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荒波の将軍  作者: 夕月日暮
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第四章「正中」

 高氏が鎌倉に出仕するようになってから三年経ち、 元亨(げんこう) 二年(一三二二年)になった。

 日々は緩やかに流れている。

 しかし、遠くから大きな波が押し寄せてきそうな予感は、高氏の中から消えなかった。

 この頃になると、西の方にいる後醍醐天皇の存在を高氏も意識するようになっていた。高氏だけではなく、鎌倉の者たちは皆注目している。

 本来、後醍醐の天皇就任は一時的なものであったという。

 後醍醐は大覚寺統だが、嫡流ではなかった。嫡流は後醍醐の兄の子であり、その子が幼かったために後醍醐が即位した。そうした事情ゆえに、兄の子が相応の年齢に達したときは譲位しなければならなかった。さらには父の後宇多上皇が院政を敷いており、後醍醐はほぼ飾り物になるはずだった。

 それが、即位して間もない頃から動き出し、昨年ついに上皇の院政を取りやめ、自ら親政を行うようになった。記録所と呼ばれる昔の行政機関を再興し、位階の高低を問わず有能な人材を集め、積極的な政治を始めたという。

 飾り物どころか、帝自身が前面に飛び出して各方面に指示を出すようになったのである。

「今の帝は、なかなか我の強い御方らしい」

 貞氏は複雑そうに言った。これ以上混乱を大きくしないで欲しい、という思いがあるのだろう。事実、朝廷内でも後醍醐の姿勢に戸惑う公家は多く、持明院統だけでなく、後醍醐自身が属する大覚寺統までもがその動向を警戒し始めているという。

 双方の不安は、後醍醐がこのまま天皇家の嫡流の座を得ようとするのではないか、ということだった。

 持明院統に皇位を譲らない可能性は高く、大覚寺統の嫡流である兄の子に譲位をしない可能性も十分にあった。

 そういう匂いが、後醍醐天皇にはある。鎌倉にまでその匂いは漂ってきていた。

「北の方も問題は深刻化してきている」

「先日、安藤又太郎殿が参られたようです」

 貞氏と向かい合いながら、高氏は『北の問題』のことを思い浮かべていた。

 問題とは、津軽地域を治めている安藤氏のことである。

 津軽は北条氏の領地であり、安藤氏はその代官だったらしい。つまり、鎌倉の将軍に仕えた御家人ではなく、北条氏に仕えた御内人ということになる。

 この安藤氏が、代官職を巡り一族で揉めていた。

 争っているのは、現代官の安藤又太郎 季長(すえなが) と、その従兄弟にあたる安藤五郎三郎 季久(すえひさ) である。

 詳しい経緯は分からないが、人づてに聞いた限りでは、剛直でやや強引な又太郎季長の政治に一族内から不満が高まり、五郎三郎季久が担ぎ出された、ということらしい。

 両者の争いはここ何年か続いており、解決する気配もない。放置しておけば大事になる、と誰もが思い始めていた。

 当時、日本から見れば未開の地である蝦夷の人々は、朝廷や幕府になびくこと薄く、両者の間には問題がよく起きた。津軽はその蝦夷と接しており、国境付近の要地の一つでもあった。加えて北条氏の領地である。北条氏にとっては、早急に解決すべき問題であった。

 安藤又太郎季長が鎌倉にやって来たのは、執権である高時に呼び出されたからであろう。

 もっとも季長は高時に対して簡単な挨拶を済ませたのみで、その後すぐに内管領長崎高資の元に向かい、長時間話し込んだという。

「長崎殿はどのように事を裁かれるのでしょうか」

「筋を通すならば、安藤又太郎殿を代官に留めおくべきであろう」

 又太郎季長は不正を働いたわけではない。与えられた職務は忠実にこなしているのだ。罷免する理由はない。

 不満を訴えている五郎三郎季久一派をどのように静めるか。それによって長崎高資の手腕が見極められる、と貞氏は考えているようだった。

「私には、なにやら嫌な予感がいたします」

 高氏は長崎高資の顔を何度か見ている。

 いつも眉をひそめて相手の懐に視線を向けてくる、という印象があった。はたしてあの目で、物事を公平に見ることが出来るのであろうか。

 この一件に失敗すれば、蝦夷への防衛線は崩れ、北条氏に権威は一気に失墜するであろう。

 もしそうなれば、足利氏はどう動くべきなのか。


  正中(しょうちゅう) 元年(一三二四年)。

 その日、高氏の屋敷に奇妙な男が訪ねてきた。

 山伏の格好をしているが、身体つきは華奢である。本物の山伏ではなさそうだった。

 正規の客でもない。どこからか忍び込んできたのだろう。

 門番たちは男には気づいていないようだった。

「足利の御当主とお見受けしたが」

 そう声をかけられたのは、厠から出てきたときのことだった。

 庭の片隅に、その男が立っている。

「何者か」

 言いながら、周囲を見渡した。

 どうやら男は一人らしい。

「名は言えぬ。さる御方の命により、そなたにこれを届けに来た」

 言葉の中に訛りがある。

 ……こいつ、公家か。

 腹が痛む。

 あの公家と対面したときと似た感覚だった。

 男が懐から出した書簡を受け取り、その中身を見て、高氏は息を呑んだ。

「これは、まことのものか」

 高氏は何度も読み直した。しかし内容が変わるはずもない。

 その書簡に書かれていたのは、後醍醐天皇から高氏に宛てられた、討幕への誘いであった。

 事が大きすぎる。

 高氏は厄介者を見るかのような視線を男に向けた。

「足利殿は、朝廷の内実は御存知か」

 山伏は不躾にこちらを見上げてきた。態度の端々に尊大さが見え隠れしている。公家ゆえにそうなのか、それともそれほどまでに高い身分の者なのか。

「知っている」

 近頃、後醍醐天皇は己の野心を前面に出すようになってきた。大覚寺統の傍流という立場に満足せず、自らの血筋を天皇家の本流に据えようと動き始めたのである。

 朝廷では、後醍醐が己の子を皇太子にしようとしている、という評判が出始めた。持明院、大覚寺の両統はこれを警戒し、鎌倉の力を借りて別の皇太子を立てることに成功した。

 こうした一連の動きに、後醍醐は強く反発した。

 彼の野心の一つは、天皇という存在を古の頃のものに戻そうというものであった。即ち、絶対君主としての天皇である。

 それを理想とする彼にとっては、両統が交互に即位していくという現状は 憤懣(ふんまん) やる方がないものであっただろう。しかも、自らの手でそれを一つにまとめようとした矢先、鎌倉の介入によって動きを封じられた。

 鎌倉憎し、である。

「帝はこの国をあるべき形に戻そうとされておられる。だが、鎌倉殿がいる限りそれは出来ぬと考えたのだ」

 後醍醐の野心を妨げているのは、確かに鎌倉の存在だと言える。

 鎌倉は天皇家が二つに分かれたことの一因である。また、現在も鎌倉は朝廷のことに関しては現状維持で良い、という考えを持っていた。後醍醐には鎌倉が、大覚寺と持明院の背後にいる総大将のように見えているのかもしれない。逆に言えば、鎌倉さえなくなれば両統が後醍醐に抗する術はない、ということになる。もしも後醍醐が鎌倉を倒せば、天皇家は一つにまとまるであろう。

 ……しかし、無謀だ。

 後醍醐は皇位に就いているとは言え、朝廷すべてを掌握しているわけではない。仮に掌握出来たとしても、朝廷と鎌倉の力の差は歴然であろう。現に鎌倉時代前期、朝廷は一度鎌倉に敗北している。さらに、そのときから鎌倉は、朝廷を監視するための『 六波羅探題(ろくはらたんだい) 』を設置している。いわば朝廷は既に丸裸にされているようなものであり、後醍醐が動かせるのはその頭部ぐらいしかない、という有様だった。

 天皇直々の誘いであっても、このように無謀な計画に加担する気にはなれない。

「せっかくですが、私に出来ることはありませぬ」

 高氏は恭しく頭を下げ、男に書簡を返した。男はぎらりと高氏を睨みつけてくる。

「帝の御意志に従えぬと?」

「これに従うのは帝の御為にもなりますまい。この度は辛抱されることこそ肝要かと」

 今帝が立っても、鎌倉にはまず勝てないだろう。鎌倉に不満を持つ土豪が多少は味方するかもしれないが、多くの武士は自分と同じように動かないはずだ、と高氏は思っている。

「今は蝦夷のことで鎌倉も揺れている。この機を逃すのはいかがなものか」

「失礼ながら、あまり長居せぬ方がよろしいかと」

 これ以上この男と話すつもりはなかった。

 あまり長々と接していては、なし崩し的に帝の味方につくことになりかねない。今はまだそのときではなかった。

 男は不満そうに眉を寄せたが、高氏は意に介さずに立ち上がって背を向けた。

 ……とうとう来たか。

 以前、あの公家が言っていたことが事実になった。

 朝廷は、少なくとも今の帝は足利を味方に引き入れようとしている。またあの男が現れる可能性もあるし、他にも様々な工作を用いてくるかもしれない。それによって鎌倉から目をつけられることも、覚悟する必要がある。

 ……とにかく、家を守ることだ。

 足利氏は、今の時点でも大勢力である。あれこれと考えて下手に動くよりは、じっとしている方が良い。

 今の勢力を維持することさえ出来れば、道はいくらでも開けるであろう。


 高氏の予想通りの結果となった。

 山伏風の男が現れてから一月程経った頃、足利の屋敷に『帝御謀反』の知らせが届き、それから程なく、事件の顛末も知れた。

 後醍醐天皇は六波羅探題の監視を逃れるため、無礼講の宴会をし、その中において同志たちと討幕計画を練っていたという。計画に加担していたのは後醍醐や彼の一派に属する公家たちだけではなく、美濃を本拠とする 多治見(たじみ)土岐(とき) といった武士層も関わっていた。

 太平記では、この土岐氏の元に嫁いだ女性が夫から計画のことを聞き、これを無謀と思ったのか六波羅探題に属する父に密告、それによって事が露見したとある。

 事態を把握した六波羅探題の動きは速かった。多治見、土岐といった武士は屋敷を囲まれて討ち死に、あるいは自害に追い込まれた。公家の中では、日野 資朝(すけとも) や日野 俊基(としもと) といった後醍醐の側近が『首魁』とされ、六波羅探題の手で捕縛されたという。

 その後、天皇側は鎌倉に対する釈明を行い、結果的に後醍醐は赦されることになった。

「馬鹿馬鹿しいものだ」

 高氏の前でそう呟いているのは、北条高時であった。

 こうして高時に呼び出されることは、そう珍しいことではなくなっていた。特に高時は、高氏に対して度々縁談を持ちかけてくる。佐々木高氏の言うように、足利氏を味方につけておきたいと考えているようだった。

「帝御自身が首謀者であることは間違いない。誰もがそれを分かっておる。しかし誰もそのことを言わぬ。帝というのは、あってないようなもの、ということかな」

 高時は他人事のように話す。

 今回の事件の沙汰も、実際は内管領の長崎高資が行ったのである。高時の意見は空気のようなものであり、用いられるのはその名ばかりであった。

「日野もあわれなものよ」

 日野資朝、俊基の両名はともに後醍醐によって抜擢され、その期待に十分応える働きをしてきた。討幕計画の一件ばかりが目立ってしまうが、平時の政治手腕も高く、有能な公家であったと考えられる。それが、あっさりと切り捨てられたような形になった。

 俊基は赦されて京へと戻ったが、資朝は佐渡島へ流された。これからは、常に鎌倉の監視下に置かれることになるであろう。

「わしは、面白くない」

 危機を未然に防いでおきながら、高時の顔色は一向に冴えなかった。

「特に何が出来るわけでもなく、ただ執権という座に置かれておる。そこからは見たくないものまでいろいろと見えてくる。見えるだけで、それをどうすることもわしには出来ぬ」

 高氏はその愚痴を聞きながら、ふと帝のことを思った。

 後醍醐と高時には共通項がある。高い身分にありながら、その権力に大きな制限をかけられている、という点だ。

 違うのは、行動力であろう。高時は何もせず、こうして愚痴をこぼしている。後醍醐はその現状に満足せず自ら動いた。今回は失敗したが、帝はまた動くであろう。そう思わせるものが、後醍醐にはある。

「おそれながら、なにゆえ帝を御赦しになられたのでしょう」

「また物でも貰ったのではないか」

 長崎高資のことである。

 また、というのは安藤氏の一件のことで、これも高時を憂鬱にさせる一因となっているらしい。

 安藤氏の問題は安藤又太郎季長と五郎三郎季久の代官職争いであったが、長崎高資はこのとき双方から賄賂を受け取り曖昧な対応をしたため、かえって紛争が激化し、未だに解決する気配がない。

 問題の火種は何一つ消えていない。もしかすると、高資や高時にはそれがまったく見えていないのではないか。


 正中二年(一三二五年)。

 高氏は暇を見つけては遠乗りに出るようになっていた。

 鎌倉の御所にはあまり近寄らないようにしている。何かと息詰まることが多くなってきたからである。

「殿は近頃、馬の扱いが上手くなりましたな」

 隣で馬を走らせながら、 高太郎師直(こうのたろうもろなお) が闊達な声をあげた。足利の家で代々執事をしている家柄の若者で、年は高氏よりも二つ上であった。馬の扱いが巧みであるため、よくこうして遠乗りに連れ出している。

「次郎はどうだ、太郎?」

「御舎弟はまだまだにございますな」

 主家の者に対しても、師直は遠慮がない。

 高氏も彼のことは、家臣ではなく『仲間』として見ていた。変に気兼ねする必要もなく、話しやすい。遠乗りによく連れ出しているもう一つの理由がそれだった。

「だからか。昨日は大分疲れているようだったが」

「細かいところに気を遣いすぎなのです。だからいらぬ疲れを抱え込むのでしょう」

「わしはないな、そういうことは」

「その通りでございますな」

 互いに軽口を叩き合いながら、原野を駆け抜ける。

 こうしているときが一番気持ちいい。

「殿は足元を見られませぬなあ」

「うん?」

「今、空を見上げておられたようですが」

「ああ」

 確かに見ていた。

 関東の原野と、そこから見える青空の風景。どこまでも広がっていくような有り様が、高氏は好きだった。

「次郎がいたら、足元を見ろと小言を申すであろうなあ」

 それを想像して高氏は笑い声をあげた。師直も一緒になって笑う。

 しかし、それからさほど経たないうちに、高氏は馬を止めた。遠目に村落が見えたのである。

 この辺りは北条氏の所領だった。

「見ろ、太郎。民も田も飢えておる」

 村落の周囲にある田地は、まだ夏であるにも関わらず、半ば荒地のような有様であった。僅かな作物を育てている人々も、皆痩せこけている。

 近頃、東国の農民たちは飢えること甚だしい。下級武士たちの間でも食糧不足が問題となっている。

 そのくせ、鎌倉の有力武士層、特に北条一派の御内人たちは豊かな暮らしをしていた。

「取り立ての厳しさは増す一方のようだな」

「戦がありますからな。民に残る兵糧はほとんどありますまい」

 戦とは、安藤氏の件である。

 この年、とうとう鎌倉は代官職を又太郎季長から五郎三郎季久に移した。しかし今更と言えば今更なこの沙汰に、季長が納得するはずもない。彼は一族郎党を率いて、先頃得宗家に対して反旗を翻した。安藤氏の内紛が、鎌倉に対する反乱にまで悪化してしまったのである。

 鎌倉の威信は大きく落ちることとなった。当然この段階になっては鎌倉も本腰を入れざるを得ない。

 又太郎季長討伐のための軍が編成され、奥州へ向かったのがつい先日のことだった。幸い高氏ら足利氏は少数の兵と食糧の提供を命じられただけだったが、北条氏の所領では軍備のために、いつも以上の兵糧徴発が行われ、民の中には餓死する者が少なくなかった。

「戦を作ったのは内管領であろう。それでなぜ民が苦しまねばならん」

「さて、それは」

「誰のための鎌倉だ。内管領のためのものか、北条のためのものか。おかげでこうして苦しむ者が出てくる。おかしい話だとは思わぬか、太郎」

 高氏は珍しく饒舌になっていた。

 目の前に広がる貧しい風景。これを知っている人間が、鎌倉の中にどれほどいると言うのだろうか。

「殿、それは寿康丸様の……」

「言うな」

 寿康丸は、昨年生まれたばかりの高氏の子であった。

 母親は北条氏の領内に住んでいた女性だった。農家の一人娘だったらしいが、飢饉のせいで両親は既になく、女一人で田を守っていた。

 特別な美しさはなかったが、力強さを感じさせる女性だった。そこに惹かれ、高氏は彼女の元に通うようになった。

 それから間もなく子が宿った。

 高氏はいいきっかけになると考え、彼女を屋敷の近くに呼ぼうとした。

 彼女の土地は既に死にかけており、とてもではないが生活を続けられるものではなかった。しかし彼女は高氏の誘いを再三固辞した。両親が守ってきた土地を捨てることは出来ないのだと言っていた。

 それからしばらくして、寿康丸が生まれた。

 彼女は亡くなった。

 そのときはじめて、北条が憎いと思った。

「雲行きが怪しい。雨が降るかもしれん。戻るぞ、太郎」

 高氏は馬を返した。

 師直はその後に黙って従う。

 草の香りが風に運ばれてくる。

 清々しくて気持ちいいはずなのに、少しだけ悲しくなった。

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