら足利一門、望むのはただ土地の安堵だけでございます。つまらぬことに口を出して滅びるつもりはございませぬ」
「控えよっ」
さすがに怒りが抑えられなくなったのか、高資は短く叫んだ。
高氏もはっと驚いた素振りをして頭を下げたが、内心はさして反省していない。
「面を上げられよ、足利殿」
しばらくして、感情が落ち着いたのだろう。高資は気弱な声を上げた。
……これは意外な。
顔を上げた高氏が見たのは、権勢家とは思えないほど弱々しい表情をした高資の姿である。
奢り高ぶる相手には怒りを見せる高氏だが、人の弱いところを見ると急に心がしぼんでしまうらしい。もう一度頭を下げた。今度は反省の念もある。
「すまないな、足利殿。少し、疲れているようだ」
「存じております」
「いや、そなたには分かるまい。わしは、主に憎まれておるのだ」
さぞ無念そうに、高資は呟いた。
確かに、主に恨まれた者の心境というのは、高氏に理解出来るものではない。
「おそれながら、得宗殿は悔しいだけなのでは」
「悔しい、とは?」
「御自身の手で政務を取り仕切りたい。その思いが強いのだと思います」
つまり、高資が一歩引いて、高時をきちんと立ててやれば良い。そうすれば、少なくとも高時と高資の間にある問題は解決するであろう。
「それは出来ぬ」
しかし、高資は頭を振った。そこだけは譲れない、と言いたげである。
「得宗殿は腰が弱い。我ら親子の言うことに正面から逆らうことも出来ぬ。それで、どうして御家人たちと渡り合っていけようか」
御家人たちは北条一門を快く思っていない。それは成功者への妬みであるとも言えるし、主君の席に居座ったような格好でいる北条への憤りもある。
しかしそれ以上に深刻なのは、元寇以降の問題であった。
北条の力が強化されたばかりで、御家人には恩賞が少なかったことがそれである。これは、攻めてきたのが海の向こうの大軍である以上、どうしようもない。
武士の恩賞とは土地である。防衛戦では土地を獲得出来ないので、恩賞として与えられるものがなかった。
元との戦いは半ば運で勝ったようなものだから、誰もが向こう側まで攻めようとは思わなかったであろう。
唯一恩賞を与える方法があるとすれば、北条一門の所領を分け与えることだったが、それは難しい。なぜなら、いつまた海の向こうから敵が攻めてくるか分からず、そのとき武士たちを率いるために、北条は統率者として力を保持しておく必要があったからである。
ただ、その後の侵攻は今のところない。
人々の心の中には、いつかまた攻められるかもしれない、という意識と同時に、もう来ないのではないか、という意識があった。そんな中、海の向こうに対する備えは続いており、そのことは御家人たちへの負担となっていた。得をしているのは北条ばかりではないか、と思う者も少なくない。
ついでながら、鎌倉幕府の軍事行動は、各武士の自己負担という形式だった。総大将である鎌倉が面倒を見てくれるわけではないのである。
そうした事情もあって、鎌倉への風当たりはかなり強くなっていた。
特に近年は安藤氏の乱もあり、鎌倉から人心が離れつつある。
そのようなときに、高時のような弱腰の君主ではどうにもならない、というのが高資の考えであるらしい。
「北条は強くあらねばならぬのだ。そうでなければ、鎌倉そのものが崩れてしまう。そうなれば、武士はまた公家どもの郎党に戻らねばならぬ」
確かに、高資の理屈は分からなくもない。ただ、その理屈が通る時代は終わったのだ、という気もする。
「だから安藤の両氏から賄賂を受け取ったのですか」
とは言わない。それを口にすれば、高資がどのような反応を見せるか分からない。
……人がいないのだ。
少なくとも、鎌倉の支配者である北条一門に、この時代を乗り切れるだけの傑物がいない。
高資に反発した北条泰家などは、気骨はあるが、それだけだった。高時は指導者として弱すぎるし、長崎高資も周囲の心をくみ取るだけの器がない。義兄として高氏と親しい関係にある守時は、そもそも立場が弱すぎる。
しかし、それ以外でならばいる。
例えば高時の側近である佐々木道誉。あるいは、鎌倉設立期より続く結城一門の一人、 宗広 。
足利の中でも、次郎や師直は優れた人物であると言えよう。
鎌倉初期ならば、こうした人々が中心となり、一丸となって鎌倉維持に努めたのかもしれない。それが出来なくなったのは、鎌倉が北条一門によって牛耳られたからではないか。
同年八月。
ついに、「帝の御謀反」と呼ばれる事態が起きた。今度は計画だけのものではなく、実際の挙兵である。
日野俊基らの捕縛によって身の危険を感じた後醍醐天皇は、鎌倉方の隙をついて 笠置山 に脱出、そこで挙兵したという。
二度目の計画発覚ということもあり、正中の変の頃と比べても、後醍醐天皇の動向に余裕が見えない。
その戦力は鎌倉と比べるほどのものでもなく、数だけで見るなら後醍醐の悪あがきとしか言えなかった。
しかし、天皇という存在は日本において重要な意味を持つ。
高氏の時代より後、戦国時代や江戸時代であっても、支配者の正当性は天皇が授ける、という形式が残り続けた。その正当性を持つ者が、鎌倉に対して挙兵した。それは、鎌倉という組織が逆賊という扱いを受けたということに他ならない。
実力では鎌倉が圧倒的だが、正当性は天皇が勝る。対応を誤れば、一気に鎌倉が瓦解する可能性もあった。
「そなたにも軍勢を出してもらいたい」
そう言ったのは高時である。他にも、この場には北条一門や御家人たちなど、鎌倉の要人が揃っていた。
皆表情は険しい。天皇と戦うということに重圧を感じているのだろう。
高氏は高時に頷いて見せたが、本当は気乗りがしなかった。それどころか、理由をつけて断りたい、とすら考えていた。
……わしは何を頷いておるのだ。
と、頷いてから後悔して眉間を押さえる始末である。
「浮かぬ顔をしておるな」
軍勢を送る取り決めが終わった後、退去しようとした高氏に声をかけてきたのは結城宗広だった。
以前、足利氏と「どちらが格上か」ということで揉めた、あの結城氏の一族である。
結城氏の本家は下総にあるが、宗広は分家筋の方であった。彼の所領は陸奥白河にある。
「帝に矢を向けるのは気が進みませぬ」
高氏は正直な気持ちを打ち明けた。後醍醐天皇その人を知っているわけではないが、天皇という高貴な存在に対する畏怖心はある。鎌倉は以前にも天皇方と争ったことがあるが、高氏個人としては、当時の鎌倉方の人々の胆力に恐れ入る思いであった。
「さして気にする必要はなかろう」
宗広は落ち着いている。
「帝の手勢は僅か。大軍で押し囲めばそれで終わりであろう。我らが弓矢を持つことには、おそらくならぬ」
「だと良いのだが」
高氏の声は沈む一方だった。
「他にも何かあるのではないか、足利殿?」
「父上の容体が悪化しておるのだ」
貞氏は昨年から、家のことを高氏や次郎に任せて隠居生活を楽しんでいた。ところが今年に入ってから容体優れぬ日が続き、五月頃にはとうとう倒れた。
その後何度か持ち直したりしてはいるが、もう長くはなさそうだった。
そのせいか、このところ高氏は気分の浮き沈みが激しくなっている。
次郎は毅然としていて立派なものだったが、高氏はその点、あまりしっかりしていない。
「ゆえに此度の出兵、本当ならば断わりたかったのだ」
「それは」
宗広は周囲を見渡した。
誰かが聞いている様子はない。
「足利殿、それは口にせぬ方が良い。どう取られるか分からぬぞ」
注意を受けて、高氏は曖昧に頷いた。
ともかく、頷いた以上出兵はする必要がある。ここで前言を翻せば、足利殿謀反の心あり、と取られかねない。
鎌倉はいつになく神経質になっているのである。こういうときこそ、進退を誤らぬよう気をつけねばならない。