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荒波の将軍  作者: 夕月日暮
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第十章「決心」

 高氏は予定通りに鎌倉を出た。予定通り、人質として登子と千寿王、竹若丸を預けての出陣だった。

 さらに、目付役もいた。名越高家という北条派の武将であり、彼もまた高氏と同規模の軍勢を任されている。表向きはそうではないが、高氏への牽制役であることは間違いない。高氏が鎌倉を裏切るならば、まず彼と戦うことになるであろう。

「さすがに、都合良くはいきませぬな」

 次郎は嘆息していた。既に苛立ちは見えない。もはや北条のことを、完全に敵と見たからだろう。敵として北条を見るならば、高氏に対する警戒は徹底していて見事とも言える。

「しかし、久々の京は楽しみでございますな」

 現在、高氏たちは京付近に留まっていた。鎌倉を進発した時点では、河内の楠木正成、伯耆の後醍醐天皇のどちらを攻めに行くかが明瞭ではなかった。京で新たに命令を受け、その上でどちらに向かうかを決める予定だった。

 師直は以前京に来たとき、関東にはない独自の文化に惹かれたようであった。関東にも鎌倉という一大政権は出来たものの、文化の中心は京にあったのである。東侍はまだまだ田舎者であり、彼らは京に憧れを持っていた。

「太郎は京が好きか」

「そうですな。面白いものが沢山あります。特に女子がよい」

「控えよ太郎。今はそのようなことを話しているときではない」

 次郎が苦々しげに注意した。生真面目な次郎と奔放な師直は、よくこうしたやり取りをしていた。間に挟まれる高氏はいつも仲裁役である。

「まあ良いではないか、次郎。あまり張り詰めていても仕方あるまい」

「今は大事なときですぞ」

「分かっている。だからそう口に出すな」

 何度も言われると、高氏としても緊張してしまう。何か事を起こすなら、出来るだけ重圧を感じない状態で動きたかった。

「ところで次郎、赤松円心はどうだ」

「動きませぬ。先の戦いの傷が、まだ十分に癒えていないのでしょう」

「今は虎視眈々とこちらを窺っておるということか。怖いのう、西の赤松、東の佐々木」

 高氏はおどけて言ったが、その言葉はどうとでも取れるもので、彼の心が大きく揺れていることを表していた。赤松軍は朝廷方だが、佐々木は鎌倉方である。両方を警戒する必要は、本来ならばまったくない。

 もっとも、佐々木の動きも妙なものだった。一族の宗家でもある六角の当主時信は六波羅探題に出仕している。しかし、高時の側近となったことで力をつけた道誉はと言うと、この頃はひどく消極的になっていた。高時は道誉を鎌倉に呼び戻そうとしたが、彼はそのたびにあれこれと理由をつけては、近江から離れようとしなかった。

「佐々木道誉はいかがなさると思いますか」

「分からぬ。あの男の考えはわしにも読めんわ。ただ、先の頃帝が隠岐に流されたとき、警護役を務めた者の中には、あの男の名があった」

 だからどうとは言わないが、後醍醐も道誉も癖の強い人間である。両者が一時期近くにいたというだけで、様々な憶測が浮かんでくる。ちょうどその頃から道誉が鎌倉と距離を置き始めたとなれば、なおさらである。

 道誉はすぐ近くにいる。彼のいる近江は京のすぐ隣なのである。琵琶湖などもあり、政略、戦略上の要所と言えた。

 近江は佐々木一族の領地だったが、本家当主は六波羅に出て留守にしているため、道誉が事実上の領主となっている。彼の存在は大きく、無視出来るものではなかった。

 高氏は腹の底で北条を見限っていた。しかし人質に取られた妻子のこと、すぐ近くにいる道誉の動向などを考えると、行動に踏み切れない。

 総大将として態度を明らかにしない高氏を、次郎だけでなく、師直、それに他の一族の者たちも歯がゆく思っていたであろう。

 しかし、他の誰よりも歯がゆかったのは、高氏自身だった。


 京に入る前夜、高氏の元に客人が訪れた。

 二人の坊主である。そのうちの一人は道誉だった。

 不意に訪れてきたわけではない。事を起こす前に道誉と話をつけておきたいと考えて、高氏が呼び寄せたのである。もう一人の坊主も同様だった。

 高氏は自室に二人を招き入れていた。次郎や師直はいない。彼らに対しては、一人の男として対峙したいと高氏が考えたからである。

「よくぞ参られた、道誉殿。それに赤松殿も」

 高氏がその名を口にしても、道誉はさして驚かなかった。かすかに笑って"赤松殿"を見ただけである。

「まさか足利の御大将に呼ばれるとは思いませんでした」

「わしも、本当に来てくれるとは思わなかった。赤松殿は剛胆じゃ。見習いたいものよ」

 改めて言うまでもなく、高氏は赤松円心の剛胆さは知っていた。京付近の者たちなら皆知っていることである。

 円心は播磨の悪党として活動していたが、その裏ではすでに朝廷との関係を作っていたようである。円心の子の一人、則祐は大塔宮の側近となっていた。後醍醐天皇の皇子である大塔宮は、父が捕らわれている間も鎌倉討伐を諦めず、各地に令旨を発しながら戦っていた。円心は息子の則祐によって届けられた大塔宮の令旨を受けて決起したとされている。

 それまでは慎重だった円心だったが、一度挙兵すると凄まじい勢いで京に迫った。鎌倉の軍勢を破ったこともあり、ついこの間は六波羅にまで攻め込んだのである。楠木正成が守りの要なら、赤松円心は攻めの要だった。

 また、後醍醐天皇や名和長年が挙兵した伯耆の国は、円心の本拠地である播磨から近い。また、楠木正成や大塔宮が奮戦を続ける河内とも近かった。円心は両者の間にいたこともあり、連絡役をも担っていたようである。

 鎌倉からすれば危険人物に他ならない。そして、高氏は今のところ、まだ鎌倉の人間である。よくぞここまで来た、という思いが高氏の胸に湧き上がった。本当に来るとは、あまり思っていなかったのである。

「某は剛胆ではありませぬ。ただ惜しむほど価値のある命を持たぬだけでございます」

 悪党と呼ばれる者たちは無頼漢のように見られることが多いが、円心は物静かな坊主のようだった。隣であぐらをかいている道誉の方がよほど悪党らしい。

「日野様と会われたそうで」

 円心は静かに高氏の目を見て言った。日野と名乗る人物に会ったことはないが、それらしき山伏に会ったことはある。高氏は黙って頷いた。

「あの御方は某のところにも参られた。剛胆というのは、あのような方のことを言うのでしょう」

「確かに、日野殿は不思議な御仁であった。己が地位への執着よりも、理想に殉じることを良しとした」

「武士からすると阿呆にしか見えませぬな」

 道誉が茶化すように言った。円心はそれに反発する様子を見せず、むしろ同意の素振りを見せた。

「左様、確かに阿呆。しかしその阿呆も、命を賭して世に揺さぶりをかけてみせた。某も揺さぶられた一人にございます」

 その日野――俊基の方である――は、先年鎌倉で処刑されていた。後醍醐天皇の二度目の挙兵に、鎌倉は強硬姿勢で挑むとしたのである。既に捕えられていた俊基、資朝たちを生かしておく理由はなくなった。

 高氏は結局、日野俊基としての彼に会うことはなかった。しかし、その生き様は胸のうちに残っている。

「今、わしも揺れておる。俊基殿か、帝か、楠木か、それとも赤松殿か。わしを揺さぶるものは得体が知れぬ」

「時代の流れでございましょう。某はそれに流され続けているだけです」

 円心はあくまでも謙虚な姿勢を崩さない。道誉のように、時折鋭い視線を投げかけてくることもなかった。このような人物が、一度は六波羅へ肉薄した。確かに時代の流れであろう。

 もっとも、その流れを作り出しているのは人間だった。多くの人々が己の理想、生存、権威を賭して動いている。それがより大きな流れを生み出しているのだ。

「わしはその流れに呑まれたくはない。かと言って、ただ流れに乗るには背負うものが重すぎる。難しいところじゃ」

「回りくどいのう、足利殿。この面子を揃えた時点で、もはや胸中は明かしたようなものではないか」

 道誉が不敵な笑みを浮かべる。それを見た瞬間、高氏にもこの男の腹の内が分かった。

 高氏も、ここでようやく本心を明かすことを決めた。

「道誉殿、わしは心細くてな。北条は統治者としての能力を失っている。これ以上あの者どもの支配を耐える自信はない。かと言って、足利だけで起ち上がっても敗北は必須。頼れる味方が欲しい」

「頼れる味方と言うと」

「そなただ」

 高氏は笑って言った。そのように返されるとは思っていなかったのか、道誉も少し目を丸くしている。

「別に足利の傘下に入れと言うわけではない。いつ見限ろうとも構わん。ただ、今だけでいい。わしに味方すると言って欲しいのだ」

 頭は下げない。ただ、高氏はまっすぐに道誉を見続けた。

 道誉はしばらく考える素振りを見せて、

「人間の口というものは、腹とは別に出来ているものでござる」

 と言った。まだ高氏の言葉を前面的に信用したわけではない、ということか。

 しかし道誉は、暗くなりかけた高氏を見て、快活に笑い飛ばした。

「行動で示しなされ。さすればこの佐々木判官も、行動で応えましょう。もし足利殿が動かぬのであれば、今宵のことはなかったことにしましょうぞ」

 道誉は慎重な男だった。味方をするとは明言しない。それでも、彼の言葉からは、高氏への厚意がはっきりと感じ取れた。

「赤松殿。船上山におわす帝から令旨を受けたい」

 鎌倉から離れるにしても、単独で決起するのは愚策だった。また、高氏も独立政権を打ち立てようという野望は、このときはまだ持っていなかった。帝の軍勢に加わるという形を取るのがもっとも効果的であろう。そのためには令旨が欲しい。

 ところが円心は高氏の問いに答えず、懐から無造作に書簡を取り出した。それを受け取って高氏は驚愕した。

「これは、帝の……」

 後醍醐から高氏に向けられた書状だった。中身は、以前あの山伏が見せたものと酷似している。

 帝からの令旨だった。

「なぜこれを、赤松殿が」

「帝もそれだけ必死ということです。大塔宮様も、楠木殿も。あらゆる事態を想定し、出来る限りのことをされております」

 後醍醐天皇の執念と行動力は凄まじいものがある。かつてこの国で、ここまで"必死"になった帝がいたであろうか。

「……赤松殿、帝にお伝えください。この足利高氏、必ず起ち上がると」

「承知しました」

 円心は頷いた。高氏が味方になったことへの喜びはさほど見えない。まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。

「しかし、今のままでは足利殿も起ちにくいでしょうな」

「名越か」

 高氏が決起すれば、名越高家がまず立ちはだかる。率いている兵数は同規模。負ける気はしなかったが、無傷では済まないだろう。損害が大きければ、その後の行動に支障が出る。

 そんな高氏の胸中を察したのか、円心は静かに言った。

「では、この赤松円心が足利殿の道を切り開きましょう」

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