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荒波の将軍  作者: 夕月日暮
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第二十章「建武」

 あれから、尊氏は再三襲われた。その都度警備の人数を増やしたが、刺客は隙をついて迫って来た。警備の一人が刃を手に躍りかかって来たこともある。

 眠れぬ日が続く尊氏の元に、事の真相を探っていた高師直が顔を見せた。

「おそらく大塔宮が黒幕でありましょうな」

 部屋に入るなり、どしりと腰を据えて師直は切り出した。

「宮自身は強く否定されておられるようですが、周囲の人間は皆信じておりませぬ。まあ、無関係ということはないでしょうな」

「だろうな。帝は新政の建て直しにかかりきり、それ以外の都人がこのような強硬策に出るとも考えにくい。かと言って、北条の残党がここまで入り込んでいるということもありえない」

「左様にございます。要するに、大塔宮以外、殿をこのように襲う理由を持った人間がいないということです」

「証拠は出たのか?」

 さして期待はしていないが、尊氏は一応尋ねてみた。が、師直は頭を振る。

「あったとしても、宮に同情的な何者かが消しておりましょう。捕えられた者どもも口を割る様子はないと言います」

「宮は好かれておるな」

「それ以上に殿が好かれておるのです。ゆえに嫉妬しておられるのですよ」

 若干皮肉げな表情を浮かべて、師直は鼻を鳴らした。

「要するに宮は殿に集まっている武士の人気を自分の方に寄せたいのです。それが叶いそうにもなく、むしろ朝廷内での人気すら落ちる始末。焦って強硬策に出るのも無理からぬことでしょうなあ」

「師直、適当な人間を内裏にやって、此度の件を訴えておけ」

 尊氏は短く言い捨てた。師直は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに得心して出て行った。

 近頃は神経質になっているのか、何かあると苛々する。大塔宮の窮状を面白そうに語る師直に、尊氏の眉は震えていた。

 どうかしている、と自分でも思う。

 大塔宮は尊氏にとって政敵だ。その窮状は歓迎こそすれ、怒りに震える必要などない。

 そのはずなのだが、

「哀れなものだ」

 呟いてから、尊氏は自分の頭をぴしゃりと叩いた。

 残暑が厳しい季節だ。手のひらには、べったりと汗がついていた。

「本当に、どうかしている」


 それから日々が過ぎて行った。

 直義は京に残る尊氏を案じつつも、親王を連れて鎌倉に下向した。同じように親王を連れて陸奥へ向かった宗玄こと北畠親房、顕家ら親子よりも四ヶ月程度後になっての出立である。

「兄上、大塔宮にはお気をつけください」

 出立の前日、直義は憂い漂う表情で何度もそう注意した。

 既に大塔宮は窮鼠同然となっている。尊氏が師直に不機嫌な面を見せたあの初秋の日から程なく、大塔宮は「武家からの信薄し」として征夷大将軍を解任させられていたのである。

 そうなると、朝廷内の事情に疎い下級武士たちも、大塔宮の立場が悪化していることを察し始める。先行き危うい大将になどついていけぬと、大塔宮の元から離れる者も増え始めていた。

「この状況で大塔宮がおとなしくなればよいのですが、あの御方にそれは期待できないでしょう。用心に用心を重ね、相手が隙を見せた瞬間に反撃していかねばなりますまい」

 どんなに追い詰められていても、大塔宮は今をときめく後醍醐天皇の皇子だ。先の乱での功績もある。無理に攻め立てては、こちらが足をすくわれかねない。

「嫌なものじゃな、次郎。わしは釣りは得意ではない。狩りの方が向いておる」

「そこを辛抱していただかねばなりませぬ」

「分かっている。わしの行動はわし一人のものとは取られぬ。足利全体の総意になってしまう。慎重に動かねばならぬことは百も承知よ」

 それでも、こうして弟と向き合っているときぐらいは愚痴を言わせて欲しかった。近頃は神経質になっているし、いつも一緒に行動していた直義が遠い鎌倉へ行ってしまうとなれば、相応の心細さも生じる。

 そんな尊氏を、直義は危ぶむような目でじっと見ていた。が、翌日には予定通り出発した。

 鎌倉に行ってからも、兄弟の間では手紙のやり取りが絶えなかった。それによれば、直義は北条政権と似たような方式で彼の地を治めているらしい。まさしく、以前直義が言っていた"小さな鎌倉政権"だ。

 鎌倉から北、陸奥にいる北畠親子も似たようなものだった。表向きは顕家が責任者として統治を行っているが、そこには宗玄の意向が絡んでいるに違いない。彼らは国司と名乗り、庶務の発給文書を国宣とし、自らが朝廷の役人であることを明確にしていた。一方の直義は、かつての北条高時や赤橋守時と同様執権と呼ばれ、発給文書も鎌倉式の御教書を用いた。これは完全な"幕府方式"であり、この一事だけでも大塔宮、そして後醍醐は顔をしかめたはずである。

 が、両者の違いは形式的なものでしかない。どちらも朝廷の臣として統治を行っているが、やり方は北条政権の方式を採用している。

 ……このままこれが全国に広がればよいのではないか。

 鎌倉や陸奥の動向を耳にするにつれて、尊氏はそんなことを考えるようになっていた。

 全ての中心には天皇がいる。その下に幾人かの有力者が集まり、各地を好きなやり方で統治するのだ。統治者同士で問題が起きたときは朝廷が裁定役を買って出ればいい。そうすれば朝廷の威信も保たれるし、朝廷の干渉を嫌う各地の武士も満足だろう。

 京にいる天皇がこの国すべてを治めるのは難しいし、天皇権力を否定すれば、武士を抑える者が消えて皆が好き勝手に争うようになるだろう。戦国乱世の到来である。

 ……もしかしたら、宗玄様はそのような世の中にせぬようにと、懸命に動いておられるのではないか。

 後醍醐に媚びへつらうばかりの廷臣とは違い、宗玄からは、何か確固たる意志が見て取れる。それはぎらついていて時に恐ろしくも映るが、決して醜いだけのものではなかった。

 それは後醍醐や大塔宮も同じだ。皆、己の理想を持ち、そのためならどのようなことでもする、という強さを持ち合わせている。

 ただ、今はそれが噛み合っていない。どのような世を目指すのか、という構想が皆ばらばらなのだ。

 ……やはり乱は避けられぬかな。

 今のところ、宗玄は後醍醐のやり方に難色を示しつつも、大塔宮と連携して独自の道を歩んでいる。大塔宮はそうした陸奥からの支援で、どうにか首を繋いでいる状態だ。

 後醍醐もそうした動きは承知している。今は好きにやらせているが、己の力がより増した暁には、どう出るか分からない。

 彼らに共通しているのは、尊氏への警戒心だ。せっかく起こした新政権、また元通り武士の世にはしたくないと思うのは当然だ。

 尊氏にそのつもりがあろうとなかろうと、この新政権に不服を唱える武士たちは、棟梁である彼に期待をする。その期待こそが、乱の原因となる。

「わしがおとなしく朝廷に従うと言っても、向こうはそれを信じず、武士たちからは失望される。板挟みじゃ。そうなれば武士の棟梁は新田の小太郎にでもなるのかな。意気盛んな新田軍と戦えば、我らは滅亡する他ないか」

「でしょうな」

 師直はにべもなく言った。

「そもそも、殿はまだ朝廷に未練がおありなのですか?」

「ある、ような気もする。わしは武士だが、無用の戦をしようとは思わぬ。乱世が来ないに越したことはない」

「殿が朝廷に属していれば乱は起きぬ、と仰るのなら、それは違うと申させていただきましょう」

「分かっておるわ。どのみち、いつかは武士どもの不満が爆発する。この新政権は武士の力なくしては出来なかった。なのに、朝廷はこれを天意としている。武士の力などいらなかった、とでも言いたげよ。自らの働きを無視されては、武士として黙ってはおられまい」

「そのとき、殿はどちらを取ります」

 武士か朝廷か。

 尊氏は熟考した。いい加減な答えで済ませてはいけない気がした。

 やがて、ためらいがちに答えを口にした。

「————武士、だな」

 それしか足利が生き残る道はなさそうだった。今の状況を省みても、足利が朝廷に歓迎されていないことは明らかだった。態度に出すだけならともかく、今は実際に命を狙われているのである。それは大塔宮の意志であって朝廷の総意ではない。ただ、尊氏を助けようという者がほとんどいないことも確かだった。

 朝廷は力を持ち過ぎた武士を嫌う。その筆頭が足利なのだ。おとなしく臣従すると言う獅子を側においても、普通の人間には安心できまい。隙を見て殺さねば安心出来ない。それと同じことだ。

 ならば、獅子は多くの獅子を従えて己の道を行けばいい。

「もっとも、それは内々のことだ。動く機会を見誤れば我らは破滅ぞ」

「承知しております」

 分別顔で師直が頷く。ただ、その顔はわずかに紅潮していた。尊氏が朝廷ではなく武士を選んだことが嬉しかったらしい。

 ただ、次の一言でその喜びは霧散した。

「朝廷は北条のようなものと思えばよい。時が来るまでは上手く溶け込んでおいた方がよい。ただ、帝は別だ」

「別、ですか」

「北条も帝と戦をしたことはあるが、殺しはせず流罪に処しただけで終わった。なるほど、朝廷を離れ武士の世を作るとしても、この国に帝は必要だ。もっとも、政務は我々に任せていただきたいところだが」

「今の帝で、それは難しいでしょう」

 天皇による独裁体制を渇望し、幾度もの陰謀の果てに北条氏を滅ぼした人だ。お飾りになることなど許容しないだろう。

 それが尊氏にとって悩みの種でもあった。個人的には、あの帝は嫌いではない。時には醜くも映る強さに、憧れを感じるときもある。英雄とはあのような人のことだ、とさえ思う。

「どうせ飾りものにするなら、木像でも彫っておけばよろしいではないですか。仏と同じように」

「帝は人ぞ」

「また隠岐にでも行ってもらえばよいと思いますがね」

 帝に対し尻込みする尊氏が、師直には歯痒くてならないらしい。「御免」と不貞腐れたように頭を下げると、足早に出て行ってしまった。


 尊氏も、帝に対しては情が残っていたが、命まで狙われた以上、大塔宮に対しては強気に出るようになった。公家衆は相手にしていない。面倒なだけで、意味がなかった。

 まずは都の警察機構とも言える検非違使を自派に取り込もうとした。大塔宮が尊氏を暗殺しようとしているのは周知の事実だが、証拠がない。証拠がなければ動けぬという帝の言葉を受けて、尊氏は何が何でも尻尾を掴んでやるという気になっていた。

 また、阿野廉子の元にも頻繁に使者を送った。大塔宮を邪魔だと考えている廉子は、この件に関してだけは利用できる。向こうも同じような腹積もりでこちらと手を組み、目に見えぬ形で大塔宮を包囲しつつあった。

 年が明けて元弘四年(一三三四年)になると、廉子の産んだ親王である恒良親王が皇太子に選ばれた。彼は北畠親子と共に陸奥へ向かった義良親王、直義と共に鎌倉へ向かった成良親王の兄である。新政後の廉子の立場からすれば、恒良親王が皇太子に選ばれることは、当然のことといえる。

 これで康子の子は、陸奥、関東、そして京において重要な役職を占めるに至った。後醍醐にとっても、東日本の要所に自らの皇子を配置することは、権力増加に繋がる。新政を安定化させるための第一歩と言えた。もっとも、親王たちがいずれも飾りものでしかないということを、多くの人間は察していた。

 また、それからほどなく元号が改められた。建武という。王権の簒奪者である王莽を打ち倒し、後漢を建国した光武帝が最初に用いた元号である。

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